模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

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ランサー 5

 

 指定の時間になった。

 

「――マイスター。始まりました」

「よし」

 

 約定の通り、セイバーとキャスターが戦いを始めた。それを確認して、ディオニシオは術式を起動させる。

 

「〈共鳴する(resonamos)共鳴する(resonáis)共鳴する(resonan)――〉」

 

 学校とおぼしき建物の裏手にあった、小さな池。生き物の気配の薄い、淀んだ水溜まり。そこに、風もないのにさざ波が立ち、蛍のような光が集まってきた。空気が震え、整い、そして場が完成する。

 

「〈怠惰な乙女の奸計と祈りに屈せし悪魔よ、我らの名のもとに立ち現れ、その偉業を再現せよ。汝の手によって水は一夜の内に流れ出し、最初の鶏が鳴くまでの内に町全体へと行き渡る。そして最後の一石を、沈黙の内に投げ入れよ〉」

 

 池の水が蒸発し、濁った霧が水上を覆った。ディオニシオが指を鳴らすと、それが一斉に四方へ散らばり、街中へと流れ出ていく。

 

(あとは待つのみ――)

 

 アーチャーを見つけるために神経を張り詰めさせるディオニシオを、ランサーが斜め後ろから窺っている。

 

   ☆

 

 マンフレート・フォン・リヒトホーフェン――レッドバロン。第一次世界大戦における、エースパイロット。世界一の撃墜王。

 ――その名を、その栄誉を、得る前の自分。

 リヒトホーフェンは木にもたれ、目を瞑った。

 

(私は、いずれ世界一の撃墜王になる――今はまだ、なっていないが。そして、そうなることは、既に定まった過去のこと――私にとっては、未来のことだが、世界からすれば、それは過去のこと――だから、あの少女は、ああ言ったのか――)

 

 恐れる必要はない、と。

 今更何をしようが、過去は変わらないのだ、と。

 思い返せば、あの少女、外見に見合わぬ聡明な光を両目に宿し、すべてを見通すような顔をしていた。彼女に聞けば、分かるだろうか――己が抱えている葛藤の出口が。己が成すべきことが。

 

(……いや。自分の行動を、他人にゆだねて、どうする。私が成すべきは――)

「――見つけた!」

 

 ディオニシオの叫び声を聞きつけて、リヒトホーフェンはパッと目を開いた。

 

「行くぞ!」

「Ja!」

 

 ディオニシオを抱えて、空中を蹴る。

 

 

 

 案内されるままに走り、跳び――町の西側に位置する山の中腹辺りで、「止まれ」とディオニシオが言った。

 ここまで近付けば、リヒトホーフェンにもその気配が分かった。硝煙と血と呪い――そして、巨大な悪のにおい。

 

「この先にいる」

「わかりました。では――」

「待て」

 

 早速その場を飛び出そうとしたリヒトホーフェンを、ディオニシオが制した。

 

「まだだ。まだ早い」

「は――」

「この場で、しばらく待機しろ」

「――承知しました」

 

 リヒトホーフェンは素直に頷いた。

 

(セイバーとキャスターが来るまで待つ、ということか――確かに、皆でかかれるなら、より確実に、仕留められる)

 

 魔術のことには詳しくない。が、遠くに潜む敵兵を見つけ出すことができたのだ。その場所を他の者たちに伝えることなど造作もないのだろう。そう思って、リヒトホーフェンは口をつぐむ。

 彼が再び口を開いたのは、それから数分後のことだった。

 

「あの、マイスター」

「なんだ」

「セイバーとキャスターが来るのを、待っているのですよね。少々、遅くはありませんか」

 

 サーヴァントの足ならば、数分もかけずにここまで来られるはずだ。今頃到着していてもおかしくないはずなのだが、とリヒトホーフェンは考えたのだ。――同時に、このマスターが目論みそうなことを思い付いてもいた。まさかそんなこと、とすかさず否定しながら、その否定が上辺だけのものであることも、また、自覚している。

 

「マイスター」

「黙って待て」

 

 ディオニシオが答えを避けるのを見て、リヒトホーフェンは察した。

 詰め寄る。

 

