時は僅かに遡り、屋上で待機する古城と紗矢華へと視点は移る。
雪菜に叱られ、浩一から怒りを向けられた紗矢華は沈んでいた。それはもう盛大に落ち込んでいた。傍にいる古城が声をかけることにためらうほどに。
しかし、このまま沈黙が続くことに耐えられなくなった古城は意を決した。正直炎天下にも拘らず、紗矢華の纏う闇が湿度を感じそうなほどに濃くなってきたのが怖くなったという理由もある。
「な、なあ。紗矢華、だっけ?」
恐る恐る声をかけるも、反応無し。心が折れそうになるが、諦めず続ける。
「お、俺はもう気にしてないからさ。浩一さんにも掛け合うから、そう落ち込むなって」
「………………」
結果は変わらない。どうしたものかと思考を巡らせ、1つ思い当たる話題があった。
「そういえば姫柊と親しげだったけど、けっこう長い付き合いなのか? 姉妹みたいに見えた」
「長いなんてもんじゃないわ!」
「うおっ!」
紗矢華がいきなり復活した。思わず飛びのく古城を後目に、勢いよく立ち上がった紗矢華はまるでミュージカルのように手足を動かす。
「私と雪菜は7歳のころから獅子王機関で一緒に育ったのよ。いつも一緒に行動したし、同じ師匠の元で修業を積んだわ。当然今もだけど、あの頃の雪菜も本当にかわいくて、まるで天使と一緒に居るみたいだったのよ!初めて式神の扱いに成功した時なんて、2人で大はしゃぎして……」
水を得た魚のようにいきいきと紗矢華はエピソードを語る。先程までの反動なのか、少し不安になるほどの勢いだ。軽く引いている古城はまるで目に入っていない様子で、とてもうれしそうに話を続ける。
「…………で、その時に撮った写真がこれなの!」
宝物を自慢する子供さながらの表情で、携帯電話に保存された写真を古城めがけて突き出した。移っているのは7歳ほどの2人の少女だ。寒々しい冬景色を背景に、裸足の少女たちは堅く手を握って寄り添っている。2人だけで他の全てと対峙するように。面影から、幼い頃の雪菜と紗矢華であると古城はすぐに理解した。
「ふーん、たしかに可愛いな」
「でしょう!? ほかにもこんな写真もあって……」
「いや、姫柊も可愛いけど、お前もこのころから美人だったんだなってさ」
「はぁっ!?」
不意に褒められた紗矢華は、思わず操作していた携帯電話を取り落した。顔を真っ赤に染め狼狽えている。
「え、あ、き、急に何言って……」
古城としては、その反応が理解できなかった。事実を言ったまでであるし、嫌っている相手から褒められても大した反応はしないと踏んでいたのだ。
想定外にうろたえる紗矢華は一旦置いておき、取り落とした携帯電話を先に拾う。画面に映る写真は、どうやら修業後の休憩シーンのようだ。
「ん? おい煌坂、ちょっといいか?」
ふと顔を上げると、紗矢華は何故か剣の収納ケースに手をかけていた。
「なにしてるんだ? まさかさっきけっこう真剣に説教されてたのをもう忘れたんじゃ」
「わ、忘れてないわよ! で、なによ?」
「ほんとか? まあいいや。これなんだけど」
古城が見ていた写真には、休憩する雪菜と紗矢華。そしてその少し奥でお茶を飲む浩一が映っていた。
「それがどうかしたの? まさか、汗に濡れる雪菜を見て欲情したとか」
「しねーよどんだけ想像力豊かなんだ俺は!
