闇に包まれた廃倉庫の片隅で、天塚汞が壁を背にして地面へと座り込んでいた。廃材と化したコンテナに投げ出された手の中には、砕けた〝
彼の額から、血が一筋流れ落ちた。〝
「いたたたた……流石にやるなぁ、南宮那月。傍に山野浩一がいたのも運が悪かった。本体で行かなくてよかったよほんと」
まるで他人事のように呟きながら、天塚はゆっくりと立ち上がった。崩落した天井から差し込む月の光が、その姿をはっきりと照らし出す。
露わになった横顔は、まるで病人のようにやつれていた。
天塚は、その右半身を〝
だがそれは、分身体の体積に等しいだけ彼は肉体を失うということを意味している。錬金術師である彼は、手頃な物質を金属と化して取り込むことで失われた体積を取り戻すことができる。しかし、それを繰り返すということは彼の体を構成する〝霊血〟の純度が下がり続けるということだ。分身体を数体生み出した時点で、天塚の肉体は限界を迎えつつあった。
「――ああ、すまない。叶瀬夏音は手に入らなかった」
突然、天塚が独り言を話し始めた。彼の周囲に人影は見えず、通信機の類も持っているようには見えない。彼が唯一手にしているのは、銀のステッキだけだった。握りに施された髑髏の装飾に向かって、天塚は話しかけているのだ。
「悪かったよ、でも心配いらないさ。供物なら、もう他にいくつか目星がついてるからね」
そう呟く天塚の脳裏には、銀の槍を構える若い剣巫の姿があった。
獅子王機関の秘奥兵器である〝
「山野浩一たちに邪魔されたせいで逃がした〝
廃倉庫を出た天塚は、髑髏の装飾を忌々しそうに睨みつけた。その彫刻から、嘲るような笑声が聞こえたのは気のせいだろうか。
「だからわかってるさ。おまえこそ、約束を忘れるなよ」
そう言って、天塚は彫刻から目を離した。
白赤のチェック帽をかぶった錬金術師が、街へと消えていく。かつて師と呼んだ相手を滅ぼし、5年前に失ったものを奪い返すために。
普段の登校日よりもかなり早い時間帯、古城は自宅の玄関に立っていた。宿泊研修に向かう妹たちと、家に帰る浅葱の見送りのためだ。
最後の荷物確認をする雪菜と凪沙よりも一足先に帰ると言い出した浅葱は、どこかよそよそしい態度だった。
「じゃあ、また学校でね」
「随分早いんだな。もう少しゆっくりしても間に合うだろ?」
やたらと急ぐ浅葱に古城は欠伸を噛み殺しつつ疑問を呈すが、当の浅葱は呆れた表情を浮かべる。
「あんたなに言ってるのよ、私の家までどれくらいかかると思ってるの?」
当然のように家に帰ると主張する浅葱に、古城は驚きを隠せない。
「わざわざ帰るのか? うちから直接学校行けばいいじゃないか。近いし」
「ちょっと、私に手ぶらで、しかも昨日と同じ制服で登校しろって言いたいわけ?」
「それに何の問題があるんだよ。同じ制服って、昨日洗って乾燥させてたじゃないか」
「洗いもしない服を着れるわけないでしょ! ほんとデリカシーってものが無いんだから!」
古城としては洗った以上問題なく着られるものだと考えての発言だったが、年頃の少女からすれば洗濯したとはいえ同じ服を2日間着続けることは耐え難いものなのだ。しかも、思い人にそのようなだらしない姿を見られただけで精神的にはいっぱいいっぱいなのだ。この上洗濯もしない服を着ていたとすれば、精神的には再起不能になってしまいかねない。とにかく早く洗うことを優先したために、どうしても残ってしまっている服の匂いが気づかれはしないかと気が気ではない浅葱は会話を切り上げることを優先した。
「とにかく、姫柊さん経由で浩一さんから警戒網が構築できたって聞いたから、私はもう行くわよ。じゃあ学校でね、古城」
慌ただしく言い残し、逃げるように浅葱は玄関から去っていった。
ひとまず自室へ戻ろうかと古城が踵を返すと、丁度凪沙が旅支度を終えてこちらへと歩いてくるところだった。
「おはよう古城君! 浅葱ちゃんはもう帰ったの?」
「ああ、一旦自宅に帰って着替えるらしい。手間のかかることするよなあいつも」
「何言ってるの! 本当に古城君は女心がわかってないんだから。そんなんじゃ、浅葱ちゃんに愛想尽かされちゃうよ?」
「愛想ってなんだよ愛想って」
