模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research 作:井ノ下功
地の利、というものは確かにある。特に魔術師には。
霊脈。風水。血筋。歴史。伝統――
すべて、土地と強く結びつき、土地に染み込んでいき、土地から離れられないものだ。
その点において、上之宮真琴と山崎丞は、非常に有利な位置にいると言っても過言ではなかった。
「随分とまぁ変わりはしましたけど。なんかこう、空気感? 雰囲気? いや雰囲気は変わったなぁ……なんていうか、久々に会った親戚の子が知らない内に大きくなっていて、『うわ~雰囲気変わったねぇ、でも根っこの部分は昔のままだなぁ』ってほっこりする感じ……分かります?」
「……偵察は上手くいった、ということで、いいかしら」
「お、さっすが主様! そういうことです!」
わー、と無邪気に手を叩く山崎を前に、真琴は堪えきれず溜め息をついた。
山崎はにこにこと緩い笑みを浮かべたまま、
「で、主様は、どういう方針で行くおつもりなんです?」
「……方針?」
「はい。ですから――サーヴァントを殺すか、マスターを殺すか」
どちらかでいいのでしょう? ――と、小首を傾げて、無邪気なままにそう言った彼女の目は、その無邪気さが装ったものであることを雄弁に語っている。
真琴の背筋に冷たいものが走った。
(どれだけふざけた振りをしていようと、彼女はサーヴァント――アサシン――新選組の一人として刃を振るった、幕末の志士――)
真琴は認識を改めた。もとより、真琴が求めていたのは、そういう強さである。目的のために手段を講じ、最良の策を躊躇わず実行できる、強さ。
背筋を伸ばし、毅然として答える。
「――狙うべきはマスターです。ただし、マスターならば私でも殺せます。一方で、サーヴァントの相手はサーヴァントにしか出来ません。相手のサーヴァントが出てきたら、あなたはそちらへの対処を最優先にするように」
山崎はにっこりと笑った――まるで、“合格”とでも言うような顔。
「承りました」
☆
(うんうん、主様は悪くないお人だ。まだちょっと青い感じがあるけれど――それはまぁ、経験不足ですかね。でも、それを自覚していて、補おうと頑張ってる。それなら、成長の見込みがある)
素晴らしいことだ。山崎はホテルの屋上に潜伏しながら、そんなことを考えて、一人で何度も頷いていた。
(いっやぁ、本当に新鮮だなぁ。最高かなぁ。同年代の女の子と話すことなんて滅多に無かったし――)
――あったとすれば、それは潜入先でのこと。そして大抵、後に殺すことになる相手との、不毛な会話だった。
(――沖田隊長とはほとんど、接する機会ありませんでしたし。でもあの人も絶対、座にいますよね。ボクがいられるくらいなんですから、局長と副局長と沖田隊長は、絶対にいるでしょう。――そしたら、またどこかで、会えたりするんですかね……)
それはおそらく、夢の果て、いまに弾ける泡沫の物語に過ぎないかもしれないが。
(――っと、そろそろ、予定の時刻ですね)
山崎は思考を切り替えた。顔の下半分を隠した布の内側で、唇はいつものように、緩々とした笑みを形作っている。
暗殺に必要なのは緊張感ではなく。特別感ではなく。使命感も大義も要らない。義務感など邪魔でしかない。
必要なのは――生まれた瞬間から当たり前に、誰にでも用意されている普遍的な贈り物を、少しだけ早めに届けてあげるのだ、という――親切心。積極的な善意。
いわゆる、有難迷惑、というやつだ。
北の方の山沿いで、大きな魔力の衝突が起きた。とほぼ同時に、真琴からの指示が届く。
(「――始まったわ。行きなさい!」)
(「はっ!」)
聖杯戦争の開幕だ。
山崎は天井をすり抜け、標的がいる部屋に降り立った。標的――ヘルメス・アーキシェルは、ベッドの上に半身を起こしていて、ちょうど殺しやすそうな体勢でいてくれている。
一歩。
沖田総司のように速くはない。
二歩。
土方歳三のように強くもない。
三歩。
しかし山崎の歩は静かに密やかに――着実に、死を運ぶ。
無防備に晒された男の首を目がけて、
抜刀。
「っ!」
切先は空を切った。一瞬前に現れた大男が、ヘルメスを後ろへ放り投げたのだ。
(やあっぱり、そう簡単にはいかしてくれませんよねぇ!)
