TSっ娘が悲惨な未来を変えようと頑張る話   作:生クラゲ

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裁判研修

「視察、ですか」

 

 この部所に来て、早10日。僕は書類仕事に徐々に慣れ、仕事のペースがほんのり上達してきた。

 

 そしてたまに、仕事がぐっと少ない日が来る。決済日や談合日以外の平日は、4人がかりで仕事をすればすぐに片付いてしまうのだ。

 

 そんな日は、早く帰れる────訳ではなく。

 

「やったこと無かったでしょう? これも大事な仕事なんです」

「はい、ご指導お願いいたします」

 

 書類仕事以外の仕事、つまり他の部所の視察や指導と言った役目を果たさなければならないのだ。

 

 こういう日は書類仕事をするチームと視察のチームに別れ、各自で仕事をする仕組みらしい。

 

「明日は仕事が少ないので、リーシャ様とガイゼルだけで十分回せるでしょう」

「任せてください!」

「おう、任せたぞガイゼル~。私はちょっと寝るけどな」

「リーシャ様、ちゃんと働いてくださいよ?」

 

 二人だけにするのはちょっと不安だが、リーシャも何だかんだ自分の分の仕事はするので、きっと大丈夫だろう。

 

 こうして僕はリーグレットさんに付き従い、初の視察業務を務める事になった。

 

「じゃあポートさん、明日は私服で来てくださいね。なるべく目立たない」

「……はい? 分かりました」

 

 だけど、私服で集合? どう言うことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええ、よくお似合いですよポートさん」

「ど、どうも」

 

 翌日。あんまり私服を持っていない僕は、お洒落なリーゼから服を借りて待ち合わせの場所に向かった。

 

 僕の手持ちの服は野暮ったい農業服か、狩りの時のボーラを大量に巻くための服、それと質素な無地の上下くらいである。

 

 どれも農村だと目立たないが、都を歩くには質素すぎてよくない。普段の生活は、貰った文官のマントで誤魔化してたけど……。

 

 この機会に、今度何か服を買っても良いかもしれない。

 

「これから、僕達は何処へ行くんです?」

「……視察、と言ってもね。今日の俺達は、市民に紛れ裁判を傍聴するだけです」

「裁判を、傍聴ですか?」

「そう。不正な裁判を行っていないかどうか、抜き打ち視察」

 

 ああ、成る程。

 

「裁判官が買収されるってのは、非常に良くある話でしてね。時たま抜き打ちに裁判を傍聴して、不正を防ぐようにしてる訳です」

「明らかに買収されてそうであれば、調査に入るわけですね」

「その通り」

 

 そう言うのも僕達の仕事なのか。

 

 抜き打ちで視察されるなら、裁判官も普段から気が抜けない。割と良い制度かもしれない。だけど、

 

「わざわざ僕達で視察しなくても、こう言うのこそ他の人に任せては? 書類仕事以外にもこんな多岐に仕事をしていては、休めないでしょう」

「……いいえ、他人には任せられません。残念ながらこの国の法規を把握できていないと、この視察は務まらないんですよ」

「あ、そっか」

 

 書類仕事が出来て法律の知識まで持ってる人材は、そうはいないわな。

 

 そもそもまともな文官の絶対数が少ないから、リーグレットさんやリーシャに負担が集中しちゃうのか。

 

「ポートさんにも、是非覚えていただきたいと思います。折角なので、この国の法規を裁判の間に簡単に解説いたしますよ」

「それはっ……。凄く、凄く嬉しいです!」

 

 おお、それはありがたい。文官の仕事をする以上、そのこの国の法規に十分な理解が必要だと常々思っていた。

 

 今日は視察を兼ね、文官の最古参であるリーグレットさんから直々に個人レッスンを受けさせてもらえるらしい。

 

 なんと有り難い事だろう。

 

「最近、イヴ様がアレコレ弄ったんで今は割とややこしい事になってます。頑張ってください」

「ええ、よろしくお願いします」

 

