夜明け前の絃神島。その中央にそびえるキーストーンゲート入口を、1人の男性が通過した。明かりがすべて消えているにもかかわらず、迷いのない足取りで男が向かった先は小さな博物館だった。
正式名称を魔族特区博物館というその施設には、島の外では見られない様々な展示品が所狭しと展覧してある。島外からも多くの人が訪れるそれらの間を、男は一切の興味が無いように素通りしていく。
男が辿りついた先には、関係者以外立ち入り禁止と書かれた扉。男は何の躊躇もなく扉を開き、一般に公開されていない区画のさらに奥へと歩を進めた。
男が足を止めたのは、奇妙な槍が死蔵されている区域だった。二本の短槍を無理矢理双頭に接合したような形状の槍が収められたケースには、銘も由来も記されていない。まるで封印でもされているかのように。
「霧が、晴れましたね」
男が呟く。独り言ではなく、明確に意思を向けて話しかけたのだ。その言葉に誘い出されるように、2人の人影が姿を現した。制服を纏った小柄な少女と、同じく制服を着て髪を逆立てた少年だ。
少女が口を開く。
「ええ。幸い深夜だったこともあり、人的損害はありませんでした。霧化前の魔力消失現象に伴う被害も、自己修復で十分に賄うことが可能な範囲です。まあ、人工島管理公社の担当部門は、しばらく徹夜でしょうけれども」
それを聞いた男性は満足そうに口を歪める。
「久しぶりですね、
「本当に、久しぶりです」
規律違反を見つけた学級委員長のような目で、少女は男性をねめつける。
「こちらの予想通り、ここに来てくれましたね」
「せっかく結界が解けているのに、来ない理由もありませんからね。……仙都木阿夜には感謝しています」
「彼女を利用したくせに、よくもまあ」
少女が発した棘のある言葉を無視し、男性はケースの中身へと目を向ける。
「〝
「持ち出せなかったのですよ。流石は失敗作ですね」
「なんにせよ、私に相応しい武器に違いは無い」
笑う青年の左手首には、千切れた鎖が巻き付いていた。次元を超えて監獄結界内部へと男を繋ぎ止め続ける鎖。仙都木阿夜が捕まった今、この青年こそ監獄結界からの最後の脱獄囚なのだ。
「どうやら、南宮那月が力を取り戻したようですね」
発光を始めた手枷を見て、少女が忠告する。このまま空隙の魔女が力を取り戻せば、監獄結界は再起動する。繋がりを断ち切っていない青年も、異世界の内部へと連れ戻されることになるだろう。
だが、脱獄囚の横顔に焦りの色は無い。
「そのようですが、少し遅かったですね」
青年の手を翳された黒塗りの槍が、まるで共振するように光を放つ。ほの白い輝きこそ、全ての魔力を無効化し、結界を切り裂く神格振動波の輝きだ。光を浴びた鎖は一瞬で崩れ去り、ついでとばかりに槍を固定していたワイヤーとガラスが砕ける。
まるで意志を持つようにその手へと倒れ込んだ槍を握りしめ、青年は踵を返した。彼にとって、この博物館にもはや要は無いのだ。
「どこへ向かうのですか、絃神冥駕?」
少女の問いに、青年――冥駕が足を止め、首だけで振り返った。少女を守るように半歩踏み出した男子生徒を面白そうに眺める。
「止めないのですか、〝
「ええ、たとえこの人と協力したとしても、今の私の力では〝
ただ事実を告げるように、何の感情もこもらない声で少女は告げる。そして、唐突に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それに、今あなたを逃がしたところで、我々〝
「なるほど、いい判断です……それでは」
暗い光を瞳に湛え、青年はこんどこそ去っていった。
「護衛ご苦労様です。〝矢瀬〟として、彼を止めなくてもよかったのですか?」
少女――閑の問いに、髪を逆立てた少年――矢瀬は拗ねるように口を歪めた。
「よく言いますよ。それをしようものなら妨害するつもりだったんでしょう?」