戦闘には狭すぎる室内だが、山崎にとってみれば大した問題ではない。生前から何度も経験してきたシチュエーションだ。小柄な体躯と脇指は、こういう場面にこそ栄えがある。
一方こういう場を苦手としそうな大男は、しかしその豪快な甲冑に似合わず、存外器用に剣を扱った。日本刀よりやや細く、やや長い両刃の剣。脇指と比べれば倍以上ある長さの剣を、手首と肘が柔らかいのだろう、上手く折り畳んで、山崎の攻撃を往なす。
繊細。かと思えば大胆に。
斬るよりは突くことにのみ特化していそうな形状の剣を、男は無骨に振り回し、振り下ろしてきた。
山崎は鍔のすぐ上で相手の刃を受け止めた。
「ハッハァ、いいねぇ、アッテンティーターか!」
男は上機嫌に笑った。
力比べは拮抗。しかしジリ貧だ。山崎はそれを横に流して、懐に斬りこむ――直前、刃を反転させたのは本能のなした業だった。
「ふんっ!」
「っ!」
真正面から殴られた。為す術もなく吹き飛ばされて、部屋の奥に転がる。刀を滑り込ませていなかったら、致命傷とまではいかずとも、それなりの負傷となっていたに違いない。
追撃が――来ない。
室内から気配が消えていた。開いていなかったはずの窓から、夜風が吹き込んでくる。馴染んだ夏の夜よりずっと熱く、湿っぽい風。
山崎は構えを解いて、逃げられた旨を真琴に伝えた。
(「すみません主様。逃げられました」)
(「どちらに向かっていった?」)
(「――北、ですね。先程魔力の衝突があったあたりかと思われます」)
わざわざ戦いが起きている場所に向かっているとは。どうやら好戦的な性格であるらしい。
真琴は少しだけ考えて、すぐに言った。
(「追ってちょうだい。挑む必要はないわ。ただ隙を見て、やれそうだったらやって」)
(「承知です!」)
念話を終えると、真琴は再び使い魔の目と同期する。
カラスの目は夜闇に構わず、戦場の様子を映し出す。場には二騎、ランサーと思われる青年のサーヴァントと、クラス不明、おそらくバーサーカーではないかと思われる虎が、壮絶な打ち合いを繰り広げている。
やや、ランサーの方が優勢か。猛獣の唸りにも顔色一つ変えず、冷静な態度でヒット&アウェイを繰り返している。
ここに、先程山崎が交戦したサーヴァントが加われば、乱戦になることは間違いない。
(二騎が結託して一騎を潰すか……それとも、お開きになるか……なんにせよ、隙はきっと生まれる……)
そこを突くのが、アサシンとしての最適解だろう。
(それにしても、凄い戦いね……)
真琴は固唾をのむどころか、息をつくのも忘れて、いっそ華麗にも思える戦場に見惚れた。
一瞬で攻防が入れ替わる高速の戦闘を、どれほど見詰めていただろう。体感では数時間を過ごしたようにも思えるが、実際は三分も経っていない。
(――来た)
新たなサーヴァントの登場を視認したその時。
その一秒で、戦場もまた大きく動いた。
魔力の揺らぎが発生したと思ったら、ランサーが瞬時に戦線へ背を向けた。そして近くの建物の中に飛び込んでいった。
虎もまた背を向けて、どこかへと向かって走り去ってしまう。
その様子を少しだけ見下ろして、三騎目は寸の間立ち止まり、即座に虎の尾を追って走りを再開した。
(っ……)
(「主様?」)
指示を催促するような山崎の問いかけに、混乱しかけた頭を無理やり回転させる。