 では、しっかり職外実習をさせて貰うとしよう。まさに良い機会だ。

 

 僕は新たな教養を身に着けられる機会に喜びつつ、リーグレットさんと共に裁判所へと足を運ぶのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの女が嘘をついているんだ!! 俺は、妻を裏切ったことなど一度もない!!」

「嘘!! いつか私の下に来てくれるって、ずっと愛を囁いてくれていたじゃない!!」

 

 ────裁判所は、それはそれは大賑わいだった。

 

 この国の訴訟は、基本的に大衆に公開された場で行われている。それは、裁判の公平性を保つためのシステムなんだそうだ。

 

 そして、娯楽の少ない貧困層の民衆にとって、他人の諍いというのは大層面白いらしい。裁判所には、常に野次馬気分で一定数の聴衆が沸くのだそうだ。

 

「静粛に。双方、自分の主張を裏付ける証拠を提出せよ」

「し、証拠なんてある筈がないでしょう! アイツが言いがかりをつけてきているだけなんですから、俺はアイツが嘘だと認めるまで否定し続けるしか手段がない!!」

「あの人の言葉を裏付ける証拠を出せなんて、私は一体どうすれば!? 私に言えるのは、彼がとってもひどい男だという事くらいです……」

 

 裁判官として睨みあう二人を見下ろすのは、中年の厳しい目をした男性だった。恰幅が良く、笑えば優しそうな顔をしているが……。

 

 今は全くの無表情で、二人の男女を『観察』していた。

 

「ふむ。では、男は女との情事は『なかった』と主張するのだな」

「はい!!」

「そして女は、『男と将来を共にする』と迫られたと」

「は、はい!」

「ならば、女に問う。本当に情事があったのであれば、場所はいずこで?」

「彼の部屋で……」

「ではこの場で、男の部屋の間取りを述べよ」

 

 裁判官は淡々と、二人の被告に質問を投げかけていく。

 

「……ベッドが、窓際に設置されていました。シーツカバーは、藍色です。ベッドのそばには古い蝋燭台が置いてあり、行為の時にはそれに火を灯していました」

「ふむ」

「あっ……。そうだ、彼の胸には双子のような黒子がありました。蝋燭に照らされて、それが見えたのを覚えています」

「ほう」

「ち、違う!! でたらめだ、アイツはこっそり覗き見したんだ!!」

「思い出しました。ベッドのシーツですけど、下の方が確か破れてしまっていたと思います。それを取り繕い、縫った跡があった。彼の部屋のシーツです」

「男の部屋の確認を急げ。後、男は体を改めさせてもらう」

「────ぐっ、本当に違う、それは偶然で!」

「部屋を覗き見しただけの女が、シーツの綻びを知るとは思えんが。まだ、罪を認めず裁判を続けるか?」

「……」

 

 あの恰幅の良い中年は、こう言った諍いに手慣れているのだろう。そして、納得のできる論拠で裁判を進めている。

 

 この裁判官は公明正大に、判決を下しているらしい。

 

「ひ、一晩だけだ! あいつに迫られて、つい」

「一晩であろうと、裏切りは裏切り。一度嘘をついたものが、どんな主張をしても信じられると思うべからず。判決を下す」

「待て、待ってくれ」

「男は、去勢とする。そして全財産の5割を妻に、5割を女に支払う事」

「……もうしない、二度としないから、どうか!」

「そして女。お前は、妻のいる男を惑わした罪で、この場で鞭打ち10回とする。そして、同じく全財産の5割をこの男の妻に支払う事。その後、この男をどう処分するかは男の妻と話し合って決めるといい」

「分かり、ました」

 

 こうして、判決が下された。成程、騙された側であろうと不倫は罰せられるのか。

 

 確かに、娯楽として覗きに来る聴衆が出てくるのも頷ける。これは、なかなか興味深い。

 

「これにて閉廷。次の案件を、準備せよ」

 

 その言葉を聞き、下っ端のような人がぞろぞろと書類を回収し。男と女は連行され、裁判所の表で刑が執行されるらしい。

 

