模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

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ランサー 3

 

 自分が死ぬ間際のことは、よく思い出せなかった。操縦桿を握ったまま息絶えたことだけは確かだが、それ以外は、霧の向こうに沈んだ小島のように曖昧である。聖杯から与えられた記録によれば、英軍機との交戦中に肺と心臓を撃ち抜かれて墜落したのだという。とどめを刺したのが一体誰であったのか、ということは、不鮮明なままだ。

 遺書の類はなく、残された日誌には後継の指揮官の指定だけがしてあったという。

 リヒトホーフェンは、昨晩戦死した少年の最期を思い出した。

 

(……彼は、母への言葉を、最期に残した……うん。理解できる。私だって――いや、“今の私”なら、必ず、そうするだろう。――何故、“かつての私”は、家族へ、何も残さなかった?)

 

 自分のことであるのに理解が及ばなかった。どうすればそんな気持ちになれるのか、想像することすら叶わない。

 それで結局、思考は元の場所に戻る。

 

(――聖杯にかける願い)

 

 霊体化して休養している最中、リヒトホーフェンはそのことばかり考えていた。死に際のことを思い出せば、何かヒントを得られるのではないかと思って、丹念に思い返してみたのだが、やはり駄目だった。

 拭いきれない違和感が、心に、魂に、体に、ずっと纏わりついている。

 

(何か一つ、必ず、叶えられるとするならば……私は、何を望む?)

 

 聖杯から得た知識によれば、サーヴァントは望みがあるから聖杯戦争に参加するのだ、という。そしてその望みは、生前の後悔の解消であったり、第二の生を得ることであったり、様々ではあるが――すべからく、“自分という存在の意義”と関わっている。

 当然だ。サーヴァントの現界を可能にするものが“願い”である以上、その願いがサーヴァントの魂を縛っているのは自明の理。

 つまり、“願い”とはサーヴァントの存在理由に他ならない。

 それが。

 今、リヒトホーフェンを悩ませていた。

 

(私の、願い……欲望……。――私は……)

 

 ――……私は、空を、飛びたい。

 それは、生前の自分がすでに叶えたはずの願いだった。

 

(あぁ……やはり、間違いない。私は空を飛びたい。パイロットになりたい)

 

 思えば思うほど確信が強まっていく。空を飛びたい。こんな重たい槍など捨てて、時代遅れの馬など降りて、空を駆ける騎士になりたい。

 

(何故だ……? 何故、すでに叶えたはずの願いに、私は、縛られている?)

 

 記録は頭の中に残っている。自分は確かに、パイロットとして戦線を駆け抜け、パイロットとして死んだ。疑いようのない事実として、魂に刻まれている。

 なのに――そこに、実感が伴っていない。

 記録は記録でしかない。記憶とは違うのだ。まるで他人の伝記を読んでいるかのように、そこに自身の手応えがない。

 

(槍騎兵時代の姿で、召喚されたから、か? 精神が、肉体に、引きずられているのか……?)

 

 リヒトホーフェンは溜め息をついた。分からない。胸の内に疑問と不安がわだかまる。このような不安定な状態で、果たしてこの戦争を勝ち抜けられるのだろうか。

 霊体化を解く。

 数時間前まで死んだように眠っていたディオニシオは、今は机の前に座し、地図と書籍を広げてそれらと睨み合っている。そうしながら、背中越しに、冷徹な声で言った。

 

「必要のないことをするな、ランサー。実体化には魔力を消費するんだ」

 

 斬り伏せるような鋭い声音に、リヒトホーフェンは少しだけ眉根を寄せる。しかしすぐに取り繕って、霊体化する。

 

『……失礼致しました、マイスター。――重ねて、失礼を、お許しください。どうしても、お聞きしたいことがあるのです』

「なんだ」

『私は、本当に、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンですか?』

 

 その問いに、ディオニシオは眉をひそめて振り返った。

 

「私がミスをしたとでも言いたいのか?」

『いいえ。いいえ、そうではありません。――ただ、私には、実感がないのです。己が、パイロットであったという、実感が。……いずれ、聖杯を前にした時――私は、空を飛びたい、と、願うでしょう。これは、すでに叶っているもののはずです。いくら、肉体年齢に寄せられている、といっても、このあり方は、英霊として、サーヴァントとして、相応しくないのではないでしょうか』

 

 赤裸々に吐露してしまってから、リヒトホーフェンははたと我に返り――自分を刺殺したくなった。霊体化していなかったら、みっともなく頬を上気させて、その場を立ち去っていたに違いない。

 

「ランサー」

『マイスター、今のは――』

「取るに足らない感傷に囚われるな、情けない」

 

 刃よりもなお冷たく、彼は吐き捨てた。

 

『っ……』

「戦場でそんな悠長な思い煩いをしている暇があるのか? 余計なものは一切捨て、合理的に考え、必要とされただけ動け。いいな」

 

 そう言うが早いか、ディオニシオは背を向けた。

 ――マイスターの言う通りだ、と、リヒトホーフェンは思った。だから、

 

『はい。失礼、致しました』

 

 と答え、気持ちだけでも頭を下げ、息を潜めた。

 ――正論だ。戦場に余計な感情は要らない。正当だ。道理だ。

 と、思ったが、しかし。

 心を軋ませた自分がいた。

 認めたくはない。認めるわけにはいかない――マイスターに叱責されて傷付いた自分など!

 

(……私は、一体、何を、期待していた……?)

 

 優しい励まし? 甘い慰め? それとも――否、否、否! それらはすべて甘えである! 自分で自分の感情を思想を理性を論理を制御できない未熟者が他者に依存した挙句に求める救済である! そのようなもの、このリヒトホーフェン家に生まれた長男として、国家に身を捧げる責務を負った者として、断固として求めてはならぬ!

 

(やはり、私は――どこかが――何かが、おかしい――っ!)

 

 疑念だったものは確信に変わった。

 リヒトホーフェンは頭を抱える。魂の奥底からフツフツと湧いてくる焦燥が、憤りが、不安が、ぐるぐると黒い渦を巻いて、血の巡りを妨げる。妨げられて血が止まる。酸素が止まる。息が詰まる。頭痛がする。――たい。死にたい、生きたい、戦いたい――

 

(――飛びたい……っ! 飛んでいない、自分など、自分では、ない……!)

 

 ふ、と、リヒトホーフェンは顔を上げた。

 現代の飛行機のエンジン音が聞こえたのだ。

 窓の外は、一面の青。それを横切る、一条の白い線――

 唇を噛み締める。血が出ないのが、今はかえって、痛かった。

 


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