模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research 作:井ノ下功
ヘルメスが目を覚ました時にはすでに、日は暮れていた。山の向こう側に、橙色の光が僅かに残っている。ヘルメスはそれをぼんやりと眺め、紺色に塗り潰されるまでの時間を数えながら、じっと考えていた。
自分の身に何が起きたのか――しばらくの間、記憶が混濁していた。が、やがて、絡まったコードがほぐれていくように、明瞭になっていく。
すべて思い出した途端、どうしようもない衝動が腹の底から沸き上がってきた。
「う――がああああっ! あっ! ぐ、うぅ……」
暴れようとして右肩の痛みに気が付き、浮かせかけた背がベッドに落ちる。
ふと、ゴットフリードが空気の中から現れた。
「おう、お目覚めか、主」
「セイバー……」
「まぁ無茶だったな。命があっただけ儲けもんだろ」
「なっ……お、お前……――」
ヘルメスはわなわなと震えながら、自身のサーヴァントを指差した。
「――お前が! お前のせいだろう!」
「俺?」
「そうだ! 最優のセイバーともあろう者が、アサシンごときに遅れをとるだなんて、何をしていたんだ!」
「はっはっは、そいつぁ責任転嫁ってやつだぜ主殿」
ゴットフリードは窓枠に腰掛け、からからと笑った。ヘルメスの怒りなど歯牙にもかけていない。
「サーヴァントの強さってのは、マスターによるところが大きいんだろう? 俺がアサシンと互角だったってことは、向こうのマスターが優秀だったってことなんじゃあないのか?」
「っ……そ、そんなわけあるか! あんな、あんな小娘が……!」
「その小娘に、殺される一歩手前までいってたな」
「――っ、そ、それは! それは、あそこが……相手の工房だったから……」
「そこに突っ込もうって言い出したのが誰か、忘れたわけじゃあねぇだろう」
ヘルメスが投げた枕はひょいと躱され、窓に当たって床に落ちた。
「お前は一体誰の味方だっ!」
「そりゃあもちろん、主殿の味方さ。あんたに死なれちゃ俺もおしまいだからな」
「……」
「だから、あんたがおねんねしてる間に、ちょっとした約定を交わしちまったよ」
「約定?」
ゴットフリードは、キャスターから持ちかけられた共同戦線について、包み隠さず話した。
それを聞いている内に、ヘルメスの眉間の皺が、どんどん、どんどん深くなっていく。
話が終わった時には、その深さたるやマリアナ海峡に匹敵すると思われるほどになっていた。あまりに深く刻まれすぎた皺は、彼自身が指先でほぐしてもほぐしきれずにいる。
「――それで、承諾した、と?」
「ああ、そうだ」
「馬鹿かお前はっ!」
ヘルメスは反射的に吠えてしまってから、痛んだ肩に呻き声を上げた。
ゴットフリードは不満げに顔を歪める。
「断ったらあの場で袋叩きに遭ってたぜ。それでも良かったって言うのかよ」
「そうじゃない! そうじゃないが――せめて、アーチャーを仕留める役はお前が買って出るべきだっただろう!」
「そんなことランサーが許すかよ」
「分かってるのか? たとえ首尾よくアーチャーの潜伏先を見つけられたとしても、だ――絶対、絶対に、ランサーは、狙撃されるのを待ってから襲撃するぞ! そうすれば、一度に二騎を脱落させることが出来るからな!」
「そうそう、そうなんだ」
「何を呑気なことを――」
「提案した張本人が、それに気付いていないと思うか?」
「――」
「ランサーがとどめ役をやると言った時、キャスターは一言も反論しなかった。自分が危険になり、ランサーが優位に立つと分かっているはずなのに、だ……どうしてだと思う?」
ヘルメスの眉間の皺が、再び深まった。
「……なにか、対策がある?」
「まぁ、普通に考えたら、そうだろうな」
神妙な顔をしてゴットフリードが頷く。
「ふぅん……キャスターとそのマスターは、どんな連中だった?」
「キャスターは女のガキだ。よく喋るこまっしゃくれたクソガキで、面倒くさそうな奴だったぜ。そのマスターは、陰気で根暗な感じの、大人しそうな――キレたら何するか分からねぇような感じの男だった」
「ああ、よくいる典型的な魔術師だな」
平然とそう言われて、ゴットフリードは――やっぱり魔術なんてもんに関わる奴はろくな奴じゃねぇな――と思ったが、「そうですかい」と従順な相づちを打った。
ヘルメスは思案に沈んだ。
キャスターの目的はなんだ? 対策とはなんだ? 女のガキ、よくしゃべる、そんな英霊がいるか? マスターの方の特定は現段階では不可能だ、顔を合わせればあるいは?
――約定を守って、何かメリットはあるか?
――いや、ない。
「セイバー」
「おう、なんだ」
「芝居の振りをして、キャスターを仕留めろ」
そう言ったヘルメスの目が、鋭く尖っている。今度こそ見られた。琥珀色の狼の目。
(こういうところは、嫌いじゃねぇんだけどなぁ)
ゴットフリードはにやりと笑った。
「承知した、主。――必ず、仕留めてみせよう」