「ええ、彼は後々必要になりますから」
不満を隠そうともしない矢瀬を置いて、閑は一足先に出口へと向かう。視界から外れたことで矢瀬は内心不敵な笑みを浮かべ、しかし表情は拗ねたように歪めたまま少女の後を追い博物館を去った。人工島管理公社の中枢を担う〝矢瀬〟一族としてではなく、伊賀野の後継者としての覚悟をその胸に秘めながら。
赤い夕陽が街を照らす中、一応の休みを取った古城たちは駅前の裏道へ集合していた。普段であればあまり人通りの多くない横道も、街ぐるみのイベント中である今は多くの人が行きかっている。
そう広くもない道の一角を占領しながら、古城は思わずあくびをする。なにしろ激闘から未だ1日と経っていないのだ。睡眠も十分とは言えない体を引きずってきたのは、那月から呼び出しがかかったからだった。横を見れば、雪菜も眠そうな表情を浮かべていた。その様子を面白くなさそうに見ていた浅葱は、待ち人を発見し手を上げる。
「那月ちゃん、こっちこっち」
「教師をちゃん付けで呼ぶな! ……と言いたいところだが、今回は大目に見てやろう。
ついてこい、そう長くはかからん」
一切返事を聞かず、那月は歩き始めた。古城たちは慌てて後を追い、段々と暗くなっていく路地裏を進んでいく。祭りの一大イベントである花火打ち上げ時間が近いこともあり、古城たちは人の流れに逆らうように形で道を進んでいく。
だが、那月が歩を進めるにつれて段々とすれ違う人の数が少なくなっていく。日が沈むことで一層薄暗さを増した道を進む中、ぽつりと浅葱が疑問を漏らす。
「そういえば、今いるのって例の事件絡みのメンバーよね」
「まあ、それ関係で何かあるんじゃないか?」
「……ねえ、ひょっとしてなんだけど、那月ちゃんあの奇行のこと覚えてるとか?」
浅葱の一言に、古城と雪菜は一瞬呼吸が止まった。
「い、いやいやいや。もしそうだとしても、それで何かするんだったらアスタルテと煌坂もいないとおかしいだろ?」
笑いながら思い浮かんだ想像を否定する古城だったが、背筋の汗は止まらない。
「何をぶつぶつと話している。そろそろつくぞ」
那月の呆れたような声に前を見ると、埠頭の外れを歩いていることに気がついた。駅から埠頭が近いことは知っていたが、普段近づかない区画に古城は物珍しさを感じる。普段であれば巨大なコンテナ船が犇めく海面も、祭りの繁忙期直後である今は何もないまっさらな姿を見せている。
「ああ、雪菜。待ってたわよ!」
「紗矢華さん!」
物陰に隠れていた紗矢華に飛びつかれ、雪菜が驚きの声を上げた。その背後で、アスタルテと浩一がどこか呆れたような雰囲気で2人のじゃれ合いを見ている。
古城の背に、再び冷たい汗が流れた。那月の
「さて、お前たちを呼んだ理由を話していなかったな」
どこかもったいぶったような那月の声にその場の全員が視線を向け、その表情が一様に凍りついた。
「お前達で、私の
振り向きながら語る那月は、完全に目が座っていた。ほの暗い笑みを浮かべながら伸ばす手には、
最初に構えたのは古城と雪菜だった。2人で浅葱を背後に庇い、腰を深く落としいかなる状況にも対応できるよう視界を広くする。次いで紗矢華が呪符を懐から引き抜いた。霊力を通せば、すぐさま大量の式神が宙を舞うだろう。
第四真祖と攻魔師がともに臨戦態勢に入った様子を見た那月は、意外なことに拗ねたような表情を浮かべた。
「冗談だ。そこまで本気にすることはないだろう。私では書の発動は可能だが、細かい抜き取りはできない。例の記憶を抜くために、いまから当時までの時間を丸々奪うのは少々問題があるからな」
ぶちぶちと呟きながら本を虚空に収納し、空隙の魔女は纏っていた雰囲気を霧散させる。状況が呑み込めていない古城たちを後目に、浩一が那月へ説教を始めた。
「いくら悪ふざけとはいえ、限度がりますよ。事件から一日と経っていない今、彼らにとってあの魔導書は強い精神的刺激になるというのに、一体何を考えて今のような悪ふざけを……」
