バビル・イン・ザ・ブラッド   作:橡樹一

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 きりのいいところまで書いたので、本文が長めとなっています。
 ご了承ください。


3話 巻き込まれた者たち

 浩一に誘われるがまま店内に入った古城は、1つの違和感に気が付いた。

 

「似てるけど、煌坂じゃないな。なんだ、こいつ?」

 

 初対面の人間に対してこいつとは、古城らしからぬ発言だ。だが、それも問題にはならない。

 

「師家様の式神ですね。紗矢華さんを模して造られたみたいです」

 

 そう、眼前の存在は人間ではないのだ。魔力によって顕現した現身であり、そもそも生物ですらない。だが、その存在が何故古城たちの知り合いを模しているのか、それがわからない。

 

「式神って……あれはもっとこう紙みたいな感じだったじゃないか。ここまで人間に似た種類もあるんだな」

 

 今まで式神といえば雪菜が生み出す偵察用のものしか見ていなかった古城は、驚きのあまり眼前の女性型式神をまじまじと見てしまう。

 

「そう言うわりには、一目で紗矢華さんじゃないってわかるんですね」

 

 どこか湿度を帯びた雪菜の一言に、思わず古城は体を硬直させた。

 

「いや、あの煌坂がこんな格好を俺に見られでもしたら、あの剣で斬りかかられてもおかしくないだろ? それに、式神だからだろうけど人間の匂いが一切しなかったんだよ」

「匂い、ですか。そうですか……」

 

 吸血鬼特有の鋭敏な五感を理由に出されると、雪菜としても追及ができない。渋々引き下がる彼女の様子を見て、浩一がおかしそうに笑った。

 

「いやあ、仲が良さそうで何よりだね。貴女も、弟子の珍しい一面を見られたんじゃないですか?」

 

 その笑みのままに、浩一は傍らの猫に話しかける。その様子に、古城は何と言っていいのかわからなかった。

 あの頼れる攻魔官の浩一が、なぜこのようなことになってしまっているのか。昼に那月と行動していた時は特に変わった様子はなかった。先ほどまで那月は古城の補習を見ていたので、その間にあの修道院跡で何かあったのだろうか。あの式神は、こうなった浩一をここに連れてくるために、街中でも問題ないよう作られたものなのかもしれない。目立ったほうが周囲の視線を集め、襲撃を防止できるはずだ。

 師でもある浩一を本気で心配する古城だったが、その思考は一瞬で吹き飛ぶことになった。

 

「あの雪菜にここまで面白い反応をさせるとはね。おまえさん、なかなかやるじゃないか」

 

 カウンターの上で寝そべっていた猫が、突然こちらを向いて人間の言葉を話し始めたのだ。

 

「なっ……⁉」

 

 あまりの衝撃に絶句する古城とは対照的に、雪菜は静かにその場で片膝をつき(こうべ)を垂れた。

 

「師家様、ご無沙汰しております。姫柊雪菜、参上つかまつりました」

 

 恭しい挨拶を受けた猫は、満足そうに頷いた。

 動物にはあまり詳しくない古城から見ても、美しいと感じられる猫だ。金の瞳は内心を見通すような光を湛え、しなやかな体つきはどこか雪菜を思わせる。首輪にはめ込まれた、瞳と同じ色の金緑石も黒の体色に栄える。

 

「しばらくぶりだね、雪菜。おまえがあこそまで感情を表に出すなんて、そうそうあることじゃない。珍しいものを見せてもらったよ」

「未熟ゆえに御見苦しい点をお見せいたしました。申し訳ございません」

「責めちゃいない、褒めてるのさ」

 

 喉を鳴らして笑いながら、猫は実に人間臭い動きで前足を上げた。それを見た雪菜が居住まいを正す。どうやら、本題に入るらしい。

 

「さて、槍はどうした?」

「はい、こちらに」

 