 執行される刑罰を見たい聴衆は、物見遊山に連行された男女を追いかけ。次の案件が見たい聴衆が、新たに裁判所へと入ってくる。

 

 これが、裁判の一連の流れか。

 

「ポートさん、今の判決はまさに今までの判例通りの正当な裁判です。あの裁判官は硬派で有名なので、おそらく彼が仕切る限りは不当な裁判は行われないでしょう」

「そ、そうなんですか」

「情愛関係で不貞に有った場合、騙した側の全財産を没収し被害者に分けるのが通例です。もし一定額の財産を持たぬものが不貞を働いた場合は奴隷となり、その加害者の売値が慰謝料として支払われる」

「不貞には厳しいんですね」

「もっとも、貴族となると話はだいぶ変わってきます。貴族は不貞を働いた場合、被害者が女であれば、男側は被害者を娶ることが義務付けられます。しかし被害者が男であれば、不問とされます」

「不問、ですか?」

「例えば、不快なたとえで申し訳ありませんが、ポート様が複数の男性と関係を持ったとしても処罰されません。ですが……」

 

 そんな事をするつもりはないけど、優遇されてるんだな貴族女性って、どうしてだろう。

 

「基本的に令嬢がそんなことをすれば、間違いなく貴族の家から勘当されます。すると一文無しの市民という扱いになってしまうので、奴隷落ちもあり得ます」

「うわっ……」

「今までのケースでは、実家が令嬢に奴隷に落ちない程度の財産を与えて勘当という事例が多いようです。貴族の罰は貴族の家に任せるのが無難、というのが実情の様ですね」

 

 そっか、結局家に罰せられるからこその不問か。別に優遇されてるわけではないんだな。

 

「では、次の判例を始める!! 次の案件は市外にて、婦女に対し暴行を働いた二人組の男の裁判だ」

「おお、殺せ!!」

「ぶっ殺せ!!」

 

 そうこう雑談しているうちに、次の裁判が始まった。どうやら婦女暴行の凶悪犯の裁判らしい。

 

「あー、次は最後まで見ない方がいいかもしれません。婦女暴行は、状況次第ではこの場で処刑もあり得ますので」

「う……。そういうのは、あまり見たくないです」

「そうでしょう」

 

 処刑、か。前の戦いで人を殺した僕が言うのも何だけど、やはり人が死ぬところは見たくない。

 

 もう、あの冷たい感触を思い出したくない。怖いのではなく、ただ純粋に嫌なのだ。

 

「裁判の判決が出た後は、少し外しましょうか」

「そうですね」

 

 凶悪犯の処刑は仕方がないけれど、それでもやはり見るのは────

 

 

 

 

「被告人はブラッド、とラルフ。鍛冶師を営んでいる二人組の男だそうだ」

「ぶぅぅぅぅぅぅぅっ!!!!」

 

 

 

 名前を読み上げられて振り向くと、顔を真っ青にして被告人席に立っている1人は、とてもとてもよく見た顔の男であった。

 

 というか、僕の婚約者だった。何やってんのあのエロバカっ!!?

 

「ど、どうしましたポート様?」

「い、いやちょっと」

 

 やったのか。婦女暴行って、ついに凶悪犯になったのかラルフは。人が嫌がることはあんまりしないと思ってたのに、ついにやりやがったか。

 

 うむむ、どうしよう。

 

「な、何か難しい顔をされていますが。何かあるのですかポート様」

「いえ、なんでもありません。ただ、あの裁判官を買収するにはどうすればいいかと思いまして……」

「俺達の職務覚えてます!?」

 

 あまり権力に頼るのは良くないけど、ラルフを殺されてしまうわけにはいかない。と言うかあのバカ何やったんだ。

 

 多分誤解か事故なんだろうけど、それでもこの状況は非常にまずい。あのエロバカは致命的に空気が読めないのだ、変な事を言って疑われたらどうしようもなくなる。

 

