バビル・イン・ザ・ブラッド   作:橡樹一

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12話 異常事態発覚

 東京へと向かって航行する大型フェリーの中を、雪菜は走っていた。客室の窓から異形を見たときから、彼女が持つ剣巫としての感覚が危険を訴えているのだ。クラスメイトをごまかして退出したあと、手荷物に仕込んでいた大ぶりのナイフと呪符を装備し船橋(ブリッジ)へと向かっているのだ。

 強烈な忌避感の源へと走る雪菜の前に、人影が現れた。透けるような銀髪を持つ、小柄な女子生徒だ。

 

「叶瀬さん⁉」

「あっ……」

 

 雪菜に呼び止められ、夏音はどこか怯えたように立ち止まった。見られたことに対する警戒ではなく、危険に近づく人間を見たときの恐れの色が声音に含まれている。

 

「ひょっとして、あなたも?」

「この船を、何か良くないものが取り巻いているように感じました。だから……」

 

 雪菜の推測は当たっていた。夏音が自分が何とかすると言い出す前に、雪菜は胸を軽く叩く。

 

「この先は私が行くから、笹崎先生に知らせてもらえる? 大丈夫、これでも攻魔師の資格は持ってるから」

 

 ナイフと共に取り出されたCカードを見て、夏音は驚いたように目を開き、次いで理解の色をにじませた。

 彼女は自らが巻き込まれた魔導実験の際、雪菜が戦う姿を目撃しているのだ。深い事情までは知らないものの、この場を任せても大丈夫だと納得できたようだ。

 

「じゃあ、これを持っていて。お守りだから」

 

 そういって、雪菜は手のひらほどの袋を手渡した。お守りにしてはかなり大きいが、その分薄く重さはそれほどでもない。袋を怪訝そうに受け取った夏音は、そのまま走りだそうとした雪菜を呼び止めた。

 

「待って。

 ……私はこの感覚を知っている気がしました。たぶん、前にもどこかで」

「叶瀬さん、ひょっとしてあの錬金術師のことを何か知っているの?」

 

 夏音は5年前の事件の当事者であり、その際天塚と接触していれば彼の目的を知っている可能性がある。僅かに身を乗り出した雪菜の視界に、夏音は震える手が映った。

 

「錬金術師、ではなかったです。あれはもっと怖いものでした。あのとき大切なお友達がたくさんいなくなりました。だから、雪菜さんも……あのときみたいには、二度と……」

 

 恐怖を押し殺しながら雪菜を案ずる夏音の様子を見て、雪菜は心がじんわりと温かくなった。夏音は、雪菜のことを大切な友達だと言ってくれたのだ。獅子王機関の任務で島に訪れた雪菜に、いなくならないでほしいと本気で願っている。

 

「ありがとう、叶瀬さん……ううん、夏音(カノ)ちゃん。貴女も気を付けて」

 

 力強く頷き合い、2人の少女は自分のするべきことを果たすために走り出した。

 雪菜は呪力で強化された身体能力を活かし、立ち入り禁止のロープを一息で飛び越え船橋へと侵入する。予感のままに操舵室への道を走る雪菜は、異常に気が付いた。

 

「人が、いない……?」

 

 本来であればスタッフが行き交っているはずのバックヤードに、人の気配が全くないのだ。その代わり、うっすらと感じていた不快感が段々と強くなってきている。そして操舵室の扉の前に辿り着いた雪菜は、反射的に服の袖で鼻を覆った。何かが焼ける匂いが、施錠された扉越しに漂ってきている。見当たらないスタッフと扉から漂う異臭を結び付けられない人間は、少なくとも獅子王機関には存在しない。

 雪菜の思考は即座に警戒体制から戦闘態勢へと切り替わり、回し蹴りの一撃で施錠された扉を蹴破った。吹き飛ぶ扉越しに見えた惨状に雪菜は目を逸らしかけ、そんな甘えが許される状況ではないとこらえた。

 

「これは」

 

 彼女の予想に反して、操舵室内に血は流れていなかった。あったのは修復不可能と一目でわかるほどに破壊された操舵システムの残骸と、大量の金属製の彫像だけだ。いや、人間が金属へと変換させられた末路というべきだろうか。

 一刻も早くこの状況を攻魔師へ知らせる必要がある。幸い、宿泊研修に同行している教員の中にも攻魔師が数名いるため、雪菜は即座に連絡用の式神を飛ばした。

 しかし、その式神は室内から出ることもできずに金属製の鞭に切断され元の呪符へと戻ってしまった。雪菜の刺客から別の鞭が襲い掛かるが、その攻撃を未来視で予知していた雪菜は服の下から取り出した大ぶりのナイフで迎撃する。