そうじゃなくて、浩一さんだよ浩一さん。先達って言う教導員みたいなものってのは聞いてたけど、こうして見ると体育の練習を指導してるお兄さんにしか見えないと思ってな」
「そういえば、あんた真祖のくせにそういったこと何も知らなかったわね」
呆れたような紗矢華の物言いに、ムッときながらも古城は話を続ける。
「いや、今でも普通の用務員にしか見えないし、魔術とか異能とかとは無縁って言われたらそのまま信じそうでさ」
「それはある意味合ってるわよ。本人が隠してないから言うけど、浩一さんの魔力は素人に毛が生えたレベルよ。せいぜい魔具を起動できる程度の力しかないわ。才能が無いって自分で笑ってたし」
何でもないような口調で、紗矢華が衝撃の事実を告げた。
「はぁ!? いや、それけっこう知られたらまずい奴じゃないのか?」
「そう思うでしょうね。それがあの人の狙いなのよ」
慌てる古城に対し、紗矢華は何故かどこか遠い目をしている。
「そう聞いたほとんどの魔導犯罪者や魔族は、あの人を侮って見るわ。魔術を使って攻撃すれば大丈夫とか、その程度の魔力しか持たないのであれば大した身体強化もできない、地力で押し潰せるとかね。
で、侮った所をあの人間離れした身体能力で叩き潰すのよ。魔術の発動は速さで許さず、人間を遥かに超える身体能力を持つはずの魔族は正面から圧倒してね」
「ちょっと待て、素人に毛が生えた程度の魔力なんだろ? どうやってそこまでの身体能力を引き出してるんだ?」
当然の疑問に思わず古城が声を上げる。人間が魔族の身体能力に追いつこうとすれば、なにかしらの強化手段が必須なのだ。まっとうに鍛える程度では、その絶対的な差を埋めきることなどできはしない。
「それが判れば攻略法を思いつけると思って調べてはみたけど、何もわからなかったわ。もしもあれで何も強化してないなら、はっきり言って人間かどうか怪しいほどの身体能力よ。並の獣人程度なら軽く上回るわ。魔具で防御を固めたとはいえ、体術で魔術を弾くんだから、噂を聞いて油断した相手は大体一発で決着よ。
で、この信じられない話を聞いた他の犯罪者たちは負けた連中が流した嘘だった思うわけよ。体面を取り繕ったんだろうってね」
「で、実際に戦う時には聞いたやつらも油断しきってるってわけか」
思わずぼやいたが、直接聞いた古城も正直なところ信じられない。先達という地位も、魔術が使えないのならば武道の達人で体の動かし方などを教えていると思ったのだ。
「まあ、こうして噂を流すのもあの人の戦略の一つだから気にしないでいいわよ。聞いた時点で否定から入るだろうけど」
「想像つかないな。姫柊とかお前も俺からしたら十分強いし」
「はあ?
あのね、基本的に先達はその道のトップが襲名する地位なのよ? 仮に私と雪菜が2人掛かりでも、術を発動する前に殴られておしまいよ。さっきも言ったけど対魔術の魔具があるから、魔術もあまり意味が無いし。連続で魔具が飽和するくらい当て続けるか、そもそも魔具の防御を無視するほど強力な一撃を当てれば話は別だけどね」
「そんなにかよ……」
紗矢華の口から判りやすい強さの指針が語られ、古城は戦慄する。先も言ったように雪菜も紗矢華もかなりの実力者であることは古城も理解している。その2人掛かりでも倒せないと言われるほどの実力者が、真祖を滅ぼせる槍を持った少女の助力として傍にいるという状況に、改めて身の危険を感じたのだ。
「まあそういうことだから、せいぜい雪菜に不埒な真似は」
紗矢華の言葉を遮るように、突如屋上の扉が蹴破られた。凪沙を背負った雪菜が勢いよく着地し、それを見た古城は血相を変える。
「凪沙! おい姫柊、何があったんだ!?」
「落ち着いてください先輩、ちょっと眠ってもらっているだけです。
それよりも紗矢華さん、緊急事態です!
保健室に向かって未知の魔族が進行中。狙いは不明ですが、今は不用意に動かせない藍羽先輩を浩一さんとアスタルテさんが護衛中です!」
「なんですって!?
了解、急ぎましょう!」
雪菜の手短な説明を聞き、駆け出そうとする紗矢華達を古城が呼び止めた。
「待ってくれ! 浅葱もいるんだろ? 俺も行く!」
「何言ってるんですか! 監視対象を危険な場所へ連れていけるわけないじゃないですか!
それに、凪沙ちゃんはどうするつもりですか!」
「凪沙は近くの教室傍に寝かせておく。まだ避難が終わってないから、移動する先生が見つけてくれるはずだ!」
「ですから、先輩を連れて行けないと言っているんです!」
「オイスタッハのおっさんの時も言ったけど、姫柊たちだけを行かせるのは違うだろ!