「この二人の凶悪犯は、素材の採取の際に冒険者の女性2人に同行を依頼して。そして市外に出た後に、暴行を働いたのだという」

「誤解だ!! 神に誓って俺は何もしていない!!」

「それを判断するための裁判である。おのおの申し開きの時間は用意するから黙っていろ」

 

 まーた覗きとかやらかしてないだろうな。イヴも、覗きをしても庇わない的な事を言っていたし、こりゃあどうしたものか。

 

「まず、原告の訴えを聞こう」

「わ、私達が水浴びをしていたところにこの二人が飛び込んできたのよ!! それだけじゃなく、体中をまさぐられたわ!!」

「ふむ」

 

 や っ ぱ り 覗 き か。

 

「ふむ、次に被告の申し開きを聞こう」

「……誤解、だ」

「俺とブラッドは、女性陣が水浴びをしていた時に迫真の悲鳴が聞こえたから、誰かに襲われたのかと飛び入っただけだ!!」

「ふむ」

 

 なんで水浴びをしていた女性のすぐ傍に居たんだろうねラルフは。前科もあるし、これは庇いようがないかもしれん。

 

 性欲が暴走でもしたのか?

 

「水場で悲鳴と聞いたが、その悲鳴は何故上がったのだ?」

「そこのレズ女がリーゼ……、もう一人の女冒険者を襲ってたんだよ!!」

「人聞きの悪いことを言わないで!! 仲間同士のスキンシップじゃない、あんなの!!」

「……そ、そうか」

 

 ……。

 

「リーゼとやらは何処だ?」

「ここに居るわ!!」

「傍聴席か。なぜおまえは原告席に居ない?」

「私は全然あの二人に恨みも何もないからよ! リーダーがどうしても訴えたいと言うから、付き合ってるだけ」

「……因みにリーゼとやら。原告に水辺で襲われたというのは本当か?」

「そうね、あの時は貞操の危険を感じたわ!」

 

 ……。

 

「あー。被告2人、話を続けて」

「リーゼの悲鳴を聞いて飛び込んだ俺とブラッドさんは、目がイっちゃってるレズ女がリーゼに纏わりついてるのを見てだな」

「……放置もできず、引き剥がした」

 

 ラルフ、よくやった。そして、先入観で誤解してしまった、申し訳ない。

 

 これ、ラルフは全く悪くなさそうだな。僕が無理やり介入しなくても、無罪で済みそうだ。

 

「でもでも、その時私は全裸だったのよ!! 引き剥がすときに体中まさぐられたし!! りっぱな婦女暴行よ!!」

「お前がリーゼにやべぇことしたのが悪いんだろうが!! リーゼのあんなビビった声初めて聴いたぞ!!」

「キー!! ちょっとリーゼちゃんと幼馴染だからって、調子に乗って!! そんなに私に自慢したいのかしら!?」

「ちげーよこの変態!!」

 

 にしてもリーゼが所属したっていう冒険者パーティ、結構危険じゃないか。女ばかりと聞いて安心していたが、リーダーが同性愛者とは……。やはり、彼女一人で冒険者させるのは危険かもしれない。

 

 別の働き口を探してあげないと。

 

「というかそもそも、男どもは寝床の設営をしているはずの時間だったのよ! 何でリーゼちゃんの悲鳴が聞こえる場所に居たの!?」

「昔から、勘が鋭くてな。なんかヤな予感がしたから、様子を見に行ったんだ」

「女が水浴びしている場所に!? 覗きじゃない!!」

「悲鳴が上がったら聞こえる程度の位置に、だよ。俺達は別に覗いてなんか────」

「覗こうか、かなり逡巡はしてたわよね。水辺付近で凄くうろうろしてたし」

 

 リーゼが、半目で口を挟んだ。どうやら、邪な感情はゼロではなかったらしい。

 

「……別に逡巡してません」

「目が泳いでるわよ」

 

 ……。結局覗こうとはしてたんかい!!!