 ギターケースから取り出された〝雪霞狼(せっかろう)〟が、紗矢華を模して造られた式神によって黒猫の前に運ばれていく。

 そのわずかな隙に、古城は雪菜に囁きかけた。

 

「師家様って……猫だよな。変身でもしてるのか?」

「あれは使い魔です。ご本人は、おそらく今も高神の杜に」

 

 古城が今まで見たことがないほど緊張している雪菜が、古城に囁き返す。

 

「高神の杜って、たしか関西にあるとか言ってたよな? おいおい、どんだけ離れてると思ってんだ……」

 

 本日二度目の衝撃に、古城は思わず猫を凝視した。現在古城たちがいる絃神島から、日本本土まで最短距離で約三百キロ。雪菜が修行を行っていたという高神の杜まで、そこからさらに数百キロは離れているはずなのだ。

 優れた魔術師にとって、物理的な距離は障害になりえないとは言うが、それにしても並大抵の術者が軽々と行える所業ではない。

 

「あの猫と紗矢華擬きを操ってるのが、姫柊の師匠ってわけか」

「はい。縁堂縁さまです」

「偉い人なのか?」

「はい、かなり。浩一さんの所属する先達と、ほとんど変わらない地位です」

 

 古城の不遜な質問に、雪菜は表情をこわばらせつつ頷いた。

 異国の女王や、戦王領域の貴族と対面しても、ほとんど物怖じしなかった雪菜がここまで気を遣うのだ。猫を通してこちらを見ている彼女の師匠は、よほどの大物なのか気まぐれな暴君――あるいはその両方の気質を備えているのだろう。地位ほとんど同じといった浩一と、雪菜は普段そこまで畏まった雰囲気で接しているわけではない。そこから察するに、どちらかといえば暴君気質が強いのかもしれない。

 とはいえ、見た目が猫ではどうにも締まらない、と古城は考えてしまう。

 その猫は、運ばれてきた銀の槍をざっと見渡した。

 

「いちおう〝雪霞狼(せっかろう)〟には受け入れてもらえたんだね。

 技はかなり粗さが取れてきたじゃないか。そこの客員先達の教えをうまく生かしているね。

 刃筋(スジ)も悪くないが、〝霊視()〟に随分と頼ってるのが気になるところかね。忘れたわけじゃないだろうが、剣巫(けんなぎ)は剣にして剣にあらず、()にして巫にあらず……未来(さき)を視て流されるだけでは、まだまだ半人前さ」

「はい、師家様」

 

 猫が伝えるありがたい説教を、雪菜は神妙な顔つきで聞いている。張り詰めた空気が満ちる真剣な場面なのだが、横から見ている古城にとっては反応に困る絵面だ。

 だがその光景とは裏腹に、猫の先にいる縁堂縁という人物が底知れぬ実力者ということに間違いはないようだ。武器に残された細かい傷や摩耗から、弟子の癖や欠点を読み取り的確なアドバイスを送れるのだから並大抵ではないだろう。

 その実力に敬意を表し、黒猫をニャンコ先生と呼ぼうと古城は決意した。もちろん、口に出すつもりは一切ないが。

 

「いいだろう、確かに槍は預かった。今この時刻をもって、おまえを第四真祖の監視役から解く。

 ……たまには普通の小娘(ガキ)に戻って、英気を養ってくるんだね」

 

 〝雪霞狼(せっかろう)〟の検分を終えた黒猫が、人間臭い笑みを浮かべながら雪菜に告げる。

 しかし、雪菜は体勢を変えず変えずに師匠の使い魔を見つめ続けていた。なんどか躊躇うように唇を震わせ、意を決したのか口を開いた。

 

「――お言葉ですが師家。ほんの数日とはいえ、先輩……いえ、第四真祖の動向から目を離すのはやはり心配です。監視のお役目、私に引き続きお任せいただけないでしょうか」

 

