模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research 作:井ノ下功
パイロットが生き残るために必要なものの、九割方は運だ。
風が味方をすること。天候が味方をすること。機関銃が詰まらないこと。ゴーグルが壊れないこと。自分が気付くより先に接敵されないこと。複数の敵に遭遇しないこと。相手の銃撃が燃料タンクに当たらないこと。たとえ当たったとしても空中で爆発しないこと――何か一つ欠けただけでも、致命傷に至る要因が、運、ただそれのみに左右される。
残りの一割が実力。近付いて狙って撃てば勝つ。相手の九割の幸運をひっくり返すためには、ここで競り負けてはいけない。
そしておそらくそれは、白兵戦においても変わりないのだろうと、リヒトホーフェンは身をもって感じ取った。
(攻める――引く――攻める!)
頬の皮一枚と引き換えに、獣の懐に飛び込んで、短く持った槍の穂先で脇腹を切り裂いた。迂闊に突き立てれば、筋肉に挟まれて抜けなくなる可能性があったのだ。
「グガアアアアアアアッ!」
(引く)
向かってきた牙に石突をぶつけて、その反動で九十度左に方向転換し、距離を取る。追撃に備えて槍を構え直し――
(「~~っ! ~~~~!」)
――虎の突進を往なす。真正面から受け止めるのは自殺行為だ。バックステップを繰り返し、立て続けに振り回される爪を避け、避け、避け――
(「~~い、おい、~~~~っ!」)
――石突で爪を叩く。細かな攻撃を繰り返して、体力を消耗させるのが先決だろう。狙うは足。機動力を削いでいけば、いずれ膝を折る。次に攻撃すべきは――
(「~~~くそっ、ランサー! ランサーァアアアア!」)
先程から頭の中に響いている声を、リヒトホーフェンは無意識のうちに、“ただのノイズ”として切り捨てていた。
これが、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの生来の気質である。一度熱中すると止まれない。周りが一切見えなくなる。トランス状態にも似た深い集中は、生前の彼に勝利の栄光をもたらし――そして同時に、死をも呼び込んだ。
しかし、
【――令呪を以って命ずる! ランサー、我が元へ来い!】
その、絶対的な命令だけは、心臓に響いた。鎖でがんじがらめにされ、引きずられるような感覚とともに、体が意思に反して勝手に動き出す。踵を返し、目の前の敵に背を向ける。地面を蹴り、まるで逃走するかのように、反対の方向へと走り出す。
(そんなっ――敵前逃亡など――っ!)
思いを置き去りに、戦場のすぐわきにあった建物の外壁を駆け上がる。窓を割って飛び込んだ瞬間、現場の状態がいっぺんに目に入ってきて――
――一気に、頭が冷えた。
彼を呼んだ人物――ディオニシオが、壁に背を預け座り込んでいる。彼が右手で押さえている肩からは、血が流れていた。
そして、室内に充満する、硝煙の匂いと敵の気配。
「っ!」
乾いた音とともに発射された弾丸を、すんでのところで弾いた。
二発、三発と続けて放たれたそれを、難なく防ぎ、リヒトホーフェンはディオニシオを背に庇った。
「申し訳ありません、マイスター、遅くなり――」
「まったくだこの馬鹿! まさか、こんな序盤で令呪を消費する羽目になるとはな! それもこれもすべて、お前が僕の命令を聞かなかったからだ!」
「……申し訳ありません」
「チッ」
ディオニシオは高らかに舌を打って、立ち上がった。傷はもう塞がっている。
「虎は逃げた。標的を変える。僕に傷を負わせた不届き者を殺せ、ランサー。決して逃がすな!」
「Ja!」
リヒトホーフェンは槍を打ちふるった。
そして、暗闇に向かい、姿なき狙撃者に向かい、吠える。
「姿を現せ、外道!」
その怒号に、びりびりと空気が震えた。
「この私を、卑劣な手で討ち取れるとは思うな! 戦場に生きる者として、軍服を纏い、軍旗の下に集うならば、堂々と――っ」
言葉を切ったのは、拳大の丸い物体が、どこからともなく飛んできたからだ。反射的に叩き払った瞬間、その物体は爆発した。
爆風が埃を巻き上げて、視界を覆う。
(……煙幕? 姿を消せるのに、なぜわざわざ――)
直感、が働いた。煙幕を放置して反転。何度か銃声が響いたが、それも無視。どうせ威嚇射撃だ、と思い込む。当たったとしてもそれはそれ、不運だったと言うだけである――自分には当たらない、という根拠のない自信があったことも確かだが。
ただ真っ直ぐ、リヒトホーフェンはディオニシオに向かって、槍を構える。
「え? ちょ、おい、ランサーっ? ランッ――」
「はぁぁあああっ!」
気合を載せた渾身の突きが、ディオニシオの脇腹――
――の、すぐ横にまで迫っていた短剣に突き刺さり、それを粉砕し、なお止まらず、奥の壁を壊した。
衝撃に押され、襲撃者――それは年端もいかぬ少年だった――が、小さな呻き声を上げた。そのまま外に落ちる。
「追撃します」
「あ、あぁ……」
ディオニシオががくがくと頷いたのを目の端に確認しつつ、リヒトホーフェンは飛び降りた。
少年と相対する。少年は、十五か十六か、それぐらいの年頃に見えた。テンガロンハットを浅く被り、手にはリボルバー式の銃。腰には太いベルトを通し、そこにいくつも、先程投げられた黒い物体がぶら下がっていた。生成りのシャツはやや大きいらしく、肩が落ちている。暗い瞳が、見定めるようにこちらを凝視していた。
