朝から執務室に到着して早々に、システムデスクの上に山のように積まれた報告書を見てウンザリとした表情を浮かべる基地指揮官のハヅキ。
そんないつも通りの表情を毎日しているのを見ているスプリングフィールドは、笑みを浮かべながらコーヒーメーカーが置いてある棚へと向かい、彼女好みのコーヒーを作り始める。
「いつものね」
「はい、砂糖四つとミルクですね」
いつものと聞いてそれを砂糖を四つとミルク入れることを理解してるスプリングフィールドは振り向くことなくテキパキと行う。
「はぁ……。書類なんてみーんな燃え尽きればいいのに」
忌々しそうにそう呟きながらシステムデスクに座り、山積みされている書類の一枚を取って内容を確認してサインが必要なら書き、判を押す必要があれば押す。
そういった作業を黙々とこなしていると横から出来立ての砂糖四つとミルクが溶け込んだ甘くマイルドなコーヒーが差し出される。
「ありがと、スプリング」
「いいえ、おかわりが欲しければいつでもどうぞ」
「ん、よろしくね」
労いの言葉を掛けつつ、書類にサインをしながらコーヒーを啜る。
程よい甘さのコーヒーで脳が徐々に目覚め始め、少しだけだがやる気を出して書類作成に精を出し始める。
調子が上がってきたハヅキの様子を見て大丈夫そうだと思ったスプリングフィールドは、副官用のデスクに座って書類作成の手伝いを始める。
無論。コーヒーがなくなりそうなタイミングを見計らって、おかわりの準備も抜かりなく行えるように意識をしながら。
書類作成をしている最中でも後方支援任務を終えた人形たちからの報告書を随時、受け取りながら徐々に増えていく報告書に若干、イライラする場面もあったが。
作戦行動のない日は大抵、こういった書類作成で一日を終えることが多く。
イライラを鎮める為に砂糖とミルクが入ったコーヒーを飲んで紛らわし。
カップの中身を切らさない様にスプリングフィールドが気を回しておかわりを入れるといったルーティンを日々、繰り返している。
「ただいま戻ったのじゃ、ハヅキ」
そんなルーティンをこなしていると、作戦から帰投してきたナガンが執務室に少し返り血を浴びている状態で入室してきた。
「……ああ、お帰りナガン。首尾は上々だった?」
「ああ、特に妨害されるなどの問題は全くなかったぞ。
他の皆は先に宿舎に戻っておるから、報告はわしだけで行うがよいかの?」
「構わないわ。それで、例の情報源の奴はどう?」
例の情報源の奴。
その言葉から察するに例の組織がらみの件だと理解したナガンはふっ、と鼻で笑いながら、
「ああ、例の愚か者共の一員は未だぐっすりと眠ったままじゃ。
おぬしが営倉に行く頃には目が覚めて、恐怖に怯えて待っていることじゃろう」
「そう、可哀そうだこと。
例の組織の雇われの身だという理由で奴はこの後、どんな目に合うのかしらね?」
「おいおい、それをおぬしが言うのか?」
その雇われの身に何が起こるのかはハヅキ次第だというのに、まるで他人事のような物言いに呆れるナガン。
「ふふ、そうね。それは私の気分次第だものね」
そう、ハヅキの気分次第で早く死ねるか、長く苦しんで死ぬかは決まる。
これから起こることを考えれば、例の情報源の奴はどうあがいても死んで引き渡される運命なのは確定していた。
「ふぅ、全く。……自業自得とはいえやり過ぎてはいかんぞ?」
「あら、奴の心配してあげるの? お優しいことで」
「馬鹿者。おぬしの心配をしておるのじゃ」
思わぬ心配の言葉をナガンから投げかけられたハヅキは思わず目を丸くする。
何故、自分なんかの心配などするのだろうかと首を傾げるが、ナガンは分かっていないハヅキの様子にため息を吐いて、
「おぬしもナオキ同様、無茶をし過ぎるのじゃ」
「私が? ナオキみたいに敵陣に突っ込むくらいの馬鹿をやるっていうの?
ちょっと、冗談にしては笑えないわよナガン」
「わしが冗談で物を言うと思うか?」
ナガンの真剣な声音で「冗談は言っていない」という物言いに、これは茶化せる場面じゃないなと理解したハヅキは作業している手を止める。
「じゃあ、何? 私がどう無茶してるっていうの?」
「おぬしが進んで拷問紛いなことを進んでやることがじゃよ。
知りたいことを知る為とはいえ、人を痛めつけて楽しむフリをするのも楽じゃなかろうて」
「別に、敵から知りたいことを吐かせるのに手段なんて選ぶ必要なんてないし。
今さら、人を死ぬまで痛めつける程度で私が心を痛めるとでも? 笑わせるわね」
人を痛めつけることに罪悪感はあるのか?
