模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

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第3章
ランサー 4


 アサシンがやられた。

 その様子を遠くから観察していたディオニシオは、髭を剃ったばかりの顎を撫でながら、思案する。

 

(ふむ……やはり、アーチャーは徹底的に潜伏を続け、自分にとって最も都合がよくなるように戦況を操作していくつもりだな。そうなると――)

 

 ――堂々と戦うのは危険。どのタイミングでどこから狙撃されるか、分からない。

 ――後顧の憂いを断つために、出来るならば今すぐ始末しておきたい。が、

 

「ランサー、アーチャーの居場所は分かるか?」

「……いえ。申し訳ありません、マイスター」

 

 リヒトホーフェンは力なく首を振った。

 

「だろうな。まぁ、期待はしていなかったから、いい」

「……」

「それより、あれを見ろ」

 

 ディオニシオが顎で示した先には、マスターを背負ったセイバーがいる。いかに優秀なサーヴァントであろうと、マスターが機能していない状態で、まともに戦えるとは思えない。そして、敵対勢力は削れるときに削っておくべきだ。

 

「好機だ。仕留めろ」

「っ――手負いの、敗残兵を……?」

「そうだ」

 

 ディオニシオには彼が躊躇する理由が分からなかった。何故躊躇う必要がある? 手負いだろうが何だろうが、戦場において“敵”を殺すことに理由は要らないはずだ。最小限の労力で最大級の戦果を挙げる、それは近代的な合理主義の賜物であり、リヒトホーフェンはその時代において期待通りの、いや期待以上の働きをした人物のはず。

 命令には従うもの。敵兵とは殺すもの。その原則を叩き込まれているはずの彼が、何故、言う通りに動かない――?

 ディオニシオはランサーを睨みつけた。

 

「何をもたもたしている。行け!」

 

 一喝すると、リヒトホーフェンはようやく姿を消した。

 

   ☆

 

 屋根を蹴り、宙を蹴り、標的に肉薄する。

 

(迷うな。躊躇うな。命令だ。戦争だ。疑問など、ない。弱った敵を叩くのは定石だ。常識だ。――おかしいのは、私の方だ……!)

 

 本来の自分が召喚されていたなら、こんな迷いなど無かったに違いない。そう思うほどに情けなくなる。腹が立つ。

 もはや気配を消す気にもなれなかった。

 真上から躍りかかる。穂先が揺らいだことには、気付かなかった振りをした。案の定避けられたが、そんなことはどうでもよい。

 ――せめて真正面から戦いたい。そうすれば、自分を納得させられるかもしれない――そう思ったリヒトホーフェンを、一体誰が責められようか。その結果が、セイバーをかつてない窮地に追いやることになるのだが。

 

「私はサーヴァント、ランサー。――セイバーよ、構えろ。いざ、尋常に、勝負!」

 

 言った瞬間、セイバーの顔が大きく歪んだのが見え――その理由を考える前に、臨戦態勢に入っていた体は自然と槍を振るっている。

 セイバーは倒れ込むようにしてそれを避けた。いや、実際、彼は“倒れ込んだ”。膝を突き、呼吸を荒げ、剣に手を伸ばすことすら出来ないでいる。マスターを落とさないようにするので精一杯のように見えた。

 そうやって蹲っている姿は、歳相応の老人である。

 ――兵士ではない。

 リヒトホーフェンの動きが鈍る。払い切れなかった迷いが一気に増幅する。

 

(無抵抗の人間を――殺す――?)

 

 膨れ上がった躊躇が彼の動きにブレーキをかけたがしかし、一度振るい始めた槍はそう簡単に止められるものではなく。また彼自身の真面目な気質が、命令違反を容易には受諾しなかった。内心の葛藤を置き去りに、槍は結果を求めて奔る。

 

「あああああああああっ!」

 

 裂帛の気合、とはとても言い難い叫び声が、槍の軌跡の上に乗っかった。

 何も出来ずにただ蹲るセイバーを、その穂先が貫く――寸前。いや、実を言うと、その一秒ほど前から、情けない悲鳴が頭上から聞こえてきてはいたのだ。かすかに届いていたその声は徐々に大きくなり、そして、

 

「――ぁぁあぁあああああああああーっ!」

 

 リヒトホーフェンの目の前に、人間が落ちてきた。

 

「っ!」

 

 視界が完全に覆われた上、咄嗟にその人間を助けようと動いたせいで、槍の軌道が大幅に逸れた。穂先は、セイバーには掠りもしないで中空を掻く。

 腕に引っ掛けるようにしてどうにか受け止めたその人は、そのままぐったりと俯いている。普通の人間だ。サーヴァントではない。

 

「だ、大丈夫、ですか」

「……ええ、あの……はい……すみませんでした……」

 

 その人は深呼吸をしながら、ゆっくりと地面に足をついて――一旦後ろによろけたが、どうにか持ち直し――それから空を睨み上げた。

 

「キャスター!」

 

 その鋭い叱責に、リヒトホーフェンは彼がマスターであることを悟った。

 

(キャスターの、マスターだったのか……!)

