模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

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バーサーカー 4

 目を覚ますと、いつになく澄みきった青空が、窓の代わりに残してある穴の向こうに見えた。空が綺麗なのか、空気が良いのか、それとも自分の目の調子がいいのか、青空は一点の曇りもなく透き通っている。

 李徴が開けた大穴は、そのままにされている。直そうにもどこに頼めばいいか分からないし、そんなお金もないからだ。仕方なく、段ボールを貼り付けて応急処置としていた。

 

(今が夏で良かった……)

 

 冬だったら耐えられなかったに違いない。この辺りは賎畿市の中でも北の方で、比較的寒い部類に入る。

 

(……いや、冬でも、李徴に助けてもらえたかな)

 

 昨日触れた虎の毛並みの柔らかさと、温かさを思い出す。彼がいれば、冬でもきっと問題なく過ごせただろう。

 のそのそとベッドから下りて、着替えをして、もう一度ベッドに寝転がる。

 スマートフォンを開いて、検索をかけた。『聖杯』『聖杯戦争』『サーヴァント』――なんとなく予期してはいたが、一般的な用法以外にはゲームの攻略情報しか出てこない。

 

(聖杯――キリストの血を受けた杯――聖杯伝説――あらゆる傷を癒す魔法の杯――騎士道文学――アーサー王伝説――)

 

 自身が今置かれている状況の助けになりそうな情報は一つもない。

 

(よく分からないけれど……)

 

 教会で知った話を思い返す。あれによれば、自分の他にあと六組の参加者がいて、その六組すべてのサーヴァントを消滅させれば、聖杯を手に入れることが出来る、ということだったはずだ。

 

(上之宮さん以外に、あと五人――)

 

 一体どんな人たちが参加しているのだろうか。

 その人たちはどこで何をしているのだろうか。

 どうやって見つけ出して、どうやって戦えばいいのだろうか――

 

(……見当もつかないや)

 

 晶は両手を投げ出し、天井を眺めた。

 上之宮さんに聞きに行こうか――などと一瞬だけ考えて、すぐにその考えを打ち消す。昨日の今日で、彼女を頼るなんてこと出来るわけがない。そもそも、彼女は敵だし――出来るだけ、近付きたくない相手でもある。

 五年前のあの日、晶の世界は一変した――夢うつつの中で、弟の泣き叫ぶ声が聞こえる。化け物が弟を食っている。そして少し離れたところに、無表情で立っている上之宮真琴の姿がある。彼女は何をするわけでもなく、ただ静かに、弟の声が消えてゆくのを見守っていた――あの事件が、彼女の手によって引き起こされたものなのか、晶は確認できなかった。何が起きたのか、詳細を聞く勇気はついぞ出なかった。

 

(聞かなきゃ、いけないかもしれない)

 

 いつかは、いつかは――と思いながら、ずっと先送りにしてきたが。

 ついに向き合うべき時が来たのだろう、たぶん。

 

(……でも、今日は……)

 

 晶はベッドの上に蹲った。

 結局先延ばしにしてしまう自分の性質を情けないとも思うが、生まれてこの方ずっとこうなのだ。特にここ五年は、家からほとんど出ていない。昨日は特例中の特例だったのだ。

 

(……明日にしよう。明日に)

 

 そう決めて、目を閉じた。

 その時。

 

 ピンポーン

 

「――……え?」

 

 晶は目を見開いた。

 うちのインターフォンが鳴ったのなど、いつ以来だろう。あまりに久々過ぎて、器械の方も音の出し方を忘れていたらしい。ひび割れた音をしていた。

 

(宅配……は頼んでないし。来客なんてありえない)

 

 母親は下の階にいるが、出るとは思えない。

 再び、電子音が響く。

 晶は何か嫌な予感がして、全身を固めた。動こうという気になれない。動きたくもない。なんだか、ひどく、ひどく悪い気分になる。

 絶対に出ない、と決めた瞬間、玄関の戸が開かれる音が聞こえた。

 晶は跳ねるように起き上がった。

 

「李徴」

 

 小さく呼ぶと、虎はその姿を現して、晶の足元にすり寄った。それから、湿った鼻を二、三度うごめかして、

 

『呪術のにおいだ』

「やっぱり……」

 

