模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

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第4章
キャスター 5


 

 いや、狭い部屋に籠るのは嫌いじゃないのだ。たとえそれが地下空間になろうが、大差はない。嫌いであったら、おそらく魔術師になどなれなかっただろう。

 

(ああ……息が詰まる)

 

 ワトソンはティーバッグの紐をゆっくりと引きながら、ぼんやりと考えを巡らせていた。目線の先では、時計の針が勤勉に時を刻んでいる。考えなければならないことは山ほどある。が、そのどれもが漠然とした不安()に覆われていて、解を得られないでいた。

 毎日のように外を出歩いていたキャスターは今、霊体化して室内にいる。数時間後に控えている大一番のためかもしれないが――それにしても――まるで、調べ物はすべて終わったのだ、といわんばかりに。

 

(――息が詰まる)

 

 ティーバッグをカップから引き抜いてゴミ箱に放り込んだ。一口飲んで、少し濃かったなと眉を顰める。

 

「キャスター」

「――なんだい、マスター?」

 

 予期せず話しかけられて驚きました、という顔を作りながら、彼はソファの背に寄りかかった状態で現れた。それをちらりと確認して、また時計に目を戻す。静音仕様の秒針がぐるぐると回っていく。

 

「君、昨日はどこに行っていたんだ?」

「昨日? ああ――そういえば、昨日は使い魔を寄越さなかったね」

 

 動揺しそうになった指先を意識的に抑え込んだ。サーヴァントの動向を把握しておくのはマスターとして当然の行動であるのだから、と、素早く言い聞かせ、心の中から疚しさを消す。

 キャスターは相変らず、すべてを見通しているかのような澄ました目で言った。

 

「少しこの周辺をぶらぶらとしていただけさ。気分転換になるものが他にないのでね」

 

 それから、マッチを擦る音がして、キャスターがパイプに火を入れたのが分かった。

 

「困ったものだよ、ヴァイオリンはおろか薬すらないとは。君は魔術師のくせにコカインのひとつも持っていないのか?」

「僕はその手のものを必要としていないからね。まぁ、たとえ持っていたとしても渡さなかったけれど」

「どうして?」

「その明晰な頭脳をわざわざ曇らせる意味が分からない」

「曇らせてなどいない。むしろ逆だ。世界の声に耳を傾け、宇宙の真理へ到達するためには、より一層思考をクリアにしなくてはならないのだよ。薬はその補助だ」

「なぁキャスター、薬はそんな好都合なものじゃないよ。失うものがどれほど大きいか、よく考えてみるべきだ。間違いなく薬は脳の動きをよくするだろう。けれど、それはごく限られた一瞬限りの、不自然で異常な作用だ。その所為で脳が壊れる可能性はけっして低いものじゃない。というか確実に脳は壊れていくんだよ。それに、使った後の反動でひどい憂鬱に襲われることは、君もすでに実感済みのはずだ。こんなハイリスク・ノーリターンの話なんてなかなかないぞ。君はもう少しその頭脳の価値と言うものを――」

()()()()()()()()()()()()()()

「っ――」

 

 驚くほど冷たい声音に、言葉を遮られた。

 ――逆鱗に触れた、と、嫌が応にも分からされた。

 背筋が凍る。とてもじゃないが振り返れない。キャスターを――シャーロック・ホームズを、見ることが出来ない。見たら、見てしまったら――彼が怒っていることを目の当たりにしてしまったら――

 ――殺されても、おかしくない――

 ワトソンは震えそうになる声を必死に抑え、隠し、何食わぬ顔で白を切った。

 

「何のこと?」

「……」

 

 沈黙が重く、重く両肩にのしかかる。

 

(息が……詰まる……)

 

 詰まるどころの騒ぎではない。もう止まりそうだ。

 秒針がゆっくりと、本当にゆっくりと一周する。

 不意に、キャスターが息を吐いた。

 

「マスター、君は僕を……――いや、なんでもない」

 

 キャスターは、何か喉の奥に物が詰まっているような言い方をした。それから、かすかな衣擦れの音。――気配が遠ざかる。

 

「少し出てくる。時間までには戻るよ。――僕がいない方が、君もリラックスできるようだからね」

 

 そう言って、消えた。

 完全に気配がなくなったのを確認し――けれど一応使い魔を放って、彼を追うように指示し――それからようやくワトソンは息を吐いた。

 

(彼は……どこまで、気付いているのだろうか……)

 

 かの名探偵シャーロック・ホームズを相手に、自分がすべてを隠し切れるとは思っていない。彼が来ることをまったく予期していなかったわけではないが、予期して動いたら本当に来てしまいそうな気がして、ほとんど隠さなかったのだ。誰が来ようと等しく隠しておこうと決めていたもの以外は、ほとんどが、彼が来る前の状態のままで放置されている。――警察や地域住民向けの偽装で、他ならぬあの探偵を、欺けるとは思えない。

 

(しかし……()()()彼は()()()()()()()な)

 

 先程の対応からしてそれは明らかだ――なら、

 

(……付け入る隙がある、か? 僕の考えをすべて読まれているとは――思いたくない。いや、けれど、万一、読まれているとしても、それでも……大丈夫。勝機は、ある)

 

 すっかり冷めた紅茶を一息に飲み干した。

 元の早さに戻った秒針を眺め、再び、思考の海に潜る。

 

 

 

 日付が変わる頃になって、キャスターは戻ってきた。その頃にはすっかり冷静さを取り戻していて、先程激昂したことなどまるでなかったかのような涼しい顔をしていた。

 

「マスター」

「ああ、そろそろ時間だね。――それじゃあ、行こうか」

「了解」

 

 軽やかに頷いて、青年は少女に変化する。不思議の国のアリスを髣髴とさせるフリルの付いたエプロンドレスに、赤毛のアンを思わせるニンジン色のおさげ。どちらにせよ、お喋りで空想家で、周りの手を煩わせがちな少女のキャラクター。

 

「どうしてそのキャラクターにしたんだ?」

「わかりやすい特徴があった方がいいだろう?」

 

 声も随分と高くなっている。なのに喋り方が普段のままだと、どこか奇妙な感覚を覚えた。

 

「誤認させることができるのならば、させておいた方がいい。それも出来るだけ、本来の僕とはかけ離れた姿でね。その方が何かと有利に事を運べるだろう。――まぁ、あのセイバーの場合、真名が分かったことの方が大きいけれど」

「ゴットフリード・フォン・ベルリヒンゲン――だっけ?」

「そう。尤も、あの年齢だと、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン・ツゥ・ホルンベルクと称す方が正しいかもしれないが」

「へぇ。僕はよく知らないんだが、有名なのかい?」

「無名ではない。ヘラクレスやアキレウスのような、いわゆる“英雄”とまでの知名度はないがね。ゲーテが戯曲の題材にしなかったら、知名度はさらに下がっていただろう」

 

 そう言いながら、キャスターは拠点を飛び出し、それから霊体化した。

 

『さぁて、行きましょうマスター。たぶんきっと、これがあたしたちの一世一代の大舞台になるわ』

 

 ワトソンは軽く頷いた。内心では――気持ち悪い――と思いながら。

 

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