 

 思いもよらぬ展開に、動作が止まったリヒトホーフェンの前で、キャスターのマスターは震える声を気丈に張った。

 

「さ、さ、サーヴァント同士の戦いの、ど真ん中に、僕を放り投げるなんて、い、一体、どういう了見だ! ランサーが受け止めてくれなかったら、どうするつもりだったんだよ!」

「大丈夫よマスター。だってランサーさんなら絶対に受けとめてくれるって、あたしには分かっていたもの。それともなぁに、あたしのことが信じられないっておっしゃりたいわけ? ああ嫌だわ、なんて酷いマスターなのかしら! あたしはこんなにマスターのことを考えて動いているっていうのに! ねぇとっても酷いと思わない、紳士的なランサーさん?」

 

 唐突に話しかけられて、リヒトホーフェンはびくりと肩を震わせ、槍を持ち直した。

 夜の向こう側から、少女が一人、飛び降りてきた。絵本から飛び出してきたかのような格好の少女は、ふわりとそのマスターの前に降り立つと、可憐なお辞儀をした。

 

「こんばんはランサーさん、セイバーさん。今夜もとってもいい夜ね。月があんなに綺麗だわ。月が綺麗だとあたし、とっても嬉しくなっちゃうのよ、お分かりになって? ぴょんぴょん跳ね回りながら夜のお散歩をしたくなるの、ウサギでもないのに! きっとこういうのを“風情がある”って言うのね。軍人さんには難しいかしら、いえそんなことないわよね、軍人さんだって人間だもの、きっと分かっていただけるはずだわ。ねぇそうでしょ? ――あら、もしかしてあたし、喋りすぎかしら? 嫌だわごめんなさい、あたしったらいっつもこうなの。ついついおしゃべりが止まらなくなって、いつまでも本題に入っていけないの、だからあたしが話すと話が進まないってみんなにそう怒られるのよ。でも今夜は月があんなに綺麗なんですもの、舌だって跳ね回りたくなっているんだわ。ね、そう思って許してくださいまし」

 

 目まぐるしいお喋りとはまさにこのことを言うのだろう。少女の圧倒的な喋りは、生前からあまりこの手の女性と――そもそも、母と姉以外の女性と――親しく付き合うということのなかったリヒトホーフェンにとって、思考も行動も停止させるには充分な威力を持ち合わせていた。

 少女はくるくると踊るように回って、セイバーとランサーを交互に見ながら、再び舌を走らせる。

 

「それでね、あたし今日はお願いがあってきたのよ、セイバーさん、ランサーさん。昨日からずっと隠れてあたしたちを狙っているアーチャーさんがいること、お二人もご存知でしょう? このまま放っておいたらきっと、あのアーチャーさんの一人勝ちになってしまうわ。そうなったら嫌でしょう? ええ、きっと嫌に決まってるわ。だってあたしも嫌だもの。答えのないなぞなぞと甘くないお砂糖ぐらい嫌よ。あら、自分で言っててもおかしいわ、甘くないお砂糖ですって! それじゃあただの白い粉だわ、小麦粉と何が違うって言うのかしら! ――あら、あたしったらまた喋りすぎちゃったわね。ごめんあそばせ。本題に入りましょう、ええ、本題に。それでね、あたしたちたぶんアーチャーさんを止めなくちゃいけないと思うのよ。つまり何が言いたいか、って言うと――あたしたち、共同戦線を張りませんこと?」

「共同戦線?」

 

 反問したのはセイバーだ。地に膝をついたままではあったが、蒼白だった顔色はすっかり色を取り戻している。彼は怪訝な顔付きで少女を見上げ、

 

「するってぇとなんだ。この三人でアーチャーを囲んで、叩きのめそうって?」

「嫌だわ“叩きのめす”だなんて! もっと可愛い言葉を使ってくださる? たとえばそうね――」

「回りくどいのは嫌いなんでね」

 

 セイバーはするりと少女の言葉を断ち切った。老練な剣士は早くも、少女の性質と制し方を理解したらしい。

 

「やりてぇことは分かったが、どうやってやるつもりだね? アーチャーは今のところ、影も形もさっぱりだ。そう簡単にはいかねぇだろ」

「ええ、ええ! あなたのおっしゃりたいこと、よく分かります。でもどうかご安心なさって、きっとうまくいくわ。ね、マスター」

「え、あ、うん……」

「もう、しゃっきりなさって! ほら!」

 

