模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research 作:井ノ下功
マスターを抱えて降りてきたアーチャー――ジェームズ・モリアーティは、教会に向かって歩いてくる男を見て、その前に着地した。こんな夜更けに教会へ来る人間など、勇者でなければ狂人、この場合はすなわち聖杯戦争の関係者に決まっている。
モリアーティの姿を見て、男はピタリと止まった。
(普通――のように見えるだけで、普通ではない男だな。魔術師だからというだけではない。――犯罪者だ、間違いなく)
眼を見れば分かる。所詮、同じ穴の狢だと。
(ま、そんなのどうだっていいんだが)
犯罪を暴くのは探偵の役目だ――今まさに目の前に現れた、世界最高の名探偵の。
モリアーティは思わず満面の笑みを浮かべてしまった。
「ヤァ、これはこれは――いると思ったよ、
いないはずがない、いなくてはおかしい、と思っていたのだ。
(あぁ、相変わらず、腹が立つ顔をしているものだ)
高身長の美青年。ランサーとはまた違う系統の――頭脳労働しかしていないことが明白な――美男子。触れれば切れるのだからズルいものである。天は二物を与えずと言うのではなかったか。
かつて、我が宿敵であった男――
――シャーロック・ホームズ。世界唯一の諮問探偵。ロンドンの、いや英国の覇権を賭け、命懸けで戦い、ライヘンバッハの滝で生き延びた男……。
(……ン?)
モリアーティはごくごく僅かな違和感を覚えた。たとえるならば、暦の上では満月のはずの月が、一日分欠けているように見えたような――老眼を疑えばそれだけで済むような、極めて小さなノイズ。
(なんだ――?)
見逃してはならない、という気はした。だが、それ以上追究の手掛かりとなりうるものはなく――或いは、なくすためにだろうか――ホームズが一歩前に出た。
光に応じて如何様にも色を変える
薄い唇が、冷酷な下弦の三日月を形作る。
「さして難しくもなかったよ、
「あっそ。アーヤダヤダ、これだから風情の無い探偵は」
「お褒めにあずかり光栄だ」
「褒めてナイヨ」
おちゃらけた仕草で肩をすくめて――モリアーティは鎖を引いた。白い棺桶、超過剰武装多目的棺桶『ライヘンバッハ』を臨戦態勢にする。ランサーからの連戦、厳しくないと言ったら嘘になるが――
(アラフィフの意地を、見せてやろうじゃないか、若造)
ここが、クライマックスだ。
「それでは、授業を始めよう」
ろくに狙いも定めずに、引き鉄を引いた。
一斉掃射。最初の一手はあくまで牽制だ。当たるとは思っていない。白煙の向こう側にホームズの姿が消えていったが、当たってはいないだろう。
(相手がホームズなら、こちらもやりやすい……!)
捜し回ったりはしない。ただ、脳味噌を働かせる。かつて能力の限りを尽くし、雌雄を決した男の思考回路を、思い出す。
背後から振り下ろされたステッキを、こちらもステッキで受け止める。カウンターの射撃。再びホームズの姿が消えて、地面を抉った感触だけが残る。白煙を切り裂いて飛んできた光線を棺桶で受け止める。ホームズの姿は見えない。こちらが発生させた煙だけではなく、向こうも何かしらの魔術で視界を悪くさせているらしい。
それで、確信する。
(ほう。ヒット&アウェイを貫くつもりか。ということは――)
――我が蜘蛛糸はホームズをも絡め取ったらしい。
ヒット&アウェイは短期決戦には向かない戦法だ。アサシンならまだしも、キャスターならばいっそう、長期戦、長距離戦になる。長距離でのやりとりを選ぶということは、
(今日の分はランサーで撃ち止め――とでも、思っているのかね?)
きっかり二十四時間ずつ間を空け、マスターすら騙してきた甲斐があったというものである。
確かに、魔弾には限りがある――だが、
マスターの魔力を食いはするが、この近距離ならば、フルの威力でなくとも問題なく霊核を砕けるだろう。そこまでの負担はかけずに済む。
「魔弾装填」
「っ!」
呟いた瞬間、ホームズが小さく息を呑むのが気配で分かった。
――だが。
もう準備は整っている。
「宝具解放。我が最終式、終局的犯罪をここに証明しよう――『ザ・ダイナミクス・オブ・アン・アステロイド』!」
魔弾の射手は必中のスキルを有している。だから狙いなど付ける必要はない。引き鉄を引けば、それは因果を捻じ曲げてでも、必ず標的に
瀑布のような轟音が響き、魔弾が射出される。
高密度の魔力の固まりは、不可思議な軌道を描いて、自分の背後に迫っていたホームズの体に過たず突き刺さった。
(仕留めた――!)