そう聞かれればハヅキはたった一言、「そんなもの
幼い頃に育ててくれた母親を軍の爆撃に巻き込まれる形で失い、妹のナオキも左腕を切断するほどの重傷を負わされた時から良心なんてものは無いに等しかった。
自分たちから母親を奪ったのは人、妹の左腕を切断するほどの重傷を負わせて治療という名目であんな腕にしたのも人。
今さら、人を信じることをやめた自分に罪悪感などあるわけがない。
故に、妹をあんな腕にした元凶である組織に雇われた奴に遠慮などしない。
「いや、わしにはわかる。
おぬしは進んで人を痛めつける奴ではない」
それでも、ナガンはハヅキに面と向かってお前はそういう人ではないと断言する。
「だから、なにを根拠にそう言えるのよ?」
何の根拠もない言い草に少しだけ声を荒げてしまう。
しかし、そんなハヅキに怖気づくことなく笑みを浮かべながら、
「普段からおぬしを見てるわしが言うんじゃ。間違いはない」
投げかけられた言葉は、ただ普段からハヅキを見ているからという全く根拠が混じっていないナガン独自の持論だった。
思わぬ暴論に近い持論に拍子抜けしてしまうハヅキ。
「育ての親でもないのにわかるっての?」
「短い付き合いだからこそ、わかるものがあるんじゃよ」
訳の分からない持論にしかめっ面をしているハヅキの頭を優しく撫でながら諭すように言うナガン。
「おぬしたちと初めて会った時のことを覚えておるか?
あの時のおぬしらときたら、誰にでも構わず噛みつく狂犬のようじゃった」
ハヅキとナオキが戦術人形指揮官として赴任した当初は人も人形も同じく信用に値しないと会っただけで分かるくらい敵意を隠しきれてなかった。
自分たちの命令通りに動けばいい、従わなければ処分すればいい。
その為に前線にはナオキを監視役として随行させて逐一、不審な行動をしないかと目を光らせていた。
人間のナオキが自分たちと共に前線に赴かせると聞いた時は疑問の声を挙げたが、当のハヅキは聞き入れず、ナオキも問題ないと言って退けた。
見た目からも分かるくらい、か弱そうなナオキが前線に赴くなど足手まといになるのではと当然のことながら思われた。
しかし、か弱い見た目とは裏腹に敵陣に真っ向から突き進む姿を見た人形たちは驚きに目を開かせることになる。
左腕の異常性を活かした戦法で敵を容赦なく殲滅するのを見せられ、驚くなというのが無理がある。
そんなナオキを見て驚嘆する人形たちの中で唯一、敵陣に突っ込んで無茶をしたことで叱り付ける人形がいた。
「そういえば、ナオキのアレを使った戦い方を見て驚く皆の中で唯一、叱り付けたのがあんただったわね」
ナガンだけは人間の身でありながら死ぬことを問わないような戦い方をするナオキを叱り付けた。
まさか人形に叱られるとは思わなかったナオキは目を丸くして驚いていたが、構うことなく彼女をその場に正座させて説教をし続けた。
そしてその説教の矛先はハヅキにも向けられた。
「実の妹を危険に晒すような真似をさせるなッ! って通信越しに怒られたのを今でも覚えてるわ」
血の繋がった家族を危険に晒すなと怒られたハヅキは、たかが人形如きが私に意見するなと反論したがナガンは聞く耳持たずに説教をし続け、帰投してからもハヅキとナオキを並べて正座させるほどの迫力で説教し続けた。
それ以降もナオキが先陣を切ろうとすれば咎め、それを容認するハヅキを叱るなど。
まるで実の親のように二人が間違っていることをすれば叱り付け、正しいやり方で良い結果を出せば褒めるようになった。
人形など人間と同じで信用できないと考えていた姉妹だったが、ナガンの愛情がたくさん詰め込まれた叱咤に徐々に変わり始め。
最初に変わったのは人形たちと共に前線で戦うナオキが共に戦う中で信頼を深めていき、笑みを浮かべて話せるようになり。
ハヅキもそんなナオキを見て彼女らと関わるのは良い刺激になるのだろうと思い始めたのを皮切りに、自身も人形を副官として使うようになるほど信頼を深めていった。
そして、その信頼はハヅキとナオキが内に抱えている問題にも携わらせてくれるほどに深まってきた。
その証として部隊リーダーとして固定されている人形たちを例の組織絡みへの作戦を任せるようなった。
「『第十七研究資料室』。
彼の組織に関する作戦をわしらに任せるようになってからじゃよ。
おぬしが進んで人を痛めつけて楽しむ性格ではないと知ったのは」
「……」
「組織に雇われた傭兵どもを皆殺しにしたトンプソンに申し訳ないと謝ったり。
一人だけ生かして確保したWA2000に感謝の言葉を述べたり。
他にもたくさん、わしらに対して申し訳なさと感謝を伝えるようになった」
それがわしがハヅキがそんな性格ではないという根拠じゃよ、と頭をわしわしと撫でながら断言するナガン。
もはや何も言えなくなっていたハヅキはただ撫でられるがままにされる。
撫でる手がとても温かく感じるのも、自分の本当の気持ちをわかってくれるナガンの優しさが嬉しいのも、全部目の前で笑顔で我が子のように愛してくれるナガンの所為だと心の中で呟きながら、彼女の胸の中に顔を埋める。
「バカ……」
「ふふっ、世話が焼けるのじゃ。おぬしらは」
胸の中に顔を埋める
「ふふ、大変ですね。お母さま?」
「コラっ。誰がお母さまじゃ」
子供のようにナガンに抱きしめられるハヅキを見ているスプリングフィールドも微笑ましい場面に笑みを溢しながらも作業の手は止めずに茶々を入れてくる。
「ナガン。大好き」
「うむ。わしも、おぬし達を愛しておるぞ」
だから、あともう少し、このままでいさせて。
時間の許す限り、ハヅキはナガンの優しさに甘え続けるのであった。
子供の頃から親に甘えるという当たり前の事が少ししかできなかったハヅキやナオキにとって心を許して甘えられるナガンは、血の繋がらないもう一人の母親のような存在となりつつあり。
ナガンも本当の我が子のように愛することに疑問を抱くことなく、ハヅキとナオキを常に見守り続けることを誓うのであった。