模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

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第2章
バーサーカー 2


 晶は目を覚ました。のそのそと起き上がる。床に寝転がっていた所為だろう、体のあちこちが軋む音を立てた。

 

(夢……じゃ、ないんだよな……)

 

 窓に開いた大穴はそのままだ。虎の姿はない――が、なぜか、“いる”ということだけは感じられた。

 

(姿を消せるのかな……?)

 

 床に染み付いていたはずの虎の血は、跡形もなく消えていた。それが彼の特性なのか、よく分からないまま巻き込まれた事件の特徴なのか、は知らない。

 晶はぼんやりと、壁の穴から空を見上げた。いつもと変わらない、霞がかかっているような、あるいは自分の目がかすんでいるかのような、薄い色の空。太陽はすでに高く上がっていて、すっかり寝過ごした形である。

 

(虎……李徴(りちょう)、って呼ぶべきかな……)

 

 理解は出来ていない。だが、こちらの習熟度などお構いなしであろうことは、肌で感じ取っている。

 晶は溜め息をついて、ゆっくりと立ち上がった。

 その時、ハラリ、と視界の隅で何かが動いた。

 紙だ。白い紙。メモのような小さな紙に、可愛らしい文字が並んでいる。晶は何の気なしにそれを取り上げて、

 

「――……“賎畿中央教会に行きなさい。そこですべてが分かる”――……っ!」

 

 末尾に付されていた名前に、晶は息を呑んだ。

 

「上之宮、真琴……っ!」

 

 彼女が――彼女こそが、自分が引き籠っている原因であり、自分の家族が壊れた――壁に大穴が開いても、家の前で尋常ならざる戦闘が起きようと、どんな反応も見せないほどに壊れてしまった――事件を、引き起こした張本人である。

 晶は、自分の息が荒くなるのを感じた。どうやら、“そういう筋”の話にまた巻き込まれたらしい、と察して、心臓が軋む。内臓が痛む。

 

『――どうした。何事だ、我が故人(とも)、袁傪よ』

「っ!」

 

 まるで影のように、虎――李徴が、すぐ脇に現れた。

 晶はびくりと肩を震わせて、しかし、

 

『気分が優れないのか。何事か、君に凶事が起きたのか。いや、それとも、(おれ)の所為か……? 己は、此処に居ない方が好いか?』

 

 猫のようにすり寄ってくる李徴の温もりから、自分を本当に心配してくれていることが伝わってきて、晶は飛び退こうとした足を抑えこんだ。

 そして反対に、恐る恐るではあるが、虎の背に手を伸ばす。毛皮に触れる。長くて立派な毛並みに、手が完全に埋まる。生者の温もりがある。

 

「大丈夫、君のせいじゃない……でも、あの……ちょっと出かけるから、姿を消して――」

 

 晶はここで少しだけ迷ったが、すぐに付け足した。

 

「――ついて、きてくれるかな」

『承知した』

 

 李徴は深く頷き、姿を消した。気配がすぐ傍に寄り添っている。

 まるで虎の威を借る狐だ、と晶は思った。

 

 

 

 賎畿中央教会は、賎畿市の中心部から少し離れたところにある。晶が住んでいる辺りから行こうとすると、一旦バスで駅前まで出て、そこからまた別の路線に乗り替えて行かなくてはならない。

 一時間ほどかけて、ようやくそこに辿り着いた。

 こぢんまりとしているが、非常に綺麗に整えられた教会である。晶は特定の宗教に属しているわけではないが、どちらかと言えば仏教の方が馴染み深く思えるので、敷地に入ることを躊躇った。

 門の外から中を窺う。

 小さな前庭には花壇があり、見覚えのある花が咲いていた。晶は花に疎いので、名前までは分からない。その花壇に挟まれるような形で、真ん中に扉がある。木製の大きな扉。あれを開けるのは生半可な覚悟では無理だろう、と晶は唾をのみ込んだ。行ける気がしない。

 

(……やっぱり、帰るか……)

