模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

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セイバー 3

 

「ゴットフリード」

「んー?」

 

 呼びかけられたので、ゴットフリードは姿を現した。マスター――ヘルメス・アーキシェルは、ベッドの上に胡坐をかいて、細々とした金属やら宝石やらをいじっている。

 ゴットフリードに魔術のことはよく分からない。“深入りすると殺される”という程度の認識である。彼が生きたのは、ちょうど魔女狩りが横行し始める頃だった。関わるべきものではない。だからゴットフリードは少し遠巻きにしながら、窓枠に腰掛けた。割ったはずのガラスは、ヘルメスの魔術によって綺麗に直されていた。

 

「なんだよ、主」

「話の続きだ。お前に課されたフェーデ禁止の誓約書は、生きているのか?」

「あぁ……」

 

 そういえば、昨晩言いかけてやめたのだった、とゴットフリードは思い出した。いつかは話さねばならないだろう、と思っていたことだ。

 

「そうさな、生きてるよ」

「だから真っ先に虎の方へ行ったのか」

「ご明察だ、我が主よ。相手が人間じゃなけりゃ、フェーデにはあたらない。別に、人間が相手でも、フェーデにあたるような“決闘”でなけりゃいいんだけどな」

「フェーデにあたるような形式で戦うと、どうなる?」

「知らんのか」

「知るわけないだろう」

 

 ゴットフリードは肩の横で両手を広げた。

 

「ちょっと調子が悪くなる」

「なんだ、それだけか?」

「おお、それだけさ。少ーし剣が握れなくなって、強い眩暈と息切れ、動悸に襲われる、ってぐらいだな」

「致命傷じゃないか!」

「まぁ、即座に死ぬってわけじゃねぇから、安心しろよ。そうなっても逃げるくらいのことはできるぜ」

 

 ヘルメスは溜め息をついた。

 

「一対一になったらすぐに撤退、というわけだな……とすると、乱戦が多い序盤はともかく、最後の方が厳しいな……私がどうにかして……」

「なぁ、主殿」

「なんだ」

「そこまでして、何を聖杯に望むんだ?」

 

 ゴットフリードはあえて唐突に問うた。

 案の定、ヘルメスは寸の間動きを止める。それからおもむろに、首だけで振り返った。真意を測りかねているような鋭い視線が、しばし突き刺さって――やがて、元の体勢に戻る。

 

「私が至るべき地位を奪った盗賊どもがいる……そいつらに凄惨な死を与え、私に正当な権力をもたらす、圧倒的な力が欲しい。金でも、能力でも、なんでもいい。とにかく大きな力を――どんな手を使ってでも、手に入れなくてはならない」

 

 その言葉は背中越しに、しかし強い決意と反感を宿して響いた。

 

「ほぉん」

「なんだ、その、気のない相槌は」

「いや。存外、俺と主は馬が合うのかと思ってな」

「はぁ?」

 

 ヘルメスが心底嫌そうに眉根を寄せながら振り返った。ゴットフリードはその顔に、かつての知己を思い出す。生真面目で細かくて口うるさくて、自分と同じ道を歩んでいるようでありながら、実際は正反対の目的へ向かって――自分よりもっと大きな野望を抱いて――散っていった男のことを。

 覚えず、口角が上がる。

 

「俺のケツを舐めろ! って言ってやりてぇ奴がいる、ってことだろ?」

「違っ……違う! 間違ってもあんな奴らに尻を舐められたくはない!」

「実際にやるかよ。もののたとえだ」

「……まぁ、己が受けた以上の屈辱を味わわせたい、という意味なら」

「そーそー、そういうこった。なるほどなぁ」

 

 うんうんと一人勝手に頷いていると、ヘルメスがこちらに向き直った。

 

「そういうお前はどうなんだ? 聖杯にかける望みがあるから、ここへ来たんだろう?」

「んー? あー、そうだなぁ……」

 

 ――望み。聖杯にかける望み。最奥にして深淵に根差し、魂のあり方を規定する存在意義。死して尚消えず、むしろ燃え上がり、己を捕らえて離さぬ渇望。どうしても満たさねばならぬと己を縛る、宿命とでも呼ぶべき執着。

 

(若かりし頃の俺ならば、この右腕の復活を願ったかもしれんなぁ……)