 真剣な雪菜の提言に、黒猫は面白そうに笑い声を漏らした。実直真面目な雪菜が、師匠の言いつけに反する意見をすることなどかつて無かったのだろう。

 

「そこの坊やが第四真祖かい?」

 

 突然水を向けられ、古城は僅かに怯んだ。金の瞳が、まっすぐ古城の目を見ている。

 

「ああ。いちおうそういうことになってるみたいだ」

 

 坊や呼ばわりに反論する考えも脳裏によぎったが、古城はその言葉を呑み込んだ。代わりに、特に敬語なども使わず返事をする。いくら雪菜の師匠とはいえ、猫相手に敬語を使う気にはなれなかったのだ。

 猫のほうも、初対面の相手に敬語を求めるほど度量は小さくなかったようだ。ざっくばらんな口調で話しかけてくる。

 

「呼びつける形になってしまって済まなかったね。おまえさんとは一度会って話をしてみたかったのさ。面と向かって礼も言っておきたかったからね」

「礼?」

「アヴローラを救ってくれた礼さ。あの子とはちょっとした因縁があってね」

 

 黒猫が口を吊り上げて笑い、同時に古城はすさまじい頭痛に襲われた。痛みと共に、彼の脳裏に朧げな風景が浮かび上がる。紅く染まった空を背にした小さな人影。炎のように輝く虹色の髪と、焔光(えんこう)の瞳を持った少女だ。

 あまりの激痛に体勢を崩した古城を支え、心配そうに声をかける雪菜に意識を割くことすらできない。

 

「あんた……あいつを知っているのか……?」

 

 黒猫に詰め寄る古城だったが、思うように力が入らず雪菜に支えてもらうことで何とか立っている状態だ。

 

「縁堂巫師、彼にその話はしないよう言ったでしょう。悪ふざけでは済まないとも」

 

 そんな古城の様子を見た浩一が苦言を呈し、黒猫はバツが悪そうに尻尾を揺らす。

 

「ここまでひどいとは思っていなくてね。見通しが甘かったよ。

 すまないね、私も語って聞かせられるほどには知っちゃいない。ちょいと因縁があっただけだからね。

 とにかくあの〝眠り姫〟は不憫な子だったんだ。救ってくれたことに感謝しているのさ」

「……浩一さんは?」

「すまない。私も資料でしか知らないんだ。ある程度は説明できなくもないが、それはできないんだよ。

 古城君、君はいずれあの子のことを必ず思い出すことになる。その記憶を、関係のない私が話して聞かせるべきではないんだ」

 

 本来であれば、不要な隠蔽を宣言した浩一に古城は食い下がっただろう。だが浩一の表情は真剣そのものであり、ある程度の付き合いがある古城は決して話さないであろうと予想がついた。

 心配そうに自分を支える雪菜の目線に気が付き、古城はある程度の冷静さを取り戻した。心配ないと笑いかける様子を見て、黒猫はおかしそうに笑みを浮かべた。

 

「それにしても、あのアヴローラだけでなく堅物の雪菜まで手懐けるとはね。腑抜けた面構えからは考えられないけど、なかなかやるじゃないか、坊や?」

「て、手懐けられたりなんてしてません!」

「この駄猫……」

 

 雪菜が勢いづいて反論し、古城は思わず悪態を口にする。

 すでに先ほどの少女を思い出すことはできず、頭痛もわずかながら収まってきた。

 

「たかが数日目を離した隙に悪事を働けるような肝っ玉もなさそうだし、山野の目を盗む度胸はもっとなさそうだがね。かわいい教え子が気にかけてることだし、一応首輪くらいはつけておくとするか。

 代理の監視役がいれば、雪菜も少しは安心できるだろう?」

 

 そういって黒猫が右手を上げると、メイド姿の紗矢華を模した式神が、ゆっくりと古城たちへと近づいてきた。

 

「おい、まさかこの煌坂もどきが姫柊の代理ってわけじゃないだろうな」

 

