模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research 作:井ノ下功
賎畿市の北。市街地を一望できる高台の上。やはり今夜は誰も衝突しないか、予想通りだな――などと考えながら、アーチャーは町を見下ろしている。
すでにライダーとアサシンが脱落した。バーサーカーのマスターと思われる少年が家を出ていったのを確認したが、彼はアサシン以外の居場所を知らないだろう。であれば、行き先は上之宮家で、サーヴァントもマスターもいなくなった今、戦闘は起こりえない。
(さァて、そろそろ、私の企みもバレてきている頃だろうからネェ……)
どれほど凡愚な連中が揃っていたとしても、安全圏から一方的に撃って勝ち星を挙げながら、一切姿を現さない狙撃手の存在を、黙認するほど馬鹿ではないだろう。だが、その方が都合が良い。
(中途半端に賢い人間が、一番御しやすい。――私が恐れるとするならば、かの探偵のような飛び抜けた天才か――あるいは、想像も出来ない愚者か)
より恐ろしいのは愚者の方だ。脳ある賢人なら、出し抜くか出し抜かれるか、いずれにせよ頭脳戦が出来る。しかし愚者はそうはいかない。それは、迂闊に計算式に放り込もうものなら、どんなに美しい解が用意されていようともお構いなしに破壊しつくしてしまう。数学記号が入らなければならないところに、無理やり漢字を詰め込んでくるような、そんな暴力的で非論理的な存在だ。
(それになりそうなのは、バーサーカーだが……いかんせん、存在が不明瞭だ。なんとも……ふむ……勘で語るのは嫌いなのだが――彼は、私と似た存在のような気がする。……ま、今気にすべきは、そちらではないか)
アーチャーは自分のマスターの様子を窺って、こっそりと肩をすくめた。
マスターは地面の上に体育座りをして、ほんのわずかな異変すら見逃すまいとばかりに、市街を凝視している。そのくせ、目には光がないのだ。これでは見つけられるものも見つけられないだろう。
昨日からずっとこの調子なのだ――正確には、昨夜アサシンのマスターと戦った時から、ずっと虚ろな目をしている。
(このままでは、少ぉし厳しいな……ま、
だから彼女にはすべてを話していないのだ――と、アーチャーは凶悪に笑んだ。話さないでいることが、吉と出るか凶と出るかは分からない。この分では凶と出そうだが、それならそれで、なんの悔いもない。どうせすべては一夜の夢であるし、この件は最初から自分の手の外を転がっているのだから――不意にアーチャーは考えるのをやめた。
矢のような、いや弾丸のような黒い影が、真っ直ぐにこちらへ向かってきている。
「マスター!」
「えっ、何――」
『オォォォオオオオオオオオオオオオッ!』
マスターを抱きかかえて横に跳ぶ。
外套の裾が持っていかれた。それぐらいで済んで僥倖と言うべきかもしれない。荒々しい咆哮とともに突っ込んできたその影は、勢いそのままにアーチャーたちの背後の木々をなぎ倒し、十数メートルをはげ山にして、ようやく止まった。
「アーチャー!」
「準備運動をしている暇はなさそうだね!」
銃を内蔵した大きな棺桶を構え、襲撃者に向き合う。
「おや、バーサーカーか」
現れたのは大きな虎だ。その背に小さな人間がしがみついているのが見えた。
(あれがマスターか。しかし――どうも様子がおかしいネ!)
バーサーカーが脇目もふらずに飛びかかってきた。バーサーカーにマスターを気遣う様子は一切なく、人の子を超人の戦闘にそのまま巻き込んでいる。試しにマスター目がけて撃ってみたが、バーサーカーはこれといって特別な反応も見せなかった。
明らかに、おかしい。それだけ狂化が進行しているということかもしれないが、それならマスターの方が相応の対処をするべきだ。が、彼は虎の背にしがみついたまま、じっとしている。途轍もない、人間には耐えきれないスピードで戦闘を行なっているのだ、声が出せないのはまだ分かる。が、銃弾が手足を掠めても、横ざまに転倒しても、顔あげることすらしないというのは異様だ。
(というか……なぜ、振り落とされないでいられる?)