前と違って今なら眷獣も1体は扱えるし、そもそも浅葱を放っておくわけにはいかない!」
数秒の睨み合いの結果、折れたのは雪菜だった。
「こうしている時間が惜しいです。紗矢華さん、凪沙ちゃんを降ろしたら簡易的なもので構いませんので、防護結界をお願いします」
雪菜が向き直ると、紗矢華は不機嫌そうな表情を浮かべていた。
「さ、紗矢華さん?」
「き、気にしないで雪菜。この男が悪いのよ、全部ね!」
「おい、俺が何したってんだよ」
「うっさいわね! 行くんでしょ!?」
不機嫌そうに駆け出した紗矢華を見て、古城と雪菜は不思議そうに後を追った。
保健室での戦闘は、結果的に言えばほとんど拳を交えずに終わっていた。
「見上げた忠誠心だな。まさか2人掛かりでぼくからガルドシュを逃がすとは」
淡々と告げるバビル2世の前には、黒焦げで瀕死になった獣人2人が転がっていた。かろうじて死んではいないようだが、意識不明の重体である。彼らが決死の覚悟で挑んだ代償に、廊下には巨大な穴が開いている。あの後僅かな戦闘で彼我の戦力差を認めた獣人達が、初老の獣人――クリストフ・ガルドシュを逃がすため、2人が僅かな足止めをした隙を突いてガルドシュ本人は壁を突き破り逃走したのだ。差別的な獣人優位主義者とはいえ、戦闘訓練を受けている以上、彼我の戦力差から撤退を選べないほどに無能ではないらしい。とはいえ、バビル2世もむざむざ無傷でガルドシュを逃がしはしなかった。彼の左肩には、
「まあ、こいつらはどうでもいい」
バビル2世の視線の先には、かろうじて命を繋いでいるアスタルテの姿があった。すでに意識は無く、呼吸も浅くなっている。
「応急処置が間に合うか?」
とりあえず止血を行い、気道の確保をする。そしてバビル2世は悟った。失血量から見て、このままではアスタルテは死ぬ。
「そこの女子生徒!」
突然声をかけられた浅葱は、恐怖から身を竦ませた。
「この部屋に注射器はあるか?」
「ち、注射器ですか?」
「そうだ。注射器と針のセットだ」
「そ、それならこっちに」
言葉遣いの丁寧な新入用務員だった男が、いきなり顔を変え獣人を一方的に叩きのめしたことは浅葱にとって衝撃だった。しかし、それが自分とアスタルテを守るためだったということだけは浅葱にも理解できており、とりあえず敵ではないと考え指示に従ったのだ。
注射器セットを差し出されたバビル2世は、躊躇無く自分の血を抜き、それをアスタルテに注射した。
「ちょ、待ちなさいよ!
「大丈夫だ。ぼくの血に限ってはその心配はない」
「何の根拠があって……やだ、嘘でしょう」
浅葱の眼前で、アスタルテの肉体が少しずつ修復され始めた。血は止まり、肉はスローの逆回しを見ているように盛り上がり始めている。明らかに異常な再生に、浅葱は声を失う。
「後は血に適合しないことを祈るか。
さて、君に1つ頼みたいことがある」
なにやら不穏な一言を呟き、バビル2世は浅葱へと向き直った。何を頼まれるかと身構える浅葱だったが、その内容は拍子抜けするものだった。
「ぼくが用務員の山野浩一であることを誰にも話さないでほしい。今正体がばれると活動しにくい理由がある」
「え、それだけでいいの?」
「それ以外は別に隠すようなものじゃない。もちろん断っても構わないが、その場合は記憶を消させてもらう。
このお願いは1つの誠意であり僕にとってある種の協力者を作りたいという目論みもある。記憶操作も絶対というわけじゃない」
言外に騙す意図は無いと伝えるバビル2世に、浅葱は沈黙する。当然だろう。この状況下で眼前の人物の言葉を鵜呑みにできる者はよほど肝が据わっているか、底抜けのお人よしである。
「返答は? 後数分でこの保健室には人が来る。沈黙が続くようならば、無理にでも記憶を消させてもらう」
バビル2世の発する圧が強くなった。時間が無いというのは本当なのだろう。
「いいわ、その条件飲む。私が誰にも話さなければいいのよね」
「そうだ、ありがとう。これから君とぼくは協力関係だ。
一方的な協力は破綻するものだからな……これを渡しておこう。身の危険を感じたらそれを折ってくれ。君の腕力でも簡単に折れるだろう」
少し言葉遣いの柔らかくなったバビル2世が、小さな樹脂の棒を差し出した。浅葱は不審げに棒を眺めるが、下手をするとケミカルライトの方が頑丈そうということしかわからない。
「折ると発信機が作動する。死なれては困るから、できる限り迅速に助けに向かおう」
酷く物騒なボディーガードが付いた事実に表情を引きつらせる浅葱だが、近づいてくる足音に気が付き入口へ向く。バビル2世も当然気が付いていたようで、すでに自然体で立っていた。
「山野用務員が魔術に関係する人物であることを黙っている必要はない。これから入ってくる者にはぼくの話に合わせればそれでいい」
徐々に近づく足音に気を取られながら、浅葱は何とか頷く。そして。
「浅葱、無事か!?」
扉が壊れかねない勢いで開かれ、真っ先に古城が飛び込んできた。次いで各々の武器に手をかけた雪菜と紗矢華が踏み込んでくるが、保健室が無事とわかると即座に武器を収納ケースへと仕舞い込んだ。幸いにも、古城に気を取られていた浅葱には気づかれなかったようである。
「わ、私は無事だけど、アスタルテが!」
突入してきた3人は、血まみれでベッドに寝かされているアスタルテを見て絶句する。
「安心しろ、ぼくが治療しておいた。命に別状はない」
そして、その横に立つ赤い髪の青年をみて息を呑んだ。
「バビル2世、何故ここに……?」
思わずといった様子で、紗矢華が呟く。
こうして〝最強〟の称号を持つ、かつて人間であった2人は場違いにも再会を果たした。