TSっ娘が悲惨な未来を変えようと頑張る話 作:生クラゲ
「さて、と」
少女の朝は、食事から始まる。
「爺様は先に行ってるか。朝の早いこった」
彼女は貴族だ。大功を挙げた祖父が貴族としての爵位を得て以来、家を紡ぐ令嬢として英才教育を受けてきた。
「今日は久々の教導だ。武官としての仕事もしっかりしとかねぇと、いざって時に部下と連携できねぇからなぁ」
しかし、彼女は貴族の令嬢として生きる道を拒んだ。祖父の様に、両親のように、戦場に身をおいて血飛沫の中で生きることを選んだ。
「────じゃ、行ってくる。パパ、ママ」
それは、ささやかな抵抗だったのかもしれない。
偉大なる勇将ゾラの子として期待されながらも、呆気なく戦死した両親に対して。
「私の活躍をよく見ておけよ」
幼い自分を残して土へと帰った、優しき家族への反抗なのかもしれない。
リーシャは、4つの時に親を亡くした。
ただ不運に、親を亡くした。
勇猛果敢だった父親は、戦場で結ばれた魔導師の母親と共に戦死した。
ゾラは偉大な大将軍だったが、その息子は決して優秀とは言えなかった。ゾラの子は、何処にでもいる凡将だった。
そもそも、ゾラ本人も決して才気溢れる人間ではない。幼少より領主イシュタールと共に戦場を駆け回り、身に付けたその経験と実績に裏打ちされた老獪な戦略こそゾラの本領である。
ゾラの力は積み上げた力。平たく言えば、ゾラは究極の『努力の人』。その息子が平凡なのは、謂わば当然と言えた。
だが、彼の息子への期待は重かった。当時最強と恐れられた猛将の息子が、凡俗な筈がないと誰も彼もが持て囃した。
期待に負け、重圧に押され、息子は英雄になろうと無理な進軍を繰り返し、そして帰らぬ人となった。
「すまなんだ、息子よ……」
ゾラは息子の重圧に気付かなかった。自分のような大将軍になると豪語した息子を、心より愛して愛でていただけだった。
豪快で奔放な性格のゾラは、自分の功績が息子の重圧になるとは思いもよらなかった。
その日からゾラは、親戚全員を武官から省くように手配した。
家族を戦争で失うのを恐れたのだ。自分の存在が重りとなり、無理な進軍をしてしまう危険を怖がった。
事実として、ゾラの他の親族達は皆平凡だった。凡人が、英雄の功績を真似れば破滅が待つのみである。
彼等は武官として戦場に身を置くより、貴族としての安穏と暮らしてもらった方が、国にとってもゾラにとっても好ましい。
ゾラはたった一人、孤児となったリーシャを引き取って家族を軍から引き離した。
「軍に身を立てるのは、儂のみと致します」
ゾラはイシュタールにそう謝った。跡取りを世に出すことが出来なくて申し訳ない、死後は自分の部下の期待株を後釜に据えてくれと頼んだ。
領主イシュタールはそれを快諾した。竹馬の友の頼みである、残念ではあるが仕方なかった。
リーシャはすくすくと育った。
使用人や乳母により、貴族令嬢としての嗜みを学びつつ。たまに家へと帰るゾラに可愛がられながら、リーシャは美しい少女へと成長していった。
ゾラは、彼女を嫁入りさせるのが人生の最期の仕事になると思った。死んだ息子の忘れ形見を幸せにすることこそ、老骨に託された責務であると考えた。
────リーシャが10歳になる頃。
出征で常日頃から家を空けるゾラに、リーシャは珍しく頼みごとをした。
それは、10になる誕生日。リーシャは唯一の家族であるゾラに祝ってもらいたいと言う、平凡な願いだった。
ゾラは、当然その願いを快諾した。
「すまん、ゾラ。敵が、切迫してきている」
しかし、情勢がそれを許さなかった。彼は、領主の下知を受け出陣を迫られた。
ゾラも愛くるしい孫の頼みを反故にするのは胸が張り裂けそうだったが、3将軍のうち出陣できるのが自分のみという状況で子供のわがままを優先する事は出来なかった。