(「そのまま、虎の方へ行きなさい!」)
(「はっ!」)
力強い返事を受けて、――ああ、私の指示は合っていたんだ――と息をつく。山崎にはどこか、そう思わせるところがあった。こちらの采配を見定めているような、力量を計っているような、そんなところが。
真琴は意識的に呼吸をして、精神を落ち着かせた。
山崎と同じように、虎の方を追いかける。
真琴がその場に着いた時には、すでに新手のサーヴァントが、虎と交戦を始めていた。セイバーだろうか、細身の剣を扱っている。ランサーより敏捷値に劣るのだろう、やや劣勢なように見受けられた。
すぐ傍に建っている民家は、虎のマスターの家だろうか。窓があったと思われる壁が、無残に大穴を開けて、室内の様子を晒している。
(……待って。ここ、この家って、まさか……)
――真琴は、この家のことを知っていた。この家に住む家族のことを。この家にいる、自分と同級の少年のことを。
まさにその少年――遠藤晶が、床に倒れている。その傍らに立ち、呪詛を呟いている男がいる。ヘルメス・アーキシェル。つい先日この市内に入り込んだ魔術師の一人。上之宮家の調査に唯一引っ掛かった男。鉱石を用いた呪詛を得意とする、元時計塔の魔術師。
「《花は花として、毒は毒として、如何にもそれらしき装いのままに、死をもたらせ》」
矛先は少年に向いていた。
真琴は咄嗟に、ヘルメスの鼻先目がけて突進した。
「っ、何っ?」
(「主様っ?」)
カラスの体の良いところを存分に発揮し、鋭い爪で皮膚を掻き、くちばしでその目を狙った。そうしながら、叫ぶように命令を下す。
(「アサシン、虎に加勢しなさい!」)
(「へ?」)
(「早く! こいつらを追い払うの!」)
(「うぇ? っとー……あーはい、承知しました!」)
山崎が霊体化を解いて、頭上からセイバーに襲い掛かった。それを横目に、
「くそっ、ふざけるな! 使い魔ごときで、私に敵うと思ったのかっ?」
いきり立って両手を振り回すヘルメスに、向き直る。
(使い魔ごとき? ――そうやって嘗めた人間から、死ねばいい)
真琴は胸の前で両手を組み合わせた。複雑な印を形作り、組み替え――唱える。
「〔変容せよ〕」
瞬間、カラスの輪郭が溶けた。言葉通り、黒い塊へと“変容”する。それは蠢く呪詛の塊。荒れ狂う呪いの凝縮体。真琴の使い魔は使い捨てのものではない。長く呪いを溜め込み、飲み込み、縛り上げて作り上げた、式神である。
ヘルメスが顔色を変えて、跳び退った。
「〔切り裂け〕」
「《銀は銀として我が加護たれ》!」
両者の間で魔術が衝突した。真琴が伸ばした触手はちぎれ、ヘルメスが放った銀の欠片は砕け散る。
「うっ、ぐ……」
削られて、軛から放たれた呪いの一部が、真琴に返ってきた。ひとりでに爪が割れて血が噴き出す。
真琴が怯んでいる内に、ヘルメスは家から飛び出ていった。
完全に連中が撤退したのを確認して、真琴は式神をカラスの形に戻した。すぐに家から飛び立って――大きく、息を吐き出す。
(……今度は、守れた……)
霊体化した山崎が、式神のすぐ傍を走っていた。何か言いたそうな雰囲気を出しているが、気にしてなどやらない。どうせ、帰ってきたら直接問い詰められる。
真琴は、どういう順序で話そうかと考えながら、爪に絆創膏を巻いた。