 内心の不安を隠そうともせず、古城は恐る恐る黒猫に問いかける。

 残念ならが、猫は当然のように頷き返した。

 

「見知った顔のほうが何かと便利だろう? せっかくなんだから、そいつを連れて歩くんだね。

 安心しておきな、胸くらい触っても本人には黙っておいてやるさ」

「誰が触るか! てか本人はどうしたんだよ⁉ 代理ってんならあいつでいいだろ!」

「紗矢華は任務中さ。予定だと今日終わるはずだったんだけど、案外てこずってるようでね」

 

 そう言われると、部外者である古城は一切の口出しができなくなる。本来はヴァトラーの監視が任務であるはずの紗矢華が駆り出される任務の内容を、獅子王機関の人間ではない古城に教えてくれるはずがないのだ。

 

「そうか……ところで、なんで式神が煌坂の格好をしてるんだ?」

「ああ、それは単純に紗矢華の日だったというだけさ。

 1体の式神を放っておしまいじゃあ私としても腕が鈍るからね。定期的に外見を変えているのさ。あと1週間ほどで、次の姿に変える予定だよ。

 そうだね……久しぶりに会った記念に、雪菜の姿にするのも面白そうだ」

 

 その一言に、雪菜が目に見えて狼狽した。自分と同じ外見の存在が、預かり知らぬところでメイド服を着て接客するかもしれないのだ。動揺しないほうが難しいだろう。

 この性格だからこそ、雪菜はこの師匠を恐れているのだ。

 

「失礼。急用が入ったので、私はここで失礼します。

 姫柊、宿泊施設楽しんできてね。古城君、また今度」

 

 突然、にこやかに会話を聞いて楽しんでいた浩一が立ち上がった。懐から取り出した機械を眺め、せわしなく店から飛び出していく。

 

「珍しいね、あの男が話の途中に退出するとは。まあ、それほど関係のない話を聞く男でもないか。

 でだ。いないはずの雪菜にするわけにはいかないから、ある程度のリクエストには答えてやろうじゃないか。何か好きな格好はあるのかい?」

「いや、リクエストって言われても……」

「それとも、高神の杜からほかの剣巫を呼び寄せようかね。生身の人間のほうがいいんだろう?

 たしか今年の卒業生に、イキのいいのが2人ばかりいたね。第四真祖、胸のでかいほうと小さいほう、どちらが好みだい?」

「……え⁉」

 

 こんな場所でそれを聞くのかと、古城は戦慄する。

 ふと視線を感じて横を盗み見れば、雪菜が感情のない瞳でじっと古城を見つめていた。ここで選択肢を間違えれば、あとでなにか大変なことが起きると古城の勘が警告を発している。だが、どう答えれば正解なのか。

 重苦しい沈黙の中、予想外の状況に追い詰められている古城の懐で携帯の着信音が鳴り始めた。天の助けとばかりに古城は携帯を取り出しディスプレイを確認する。

 そこには、藍羽浅葱の名が表示されていた。

 

 

 

 丘の頂上へと続く道が、夕日に彩られる時間帯。ウレタンチップが敷かれた遊歩道を歩く浅葱は、スマートフォンを耳に当てていた。電話口からは、何故か切羽詰まったような古城の声が聞こえる。

 

『浅葱か? グッドタイミングだよ助かった!

 えっと、何か用があるのか?』

「うん、急にごめんね」

 

 かなり愛想がいい古城に、浅葱は軽く面食らう。まるで、この電話がきっかけで絶体絶命の窮地から逃れられたといわんばかりの反応だ。

 

「ちょっと頼みたいことがあったんだけど、ひょっとしてもう家についちゃった?」

 

 気を取り直して発した質問に、古城は謎の沈黙を返した。何を言うか悩むような時間が挟まれる。

 