この時3将の最年長たる『レグリス』は腰痛の治療で動けず、かつての部下だった3将『ダート』は既に別戦線に派兵されている。残る将軍は、ゾラのみだった。
その日、帰ったゾラはリーシャに泣いて詫びながら、出陣の準備を整えた。
「嫌だもん。私は、爺様と一緒に誕生日を過ごすって決めたもん」
ところが。
「なっ、なぁっ!?」
「ふっふっふー。ビックリした?」
なんと用意していた兵糧箱の中に、こっそり忍び込んでついてきた悪ガキが居たのだ。
リーシャは小柄な体躯を生かし、スパイの如く出陣するゾラの部隊に紛れ込んでいたのである。
「リーシャ!! 貴様は何という事を!!」
「ひっ! 爺様が悪いんじゃないか!! 私はすっごく楽しみにしてたのに!!」
「帰ってからいくらでも埋め合わせはするといっただろう!! どうしてこんな危険な!!」
「爺様はどうせ勝つだろ。安全なところで応援してるだけにするからさ、一緒にいてよ」
ゾラは呆れてものも言えなかった。だがリーシャは10歳の少女である、まだ物事の良しあしや怖さを知らぬ年齢だ。
全ては、自分の教育不足。ゾラはリーシャを叱りつけながらも、今まで彼女に積極的に関われていなかったことを恥じた。
「次に同じことをしたら、一生オヤツ無しじゃ」
「ひ、酷い!!」
敵はおそらく、烏合の衆。そんなに苦戦することもないだろう。
ゾラはリーシャは後方の陣に預け、そのまま進軍を続けることにした。
可愛い孫娘の意地っ張りな願いを、少しでもかなえてやりたかったからかもしれない。
しかし。
たまたまリーシャを連れ立ったこの時の戦闘が、大きな帝国の『絡め手』であった事にこの時誰も気づいていなかった。
初夏の香りが漂う戦場。
領の農村を脅かそうと出撃してきた異民族を打破すべく、ゾラは鉄壁に布陣した。
万一があろうと後方が脅かされることが無いよう、いつもより防御を重視した陣形を取った。
州境に存在する敵は、遊牧民たる『異民族』と大国である『帝国』。今回のお客さんは、異民族である。
彼らの目的はシンプルな「略奪」だ。遊牧する彼らは領土を欲さず、ただ資源と食料を根こそぎ奪って去っていく。まさに、厄介極まりない連中だ。
「そら、おいでなすった」
彼らは魔物や動物を調教し、自らの足としている。騎乗技術に優れた彼らは、その機動力の高さを生かし敵を翻弄する戦術を好む。
「引き付けて引き付けて、矢の雨を降らせよ」
そんな彼らの機動性に付き合う道理はない。防御を固めて、近づいてきた敵を射抜くのが最適解だ。
魔物に騎乗する彼らを追撃するのは困難を極める。ならば、異民族の方から向かってくるように仕向けるしかない。
彼らの強奪した戦利品を輸送する部隊を奇襲し、それを取り返そうと反撃してきた敵に被害を強いる。この戦術がゾラの得意技だった。
「ほら、奴ら逃げていくぞ。勝ち戦だ」
遊牧民は、決して数が多くない。機動力で相手を翻弄できないと、基本的には弱勢力である。
ゾラにとっては、赤子の手をひねる様な簡単な戦だった。
「ゾラ様!!」
「どうした?」
「後方で、火の手が上がっています!!」
ただ、この時ばかりは勝手が違った。
この戦で『異民族をけしかけた』存在が、虎視眈々とゾラの首を狙っていたのだ。
「あの出で立ちは、帝国兵です!!」
「な、何と!!」
老獪なゾラという大将軍の存在は、帝国から見て非常に厄介だ。それを除こうと考えた謀略家が、一計案じたのだ。
交渉して異民族をけしかけ、ゾラに前方向の守りを固めた布陣を誘い、後方から奇襲する。それは単純ながら、効果的な戦略だった。
「ま、まずい!!」
背後に配置しているのは、輸送隊や編成から外れた予備兵などのいわば雑兵。頼りの精鋭部隊は、異民族に射撃するので忙しい。