ああ、なんとも、他愛ない――モリアーティは鼻から息を吐いて、どこか残念そうに話微笑んだ――これがあの強敵だったとは。ライヘンバッハで死闘を演じたのが、まるで夢の中のことのようだ。……今の方が“夢”だとは、よく分かっているのだが。
ホームズは何度か瞬きをすると、長い溜め息をつき、ふいと他所を向いた。
(――ンー、やはり……)
やはり、何か違和感がある。あのシャーロック・ホームズが果たして、こんなあっさりと、こんなハッキリと、諦めた顔をするだろうか?
「キャスター!」
彼のマスターが焦りきった声で叫び――次の瞬間、左手を掲げた。
「【令呪を以って命じる! キャスターの霊基よ、復元せよ!】」
「――よくやってくれた、マスター!」
霊基の消滅が止まった。ホームズの顔が豹変する。
(チィッ)
モリアーティは心の中で舌を打った。
(やはりあの時のライダーの復活は、令呪によるものだったか!)
あの現象を検証する時間がなかったのが、ここへきてあだとなった。おそらく、ホームズは検証を重ね――そして、わざとあのような表情を見せたのだ。
(まったく……らしくないネ、名探偵! 一瞬でも、
何事もなかったかのように、ホームズが殴りかかってきた。棺桶を盾にする。
と、明らかに刺突でない衝撃が二度、三度と棺桶にぶつかり、ホームズが頭上を飛び越えていった。背後に着地したのを追って、振り返る。
「ぐっ」
ステッキの先が腹部に突き刺さった。が、これはわざとだ。――ランサーと違って、こういうことが出来るから良い。
鎖を巻きつけて、得物を叩き落とす。
――した瞬間、ハイキックが頭部めがけてとんできた。
だがそれも予測済み。対応できない速さでもない。首を傾けるだけで躱し、棺桶に手をかけて、後ろに跳ぶ。距離を詰めようとしたホームズへ、自分のステッキを投げつける。
ホームズはそれを受け止めず、背後に流した。
(ふむ、さすが、天賦の見識の持ち主――)
彼の背中の向こう側で、ステッキが爆発した。爆風を背に受けてさらに踏み込んでくる。バリツ――日本式レスリングとボクシングに、フェンシングと棒術を織り交ぜた謎のマーシャルアーツ――が炸裂する。
それをガードし、或いは躱し、光線には射撃で対応する。
互いの手の内を互いに読み切っている戦闘には、ある種の安心感すら覚えてしまう。台本のあるプロレス、または練習を重ねた殺陣のようなもの。
とはいえ、いつまでも遊んでいるわけにはいかない。
(切り札はもうないからネ……)
ここからは純粋な実力勝負になる。サーヴァントとなったホームズが何か隠し持っていれば話は別だが――それをこの局面で出し惜しみしてまで、“一度撃たれる”という危険な橋を渡るとは思えない。
「何を狙っているのかね、名探偵!」
「さて、何だと思う?」
涼しい顔で問答に応じながら、ホームズは自分のステッキを拾った。打ちかかってきたのを棺桶で受け、競り合う。
「……君の
「――」
何気なく尋ねた瞬間、ホームズの目の色が変わった。
「マスターのことを言っているのかい? それなら、君の目も節穴になったものだ。彼は僕の助手ではないよ」
「なら、言葉を改めよう。君のマスター、彼は犯罪者だろう? 探偵が犯罪者の指示に従う、とは、どんな気分だったのかね?」
「……」
ホームズは苛立ったように、無理やり、力任せに競り合いを終わらせた。彼の手の中でステッキが翻り、刺突が一度。二度。三度。実に単調な攻撃だ。容易く躱して、棺桶を大きくぶん回す。それを真正面から受けて、ホームズの肢体が吹き飛んだ。
(ああ――なるほどね、わかったよ、ホームズ。これなら――)
勝てそうだ、と思った。
その瞬間だった。
「【令呪を以って命じる! アーチャー、魔弾を以ってこの男を撃ちなさい!】」
模倣者の声。令呪が発動し、魔力が集束する。
モリアーティは顔を引き攣らせた。
「マズい――これは――七発目だ」
意思に反して、引き鉄が引かれる。
ホームズのニヤリと笑う顔が、暗闇の中に浮かび上がった。