暁兄妹が漫才じみたやり取りをしていると、雪菜も最終確認が終わったらしく部屋から顔を出していた。凪沙を先に玄関へと向かわせ、僅かな時間で彼女に見せられない呪具などの装備品を見直したのだろう。
「おはようございます先輩。なんだか随分と眠そうですね?」
「普段よりもかなり早く起きてるわけだからな。眠気もとれないさ」
古城はそう言ってごまかしたが、実際はほとんど一睡もしていないせいだ。室内で鞄から飛び出してきたニーナが〝
捜索といってもニーナが行う魔術儀式の手伝いをするだけであり、自室ということもあり特に妨害なども入らなかった。
だが、一晩という時間をかけてもニーナの術式で〝
「まったく、いくら早起きが珍しいからって二度寝して遅刻とかしないでよ? ご飯はある程度作り置きしてあるけど、足りないからって買い食いで済ませちゃだめだからね? それに寝る前にはちゃんと目覚ましかけて、歯も磨いてよ?」
「わかったからお前は鞄以外の持ち物を見直ししとけ。よく大きな荷物ばっか見て、小さい貴重品忘れてたりしたろ?」
「ふっふーん、古城君私をいくつだと思ってるのかな? そんなミスそうそうするわけ……」
常夏の島では珍しい、冬服を着た凪沙は得意げにポーチをあさるが、その動きは徐々に鈍くなり表情も固まっていく。
「おい凪沙、おまえまさか……」
「お、お財布忘れた!」
顔を真っ青にして自室へと飛び込んでいく凪沙を見て、古城は思わずため息をついた。そんな兄弟のやり取りに、雪菜は優しい笑みを浮かべている。
「すまないな姫柊、騒がしくて」
「いえ、気にしないでください」
古城は謝罪するが、雪菜は気にした様子がない。ふと古城の視線が雪菜の荷物へと向かった。
凪沙が旅慣れしていないという理由もあるのだろうが、それと比べても雪菜はかなり荷物が少ない。特に、普段背負っている黒いギターケースが無い分よけいに少なく感じるのかもしれない。
「先輩、私の代わりの監視役の件なんですけれど……」
無意識のうちに雪菜を観察していた古城は、雪菜のささやきに意識を引き戻した。脳内で言葉を咀嚼し、僅かに遅れて反応を返す。
「監視役って、たしかニャンコ先生の式神がついてくれるんじゃなかったか?」
「にゃ、ニャンコ先生?」
雪菜が顔をひきつらせた。もしも自分が師匠をそう呼んだ場合の制裁を思い浮かべてしまったのだろう。
気を取り直すように咳ばらいをし、雪菜は話を続ける。
「昨日の先輩の戦闘を師家様もある程度観測していたみたいでして、式神では力不足だと結論付けていらっしゃいました。不完全な真祖ならあの式神で十分止められる目算が外れたと、随分楽しそうだったのが少し不安ですけど……」
「できればその情報はいらなかったな。
で、結局監視役はどうなるんだ?」
「高神の杜から1人、現役の攻魔師が派遣されてくるそうです。十分な実力者を選んだとおっしゃっていました」
「わざわざ本土から来るのか。ご苦労なこったな」
「さすがに距離があるので、到着は本日の午後になるとのことです」
それまでは自由に動けるな、と古城は内心で目算をはじめた。ニーナによる捜索は空振りしたものの、夜が明けたならば〝
代理の監視役が雪菜のように融通が利く性格である可能性は正直に言って低い。第四真祖が不滅の液体金属生命体を捜索して、いったい何をするつもりなのかと怪しまれるのがオチだろう。監視役が来るまでニーナの補佐を続け、〝
今回の一軒は、なにも古城1人で片を付けなければならないわけではない。〝霊血〟が発見でき次第、那月か浩一に位置を報告すればそれで解決したも同じなのだ。代理の監視役が来てしまった場合、ニーナの手伝いが古城から別の攻魔師に移るだけで何の問題も発生しない。
「先輩……ずいぶんと張り切っていますけど、何を考えているんですか?」
そんな考えを廻らせる古城を、雪菜は疑わしげな眼で見つめていた。勘の鋭い彼女を前に、少々迂闊な行動だったといえる。
「い、いや、別に張り切ってるとかそういうんじゃないさ。なら昼まで寝られるなとか思ってただけで……」
「もう、私がいないからといって、今回の一件にかかわろうと無茶はしないでくださいね? なんだか嫌な予感がするので」
「わ、わかったよ。気を付けるし、できるだけ危ない行動は避けるから……」