ゾラは一転して窮地に陥った。
「リーシャ、が……」
それだけではない。後ろには、孫娘が居るのだ。
蝶よ花よと育て上げた、齢10歳の可愛い可愛い孫娘が居るのだ。
「周囲の者はついてまいれ、後方を迎撃する!!」
ゾラは即断した。異民族を迎撃しながら、予備兵をまとめ上げて敵を迎撃することを。
少しの間耐えしのげば、今は異民族と向き合っている頼れる精鋭が援軍に来てくれる。それまで、持たせればよい。
「リーシャァァ!!」
戦場に身を置いて数十年。ここまで焦燥したことが無いほどに、ゾラは追い詰められていた。
「お、おおおっ!!」
ゾラがたどり着いた先の後方陣地は、大きく様変わりしていた。
地には黒煙が昇り、構築した陣はズタボロに壊され、たくさんの死体が乱雑に散らかっていた。
「リーシャ、リーシャは無事か!!」
気が動転しながらも、即座に陣形を組み上げてゾラは前進する。
後方を破られたら、軍全体の窮地だ。孫娘を人質に取られたら、ゾラとしてはどうしようもなくなる。
いざという時は、大事な息子の忘れ形見を見捨てる決断を強いられるかもしれない。
「リーシャア!!」
未だ爆音続くその最前線に、ゾラは急行し。
その、姿を見た。
「今日は私の誕生日だってのに!! どうしてこうなるんだよぉ!!」
白光が、少女を包み込む。
「普段は厳しい爺様が、年に一回だけ優しくなってくれる日だってのに!!」
滾る魔力の奔流が、戦場を濁流の如く這いずり回る。
呆然と尻もちをついている味方のその先頭に、幼い少女が黒髪を靡かせて君臨していた。
「せっかくこっそり持ってきてたケーキが台無しじゃないかぁぁ!! ばあああか!!!」
怒りに任せ、少女は剣を振るう。
同時に、尋常ではない魔力が粉塵となって、帝国軍を空高く舞い上げていく。
「私、早起きして作ったのに!! 爺様に褒めて欲しくて頑張ったのに!!!」
呆然、とはこの事だ。
ゾラは知らなかった。リーシャに貴族の嗜みとして、礼儀作法やダンスに加え、初歩的な魔術や剣術も習わせてはいた。
リーシャのその、嗜み程度の魔術の筈が、
「
おそらく、イシュタール軍全員を見渡しても存在しない程の高みにいる事実を、ゾラは知らなかった。
「殺せっ!!」
「うるっさい!!」
斬撃一閃。
身体強化をベースとした彼女の基本に忠実な剣術は、おそらくこの国最高位の剣士と比べ遜色がない。
「爺様の、私の、邪魔をするなぁぁぁ!!!」
そこに居たのは、幼くか弱い貴族の少女ではない。
────それは、英雄。100年に一度の、戦争の天才。
神に愛され、ありとあらゆる才能を得た幼い軍神。
幼い英雄リーシャは、軍の力を借りることなくたった1人で帝国軍を退け続けていた。
「……」
その溢れる魔力は、ゾラが持たぬものだ。
天性の体運びのセンス、剣筋の鋭さ、動体視力はゾラが及ばぬところだ。
「……おお」
皮肉にも、軍人として将来を期待していた彼の血族は皆凡人だったが。
蝶よ花よと育て上げた宝物の孫娘こそ、国の未来を背負って立つ天才だった。
その戦は、ゾラがリーシャの下に駆けつけてきてからは一方的なものだった。リーシャの広範囲殲滅魔法により、この上なく容易に帝国兵を撃退したのだった。
「どうよ、爺様。ちょっとは私も役に立ったろ」
「……」
その言葉を聞いたゾラは、渋い顔になった。それに賛同するのは、リーシャが戦場に立ったことを褒めてしまう意味だからだ。
彼女を、血なまぐさい戦場に巻き込んでいいのか。小さな体躯に死臭を纏わせて良いのか。
そんなはずはない。リーシャには、無垢な貴族の令嬢として生きていてもらった方が良い。
ゾラは逡巡した。しかし、やはりリーシャに戦場に立ってほしくないという思いが強かった。