「実の担任があのような凶行に及ばないと考えてくれてもいいだろう。まったく、少しからかっただけでなぜそこまで言われなければならん」
「意見具申、今回の行動は些か目に余るものであったとお伝えします」
「アスタルテ、お前まで……」
自らに忠実なはずの
「えーっと……那月ちゃん。俺達をここに呼んだ理由ってまだ聞いてなかったと思ったんだけど……」
「少し待てんのか、問題児。もうそろそろのはずだ」
古城が何のことかと首を捻り、直後爆音と共にその理由が目の前で花開いた。
「どうだ、ここは本来とっておきの場所なのだが……お前達には手間を駆けさせたからな。存分に楽しむがいい」
船が少ない海上で、打ち上げ花火が再び咲く。船のいない海上は、まるで鏡面のように空の花火を映し出している。この時期の港は観光案内でも記されていない、知る人ぞ知る花火の穴場なのだ。
皆が花火に見とれている間、古城はこっそりと那月に近づいた。
「なあ那月ちゃん、結局どのくらい覚えてるんだ?」
「何故それを知りたがっているのかはわからんが、知ったところでどうなるわけでもあるまい。まあなんだ、呼びたければサナちゃんと呼ぶことを許してやらないこともないぞ?」
「それだけでほとんど覚えてますって言ってるようなもんじゃねーか……。てか、その呼び方気に入ってたんだな」
「……あの失態は私ではなく
たかが数人に暴走を見られた程度の屈辱、甘んじて受けるさ」
那月はどこか泰然とした笑みを浮かべ、古城は思わず目を見開いた。単純な疑問を解決しようとしただけの他愛ない質問のつもりだったのだが、帰ってきたのはなかなか見られない担当教師の大人びた表情だ。不意に湧いた畏敬の念に気恥ずかしさを覚え、古城は照れを誤魔化すように花火へと目を向ける。
一通り花火が打ちあがり、一度打ち上げが途切れた所で那月が手を叩き注目を集めた。
「さて、ここからは別行動だ。お前たちはここで花火を楽しんでおけ。私は山野とアスタルテを連れて祭りを回るからな」
「え、行ってしまうんですか?」
「ガキどもに混ざるほど、空気が読めないわけではないさ」
雪菜の気遣いをさらりと受け流し、那月はアスタルテと共に背を向ける。
「まあ、学生は学生で楽しんでということで」
浩一は笑みと共に手を振り、先に歩いて行った那月たちを小走りで追いかけていった。
「なんか、とっておきの場所って言ってたのに悪いな」
「まあ、本人がいいって言ってるんだからいいんじゃない?」
古城と浅葱が話している横で、ふと紗矢華が眉を顰めた。それを見た雪菜が口を開く。
「紗矢華さん、どうしたんですか?」
「いえ、ちょっと気になっただけなんだけど……」
何やら歯切れの悪い紗矢華だったが、古城と浅葱も視線を向けたこともあり渋々続きを口に出す。
「浩一さん、空隙の魔女相手だとなんか私たちよりも親しげなのよね。あんな態度見たことなかった」
「言われてみれば、たしかにあそこまで親しげな関係を見せる人ではありませんでしたね」
「そうなのか、那月ちゃんと話してるといつもあんな感じだけど」
「そうね、古馴染みって聞いてるし」
それぞれが那月と浩一の普段の態度を思い浮かべる。
「まさか、浩一さんってロリコ……」
「いや待て煌坂、それ以上は口に出すな。もしも聞かれてた場合シャレにならない。この場にいる全員がな」
紗矢華の失言を古城が全力で阻止する。嫌な方向に進んだ推測のせいで広がった沈黙は、彼らの輪に優麻が乱入するまで続くことになった。
古城たちと別れた那月、浩一、そしてアスタルテの一行は、先程の宣言通り露店を覗きながら祭りを堪能していた。
「そういえばだ。お前これはどうするつもりだ?」
綿あめを食べきった那月が浩一へと突き出した情報端末には、個人サイトが開かれていた。記事には謎の巨大ロボ発見の文字が踊り、不鮮明ながら写真も添付されている。