 

「今のを防ぐとは、やるね剣巫。ところで、御自慢の槍はどうしたんだい?」

 

 通気口から滲み出た液体金属が、積み重なるようにして人の形を作り上げた。白いコートに張り付けたような笑みを浮かべた青年、天塚汞だ。

 

「東京で待ち伏せされる可能性は考えていましたが、船に直接乗り込んでくるとは……迂闊でした」

「残念だけど、僕はそこまで気長じゃないんでね。まあ、助けもろくに来ない洋上をのんきに移動した自分たちを恨んでよ」

 

 子馬鹿にしたような態度の天塚だったが、完全に人型へと変形しきっていない。雪菜はその違和感を見逃さなかった。

 

「すみませんが、あなたを相手にしている時間はあまりありません。本体を見つけなければならないので」

「へえ、流石に僕が分身ってことくらいは気が付くか。で、それを聞いた僕が素直にここを通すとでも?」

 

 突然天塚の腹が脈動し、弾けるようにして触手が展開した。抵抗手段を奪うため、雪菜の持つナイフ目掛けて触手の群れが殺到する。だが、物体と同化し取り込むはずの触手はナイフに触れただけで何の変化もおこさず、武器に殺到し密集したところを雪菜の一太刀ですべて切り落とされてしまった。

 

「そのナイフ、ただの金属じゃないな。呪力付与(エンチャント)した隕鉄か……面倒なものを持っているな!」

 

 苛立ちを吐き捨て、天塚の分身は天井に張り付いた。警戒する雪菜を後目に、足元から徐々に通気口へと流れ込んでいく。

 

「予定変更だ。悪いけど、あんたの相手はもう少し後にさせてもらうよ。いくら分身とはいえ、そう何度も壊されたくはないしね」

「天塚汞!」

 

 咄嗟に跳躍した雪菜の眼前で、天塚の体は完全に通気口内へと消え去ってしまった。僅かに遅れてナイフが壁に突き刺さる音が、虚しく操舵室内に響く。

 今の雪菜は、天塚に対する対抗手段が少ない。現状の雪菜が持つ装備を知らないはずの天塚から見れば、絶対の武器である〝雪霞狼(せっかろう)〟を持たない雪菜などどうとでも料理できる相手のはずだ。それなのに、何故天塚は雪菜を見逃すような行動をとったのか。

 

「ま、さか……!」

 

 この船には、雪菜を凌ぐ霊媒体質でありながらも戦闘力を持たない存在がいる。そう、先に叶瀬夏音が天塚に襲撃されたら。

 即座に操舵室を飛び出した雪菜は、式神を放ちつつ二等客室へと急いだ。笹崎攻魔官を呼ぶよう頼んだ夏音も、教員が詰めている二等客室付近にいるはずだ。現役の攻魔師であれば天塚を撃退はできなくとも、雪菜が到着するまで耐えることくらいはできるだろう。酷な話かもしれないが、一般的な攻魔官と見習いとはいえ獅子王機関の剣巫との間には、それほどの実力差がある。

 懸命に廊下を走る雪菜の視界に、凪沙の姿が見えた。僅かに安堵する雪菜だったが、彼女と向かい合う天塚を見て思考が凍りつく。当然のことだが、彼女は眼前の男の危険性に気が付いていない。

 

「凪沙ちゃん! 伏せて!」

 

 雪菜のいつになく必死な声に、凪沙は内心疑問に思いつつも僅かにかがみこんだ。低くなった頭部を飛び越え、雪菜が2本のナイフで凪沙目掛けて迫る刃を弾き飛ばす。

 

「ゆ、雪菜ちゃん⁉」

 

 友人が握る武骨なナイフに目を奪われた凪沙だったが、その向こうで人間の輪郭を崩す存在を見てしまった。凪沙の眼前で見る間に変形は続き、人間と呼べる外見ではなくなっていく男の姿を。

 

「な、なに、この人⁉」

「逃げて、早く!」

 

 怯える凪沙を庇って雪菜が前に出る。現在位置は広い通路の中央であり、雪菜が天塚を足止めしていれば逃げることは難しくない位置だ。しかし、凪沙は顔を青ざめさせたまま、後ずさることすらせずに目を見開いている。

 

「ま、魔族……」

「凪沙ちゃん⁉」

 

 魔族特区に住んでいるにもかかわらず、凪沙は重度の魔族恐怖症なのだ。そう、眼前に魔族がいると認識しただけで、動くことすらできなくなるほどの。へたりこんだままの凪沙に雪菜が気が付くが、今はどうすることもできない。眼前の天塚に対処するだけでも精一杯なのだから。

