模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

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※グロ注意




バーサーカー 5

 

 思い出の中の彼女は、いつも仏頂面をしていた。晶にだけ特別、ではなく、誰に対しても同じように。それが、誰からも嫌われて爪弾きにされていた晶にとっては、ある種の救いのように思えることもあった。

 

 ――上之宮真琴。

 

 先生の都合で午後から学校が休みになり喝采が上がった時も、教室の中に蜂が入ってきてクラス中が半狂乱になった時も、ただ黙って、伏し目がちに座っている子だった。

 呪い屋の子供、などと呼ばれて遠巻きにされていたが、ただ遠巻きにされるだけで、晶とは違い、直接手出しされている様子はなかった。皆、呪われるのを怖がっていたのだ。

 当の本人は飄々としたもので、仲間外れにされるのが“むしろ静かでいい”とでも思っているかのようだった。その超越した態度は、先生が話しかけるタイミングすら奪い去っていた。

 

 ――この世界を正しく生きているのは私だけ――

 

 そんな声が聞こえてきそうなほど、超然とした佇まい。

 晶はその彼女を、遠くから眺めていたのだ――限りない憧憬と、絶大な尊敬を込めた眼差しで。

 

 晶は小さい頃から、不可思議なものをよく見てきた。

 人間のような目を六つ付けてケタケタと笑うサル。蜘蛛の足のムカデ。足とくちばしがそれぞれ二つに分かれたカラス。そういう形あるものから、靄の固まりや独立する影といった形の定まらないものまで。

 それらの中には、こちらに一切関心を向けないモノもいれば、好んで襲い掛かってくるモノも、不気味な目でじっと凝視してくるだけのモノいた。

 相手の態度に関わらず、晶はただ怯え、見ないふりをするだけだった。

 相手の態度に関わらず――上之宮真琴はそのすべてを素手で掴み、握り潰した。

 彼女は何も言わず、淡々とそれらを処理した。晶も、何も分からないなりに、それらに関して触れてはならないのだという空気を感じて、見ないふりを続けた。

 ――ただ、一度だけ。

 晶は彼女に尋ねられたことがある。

 

「怖くない?」

 

 彼女から話しかけられたことのなかった晶は、非常に戸惑った。それで、取り除かれている目的語が何であるのか――たぶんあの化け物たちのことだろう、と――ろくに考えもせず答えたのだ。

 

「こ、怖い……」

「……そう」

 

 小さな相槌が、少しだけ沈んでいるように思えて、晶は慌てて言葉を繋いだ。

 

「で、も、その――」

 

 上之宮さんが助けてくれるおかげでいつも助かっているよ、とか、上之宮さんがいるから今はそんなに怖くないんだよ、とか、そんな気の利いた言葉を出せるような少年だったら、おそらくいじめられることも無かったに違いない。

 

「――その……」

 

 迷った挙句に、晶は何と答えたのだったか。

 自分自身が放った言葉の中身は、覚えていない。けれど――

 

「……そう」

 

 ――いつものように、まったく感情を見せない声で頷いた彼女と、初めて目が合ったことだけは、よく覚えているのだ。

 あの黒曜石の瞳。

 

   ☆

 

 どれだけ長くの時間そこに蹲っていただろう。

 

『――袁傪……?』

 

 晶がのろのろと起き上がった時には、夜はすっかり深まっていた。冷たい、寒い、とても夏とは思えない夜。電灯をひとつも点けていない屋内は闇に沈み、空気を一層底冷えさせている。

 晶の吐いた息は白く凍った。震えが止まらない――しかしそれがまったく気にならない。

 ゆっくりと階段を降りていく。その後ろを、心配そうに尻尾を垂らしながら、李徴がついていく。

 階段を降りきると、女性のか細い悲鳴が途切れ途切れに聞こえた。母親の声だ。日がな一日、台所のテーブルに座ってぼんやりと宙を見ている母。その声を聞いたのは何年ぶりだろうか。

 ちらりとそちらを覗くと、頭に纏わりついてくる羽虫を追い払うように、手をめったやたらに振り回している影が見えた。

 晶は引き攣った笑みを浮かべた。

 

