模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

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ホームズ 1

 初戦が、ライダーの死をもって終わった、ほんの一時間後のことである。

 ホームズは現場を訪れた。

 そこは閉店したばかりのスーパーの駐車場だった。閉店したばかりであることは、見れば分かる。シャッターが閉ざされているだけで、塗装や看板などはすべてそのままであるからだ。

 まさか壮絶な戦場になろうとは思いもしなかっただろう。

 ホームズは霊体化したまま、その場に膝をつく。ランサーと虎――ホームズはバーサーカーだと睨んでいる――が争っていた場所だ。

 凄まじい攻防だった。ビデオで見た通り。

 凄まじい攻防だったのだろう。映像以上に。

 アスファルトが抉れ、削れ、戦争の――文字通り――“爪痕”を残している。

 血痕は残っていない。

 

(あれほど深く傷つけられていたのに?)

 

 ランサーの方はともかく、虎の方は、それなりの深手を負っていたはずだ。しかし現場に血の跡は残っていない。それどころか、爪の欠片、毛の一本すら残っていないのだ。

 ホームズは寸の間考えて、すぐに動いた。

 すぐ脇の建物の中に入る。使われていないビル。放置され始めて半年ほど、と判断したのは、埃の厚みから。

 二階に上がる。戦闘の余波を受けて、埃はすべて取り払われている。壁に大きな穴が開いていた。そこから夜風が舞い込んでくる。

 手榴弾のピンが落ちていた。それから空の薬莢。

 ランサーのマスターの血痕。結界の痕。

 ランサーの血痕。

 

(こちらの血痕は残っている……バーサーカーだけ特殊? 何が? ……零基が? 存在が?)

 

 アスファルトに焼け付いているのはタイヤの跡。随分と細い――ホームズには、見慣れた細さのタイヤ。

 

(二十世紀初頭に使われた自転車のタイヤ――読唇した内容は嘘ではなかったわけだ。ジョン・パー。自転車斥候を役目とする二等兵。第一次世界大戦最初の犠牲者。すなわち、“ガンナー”と言ったのは嘘……――)

 

 ――しかし、なぜ嘘をつく必要があった?

 

(聖杯からの知識によれば、マスターは相手のサーヴァントのステータスを見る目を持っているはず。隠蔽工作が出来るサーヴァントであれば、一部ステータスは隠せるかもしれないが、クラスまで隠蔽するのは不可能……まして近代の、このレベルの英霊ともなれば、そのような高度な隠蔽は出来ないだろう。つまりクラスを偽るのは本来不可能であるはず――それをしようと思った、そしてそれがまかり通る、ということは?)

 

 その先の言葉が。

 今はまだ、出てこなかった。

 ただ、小さな疑念が芽吹く。

 

(……マスターは、僕に何か隠しているのかもしれない。これは、僕が知っている聖杯戦争ではない可能性がある。マスターはランサーに関して、『隠蔽を考える奴だっているだろう』と言った。ここから、彼がステータスを見る目を持っていないことは確か……いや、あえて見えない演技をした可能性も捨てきれないが、どちらにせよ、だ。隠し事をしていることは間違いない――……聖杯戦争以外にも、ね)

 

 ホームズは脳内で、『これからしばらくの懸案事項』というラベルを貼って、このことを棚の中にしまうと、次に目を向けた。

 穴から外へと飛び降りる。

 爆発の形跡。

 ランサーとライダーの血痕。

 

(ランサーは一度、ライダーを仕留めた。だが、ライダーは復活した。なぜ?)

 

 情報が足りない、と判断すれば、懸案事項、として脳内の棚に並べる。

 

(復活したライダーはランサーを追い詰め――そして、ここで、何者かに狙撃された)

 

 ホームズは、ライダーが最期を迎えた場所に跪き、周囲を見回した。狙撃できそうなポイントはいくつかある。しかしいずれも、近すぎる、あるいは遠すぎる。近すぎれば感知されるはずであるし、遠すぎれば霊核を貫くほどの威力は出せまい。

 

(アーチャーの英霊なら、届かせるかもしれないが……果たして、それほどの威力を出せるのか?)

 

 最も遠く、しかし最もこの場を見通せる高層ビルは、跪いたホームズの目線の先にあった。

 

(ライダーは胸の辺りを貫かれていた。彼の身長は約百六十八センチ。貫かれた位置はだいたい地表から百五センチ――そこからビルまで直線で結ぶと、最上階から撃ったとしても、目の前の建物を貫通させずに当てるのは不可能。そもそも、ライダーは背後から撃たれた――が)

 

 ホームズは振り返り、その先に、ここより高い建物がない事を再度確認する。

 

(つまり、弾は不可思議な軌道を描いたということだ――なのに、霊核を一撃で貫き、滅ぼすほどの威力――なぜライダー一騎のみを仕留めて撤退した? ――高威力ゆえの弾数制限の可能性――)

 

 両手の指先を唇の前で軽く合わせ、目を瞑り、彼は思案する。

 その姿はしかし、『祈りを捧げているようだ』とはお世辞にも言えない。

 当然である。

 彼は死者に敬意を示してなどいない。

 彼は旅立った魂の安寧を願ってなどいない。

 彼が敬意を示し、願うのだとしたら――それは、謎を残してくれたことに対してであり、そしてそれがどうか自分を退屈させないものであるように、ということだけである。

 ホームズは立ち上がった。

 次の現場へと足を向ける。

 

 

 

 バーサーカーは唐突に最初の戦場へと背を向けて、マスターのいる場所へと舞い戻った。

 

(マスターが呼んだ? それとも、バーサーカー自身の判断か?)