 

「ひどいなぁ、僕は人間なのに……傷ついちゃったよ?」

 

 何がおかしいのか、天塚がからかうような笑みを浮かべる。対峙する雪菜からすれば腹立たしいことこの上ないが、現在の拮抗状態は天塚が手を抜いているからだということがありありとわかる態度だ。剣巫の未来視で鞭の連撃を弾いてはいるものの、もしもこれ以上鞭を増やされれば対応できない程度の抵抗しかできていないのだから。

 

「こないで、いや、あっち行ってよ!」

 

 恐慌状態の凪沙を庇っていては、防戦一方となりそう遠くないうちに雪菜の守りも破られるだろう。そうなる前に撤退するべく視線を巡らせた雪菜は、壁から染み出した新たな人影に思わず呻いた。

 

「2体目……!」

 

 雪菜たちの退路を断つように出現した天塚の分身は、余裕の表情でゆっくりと距離を詰めてくる。〝雪霞狼(せっかろう)〟を持たない雪菜にとって、天塚は有効打を撃てない難敵だ。それでも一対一ならば技量と持ち込んだ装備で足止め、運が良ければ拘束までならできるかもしれない。しかし、その敵が2体。雪菜1人で離脱するのならばまだしも、人1人をつれて逃げ出すことは不可能だ。

 打開策を見いだせない雪菜たちをいたぶるように、天塚の分身たちはゆっくりと距離を詰めてくる。

 

「嫌、嫌あっ! 助けて古城君! 古城君――!」

 

 恐怖のあまり凪沙が泣き叫び、叫び声と共に強烈な魔力が吹き荒れた。冷気を纏った不可視の力が、通路全体を蹂躙する。

 

「何っ⁉」

「なんだ、この魔力は⁉ こいついったい……くそっ!」

 

 一切の予兆なく放たれた膨大な冷気に、不用意に接近していた2体目の分身は対応できなかった。凍りつき倒れ伏したその体の上に、花弁のように舞う雪の結晶が降り積もっていく。1体目の天塚の分身は、回収すら諦めて即座に逃走を図った。あくまでも液体という性質を持つ分身は、凍りつけば一切の行動が不可能になってしまうのだ。それを追う余裕は、雪菜には残されていなかった。

 危機が去ったことに気が付いていないのか、凪沙から放たれる冷気は一向に衰える気配を見せない。それどころか、周囲を白く見せるほどに温度が低下し続けている。このままでは、吹き荒れる冷気によってそう遠くないうちに雪菜も凍死することになるだろう。

 

「凪沙ちゃん!」

 

 呪力で全身を強化し、呪符で冷気を遮断して雪菜はなんとか凪沙の傍まで近づくことができた。至近距離で必死に名を呼ぶ雪菜の声に反応してか、ゆっくりと凪沙が立ち上がった。しかし、振り返る凪沙の目に光はない。意識のない肉体だけが、内側から何者かによって操られているのだ。このまま冷気の放出が続けば、いずれ船は破壊されてしまうだろう。しかし、この冷気の放出に攻撃の意思はない。冷気の主は凪沙の窮地を救うために出現しただけなのだ。

 ただそこにあるだけで、周囲に破壊を振りまく存在。雪菜には、これとよく似た存在に心当たりがあった。世界最強の吸血鬼である、暁古城がその身に宿す12体の眷獣たちだ。今の凪沙の状況は、古城が眷獣の制御に失敗した状況と非常に似通っていた。

 危機的状況はしかし、妙にハイテンションな女性の声によって遮られた。

 

「はーいそこまで!」

 

 城に染まった凍気の塊を裂きながら、お団子と三つ編みにチャイナ服を着た女性が凪沙の懐へと潜り込んだ。見事な赤髪の端が凍りつくことも気にせず、暴走状態の凪沙へデコピンをかます。

 

「笹崎先生⁉」

 

 担任教師が行ったあまりの力技に、雪菜は思わず叫ぶほどの衝撃を受けた。同時に、視界の端から駆け寄ってくる夏音を見つける。

 雪菜からの攻魔官を呼んでくれという頼みを聞いた夏音は、自分の感覚も手伝い生半可な実力者では現状に対応できないと理解していた。そして探し出した相手こそ、担当教師の笹崎岬だ。武術と仙術を高いレベルで極めた接近戦闘術「四拳仙」の達人であり、〝仙姑(せんこ)〟の異名を持つ。凄腕の攻魔官でもある。

 仙術によって冷気を防ぎながら、さりげなく雪菜たちを庇う立ち位置に移動した岬に対し、凪沙……いや、凪沙の体を操る存在が口を開いた。

 

