模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research 作:井ノ下功
キャスター 6
「マスター」
キャスターの声だ。普段通りの、青年の声。
ワトソンはびくりと肩を震わせて、振り返った。
「あぁ、キャスターか……セイバーは? どうなった?」
「倒したよ」
「倒したっ? どうして――」
「向こうが襲ってきたからさ。それに、僕が手を下さずとも、彼は消滅していたはずだ」
「っ――」
息を呑む。
「――どうして、知っている? セイバーのマスターが、殺されたことを」
キャスターはじっとワトソンを見て、それから、するりと彼の脇を抜けた。
道端の闇に沈んでいた、死体の傍らに膝をつく。
三十歳前後の男性。イギリス系。右手には二画の令呪がまだ赤々と刻まれていたが、それらももうすぐ消え失せる――セイバーのマスターだ。頭部を撃ち抜かれ、死亡している。
「狙撃されたみたいだ。僕が来た時には、すでに、その状態だった」
「……」
「キャスター? どうかしたのか?」
「……いや、別に」
キャスターは首を振りながら立ち上がると、にっこりと笑った。
「どちらが先だったかは知らないが、助かったね。令呪を使えば、一度壊れた霊基でも再生できるようだから」
「そうなのか?」
「僕の推測が正しければ、だが」
謙虚なふりをして、その裏には“正しくないはずがない”という自信に満ち溢れたセリフだ。
「ライダーはそうやって蘇ったはずだよ。セイバーのマスターがそのことを知らなかったのか、あるいはそうする間もなく殺されたのかは定かでないが……どちらにせよ、そうされなくて良かった。本調子のセイバーなら、悠長に変装などしている場合じゃなかったからね。――アーチャーの方は、どうなった?」
「ランサーがやられたみたいだ」
「そうか。なら、あとは僕とアーチャーの一騎打ちのみ、というわけか」
「そういうことになるね」
ワトソンはキャスターの横に並び、自分より少し高い位置にある彼の顔を見上げた。
改めて見ても感想は変わらない。やや冷酷な印象を与えるほど整った顔立ち。心配になるほど透き通った肌。どこか非人間的な、人智を超えた怜悧さを持ち合わせていることを窺わせる、深淵の瞳。
――恐ろしい。
――だが、彼との付き合いももうすぐおしまいだ。
意識して笑みを浮かべ、軽い調子で言った。
「もしかして、緊張してるのかい、キャスター?」
「まさか」
キャスターは即答した。そして笑みをよりいっそう深めて、
「ようやくすべての謎が解ける――そう思うと、胸がわくわくして堪らないよ」
朗々と言った。
その言葉が、彼の言う“すべての謎”が、一体どこからどこまでを指しているものかワトソンには分からない。本当に、本当に
首筋に滲んだ汗は、おそらく、夏の暑さのせいではない。
ワトソンは胸元で握りしめていた手を開き、踵を返した。
「それじゃあ、行こうか」
無言で頷いて、キャスターは霊体化した。
☆
マスターは真っ直ぐ、賎畿中央教会へ向かっている。アーチャーの方へと向かわせた使い魔が、彼らがそちらへ移動するのを見ていたのだろう――というのは、おそらく建前だとホームズは考えていた。
教会が最終決戦の地になることを、たぶん、マスターは知っている。知っていて、そちらへ向かっているのだ。聖杯もそこにあるのだろう。
(――さて)
懸案事項として脳内の棚に並べていた瓶は、もうそのほとんどが空になっていた。残っているのは――第一に、アーチャーの正体。
(必ず貫く弾丸、あるいは射手。“弓”であれば候補が多すぎるが、“弾丸”“銃”で絞れば、かなり範囲は狭くなる――そのうち最も有名なものといえば、『魔弾の射手』だろう)
カール・マリア・フォン・ウェーバー作曲のオペラ。台本はヨハン・フリードリヒ・キーント。初演は一八二一年、ベルリン。狩人と恋人と恋敵、そこに悪魔が絡み、物語は完成する。恋敵が唆し、狩人は悪魔とともに“狙ったものに必ず当たる弾丸”を七発鋳造した。ただし、その七発目は、射手が最も大事に思っているものに当たる――
(さて、問題は、これに登場する狩人のマックスが、英霊たりえる人物ではない、ということだ。少なくとも、単体で顕現するのは不可能――)
であるならば。
他にどんな幻霊と複合して現界したのだろうか。
いや、正確に言おう。
他にどんな幻霊と複合
(――会ってみないと分からない、というのは、少々怖いけれど。まぁ、こればかりはどうしようもないか)
もう一つの懸案事項――この聖杯戦争を仕組んだ人物について。
(聖杯戦争は儀式だ。儀式ならば、それを執り行う人物が必要になる。かつての聖杯戦争では、“御三家”と呼ばれる魔術師たちが先導したらしいが――さて、今回のコレは、誰がどんな意図をもって始めた戦争だ?)
アーチャーのマスターか――己の、マスターか。
あるいはその二人の共謀か。
(答えはこの先にある。――明かされるのを待つ、というのは少し、いやかなり、癪に障るが。情報があまりにも少なすぎる……三つ目の懸案事項、これに関しても……――)
溜め息をつく。
教会はもう、すぐそこだ。
――ちょうど、山の方から来た影が、マスターの前に降り立った。
ホームズはすぐに霊体化を解いて、最後の一騎――アーチャーと、そのマスター――と向き合った。
街灯の光に照らし出され、アーチャーの姿が目に入る。
初老の男性。黒い縁の四角い眼鏡をかけている。乱れた白髪は、もとはきちんと撫でつけられていたのだろう。ランサーとの戦闘によって崩れたに違いない。茶色いピンストライプの上品なスーツは、左肩の辺りが裂けて、血が流れた痕跡があった。
アイスブルーの硬質な瞳が、ホームズを捉えて、ぎらりと輝いた。
ひげを蓄えた口が、にたりと笑みの形になる。
「ヤァ、これはこれは――いると思ったよ、
さらりと言い当てられた――互いの顔を見知っているならば、真名の隠蔽など無意味である。ホームズの脳内に叩き込まれていた膨大な量の“記録”の中にも、その男の顔はあった。
それで、ようやく、確信に至る。
アーチャーは、
――ジェームズ・モリアーティ。犯罪界のナポレオン。ロンドンの、いや英国の未来を賭け、命懸けで戦い、ライヘンバッハの滝へ落ちていった男。
(……やはり、か――)
三つ目の懸案事項も、これでハッキリした。
少しだけ、寂しさが胸の内をよぎり――すぐに消える。心の揺らぎなど、取るに足らない感傷だ。脳の動きを鈍らせるだけの雑音である。だが、これが“雑音”だとハッキリした今なら、捨て去れる。容赦なく切り捨てられる。
ホームズは
「さして難しくもなかったよ、
「あっそ。アーヤダヤダ、これだから風情の無い探偵は」
「お褒めにあずかり光栄だ」
「褒めてナイヨ」
おちゃらけた仕草で肩をすくめて――アーチャーは鎖を引いた。彼の背後に、白い棺桶ががしゃりと音を立てて立ち上がる。あれが武器であることは容易に察せられた。
ス、とその目から、表情から、色が消える。
「――それでは、授業を始めよう」
アーチャーの引き鉄が、戦いの火蓋を切って落とした。