『いや、まだ外だ。西地区(ウエスト)の六号坂近くに、姫柊の知り合いがやってる骨董屋があるんだよ。そこに呼ばれてな』

「六号坂って……あの辺に骨董屋なんてあったの?」

『ああ、かなりわかりにくい場所にある。隠れ家的って言えばいいのかな』

 

 地名を聞いた浅葱は顔を引きつらせるが、続く古城の説明に冷静さを取り戻した。

 六号坂周辺がどのような土地か、知っているだけに疑惑は残るが、絃神島の住民ならばませた小学生でも知っている。その地名を出す以上本当にやましいことは無いと判断できるし、説明する古城もごまかすような口調ではなかった。スマホのスピーカーから、猫の鳴き声と静かなBGMが聞こえてくる。骨董屋というのも嘘ではなさそうだ。

 

「よくわからないけど、忙しいってわけではないのね?」

『まあな。で、頼みってなんだよ』

 

 古城の問いに、今度は浅葱が沈黙を返すことになった。言い出しにくい内容だけに、咳払いまでしてしまう。

 

「あのさ……あんたが私の誕生日にくれたピアスこのと、覚えてる?」

『ああ、あのお前が妙にねだった買わせてくれたやつな。たしか青だったっけか』

「青じゃなくてターコイズ・ブルー!」

 

 浅葱の口調が強くなる。あのピアスは、青ではなく浅葱色(ターコイズ)であることに意味があるのだ。

 

『こだわるなおい。

 で、そのピアスがどうしたんだ?』

「ごめん、片っぽ落としちゃったみたいでさ。たぶん昼休みあんたともみ合った公園あたりだと――」

「公園? おい、まさかあの修道院跡近くにいるってんじゃないだろうな⁉」

 

 豹変したように詰問する古城に、浅葱は驚きのあまり素直に返事をしてしまう。

 

「え、えっと、そうだけど。

 どうしたの急に?」

『どうしたのじゃない! お前も特区警備隊(アイランド・ガード)が見張ってたのを知ってるだろ! いま修道院の辺りは危険なんだよ! 何かに巻き込まれる前にそこから離れろ、今すぐに!』

 

 突然発せられた警告に、浅葱は戸惑いを隠せない。古城が何かを警戒していることはわかるのだが、なぜそこまで危機感を持っているのかが理解できないのだ。

 

「べつに今は学校を抜け出してるわけじゃないんだから、大丈夫よ。特区警備隊(アイランド・ガード)がいるんだから、逆に安全じゃない」

『いいから早く帰れって! ピアスなら、別のやつを後で買ってやるから! 何個でも!』

 

 懇願交じりに発せられた古城の言葉を、都合よく聞き逃す浅葱ではない。

 

「いいの⁉」

『嘘じゃない!』

「ピアスだけじゃなくてもいい? 高いやつじゃなくていいから、ゆ、指輪とかでも』

『この際なんでもいいよ! だから早く!』

「わかったわかりました。そんな大声出さないでよ。

 あと1周したらおとなしく帰るから」

『今すぐ帰ってくれよ!』

 

 声を枯らした古城の叫びを聞き流しながら、浅葱は上機嫌で歩き始めた。何故ここまで古城が焦っているのかはわからないが、心配されるのは悪い気分ではないし、指輪を買ってもらう約束まで取り付けたのだ。約束通りピアスの捜索を切り上げようと、最後にざっと地面を見渡した。

 轟音と共に地面が揺れたのは、その直後だった。

 浅葱の体が一瞬空中に浮きあがり、あまりの振動に立っていることすらできない。肩にかけていたバッグが吹き飛ばされ、中身を道にぶちまけていた。

 

『おい浅葱! なんだ今の音⁉』

 

 異音は古城にも聞こえていたらしく、声から余裕が一切消えている。

 そして古城の問いに、浅葱は答えられなかった。何が起こっているのかはわかっている。眼前で発生する異常事態を見落とすほど、浅葱は間が抜けているわけではない。

 だが、その現象をどう言えばいいのかがわからないのだ。

 修道院跡を吹き飛ばして出現した物体は、不気味に蠕動する漆黒の流動体だった。生物でも金属でもない、特定の形すら持たないであろう巨大なモノ――それをどう表現すればいいのか。

 

「わかん、ない。なによ……こいつ!