普通の人間の腕力だったらとっくに落とされているはずだ。それなのに、何故――
「んんっ」
棺桶を盾に、飛びかかってきたのを防ぐ。が、膂力に負けて体勢が崩れた。
(ミスった――)
虎の牙が、脇腹に食い込んだ。
「ぐぅっ、んっ」
そのまま頭を振られて、決して小柄ではないアーチャーの体が宙に浮いた。牙がさらに深く、さらに強く突き刺さり、ぎちぎちと音を立てて肉が裂ける。食い破られる。
アーチャーは片手で虎の首根っこを掴み、
「ふんっ!」
棺桶と繋がっている鎖を思いきり引いた。
大きな楕円を描いて、棺桶を真上から落とす。狙いは虎――の背にいる、マスターの頭。
(――ジャスト!)
棺桶の底が彼の後頭部に直撃した。と同時に砲撃。棺桶の上部から放たれた追尾式の弾丸が、一旦空に舞い上がってから一斉に降り落ちてくる。
『グガッ、ガァァアアアアッ!』
衝撃で牙が外れる。肉の一部はそのまま持っていかれたが、致命傷には至っていない。爆風に紛れて後退する。仕留めた――という手応えはあったものの、構えは解かなかった。油断してはならない、と本能に近い部分が警告音を鳴らしている。
「っ、やはりか!」
土煙の中から、ほとんど傷を負っていない虎が飛び出てきた。振り下ろされた爪を紙一重のところで躱す。
「一斉掃射!」
放った弾丸はすべて虎に命中する。が、まったくダメージが入っていない。いや――違う。弾丸は間違いなく虎の毛皮を削り、肉を削っている。それが、瞬きの間に、すぐ治っているのだ。何かがおかしい――何かが。何か、どこかに違和感がある。果たして――
――アーチャーは、それに気が付いた。
バーサーカーのマスター。かの少年は、虎にしがみついてなどいない。
ぞくり、と背筋が凍った。
「魔弾装填! 真名封鎖――疑似宝具展開!」
高く跳び上がったのは虎の牙を避けるためであり、宝具を展開するためでもあった。
夜が縮こまった。青い蝶がどこからともなくふわふわと漂い出てくる。ほの白い月光を浴びて、青く輝く鱗粉を振り撒く、蝶。幻想的な光景――それを壊すように、銃撃が始まる。徹底的で圧倒的な、不可避の弾幕。先程の銃撃とは比べ物にならない規模で、土煙が濛々と立ち上る。それを突っ切って相手に肉薄したのは、それまでと逆、アーチャーの方。
銃口を虎の眉間に突き付ける。
「――世界は、破滅に満ちている」
ひときわ大きな発射音とともに、魔弾が放たれた。
それは、アーチャーが取り込んだ幻霊『魔弾の射手』の能力。射手が望むものを必ず貫くという、悪魔の弾。
『ォォォオアアアアアアアアアァァァ……ァ……』
霊核を砕かれた虎が、金色の光になって消えていく。
『えん、さん……我が、とも、よ……』
アーチャーは片眉を吊り上げた。――ホウ! えんさん、虎……そうか、この虎は李徴か! 道理で、同じにおいがしたわけだ……ある意味、“同郷”と言えなくもないのだからネ。……しかし、あのマスター……虎に、埋まっているとは……?
アーチャーが改めて疑問に思った、その時だった。
『……李徴、ごめんね』
虎から、別の人間の声がして――消滅が、止まった。
『僕は、袁傪じゃない……僕は、どちらかというと、李徴、君の方の人間だ……――化け物なんだよ』
「――ッ!」
周囲の空気が揺らいだ。異様な質の魔力が、虎――いや、もはや
『グォ、オオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーッ!』
「おやおやおやおや……コイツは――」
アーチャーの頬に一筋の汗が伝った。
(冷や汗を掻くなんて、一体いつ以来だろうネェ……)
周囲の悪霊や怨霊を際限なく、容赦なく呼び寄せ、片っ端から取り込んでいった怪物の集合体が、彼の前に立っている。
柱のようにそびえ立つ、高濃度の魔力の凝縮体。
ぎょろり、とその全身が瞼を開いた。その目線に、再び肝が縮み上がる。咄嗟に飛び退いたところに、レーザービームが大穴を開け、そこがさらに爆発した。
アーチャーは柄にもなく大声を張り上げた。
「マスター! 令呪を切りたまえ!」
「えっ?」
「コイツは無理だ!
「――わかったわ」
赤い光が、夜闇を切り裂く。
「【令呪を以って命ずる――アーチャー、魔弾を用いてあの化け物を打ち倒しなさい】!」
「魔弾装填――真名封鎖、疑似宝具展開!」
『オ、オオオ、オオ、オオオオオオオオオオ――!』
力が、激突する。