 

「そのお陰で、悲鳴上げた瞬間に助けに来てくれて助かったけど」

「や、や、や。やっぱり覗こうとしていたんじゃない!! このスケベども!! 変態!! エロ猿!! これだから男は汚らわしいのよ!!」

「う、う、うるせー!! 結局覗きはしてねーよ、少なくとも欲望に負けてリーゼ襲ったてめぇに言われたくねぇよ変態!!」

「とか言って私の体を視姦する気だったんでしょう!! あわよくば、私たち2人を美味しくいただこうとか考えていたんでしょう! あーやだやだ、男って本当にヤダ!!」

「考えてねぇよそんなこと!!」

「今までのラルフなら間違いなく覗いてたわね。成長したなぁって思ったわ」

 

 ……まぁ、今までのラルフなら100%覗いてたな。一応、覗いたら婚約破棄というあの約束は効いているらしい。

 

 僕からも後で褒めてあげよう。エロ猿の癖に我慢できてお利口さん、って。

 

「……話を纏める。被告2人は、原告レインに対し婦女暴行を働いたのではなく、あくまで取り押さえただけ」

「婦女暴行よ!!」

「その通りです」

「おそらく今回の事件の唯一の被害者である、取り押さえる際に男性に体を見られた冒険者リーゼは、被告2人に対し悪感情は抱いていない」

「ぶっちゃけ助かったわ」

「ならば、被告2人は無罪とする。冒険者リーゼが原告レインに対し被害を訴えるのであれば、後日裁判を行う」

「貞操の危機は感じたけど、レインの大体の捻くれ感情は把握してるから気にしないわ! 私のリーダーはアホってだけね」

「ふむ、ならば全員無罪とする。これにて、閉廷!!」

 

 ほっ。どうやら、無難に裁判は済んだ様だ。助けに入るまでもなく、全員無罪を勝ち取ってくれた。

 

 良かった良かった。

 

「無罪の様ですな」

「血を見ずに済んで良かったです」

「……随分とヤキモキされていましたが、お知り合いがいらっしゃったのですか?」

「えぇ、まぁ。友人、の様な感じです」

 

 婚約者が覗きを画策してたと知られると風聞が悪いので、少し誤魔化しておく。いつかは、堂々とラルフを紹介したいものだ。

 

「友人の裁判でしたか。それは心配でしたでしょう」

「……どうも」

「丸く収まったようで何より。今日は変な判決はされそうにありませんな、あの裁判官は過去の判例通りにしか判決を下さない事で有名です」

「初めての判例には融通が効かなそうですけど、その反面安心して見ていられますね」

「今日はこれ以上粘っても無駄足でしょう。帰って、書類仕事を手伝いませんか」

「そうですね」

 

 元々抜き打ち視察が目的だったし、仕方がないか。出来れば判例を見てもう少し勉強したかったけれど。

 

「では、次の判例は────」

 

 リーグレットさんと目配せして、僕達は立ち上がった。また、次の視察の時に色々と教わるとしよう。

 

 

「被告は、不貞を働いた奇術師、アセリオ!!」

「ぶっほぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 

 何でさ!!

 

「ポ、ポート様?」

「ごめんなさい。この判例だけ見せてください。後生なので」

「は、はぁ」

 

 不貞? 不貞って何!?

 

 アセリオは何に巻き込まれてこの場に居るの!?

 

 

「被告は、貴族屋敷に奇術を披露するべく招かれた。その夜に妻のいる男性と関係を迫った!」

「……」

「何か申し開きはあるか!!」

 

 見れば普段のステージ姿の魔女っ娘が、面倒臭そうな顔で引き立てられてきた。

 

 不貞、ってどう言うことだ。不貞は確か財産没収だっけ?