(見た目は子供でも、サーヴァントだ。油断はすまい)
リヒトホーフェンは隙無く槍を握り、少年を睨んだ。少年は、殺気立つランサーを目の前にしても、自然体のままで、銃を持った手すらだらりと太腿の横に垂らしている。
「私はランサー。貴公は――アーチャーか?」
「……」
「それとも、アサシンか?」
「……」
「……ここは、名乗りを上げられぬ戦場だ。せめてクラスぐらい、答えてみせたらどうだ」
リヒトホーフェンの静かな怒りに触発されたか、少年はゆっくりと口を開いた。
「僕は、“ガンナー”だ」
「ガンナー……? そんなクラスが?」
少年は思わせぶりに目を伏せて――次の瞬間、発砲した。
腕を水平にまで持ち上げる。撃鉄を起こす。狙いを定める。引き鉄を引く――それらの動作を、少年は一息にやってのけた。
「くっ」
弾丸が脇腹を掠めた。あまりの速さに、打ち払うことはもちろん、避けることすら満足にできなかった。
息つく間もなく連射される弾丸を、あるいは避け、あるいは弾き、円を描くように走る。相手もまた一定の距離を保ったまま、反対回りに走りながら、それでいて狙いは正確だった。距離を詰めるのは難しそうだ。
(……弾切れのタイミングも、なさそうだ。なんらかの対策を講じてあるのか、サーヴァントとしての能力か……)
装弾数を明らかに超える数を撃ってきているが、弾を込め直す、といった動作はまったく見られない。
つまり、向こうが隙を生んでくれるということは、無い――そう判断した瞬間、リヒトホーフェンは急停止した。不毛な円を描くのはやめだ。踏ん張って無理やり方向を変え、体勢を低くし、一直線にガンナーへと向かう。
「っ!」
少し焦ったガンナーによる迎撃は、大方が外れた。何がしかの加護があるのではないかと思うほどの、外れ方。しかし両者の距離が縮まれば縮まるほど、ガンナーにとっては狙いやすくなる。槍の有効範囲まであと一歩、というところまで迫られた時、ガンナーは冷静さを取り戻した。
一歩下がって、狙うは額。
乾いた銃声が響き、血しぶきが舞う。
リヒトホーフェンの体が、ぐらりと傾ぎ――
――けれど、その足は止まらない。更に一歩、二歩と踏み込んで、無理やり攻撃範囲内に入り込む。
犠牲にした右腕は放棄した。彼にしてみれば、燃料タンクに穴が開いても、爆発しなければ大丈夫というだけの話。
死なずに殺せば、それだけでいいのだ。
「おおおおおおおああああああっ!」
「うあっ、ぐ、ぅ……!」
槍は少年の薄い体を易々と貫いて、そのまま彼を壁に縫い止めた。
確実に、霊核を砕いた。彼の手足の先が、少しずつ金色に光り始めたのが、その証拠である。座に還ろうとしているのだ。
リヒトホーフェンは深く、息を吐いた。相手はサーヴァントだと、理解している。子どものように見えても、その内実は自分と同じ、戦うために呼び出された兵士だ。ならば、その命を奪うことに、躊躇いを見せてはならないし、まして憐憫など抱いては――それは、侮辱に他ならない。
もう一度つきそうになった溜め息を呑み込んで、リヒトホーフェンは槍に手を掛けた。
左手だけで引き抜くと、少年はぐらりとその場に倒れ――
――その瞬間の、強大な魔力の揺らぎを感じたヘルメスは、咄嗟に声を上げた。
「ランサー! まだだ!」
「っ!」
ただ、その回避行動はあまりに遅かった。
少年の目は暗く、リヒトホーフェンを見ていた。彼の傷はもうほとんど塞がっている。彼はひょいとその小柄な体を、背後の壁の裏、リヒトホーフェンの槍が開けた穴の向こうへ押し込んだ。リヒトホーフェンの目の前には黒い物体が飛んでいる。少年が放り投げた物。それが再び――先程とは段違いの威力で――爆発した。
視界が潰れ、吹き飛ばされ、反対の建物に叩き付けられた。
「ぐっ! う……」
膝を折る。槍を支えに、倒れることを防いだ。が、立ち上がれない。
「さよなら」
少年が銃口を突きつける。
引き鉄が絞られる。
(ここまで、か……申し訳ありません、マイスター……やはり、まともな望みを持てない自分では、この戦争を制することは――)
鈍い、鈍い音が響いて。
霊核を、撃ち抜かれ。
――ガンナーと名乗った少年が、地に伏した。
「な……」
リヒトホーフェンは己の目を疑った。
少年の小さな体が、ほとんど音を立てずに、地面に落ちる。
「なぜ……」
元々暗く淀んでいた少年の目が、さらに、虚空に沈んでいく。指先から、爪先から、金色の粒子へと変わっていく。もう、魔力の揺らぎはなく、彼の粒子化は止まらない。彼の霊基は修復されない。
思わず、リヒトホーフェンは這い寄った。
「少年、君は――君、は……――」
「……僕は……ジョン・パー……ミドルサセックス連隊、第四大隊所属の、二等兵、です……部隊に来たことを……後悔しては、いません……――母に、どうか、どうか――僕の、最期を――」
か細い声で、訥々と語った少年は、やがてゆっくりと目を閉じて――消えた。
リヒトホーフェンはすべてを察した。ミドルサセックス連隊。二等兵。つまり彼は自分と同じく、第一次世界大戦に関わったことで、歴史に名を残した人物で――
(――私と同じ、最後まで戦うことを選んだ人間だった。……過去も現在も、敵同士とは……なんとも――)
「おい、ランサー! 何をしている! 早く霊体化しろ! お前まで狙撃されたらどうする!」
「……はい」
リヒトホーフェンは、丁寧に十字を切ってから、霊体化した。