 

 ホームズは、まだ大口を開けている壁から家の中を覗こうとして――やめた。結界が張られている。人払いと視線避けの結界。日本式の術であることが分かる。やけに丹念に張られた、そして年季の入った結界だった。

 

(覗き見た感じでは、彼は魔術師ではないようだったが……一体誰が?)

 

 何かわけがありそうだ。棚の中に並べる。

 ホームズが覗き見用にと放った使い魔――不正規連隊(ベイカー・ストリート・チルドレン)――は、アサシンの攻撃を受けて、砕け散ってしまった。

 

(あんまり早く脱落者が増えてもつまらないと思って、あえて飛び込ませたのだけれど。アーチャーの狙撃の秘密が分かるまでは特に、頭数は減らしたくない。……いや、しかし、少々惜しかったか)

 

 これで、戦況を見る目は失った。といっても、そこまで惜しいとも思っていない。

 リアルタイムで見なくとも、ある程度は結果から遡れる。

 場合によっては、結果のみを見た方が、先入観なく捉えられることすらあるのだから――ただしこれは、ホームズに限る。

 

(アサシンは男性――のように見えたが、確定ではない。東洋人にしてもやや身長が低すぎるからね。セイバーは中世の騎士だろう。甲冑の型からしてドイツ地方の人間――アサシンの攻撃に対して即座に右腕を差し出した――義手の可能性――敏捷値は虎にもランサーにも劣るが、戦闘経験はそれなり――どちらかというと、一対一、対人戦の方に優れているような立ち回りだった――騎士、一対一、といえば、フェーデ――義手――鉄腕のゲッツ? いや、だとしたら、あの年齢では、明らかに全盛期とは言い難い――)

 

 とは思えど、義手を扱う老練の騎士、などに心当たりはなく。

 やはりホームズはこのことも棚に並べる。

 脳内の棚がいっぱいになると、少しだけ心が躍るのを感じた。

 

(謎は解いている時が一番楽しい。惜しむらくは――……)

 

 と、考えて。

 ホームズはふと、動作を止めた。それはパソコンのフリーズによく似ている。精密機器、ゆえにノイズは許されず。ノイズの原因を探って思考が奔る。

 

(……何が、惜しいんだ? 僕は一体、“何が不足だと感じている”?)

 

 先程までとはまったく種類を異にする動悸に見舞われ、ホームズは胸元を押さえた。

 

(欠乏? 不安? 焦燥? 恐怖? ――……こんなことを考える、“僕”は“一体”“何者”だ?)

 

 は、と、彼の思考が引き戻されたのは、パトカーのサイレンが耳に届いたからだ。

 事件の匂いを嗅ぎつけて、駆け付けない探偵ではない。

 考えは丸めて棚の奥底に放り込んだ。走り出す。

 

 

 

 パトカーは山間の旅館に停まった。辺りに民家はなく、街灯も立っていないが、夜はもうそろそろ明ける頃である。随分とその闇は薄まっていて、その分、浮き足立った従業員たちの挙動が目立っていた。

 ホームズは館内へ入る前に、路面に膝をついた。

 

(焼かれた紙屑……焼く必要があった紙――メモ、暗号、それ以外――煙草の火で簡単に燃えるような素材――)

 

 霊体化を解いた。僅かに残った燃えカスを指先に押し付け、においを嗅ぐ。すぐにまた霊体化する。

 

(この葉巻は……どこの葉だ? いくつかの種類を自分でブレンドしたかのような、不思議な香りだ……しかし嗅いだ覚えが、あるような、ないような……)

 

 奇妙な既“嗅”感を頭にとどめつつ、ホームズは旅館の中に入った。

 結界の痕が残っている。西洋式。侵入者の足跡はない。どうやら死んだのは魔術師らしい。

 客室に入る。布団や枕があちこちに散らばった室内。その中央で、数人の警官が死体を取り囲み、細々とした採取やら計測やらを行なっている。ホームズは霊体化したまま、死体に近寄った。

 亡くなったのは女性。二十代半ば。右手に拳銃を持っている。撃ち抜かれたのは右のこめかみ。周囲には細かな白い紙が、紙吹雪のように散乱している。

 

「自殺だな」

「自殺ですね」

 

 早々とそう断じた警官が、彼女の手から拳銃を取り上げた。その時に右手が持ち上げられて、甲が晒される。

 

(令呪の痕――!)