「……これは、ロプロスとポセイドン。どうやら学園から撤退する時にとられたみたいだね」
万が一を考えて浩一の口調を崩さないバビル2世に対し、那月は眉をひそめて端末を操作する。
「言っている場合か? これ以外にも数件のサイトで写真が取り上げられている。全て個人サイト程度とはいえ、このまま騒ぎが広がれば大手の機関に写真が分析されてもおかしくないぞ?」
アスタルテにリンゴ飴を与えつつ、那月の声には棘があった。彼女は、バビル2世の強みの1つに未知があることを理解している。このようなつまらない理由でその強みが失われることは避けたいのだ。特に、自分がその一因となっている現状は耐えがたい。
「安心してくれ。ちゃんと対策は取っているよ」
どこか得意げなバビル2世を横目で睨んだ那月だったが、その眼を大きく開くことになる。
「記事が……なるほど、塔だな?」
表示されている記事に掲載されていた写真が徐々に改変され、最初に掲載されていたものとは似ても似つかない画像へと差し替えられた。戦闘機と人型のはりぼてと化したしもべに加え、匿名掲示板ではホログラムの実験だったとの情報が次々と書き込まれている。
「他の記事に対しても、同様の工作を行っているよ。ホログラムに関しても、ただの実験としてダミー会社を通じでそれらしい情報を流しておく。
電子情報に関して、いつの時代も対策は変わらないよ」
得意げに笑うバビル2世の手の中で、流れるように工作は進んでいく。このままの速度で行けば、今日中に対策は完了するだろう。
「さて、これで心配は無くなった。心置きなく祭りを堪能しましょうか」
「なるほど、私の心配は杞憂だったというわけか」
バビル2世の笑みに那月はつまらなさそうに鼻を鳴らす。だがすぐに顔を上げ、アスタルテへと顔を向けた。
「さて、ならばお前の助言に従って祭りを楽しむとするか。
アスタルテ、浩一に欲しいものを好きなだけねだるといい。心配事が無いこいつのことだ、かわいい保護対象の願いは聞いてくれるだろうさ」
そう言いながら先導するように歩き出す那月を追って、アスタルテは表情を僅かに緩ませながら歩を速める。
「待て待て、流石に限度は考えてもらうぞ」
苦笑いを浮かべたバビル2世が彼女たちに続き、3人の姿は祭りの喧騒へと溶け込んでいった。
ストライク・ザ・ブラッド 用語集
人物
絃神冥駕 いとがみめいが
監獄結界からの脱獄囚の内最後の1人であり、作中で唯一完全な脱獄に成功した男。
何らかの目的で自ら設計した武器である冥餓狼を保管場所から奪い去ったが、詳細な目的は謎に包まれている。
静寂破り ペーパーノイズ
獅子王機関の頂点に立つ長老“三聖”の1人であり、その中でも特に尊重される長。
弱冠18歳ながらその肩書に相応しい実力を兼ね備えており、監獄結界の脱獄囚相手でも殺すつもりでかかれば圧倒できると言外に告げていた。
本文中で呼称された閑古詠という呼び名も役職名であり、本名は不明。
矢瀬基樹 やぜ もとき
暁古城の親友であり、第四真祖の監視役であり、人工島管理公社の代理人であり、伊賀野の後継者。
多重となっている肩書のすべてを期待以上にこなす才能を持つが、それゆえに苦労や厄介ごとを背負いこみやすい難儀な性分を持っている。
肩書の中では、暁古城の親友と伊賀野の後継者に対して強い愛着を覚えており、他の2つを蔑にしてでもその本懐を果たそうとする。
施設・組織
キーストーンゲート
人工島である絃神島の接合部分を纏める要。島にかかる潮力や振動その他を全てまとめ上げる最重要部分であるため当然警備も相応になっているが、侵攻する存在が存在だけに毎回打ち破られる不運な存在。
零式突撃降魔双槍 ファングツァーン
冥餓狼の銘を持つ異形の槍。詳細は不明ながら、雪霞狼と同様の神格振動波駆動術式が組み込まれていることは判明している。