「大丈夫だよ、母さん……これで、全部、終わるから……」

 

 玄関を開けて、外に出る。熱帯夜の温風が吹き付けてきたが、それも晶の手足を温めるほど強くはなかった。

 吐息は白く、白く凍る。

 

 

 

 晶の家から上之宮家まではそれなりの距離があったのだが、晶はそれをまったく気にせずに歩き切った。震えは一層ひどくなり、顔色も唇も真っ青になっている。

 

(僕は、退治されなくてはならない――怪物なのだから――殺されなくてはならない――上之宮さんに――殺されなくちゃならない――化け物なのだから――殺されないと――殺されないと――殺されないと――殺されないと――)

 

 上之宮家はしんと静まり返っていた。こんな夜中だ、当然のことである。

 しかし、晶は気にすることなく、門を押し開けようと手を伸ばした――

 ――その時だった。

 

『血のにおいだ』

 

 それまで沈黙を守っていた李徴が、不意に現れた。

 

『血のにおいがするぞ! オォ、オォォオオオオオオオオォッ!』

 

 びりびりと空気を震わせるほどの大声で、虎が咆哮する。そして次の瞬間、晶の体を鼻で押し上げて器用に背に乗せたと思うと、宙を疾走した。

 何が起きたか分からないまま、晶は李徴の背にしがみついて、目を瞑る。

 李徴は思いの外、すぐに止まった。

 急停止された拍子に、晶はその背から転がり落ちた。そろそろと目を開けると、そこはビルの一室のようだった。“ようだった”と不確定なことを思ったのは、晶が世間知らずだったからではない。世間知らずな晶ですら不審に思うほど、月明かりに照らし出されたその一室は――窓が破壊され、床一面に血がこびりついているという――異様な荒れ方をしていたのだ。

 李徴がその血の跡に鼻を突っ込み、執拗に嗅ぎ回っている。

 

『煙――鉄――そして血だ! 血だ! これは――人間の血だ――あの女のにおいだ!』

「……あの、女……?」

『然り! あの女呪術師だ! 間違いない――間違いないぞ! オォ、オオオオオオオ!』

 

 そう言いながら顔を上げた李徴の鼻先に、髪の毛がくっ付いていた。黒くて長い――いや、長かったのであろう、髪。美しかったはずの髪。無残に千切れ、血で汚れ、醜く固まっている髪。――上之宮真琴の、髪。

 李徴は猛り狂ったように何度も吠えて、再び血だまりを嗅ぎ出した。

 そして――ゴリ、ガリ、と――骨を噛み砕くような音が、静寂の中に響く。

 

「あ……あ、あ……――」

 

 李徴が何をしているのか、正しく理解した瞬間、晶は胃からせり上がってくるものを感じて膝をついた。激しくえずいたが、吐き出すものなど何も無い。ただ薄く黄色がかった、酸っぱいにおいのする、粘性のある液体が、唇の端と床とを繋いだだけだった。

 

「――や、やめろ、李徴……」

 

 ガリ、ガチ、バキ――

 

「やめてくれ……」

 

 ――ゴリ、ガリガリ、ボキ――

 

「やめろおっ!」

 

 叫んだ瞬間、心臓が大きく脈打ち、右手の紋様が赤い光を放った。その紋様へ向かって、体中の血が、力が、一気呵成に集中し――

 ――びくり、と全身を震わせて、李徴が動きを止めた。なにか大きな力に、無理やり意思を捻じ曲げられたかのような、ぎこちない挙動だった。

 ゆったりと、李徴がこちらを振り返った。狂気に血走った眼は、どこか恨みがましさを湛えている。かすかな唸り声をもらした口の端から、髪が数本、垂れていた。

 怪物だ。化け物だ。――だが、それは自分も同じだ。

 晶は、自分でも驚くほど静かな声で言った。

 

「――……李徴」

『……』

「【令呪を以って命じる――上之宮真琴を殺した奴を、殺せ】」

 

 再び、赤い光が二人の間に瞬いた。

 

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