 

 使い切られた令呪の痕跡が、薄く残っていた。

 ホームズの頭が急発進を切る。

 

(聖杯戦争のマスター。誰の、だ?)

 

 視線を右に振る。ゴミ箱の中。服のタグ。男児用のシャツやズボン、ブーツ。

 

(つまり、ライダーのマスターか。隠蔽のために買った服だろう。ということは、昨夜の敗北が原因で自殺? ……いや、何かおかしい。敗北を嘆いて命を絶つような人間が、部屋を荒らすだろうか? 部屋の荒れは怒りの表出――怒りの果てに死ぬ、ということが、無いとは言えないが――死に至るならばそれなりの決定打が必要になるだろう)

 

 視線を左へ。彼女の荷物を検めていた警官が、パスポートを開いていた。

 

(エリーヌ・ジオネ。二十五歳。フランス国籍。イギリスから日本へ、四日前に到着)

 

 もう一度、視線を中央へ。エリーヌ・ジオネの死体を検分する。自分の手で動かせないのが少々厄介ではあったが、それでもギリギリまで迫ることは出来る。

 

(外傷はなし。争った形跡もなし。魔術師が侵入者に対し枕を投げて迎撃するとは考えにくい――まったくあり得ない、とも言い難いが。……右手の親指に噛んだ痕。おそらく、自身の癖だろう。皮膚が裂けて流血の痕がある――……待て、それならば)

 

 ホームズは踵を返した。回収された拳銃を見る。

 

(撃鉄に血の跡が無い……)

 

 左手で撃鉄を起こして右手で撃った、とは考えにくい。怒りが原動力になったのならばなおさら、そんな手順を踏む余裕はなかっただろう。

 となれば、結論は一つ。

 

(――自殺ではない。殺人だ)

 

 一体誰が、何のために、敗北したマスターを殺したのか?

 ホームズは膝をついて、散らばった紙切れを見た。鋭利な刃物で切られたように、その切り口は真っ直ぐだが、一方で、切られ方は均一でない。適当に八つ裂きにした、というのが妥当である。

 

(怒りのままに引き裂いたなら、手で千切るのでは? わざわざ魔術を使ってストレスを発散した? いや――)

 

 さらに、周囲に目をやる。エリーヌ・ジオネの持ち物。旅館の備品。

 

(――これと同じ素材の物は、ここにはない。外から持ち込まれたものだ――つまり、紙を扱う魔術師による襲撃――)

 

 ならば、外に残っていた焼け跡も、同じ人物によるものだったのだろう。

 ホームズは目を閉じた。

 

(……なぜ、外のものだけ焼いた? そこまでするのなら、この部屋の紙切れを残していくのはおかしい。行動が一貫していない。そもそも、紙ならば焼くのではなく持ち帰った方がよっぽど確かな証拠隠滅になる。……外に出した紙だけが特別? あるいは――)

 

 ――使った人間と焼いた人間は別?

 ――あるいは、そう思わせるための工作?

 覚えず、唇の端が持ち上がる。懸案事項がたくさん並んだ脳内の棚を、瞼の裏で眺めて、悦に浸る。これを少しずつ少しずつ、時にはいっぺんに、棚から取り出して空へ放つのが、最高に楽しいのだ。

 瞼を開ける。

 

(彼女に関する懸案事項は、あと二つ――)

 

 ――なぜ、彼女の令呪は二画しかなかったのか?

 

(彼女の右手には明らかに令呪の痕があった。しかし、どう見ても二画分しかなかった。マスターには三画の令呪が配られる、というのが聖杯戦争の通例だ。……やはり、この聖杯戦争はどこかがおかしいらしい。そういえば、僕のマスターは常に手袋をはめているな……あれは、令呪を隠すため、か? 誰に対して?)

 

 ――その二画を、どのタイミングで使い切ったのか?

 

(彼女が令呪を切ったのは、一度だけ――ライダーが霊核を貫かれた瞬間に、一度きりだ。つまり、あの一度にすべての令呪を投入した、ということだろう。そうするつもりだったのか、あるいは、令呪への命令内容が二画使用を要求するようなものであったのか……だとしたら、何を命令した? ……霊基の再生?)

 

 ホームズは脳味噌をぐるぐると働かせながら、旅館を後にする。見るべきものは見た。知るべきことは知った。解剖をすればもう少し分かりそうなものだが、自殺した外来の客人を開くとは思えない。あてには出来ないだろう。

 旅館を出ると、すっかり夜が明けていた。晩夏の朝。すでに暑さを予感させる太陽。

 

(……さて)

 

 ホームズは何気なく振り返り――立木の上に使い魔の気配があるのを確認すると、そのまま歩き出した。

 

(今後この能力が必要になる時も来るだろう。その前に、仕掛けておくべき、か――)

 

 

 

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