 

 と、ゴットフリードは鉄の義手に視線を落としてそう思った。

 ゴットフリードが右腕を失ったのは、一五〇四年、齢二十四、バイエルン継承戦争の時のことだ。味方からの砲撃が当たったのだ。運悪く。

 何が起きたのか、咄嗟には理解できなかった。砲撃音は最初からずっと鳴り響いていたから、意識などしていなかった――まさか撃たれるとも思っていなかったが。気が付いた時には、槍が馬の足元に落ちていたのだ。それでよくよく見てみると、剣の柄頭が弾け飛び、腕甲を貫き、鉄片が皮膚に食い込んで、己の右手がちぎれかけた革紐のようにぶらぶらと揺れていたのだ。

 落馬しなかったのは奇跡である。冷静さを失わなかったことも。普段から多めな血が抜けたのが、かえって良かったのかもしれない。若かりし頃のゴットフリードは、自分の状況を理解すると、何騒ぐことなく戦線を離脱したのである。

 

(……思えばこれが、俺の生き方を決めたのかもしれんな)

 

 怪我を負った時、ゴットフリードは神に祈ったのだ。――どうか恩寵を。戦士としてはもう終わりなのだから、今すぐこの命を召し上げてくれ、と。

 しかしすぐに思い直したのだ。ケヒリという名の隻腕の傭兵のことを思い出し、再び祈ったのだ。――どうか恩寵を。俺はまだ神のご加護のもと、誰よりも勇ましく戦いたいのだから、と。

 意地、といえばそれまでだ。だが、もしもこの腕を失っていなかったら――果たして、死ぬ間際まで戦い尽くせただろうか?

 

(なんて、思うのは、歳を食ったからだろうなぁ)

「おい、セイバー?」

 

 年寄りらしく物思いにふけっていたら、ヘルメスが怪訝そうな顔をしてこちらを見ていた。いつの時代も、若者はせっかちである。

 ゴットフリードは頬杖を解いて、両手を肩の辺りに広げた。

 

「これと言った望みはねぇな」

 

 するとヘルメスは大袈裟に眉毛をひん曲げた。

 

「望みがないのに、英霊の座にいるのか?」

「そうさ。――俺はな、生きてる間中ずっと、神の加護を祈り続けた。死ぬ直前にも、神の加護を願った。この世では肉体に、あの世では魂に、どうかご加護を与えたまえ。永遠の死からお守りくだされ……ってな。だから、今ここに在れるのは、神のご加護の賜物なんだろう。それ以上は何も望まんさ。――ま、強いて言うなら、派手に戦いてぇ、ってくらいのもんかな」

「……存外、敬虔だったんだな」

「おいおい、俺を何だと思ってやがる」

「お前の行状を知れば、誰もが“神をも恐れぬ盗賊騎士だ”って、そう言うさ」

「何言ってんだよ、神を恐れぬ人間がこの世にいるか? 俺はただ、神以外の何物も恐れなかっただけだ」

 

 ゴットフリードが何気なくそう言った瞬間、ヘルメスはなんとも言い難い顔になって、「……神以外の何物も、恐れなかった……」とオウム返しに言った。

 

「あぁ。それがどうかしたのか?」

「……いや、なんでもない」

 

 ヘルメスは無愛想に会話を切ると、すぐさま手元に目線を落とし、再び作業に没頭し始めた。

 

(……ま、いいか)

 

 ゴットフリードは少しの間だけ首を傾げていたが、すぐに霊体化した――しようとして、

 

「セイバー」

「おう? なんだよ」

 

 消えかけたのを取りやめる。

 彼の主は目線を上げていなかった。ゴットフリードは、それを少しだけ残念に思った――というのも、ヘルメスの目は琥珀色の狼の目なのである。ベルリヒンゲン家の紋章には、子羊をくわえた狼が描かれている。狼はゴットフリードにとって、縁起の良い動物なのだ。だから、残念に思う――顔を上げてさえいれば、獲物を見つけた狼の瞳の輝きを拝めただろうに、と。ゴットフリードにそう思わせるほど強い口調で、ヘルメスは言ったのだ。

 

「奇襲は、フェーデにあたらないな? ――今夜、襲うぞ」

「――Ja!」

 

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