 血、みたいな……水銀? 女の人が!」

 

 体を襲う鈍痛に耐えながら、浅葱はゆっくりと体を起こす。その間にも、物体は形状を絶え間なく変えていく。

 ありえざる、進化の失敗作とでもいえばいいのだろうか。ありとあらゆる生命体の遺伝子を混ぜ合わせれば、あるいはこのような合成獣(キメラ)が生まれ落ちるのかもしれない。

 異形の存在は周囲の物体を見境なく喰らい、徐々に成長を続けている。出現時は軽自動車ほどだった体積も、今は小型トラックを超えるほどの大きさにまで膨れ上がっていた。

 

「あれ?」

 

 逃げなければと浅葱が立ち上がると同時に、場違いな声が聞こえてきた。赤と白のチェックが目立つ、奇術師のような服を着た青年が坂の上から浅葱を見下ろしている。無邪気そうな笑みこそ浮かべているものの、その眼は一切の温度を感じさせない。

 

「まいったな、見られちゃったのか。まあいいや……すぐ死ぬし」

 

 無関心な口調で青年が言うのと同時に、怪物が咆哮した。

 不定形の流動体から、溶けるようにリボン状の帯が出現する。それがリボンなどというかわいらしいものではなく、刃のように研ぎ澄まされた職種であると浅葱が気が付いた時には手遅れだった。

 

「え?」

 

 軽い衝撃と共に、浅葱の体が地面に投げ出される。視界の端では、なにかを切り落とした青年が興味深そうな目で浅葱のほうを見ていた。一拍おいて、空気を切り裂く音が聞こえてくる。浅葱はリボン状の刃が凄まじい速度で斬撃を繰り出したと理解したが、それに反応することは無かった。

 眼前の光景に目を奪われていたからだ。

 

「う……そ……」

 

 目の前の地面に、バビル2世が倒れていた。肩から腰にかけて袈裟懸けに切断された体の裂け目から、はっきりと地面が見える。人体に詳しくないものが見ても、一目で判断できるだろう。

 間違いなく、致命傷だ。

 遅まきながら、浅葱は先ほどの軽い衝撃はバビル2世が自分を突き飛ばしたものだと理解した。常人では目視すらできない速度の斬撃から彼女を庇い、かわりにバビル2世がその一撃を受けたのだ。

 

「い、いやああああぁぁぁぁぁっ⁉」

 

 浅葱の発する絶望の叫びが、赤く染まった空に吸い込まれていった。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 アヴローラ
 先代の第四真祖。
 彼女の関する記憶は古城の中から完全に失われており、思い出そうとすると激しい頭痛に襲われることになる。

 縁堂縁 えんどう-ゆかり
 獅子王機関に所属する攻魔師であり、雪菜と紗矢華の師匠。
 日本でも指折りの実力者でありながら、その場の気分でとんでもないことを言い出すことが多々あるため弟子たちからは恐れられている。

 施設・組織

 高神の杜 たかがみのもり
 表向きには全寮制の学校となっている、獅子王機関の攻魔師育成所。
 偽造とはいえ学校機関として造られただけはあり、攻魔師の知識だけではなく通常の学問も高度なレベルで教育している。

 種族・分類

 雪霞狼 せっかろう
 獅子王機関の秘奥兵器であり、世界に3本しか存在しない七式突撃降魔機槍の1振り。
 通常の兵器との大きな違いとして、扱うためには特殊な資質が必要な点が挙げらえる。
 資質が足りないと、最悪の場合武装として展開できないことすらある気難しい武器。

 バビル2世 用語集

 人物

 バビル2世
 次回本文まで、解説は控える。
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