 嫌な予感とはこのことだったのだろう。李徴が来た最初の夜、誰とも知らぬ人間に襲われたことを思い出す。今思えば、あれも聖杯戦争に参加している人間だったのだろう。上之宮真琴と同じ世界に生きる、同じ人種の人間。

 つまり、敵。

 控えめな足音が階段を上ってくる。

 李徴が全身を伸ばし、毛を逆立てる。

 晶は奥歯を噛み締め、震えそうになる膝を手で押さえた。心の中では、李徴がいるから大丈夫、李徴がいるから大丈夫、と念仏のように唱えている。虎の威を借る狐でもなんでも良かった。虎の威を借りてでも、変わってしまった世界を元に戻せるならば、それでいい――そのためなら――李徴に、人を殺せ、と命じることも――

 そこまで考えてぞっとした。

 

(殺す? 人を? 殺させる? ――李徴に? それじゃ、それじゃあまるで――)

 

 ――弟を殺した化け物みたいじゃないか――

 扉が開けられた。

 

『貴様、何奴!』

「戦う意思はない」

 

 両手を目の高さにまで上げながら、その男は扉の外で立ち止まった。中に入ってくる様子はない。どうやら本当に、戦うつもりはないようだった。

 普通の男性だ。自然な色合いの茶髪は、今どき日本人でもよく見られる。ただ、自然な緑色の瞳は、カラーコンタクトとはとても思えない。

 

(外国人……?)

「上之宮家から届け物があって来ただけだ。ここに置いておく」

 

 一方的にそう言って、男は分厚いファイルを足元に置き、あっさりと背を向けた。

 

「え、あ、あのっ!」

 

 晶は思わず声を上げた。が、その人はちらりとも振り返らず、出て行ってしまった。

 白昼夢だったのかもしれない、と思った。特異な状況に巻き込まれた脳味噌が見せた、幻覚のようなもの。そう思ってしまうほど拍子抜けな、襲撃とも呼べぬ襲撃。

 ――幻覚でない証拠に、廊下には黒いファイルが残されている。

 においを嗅いだ李徴が、『呪の類は掛けられておらぬようだ』と言って、晶を振り返った。

 晶は唾を飲み込み、それに近付いた。――嫌な予感が消えない。襲撃は終わったはずだ。なのに、気分が悪い。気持ちが沈んだままだ――持ち上げる気にはなれず、床に置いたまま、それを開く。

 一瞬、脳が理解するのを拒否した。

 

「――……僕……?」

 

 目を疑った。信じられない。何故、どうして、何のために――

 ――()()()()()()()()()()()()……?

 入っていたのは、小学生の頃から今までの晶の姿を写した写真。一年生の頃から、ずっと、ずっと――つい一週間前の自分まで。何十枚もの写真が入ったクリアファイルがしばらく続き、それが唐突に、文書に変わった。

 

「遠藤、晶――継続監視対象者――危険度、S――特殊霊媒体質――」

 

 書かれていることのほとんどは理解が出来なかった。出来なかったが、最後の一部分だけは分かった。分かってしまった。

 

「――……二〇一五年、暴走……弟、明を……」

 

 強い吐き気に襲われる。眩暈がする。鼓動が跳ねる。床が揺れる、輪郭がぼやける、世界が崩壊する――いや、崩壊はとっくにしていたのだ。とうの昔に壊されていたのだ。己の手によって!

 不鮮明だった記憶がはっきりとした形をもって蘇った。そうだ、冷静に考えてみれば、何もかもがおかしかったのだ。何故あの時、自分は生き残った? 何故化け物に襲われたのは弟だったのか? 弟の最も近くにいた自分が、最も近くで()()していた自分が、何の被害も受けなかったのだ?

 

 ――何故自分は、あの化け物の姿を覚えていない――?

 

「あ……あ、あ……」

『袁傪――?』

「あああああああああああああああああっ!」

 

 その場にくずおれた晶へ、李徴がすり寄る。声も、温もりも、届かないと知らずに、李徴はその耳に鼻を寄せる。

 

『袁傪、故人(とも)よ、どうした。何があった。大丈夫か。(おれ)に、何か出来ることはあるか。それとも、己は此処に居ない方がよいか、袁傪――?』

 

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