「まさか本当に、()()()()()()()()()()()()()()()()のかっ?」

 

 ディオニシオが大きな溜め息をついて、面倒くさそうな顔を向けた。その目は明らかに、リヒトホーフェンの疑念が正しいことを裏付けていた――ばれたくなかった、とも語っていた。

 

「それでは約定に――」

 

 反するではないか、と言いかけて、やめた。

 ディオニシオがリヒトホーフェンを理解して、この姑息な作戦を黙っていたのと同じように。

 リヒトホーフェンもまた、ディオニシオを理解して、反論をするのをやめた。

 いい加減気付いている。マスターならば、などという理想や希望はすでに失っている。この男には何を言っても通じない。何を言っても理解されない。この男は――あまりにも――私が掲げる騎士道と、外れた道を生きている!

 リヒトホーフェンは憤然として立ち上がった。

 ディオニシオの顔色が変わる。

 

「おい、ランサー? 貴様、まさか――」

「一人無駄死にしたくなければ、あの二人へ、ここに来るよう伝えればいいだろう」

「はぁ? ――おいっ!」

 

 もう制止などされない。されてなるものか。

 かの少女が言った通りなのだ。自分がこれから何をしようと、自分の未来は世界の過去、既に起きた出来事は変わらない――変わるとするならば、この英霊の座に刻まれた己の魂が、けがれるか否かということだけ。今ここに在る自分は、英霊として、二度目の、夢幻の如き生を得ただけの存在。英雄として世界に名を残すことは、決して変わらない――だから、ここでは、()()()()()()()()()。己が望むままに、己の成したいことを、成したいように、成せばいい。

 かつて、空を飛びたいという我が儘を、貫き通したように。

 かつて、空の上で死にたいという希求を、誰にも譲らなかったように。

 

(ならば、私は――()()()は――己の魂に、恥じない戦いをしたい! 空にいようが、陸にいようが、私は、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン――騎士道のもと、最前線で戦い、勝利をこの手で掴むために、生きる男だ!)

 

 リヒトホーフェンは槍を携え、木々の隙間を通り抜け――その先へ、躍り出た。

 白髪の老人が一人。その傍に、小柄な女性が一人。リヒトホーフェンの襲来を予期していたかのように、老人はニヤリと笑って、手の中の鎖をじゃらりと鳴らした。

 

「やはり来たか――よろしい。ならばこの私が、相手になろう!」

 

 女性の方がマスターなのだろう。小走りに場を離れ、木の後ろに隠れるのが見えた。

 それを見届けてから、リヒトホーフェンはゆったりと、しかし隙の無い動作で、槍を構え直す。

 

「兵として、騎士として、貴公の闘志に敬意を表し――」

 

 ヒュン、と軽く振り抜いた穂先が風を切り裂いて、地面に鋭利な線を刻み込んだ。

 凄烈な闘気がランサーの全身から立ち上る。晩夏の深夜をさらに暑く、熱くさせながら、一方で島国特有の湿り気など一切感じさせないほど清々しく、鮮やかに、爽やかに、しかして凄絶に、彼の気迫が夜空を焦がす。

 

「――全霊を以って、その命を奪う。行くぞ、アーチャー!」

 

 金属のかち合う音が、星を貫いた。

 

   ☆

 

 

『全部中途半端な奴の言うことなんて、聞きたくもない。じゃあな』

 

 飛び出したランサーの背中に、一瞬だけ息子の姿が重なった。その陳腐な幻覚のせいで、いっそう己が惨めなものに思われて、ディオニシオは地団太を踏んだ。

 

「くそっ、畜生っ、チクショウッッッ! どいつもこいつも私をないがしろにしやがって、何様のつもりだ、クソッ! ああ畜生、サーヴァントのくせに……私がいなくては存在すら許されない、使い魔風情が……あああああああああああっ!」

 

 木の幹に拳を叩きつける。

 

(許せない……許すものか、青二才め! 貴様の言うことなど誰が聞くものか。命令はお前が聞くものだ! ――見てろ。どちらが上の存在なのか、分からせてやる……っ!)

 

 ディオニシオは踵を返すと、血走った眼で、戦闘音の響く方を睨みつけた。

 

 

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