 

「……片腹痛い。そこのアホが、あたしに関係を迫ってきた。拒否したら裁判で追い詰めると、脅迫もしてきた」

「ふん! 私は貴族だ、何故貴様のような下等な市民に迫らねばならん! 大方貴様は、私の財産目当てに誘惑してきたのだろう!!」

 

 ……。いや、あのアセリオが男を誘惑するとは思えんが。

 

 多分、あの貴族がクロなんだろう。

 

「以前も、原告は似たような裁判を起こしているが」

「私の財産を欲して、不貞を迫る卑しい女が多いのだ! 私はそんな誘惑に乗ったりしないがな」

「……ふむ」

 

 その原告とやらの貴族は、どう見てもモテなさそうな不細工である。お前みたいなのに迫る女が多いはず無かろうに。

 

「……当然、あの女から迫ってきた証拠も用意している」

「そんな証拠が有るわけ無い……」

「以前の裁判でも有効な証拠とされた、私の家の使用人による証言と、ゲストの証言だ」

「ほう」

「ゲストに関しては、大貴族アウレウス家のご子息様であるリョートル様の証言だ。書面に家紋を刷って、わざわざ証言して下さっている」

「……」

 

 これは、結託されてるな。あの不細工はアセリオを嵌める為だけに色々と根回しをしたに違いない。

 

 大貴族の証言ともなれば裁判官も無視できないだろう。いくらアセリオと言えど、この状況はかなりヤバくないか!?

 

「……そんな筈は、ない」

「お前の負けだよ、売女ぁ! リョートル様の書状は、これ以上ない証拠と言えんか裁判官」

「確かに。以前も、それを決定的証拠として判例が下っている。今回も、証拠として疑いようがないだろう」

「……」

 

 しかも、過去の判例で有効な証拠と判断されちゃってるのか。

 

 どうしよう。このままだと最悪アセリオが奴隷に落とされてしまうかも。あのアセリオがこんな窮地に立つなんて考えてもいなかった。

 

 彼女は飄々としながらも、常に的確に空気を読み難題を簡単に達成し続けた出来る女だ。リーゼは心配だったけど、アセリオは何だかんだ上手くやると思い込んでいた。

 

 どうすればよい。どうすれば、彼女の力になれる?

 

「……ふん。本当に、その大貴族様が書面をしたためたの? デマカセじゃないの……?」

「本物だよ、残念だったな! 見ろ、この家紋を認めたアウレウス家の公文書────」

 

 そして、不細工貴族はニヤニヤしながら書面を広げ……。

 

「くるっぽ~」

 

 広げた書面が、鳩になってどこかへ飛んで行ってしまった。

 

「……」

「……証拠、隠滅」

 

 ……。

 

「書面が消えたぁ!? な、何が起こった!?」

「ほうら、やっぱり。何処にも証拠なんて無いだろう……。くくく……」

「奇術師ぃぃぃぃ!! 貴様だろう、貴様が何かやったのだろう!! ふざけるな、証拠を返せ!!」

 

 アセリオの奴、やりやがった!! 裁判の、この公の場でいつもの奴をやりやがった!!

 

「裁判官……。あのおっさん、有りもしない証拠をでっちあげている……。証拠偽造は重罪では……?」

「え、いや、ちょっと待て!! 本当に何処へやった、卑怯だぞ売女!!」

「おやおや? あたしは何もしてないが……? むふー」

 

 ニヤニヤといつもの得意げな笑みを浮かべ、貴族を煽るアセリオ。滅茶苦茶ヤバい状況の筈なのに、物凄く余裕があるなあの娘。

 

「裁判官!! こんなの無効だ、ズルだろう!! 証拠隠滅を図ったんだ、アイツを有罪にしてくれ!」

「何の証拠もなく、人に言いがかりをつけるエセ貴族……。有罪になるのは、あっちでは?」

「ま、待て。判決はしばし待て!! 今、証拠が鳩になって飛んで行った過去の事例を探している……」

「そんな事例が他にあってたまるか!!」

 

 ああ、ダメだ。あの裁判官、やっぱり土壇場に弱い。

 

 過去に判例がないような裁判では、テンパって正常な判決が下せそうにない。これが狙いか、アセリオ。

 