 少女に喝を入れられて、彼――とりたてて目立つところのない、地味な男性だ。華も覇気もない、真面目そうな若者――は、慌てて背筋を伸ばした。喉仏が大きく上下する。唾を飲みこんだらしい。それから、リヒトホーフェンの方を見た。

 

「まずは、ランサーのマスター、聞いているだろう」

 

 そう言われても、とリヒトホーフェンが思った瞬間、どこからともなく一匹の鼠が体を駆け上がってきた。肩の上で止まり、鳴きもせず、静かにキャスターたちの方を見やる。

 キャスターが目を輝かせた。

 

「あら、可愛らしい小鼠ちゃん! ねぇマスター、あなたもああいう可愛らしい使い魔をお使いになったらどうかしら? その方が絶対によいと思うのだけれど」

「いや、僕は、生き物とは相性が悪いから……というか少し黙っていてくれ、キャスター」

「はぁーい」

 

 キャスターはぷくりと頬を膨らませて、そっぽを向いた。それを持て余すように、小さな溜め息をついて、キャスターのマスターは仕切り直す。

 

「アーチャーの狙撃は明らかに威力が高すぎる。でも、だからこそ、連発は出来ないんだろう。連発が出来るなら、昨日の時点で君のランサーだってやられていたはずだ」

 

 その指摘に、リヒトホーフェンは思わず槍を握りしめた。返す言葉はない。

 

「つまり、アーチャーの狙撃には何らかの制限がかかっていると見て間違いないと思う。今まで見た感じだと――といっても、二件しか例がないから、確実かと言われたら微妙だけれど……アーチャーの狙撃は、一対一の戦闘に決着が付きそうになった時、勝ちそうな方を撃っている。時間はいずれも、深夜零時過ぎ。そこで――僕らの内二騎で戦う演技をして、アーチャーをおびき出し、狙撃される前に残りの一騎が仕留めに行く――という作戦を、実行したい」

 

 反論や疑問を挟まれるのを恐れたかのように、男はすかさず続けた。

 

「アーチャーの居場所は、マスター三人が全力で探せばどうにかなるだろう。アーチャーが気配遮断スキルを持っているとは思えないし、僕はもともとこの土地に住んでいたから、下準備は済んでいる。絶対に、見つけられる――いや、見つける。令呪を懸けてもいい」

 

 彼ははっきりと断言した。――どれだけ大人しそうに見えても、やはり彼は魔術師なのである。一筋縄ではいかない奇人変人の巣窟で生き抜いてきた、強者(つわもの)なのだ。それを肌で感じて、リヒトホーフェンはぞくりとした。ともすれば己のマスターより、彼の纏う空気の方が、怖い――

 

(「ランサー、話に乗れ。ただし、アーチャーを仕留める役は我々が請け負わせてもらう。それが出来ないなら、この話は無しだ」)

 

 リヒトホーフェンは小さく頷き、槍をしまった。

 

「話は、分かりました。では、アーチャーを仕留める役は、我々にお任せいただきたく」

「あら、それじゃあ、あたしとセイバーさんが一騎打ちの演技をするって言うわけね。いいわ、お芝居は大好きよ。あんなに楽しいもの他にはめったにないわ。セイバーさんはそれでよろしくって?」

「この状況じゃ、嫌とは言えねぇだろ。……ちなみに、作戦決行の日時は?」

「明後日」

 

 キャスターのマスターが即答した。

 

「今から四十八時間後。それまでに、各自で準備をしておく――ということで、どうでしょうか」

「いいだろう。請け負った。では俺はこれで失礼する」

 

 セイバーが頷いて、一足先に消えた。

 リヒトホーフェンの肩から鼠が駆け下りて、闇に消える。

 

「では、私も、これで」

「ランサーさん」

 

 キャスターの少女の小鳥のような声が、ランサーの袖を引いた。

 振り返ると、真っ黒の瞳がじっとリヒトホーフェンを見詰めている。にっこりと笑った彼女は、囀るように言った。

 

「迷うのは若者の特権だわ。恥じることなんてないのよ。でもね、恐れる必要だってないの。だってあなたが英雄になることは、すでに起きてしまった過去なのだから。今更あなたが何をしようと、過去は変わらないわ」

「え……」

「それでは、ごきげんよう」

 

 先程までの威勢のいい喋りを封印して、少女はしおらしくお辞儀をすると、あっさりと踵を返した。

 二人が闇の向こうに消えるまで、リヒトホーフェンは動けなかった。

 夏の夜風が、慣れない湿った空気が、そっと軍服の裾を揺らす。

 

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