「我の邪魔をするか、道士――?」

 

 底知れぬ威圧感を伴いながら、凪沙の中の存在は問いかける。暴走が収まったわけではないようだが、岬を会話するに足る存在であると認識したようだ。

 

「いやいや、別にそんなつもりはないよ。でもあんたがこのまま本気を出したりなんかしたら、この船なんか簡単にふっとんだりなんかするかも。そしたら当然海の真ん中に投げ出されるわけだし、あなたも困るっしょ?」

 

 おちゃらけた口調とは対照的に、岬は獰猛な笑みを浮かべていた。襲い来る冷気をものともせず、まっすぐ凪沙を見つめている。不意に、吹き荒れていた冷気が消失した。

 

「なるほど……よかろう、貴様たちに少し時間をくれてやる」

 

 そういって凪沙が目を閉じ、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。憑依状態が解けたのだ。

 

「笹崎先生、今のはいったい……」

「残念だけど、生徒のプライバシーにかかわることはこたえられないな」

 

 雪菜の質問を、岬は笑顔で拒絶した。言外に、そちらにも事情があるのだろうと伝えられている。

 雪菜は追及を諦め、情報の共有を開始した。

 

「先生、この船に侵入した錬金術師の件ですが」

「知ってるし、ここに来る前に遭遇したよ。那月先輩から情報はもらってたんだけど、まさか航行中の船に直接乗り込んでくるとはね。そう簡単に手出しされない状況が裏目に出ちゃったかな」

 

 口調こそ軽いが、表情は重く唇を噛みしてめている。生徒の安全を守るという彼女の立場上、雪菜以上逃げ脳を深刻にとらえているのだろう。

 

「ほかの生徒の皆さんは?」

「城守センセの誘導で避難中。つっても船の中だし、結界でどうこうできる相手でもないみたいだしね。ちょっとまずい状況かも」

「はい……」

 

 現時点で、雪菜たちはかなり追い詰められているといっていいだろう。船は操舵システムが破壊され航行不可能となっており、救命艇で付近の港に逃げようにも先に天塚に追いつかれるだろう。

 

「分身できてちょっとした隙間から襲ってこられるんじゃ対策の立てようがないし、せめて天塚の目的だけでもわかればいいんだけどね」

 

 岬の呟きに、雪菜は僅かに肩を震わせた。彼の目的は、夏音を生贄にすることであろうと予測を聞かされている。しかし、それを夏音本人の前で岬に伝えていいものなのか。

 葛藤する雪菜の背後で、夏音が何かを決心したように手を握った。

 

「あの人の目的は、たぶん私でした」

「叶瀬……⁉ 心当たりでもあるのか?」

 

 驚く岬を後目に、雪菜は焦りを感じていた。自己犠牲の精神が強い彼女が、もしも現状を正しく理解しているのだとしたら。

 

「修道院が襲われた日のことを思い出しました。彼は彼は供物になる強い霊能力者が必要だと言っていました。あの修道院には、たくさんの霊能力者たちが保護されていましたから」

「まさか、あの事件で犠牲になった子供たちは、錬金術師の材料に……⁉」

 

 青ざめる岬へ向けて、夏音は透き通った笑みを浮かべた。その瞳には、覚悟を決めたもの特有の強い光が溢れている。

 

「はい。ですので、私さえ近くにいなければ、皆さんはきっと大丈夫です」

「叶瀬、お前囮になるつもりか⁉」

 

 走り去る夏音の背中へ、岬の声が虚しく響く。倒れ込んだ凪沙を介抱していたため、咄嗟に引き留められなかったのだ。代わりに、雪菜が動いた。

 

「笹崎先生、暁さんをお願いします。叶瀬さんは私が!」

「あ、おい姫柊!」

 

 岬の制止を振り切り、夏音が走り去った方向へと雪菜も走り出す。ひときわ霊力の高い雪菜と夏音がいれば、天塚の目はそちらに向き大多数の生徒は無事でいられるだろう。しかし、それは雪菜たちが天塚に集中的に攻撃されるということを意味している。

 不死身の怪物相手に、絶望的な防衛線を挑まんとする雪菜。しかしその瞳に悲壮感は無く、ただ友達を助ける使命感に満ちていた。




 ストライク・ザ・ブラッド 用語集

 人物

 笹崎岬 さささき-みさき

 彩海学園中等部の女性教師であり、雪菜たちのクラス担任でもある。
 国家攻魔官の資格を持つ攻魔師であり、その実力は並みの攻魔師と比べて一線を画す。
 那月の後輩なのだが、その性格から那月が苦手とする数少ない人物の1人となっている。
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