「……まぁまぁ、落ち着け不細工貴族。証拠が無くなってしまったアホなお前の為に、ちゃんと代わりのモノを用意している」

「あん? 何を言っている貴様」

「大貴族様の証言が欲しいんだろう? ……用意してやると、そう言った……」

 

 だが。いつも通りに自信満々なトリックスターは、不敵な笑みを浮かべると────

 

「おいでませ、大貴族様……」

 

 ぼふんと一際大きな煙を撒き散らし、裁判所の中央に人影を作り出した。

 

 アセリオはその眼に、確かな自信を浮かべ。

 

「……え、あ────」

「せっかくの家紋入り文書を失くしてしまったアホの為に、リョートル伯爵をお呼びしたぞ。感謝するがよい……くくく」

 

 鋭い眼光の大物貴族風の人物に、いつの間にかアセリオの手元に現れた『証拠の文書』とやらを手渡し、恭しくかしずいたのだった。

 

「────あ、あ……」

「裁判官、改めて名乗ろう。我が名は白鷺のアウレウスが嫡子、リョートルである」

 

 その、見るからに怖そうな壮年の男性は、不細工貴族をきつい目で睨みつけ。

 

「で、だ。そこの木っ端貴族よ。我はこんな証文など書いた記憶が無いのだが……、これはいかなる事情かな」

「え、あ、いや、その」

「我が家の、威を借りたか。貴様のような矮小な俗物が、誇り高き白鷺の家紋を使い情欲を貪ったか」

「ち、違うのですリョートル様、これは」

「何が違うか申して見よ下郎!!!!」

 

 底冷えがするほどの恐ろしい剣幕で、不細工貴族を一喝した。

 

「裁判官。この裁判の判例を、預からせてもらおう」

「は、はい!」

「この者は、我が逆鱗に触れた。然るべき場所で、然るべき処遇を、この国の王の目前で与えよう。あの者の身柄を拘束せよ」

「ま、待ってください。ほんの、ほんの出来心で!!」

「聞く耳もたん。誰に牙を剥いたか、その愚かさを体に刻み込んでやる」

 

 あ、あちゃぁ……。大貴族の家紋を偽造しちゃったのか、あのバカ貴族……。

 

「……最初からあたしは、釣り餌。お前の欲望で汚された娘の家族が、全財産をはたいて依頼してきた。お前に地獄を見せてくれと」

「おま、え……」

「……こういう裁判になれば、お前はきっと同じ手を使ってくると踏んでいた。因果応報、あたしはお前に報いを運んできただけ。悪く思うな……」

「お前、最初から────」

「お前の妻も含め、皆が喜んで協力してくれた……。お前を陥れるために、な」

「そんな、そんな馬鹿な!! なぜ、どうして!!」

「自分の胸に聞くが良い」

 

 情けなく泣きわめく貴族を、侮蔑の表情で見下ろして。アセリオはクールに、大貴族に一礼してマントを靡かせ裁判所を退場した。

 

「おおお……」

「うおおおおっ!!」

「アセリオ様、かっこいい!!!!」

「「アーセリオ!! アーセリオ!!」」

 

 聴衆の、大喝采を一身に浴びながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

「す、凄いものを見ちゃいましたなぁ。ポート様、ところでどうして黙りこくってるので?」

 

 ……。

 

「いえ。……アセリオはアセリオだなぁと、再認識させられただけでして」

「おおお。彼女も、お知合いですか。あんな胸のすく裁判は初めてです。今度、是非彼女と話をしてみたいですな」

「良ければ、ご紹介もしますよ……。あはは……」

 

 そうだな、アセリオだもんな。あの娘が窮地に陥るなんて、そうそうあり得ないよな。

 

 何で僕は一瞬でも心配してしまったんだろう。僕らの最高戦力(アセリオ)だって、常々知っていたじゃないか。

 

「……ポート様、なんか疲れてません?」

「あはは、そんなことは……」

 

 うん。絶対、今後アセリオだけは敵に回さないようにしよう。勝てるビジョンが全く浮かばない。


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