「お前は、戦場に立ってどうだった」
「……えっ? そりゃ、怖かった」
「そうだろう」
ゾラは軍人である。
私情と公益を天秤にかけることは出来ない。
「リーシャ、お前の才能は見せて貰った。剣術、魔法、どちらをとってもこの国で最高峰だろう」
「うぇっへっへ」
「……だが、女性であるお前が無理に戦場に立つ必要はない。なぁリーシャ、お前は戦場が怖いんだな?」
これは冷静な判断だ。
いかに才能に溢れていようと、戦場に無理やり立たせた兵士程使い物にならぬ存在はない。
リーシャが嫌がるなら、彼女は貴族令嬢として生きて貰った方が有益だ。そう、考えた。
「怖かったけど、でも」
「……」
「爺様と一緒に居られて、嬉しかった」
しかしそれが、リーシャの答えだった。
「爺様と一緒に。私も、戦ってみたい」
国の未来を背負って立つ逸材が、自ら仕官を希望している。
国益を優先する軍人として、ゾラはリーシャの仕官を拒むことは出来なかった。
「なら。戻ったらイシュタール様に、挨拶に向かうか」
「うん!!」
孫娘は、ただ祖父とともに過ごしたかったから。
彼等の戦争の先にあるだろうその太平の世に向けて、命を懸ける立場に足を踏み入れた。
「……」
それが、次世代の大将軍『リーシャ』の誕生の瞬間である。3将の老将レグリスが退役した後、能力を鑑みて後釜には満場一致でリーシャが選ばれた程に、彼女は英雄だった。
肉親で祖父たるゾラは、大勢の前で賞されるリーシャを見てどんな気持ちになっただろう。
しかし、竹馬の友イシュタールより大将軍に任じられるリーシャは、満面の笑顔だった。
間もなく、大きな戦争が始まる。
いよいよ覇権国家たる帝国が、周囲に侵略の牙を向けて迫ってきている。
これまで、イシュタールの領地を守り続けていた勇将達は皆老いてきた。
これからは、
せめて、命に変えても。彼女が英雄として完成するその瞬間まで、ゾラは戦い続けると誓った。
やがて、領主は家督を譲った。
イシュタールはイブリーフに、その立場を委ねた。
新しい時代が始まる。新たなる世代が世に出る。
きっと10年後まで、ゾラの力は持たないだろう。徐々に体の切れは悪くなり、頭の回転も鈍ってきていた。
ゾラに残された仕事は、リーシャを一人前に育てることのみ。
リーシャは、明らかに器が違う。自分と同じ、いや自分を遥かに超えるだろう英雄だ。
やがて、この国はリーシャに背負われる日が来る。迫り来る圧倒的な帝国軍に、正面切って相対せる存在はやがてリーシャのみになる。
自分がそうしてきたように、リーシャは国の屋台骨となれねばならぬ。
願わくば彼女と肩を並べ、共に国を支える次世代の英雄が現れて欲しいのだが。
きっと、それは────
「また、寝ております」
「またですか」
そんな、老人の想いを知ってか知らずか。
リーシャは今日も仕事をサボり、惰眠を貪っていた。
「俺が起こしにいかないと駄目なんですよね」
「リーシャ様、普通に下着姿だけど良いのでしょうか」
「本人の希望ですし、まぁ」
戦争は、もうすぐそこに迫ってきている。
敵の準備が整ったその瞬間に、その軍靴は領地を侵す。
「じゃ、お願いします」
「ええ」
その、本当にギリギリのタイミングで。滑り込むように、陣営に加わった少女が居た。
あらゆる偶然が絡み合って、奇跡のように召し上げられた文官が居た。
「じゃ、僕達は仕事を続けますか」
「……えぇ。今日も頼りにしていますよ」
次世代の英雄リーシャの隣に配属されたその少女は、
「頑張りましょう、ポートさん」
「ええ」
自らの運命の鎖を知らず、笑顔で呑気に筆を握っていた。
────それは、大きな大きな戦争の幕が開ける一月ほど前の、静かで平和な風景。