 

 虎の威を借りていようと、狐は狐だ。晶は尻尾を巻いて逃げ出そうとして、

 

「あの~」

「わあっ!」

 

 唐突に背後から声を掛けられて、思わず叫び声を上げてしまった。

 慌てて振り返る。と、そこには、修道服を纏ったシスターが立っていた。茶色の髪がベールの隅から二筋ほどこぼれている。シルクの手袋とスーパーのポリ袋という不釣り合いな取り合わせが、いやに神秘的に感じられて、晶は余計に狼狽えた。

 

「あっ、ごめんなさい~。驚かせてしまいましたねぇ」

「え、いえ、あの、その……」

「何か御用ですかぁ?」

「ええと、その……用、っていうか、何て言うか……」

 

 尋ねられて初めて、晶は説明する言葉がない事に気が付いた。

 

(スマホから虎が飛び出てきて――よく分からない戦いに巻き込まれた――なんて話したら、絶対に頭がおかしな奴だと思われるよな……最悪、警察を呼ばれるかも……)

 

 やっぱり逃げるしかない、と結論付けるのに、一秒も必要としなかった。

 が、

 

「あら、その手……」

「え?」

「あらあら、なるほど~、分かりましたわぁ。ええと、あなたも、“マスターさん”ですのねぇ」

「マス、ター?」

「うーん、私にも、よく分かっていないのですがぁ……マスターさんには、皆さんに同じものをお配りしていますので、あなたにも渡さないといけませんねぇ。さぁ、立ち話もなんですから、中へどうぞ~」

「あ、あのっ……」

 

 シスターは――自分の職場なのだから当然であるのだが――慣れた調子でずかずかと中に入り込み、重たげな扉を存外軽々と押し開けた。そこで晶を振り返って、

 

「気兼ねなく、どうぞ~」

 

 と微笑む。

 晶は意を決して、聖域に足を踏み入れた。

 

 

 

 礼拝堂を抜けて、その奥にある小さな部屋に通された。

 

「ハーブティーは、お嫌いじゃありませんかぁ?」

「えっ、あっ、はい。嫌いでは……ない、です……」

 

 素直に答えてしまってから、(ここは遠慮して「お構いなく」とか言うべきだったか)と思い至ったが、もう遅い。

 シスターは簡易キッチンで手早くグラスを用意し、作り置きのハーブティーを冷蔵庫から取り出すと、二人分注いで机に置いた。

 

「良かったぁ。私ねぇ、このハーブティーが好きなんですよぉ。ちょっと特別なものなんですがぁ……あ、変な物は入っていないので、ご安心を。はい、どーぞ」

「あ……ありがとう、ございます……」

 

 にこにことされると、何となく落ち着かない。ただでさえ、家族以外の三次元の人間と接するのは数年ぶりなのだ。視線をどこに置けばいいのかすら定かでない。

 

「あ、それでですねぇ、こちらなんですがぁ――」

 

 シスターが机に滑らせたのは、薄っぺらい紙束だった。束という言葉が不相応かもしれないほど薄い。左上をホッチキスで止められている。表紙には『模擬聖杯戦争 ルール』と書かれていた。

 

「これは……」

「私にもよく分からないんですがぁ、模擬聖杯戦争? っていうのが、ここで開幕する……というか、もうしているらしいんです~」

「模擬……聖杯、戦争……?」

「はい~。なんでも、“万能の願望器”である“聖杯”を取り合って、七人のマスターさんが、七騎のサーヴァントを使役して、戦う――儀式? らしんですがぁ、今回のはちょっと話が違っているらしくって~……でも、私にはよく分からないんです」

「はぁ……」

「詳しいことは、その紙を見てくださいねぇ。あ、それと、私は一応“監督官”ということになっていて、この教会は安息地――つまり、誰からも襲われない場所として機能しているらしいので、何かありましたら、いつでも駆け込んでください~」

「はぁ……」

 