世話のやける弟に話しかけるような雪菜に、古城は内心で舌を巻いた。監視役として派遣されてからはや数か月たつが、その間に様々な無茶を傍で見続けてきた彼女だ。古城が内心でたてている目算を、ぼんやりとはいえ把握しているようだ。
「ごめんお待たせ! 雪菜ちゃん、行こうか。古城君、行ってきます!」
財布を見つけた凪沙が、勢いよく玄関へと駆け出してきた。そのまま急いで靴を履き、雪菜の手を引き走り出す。
まともに抵抗できずに引きずられる雪菜と走り続ける凪沙へおざなりに手を振り、2人の姿がエレベーター内に消えてから古城は部屋へと引き返した。
部屋に入ると、丁度ニーナが押し入れへと潜り込もうとしているところだった。あまりにも間の抜けた構図に、古城は思わず数秒間沈黙してしまう。
「……なにしてるんだ?」
「ん? なに、少々精神を休めようかと思ってな。流石に部屋の主の寝具を無断で使用するというわけにもいくまい。この寝具入れならば、今の吾にとって十分に広い寝室になりえる大きさだからな。
なに、卑猥な本を見つけても見て見ぬふりをしてやるから安心するがよい。吾の過ごしやすいように少々内装はいじるが、そこはまあ器の大きなところを見せてもらえると信じているぞ?」
「何言ってんだそんなもの押し入れに入れてないし勝手に内装変えるとか言われて放っておけるか!
てかお前が内装変えるって、それ錬金術で物理的に変容させるってことだよな⁉」
振り返りながら偉そうに胸を張るニーナを、古城は慌てて確保した。大きさの比率から言えばイヤイヤ期の子供を止めるバイトの保育士さんといった光景だが、ニーナは比率が小さいだけで成熟した大人の外見だ。より適切に現在の状況を表現すると、特注のビスクドールを抱えようとする高校生男子という非常にまずい光景となっている。
「まったく。そう物理的に止めなくとも、一声やめろと言えば無理に改造することもないぞ。
吾はこう見えて、錬金術仲間からは聞き分けがよく常識があると評判であったのだぞ?」
「止めるのが遅れて、押し入れの中身を錬金されたらおしまいだからそりゃ焦るだろ! 細々したものが多いんだから、もし錬金されて買いなおしにでもなったら昼飯も食えなくなるんだぞ」
寝不足の上に連続で突っ込み役をさせられている古城は、意外なことにニーナの自己評価を疑ってはいなかった。
ニーナの言動や知名度から、人間であった頃の彼女が錬金術師としてかなりの実力を有していたことに疑いはない。数百年前に錬金術などを学び実践できる人間は、ほとんどが特権階級なのだ。召使に傅かれ、思いのままに生活できていたであろう彼女は、もっと横柄な態度をとるほうがむしろ自然といえるだろう。
だが、ニーナは出会ったばかりの古城たちの主張を素直に受けれいていた。古城はニーナが封印されていた期間を知っているわけではないが、それでも最近の常識を当時の常識にきちんと上書きしているということは驚くべきことだと言える。
「さて、もう話は終わりか? 吾としてはそろそろ精神を休めたいのだが」
「悪いけど、少し休んだら捜索魔術を頼めないか?
できる限り早く天塚と〝
「焦る気持ちはわかるが、流石に精神が限界だ。30分は休ませてもらうぞ。それに十数分前に魔術を行使したばかりだからな。今すぐに術を使っても恐らく結果は変わらんよ」
「まあ、無理に魔術を使って反動があっても困るか……。
じゃあそのくらいしたら、声をかける。丁度日も出てきたみたいだし」
古城がカーテン越しに漏れる日光へと視線を向けたその時、凄まじい魔力の波動が大気を貫き古城を襲った。あまりの精神的衝撃に、古城は思わず体を硬直させる。その直後、雷鳴のような轟音が響き、絃神島の人工の大地が大きく震えた。
古城は蹴とばされたように動き出し、カーテンを乱暴に押しのける。窓を割らんばかりの勢いで開き、乗り出すようにして轟音の発生源を見た。
「……古城よ、前言を撤回する。〝
謝罪の感情を乗せたニーナの言葉に、古城は反応を返さなかった。ただ茫然と、街を見続けている。視界に捕らえられた区画からは、うっすらと黒煙が立ち上っていた。爆心地はおそらく
そして、雪菜と凪沙が向かったフェリー乗り場がある場所だった。