 晶は溜め息のような相槌しか打てなかった。渡されたプリントの束を手に取り、一枚目をめくる。

 

『この聖杯戦争は私――模倣者が作った“模擬戦”である。マスターの兆しを手にした諸君らには、私が写した小聖杯を取り合い争ってもらう。以下に、本来の“聖杯戦争”との共通点と相違点をまとめておく。各自参考にしてもらいたい。

 共通点――マスターは手の甲に刻まれた兆しである“令呪”をもってマスターとなる。七人のマスターがそれぞれ一騎ずつ英霊を喚び出し、サーヴァント同士を争わせる。令呪すべての消費、あるいは死亡をもって、マスター権の喪失と見なす。サーヴァントの消滅をもって、その組の脱落とする。六組の脱落をもって、戦争の終結とする。勝ち残った者の元に聖杯は現れ、その願望を成就させる。なお、令呪の移譲は認める。

 相違点――刻まれる令呪は二画のみである。聖杯にかけられる願いは、一つのみとなる。すなわちマスターかサーヴァントか、どちらかの願いしか叶えられない。この聖杯を持って根源の渦に至ることは不可能である。ただし現実のより単純な願いであれば、叶えることが出来るだろう。サーヴァントが消滅した際にマスターが使い残した令呪があれば、それは自動的に聖杯へ回収され、願望器としての力の補充に回される。

 なお、サーヴァントの召喚方法、敵対者の脱落のさせ方に関しては、当方は一切関知しない。担当の教会は「賎畿中央教会」とし、そのシスター神野麻子を監督官とする。教会に保護を求めた者は棄権と見なし、マスター権を剥奪する。その者への襲撃はルール違反とし、マスター権を剥奪する。以上』

 

 晶が読み終えたのを見計らったかのように、シスターが声を掛けてきた。

 

「分かりましたかぁ?」

「ええと……いえ、その……よく、分からないんですけど……」

「ですよねぇ、私もです~」

 

 おっとりと笑いながら、シスターは相槌を打った。それきり言葉がなくなる。

 晶は耐えられなくなって、素早く席を立った。

 

「あ、あの、ありがとうございました。僕はこれで、失礼します」

「あら、もうよろしいんですかぁ?」

「はいっ、あの……さ、さよなら!」

 

 逃げるように背を向けて、晶は教会を飛び出した。出されたものに一口も付けなかったのは失礼だったかもしれない、と思ったのは、随分と後になってからのことである。

 駅前をあてもなく彷徨いながら、晶は一人物思いに沈んだ。

 

(模擬、聖杯、戦争……)

 

 その単語がぐるぐる、ぐるぐると頭の中を巡る。自分が巻き込まれたもののことは分かった。なぜ殺されかけたのか、ということも。

 

(勝ち残れば……願いが、叶う……?)

 

 信じたわけではない。が、その言葉はあまりに甘美で――晶が何より求めたもので――ともすれば、救いになるかもしれないもので――少なくとも、無視して切り捨てられるものではなかった。

 

(……家族を、治せるかもしれない……?)

 

 廃人になって日がな一日空中を眺めている母を。ふらりと出ていったまま杳として消息の分からない父を。そして何より――怪物に飲み込まれ、消えてしまった弟を。

 

(助けられるかもしれない……?)

 

 だとしたらこれは運命だ。自分がなさねばならぬ使命だ。神に与えられた最初で最後の試練にして好機だ。掴まなくてはならない、絶対に、手に入れなくてはならない! そのためなら――人を、殺すことだって――

 

「遠藤君」

「っ!」

 

 突然呼び止められて、晶はびくりと固まった。知っている声だった――今、一番会いたくない声だった。けれど無視するほどの勇気もなく、晶はゆっくりと視線を上げる。

 

「う……上之宮、さん……」

 

 数年ぶりに会った同級生は、相変わらず、真っ黒い髪を無造作に背へ垂らし、華奢ながら威風堂々たる立ち姿で、深淵のような瞳を晶に向けていた。

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