模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research   作:井ノ下功

39 / 41
ホームズ 4

 

「なぁキャスター、薬はそんな好都合なものじゃないよ。失うものがどれほど大きいか、よく考えてみるべきだ。間違いなく薬は脳の動きをよくするだろう。けれど、それはごく限られた一瞬限りの、不自然で異常な作用だ――」

 

 マスターが流暢に紡ぐその言葉の羅列が、響きが、どうしようもなく癪に障った。自分でも驚くほど心がざわついて、苛立って、腹が立って、脳味噌が沸騰した。こんなこと今までに一度もない。こんな風に感情が大きく揺れ動くことなど、ありえない!

 こんな自分など自分らしくない――と思っていながら、口が動くのを止められなかった。何より、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()

「――何のこと?」

 

 その男はとぼけた声を出した。それがまたホームズの不快感を増幅させた。吐いた息がドラゴンのブレスのように、炎を纏っているように見えた。それに続いて、腹の中に渦巻いたマグマのような感情が、そのまま溢れ出す――

 

「マスター、君は僕を……――いや、なんでもない」

 

 ――のを、どうにか抑え込んだ。頭を振って、雑念を飛ばす。

 

「少し出てくる。時間までには戻るよ。――僕がいない方が、君もリラックスできるようだからね」

 

 吐き捨てるように言って、霊体化し、拠点を出た。

 

 

 

 使い魔が少し離れた場所から自分を見張っている。それにもまた腹が立ったが、無理やり押し殺す。――あの男はもう僕の言動について諦めた。だからあのような真似をしてみせたんだ。使い魔を寄越したのはさっき僕が「昨日は使い魔を寄越さなかったね」と言ったから。特に何をしたいというわけでもない。

 意識して外部のノイズを取り除き、ホームズは目を瞑った。これから、()()()ノイズに向き合わなくてはならないのだ。

 

(考えろ。考えろ。考えろ。思考をフルに回転させろ。――見たくないなんて甘ったれたことを思うな。認めろ、受け入れろ。ありえないことを一つ一つ除外していけば、最後に残ったものが真実だ。――たとえそれが、どんなに信じられないものであったとしても……)

 

 自身が持っている“記憶”を掘り返す。丹念に、丹念に、丹念に――

 実感を伴って思い出せる記憶の内、真っ先に出てきたのは一つの事件。

 

 グロリア・スコット号事件。

 

 よく覚えている――これは大学時代に手掛けたものだ。これがきっかけで、探偵を生業とする覚悟が出来たのだ。

 ――だが、この事件を()()()()()()()理由は、本当にそれだけか?

 ――何百もの事件に相対した僕が、真っ先にこれを思い出した理由は、何だ? これよりももっとセンセーショナルでグロテスクな事件はいくらでもあったはずだ。なのに何故?

 ――己の生き方を規定したからか? いやしかし、よくよく考えてみれば、探偵になるきっかけはグロリア・スコット号事件だけだったか? それ以外の事件は、僕の生き方に影響を与えなかったのか?

 

(……人が記憶を保つ理由……印象深かったから。のちに必要となることが分かっているから。恐怖や愛情といった強い感情と結びついているから。――忘れた頃に、何らかの理由で、詳細に思い出したから)

 

 記録がある。グロリア・スコット号の話は、『シャーロック・ホームズの物語』として世に広まっている。世に広めた人物がいる。その()に向かって、()()()話したという記録がある。

 

 だが――それは“記録”だ。

 

 温度のない、ただの文字列。

 だから――

 

『―――――』

 

 ――声を、思い出せない。

 この才能を、唯一手放しで賞讃してくれた。やりすぎた時には常人らしく怒って、不機嫌になった。そのくせ、こちらの説明を最後まで辛抱強く聞いて、驚くほど素直に飲み込んで、やっぱりまた褒めるのだ。

 

『――――!』

 

 理解できないことははっきりとそう言い、理解できるまで付いてきた。危険だと言っても構わなかった。家庭をもった後でも、訪ねていって一言「事件だ」と言えば、顔中に喜びを浮かべて飛び付いてきた。電報で呼びつけた時も、平然とやってきた。そこにあるのは愚昧な妄信ではなくて、本物の信頼であり、友情だった。

 

『―――、――――』

 

 ――あの声を、思い出せない。

 ありえないことだ。信じられないことだ。だが、他に可能性はないのだ。ならばこれが、疑いようのない真実なのだろう。

 ――だから、あれほど腹が立ったのだ。自分を心配する声は、思い出すことすらできない()()()でなくてはならないのに――()とは似ても似つかない犯罪者の声が、記録の中の言葉を塗り替えようとしたから――腹を立てたのだ。どうしても、許せなかったのだ。

 ホームズは立ち止まって、天を仰ぎ、目を開けた。

 結論を、出す。

 

(――僕は、全盛期の僕ではない)

 

 だから、“何かが欠けている”と感じていたのだ。

 

(探偵では、ある。それは違和感なく自覚している。おそらく、一八七八年、二十四歳の頃の僕だ。……まだ探偵としては駆け出しで、モンタギュー街に住んでいた頃の自分だ)

 

 結論は出た。あの男――マスターによって揺らされた心はまだふらついているが、じきに落ち着いて、追い付いてくるだろう。それを待っている余裕はない。

 考えるべきことは、他にもたくさんある。この戦いを、己の勝利で終わらせるためには、立ち止まっている暇などないのだ。

 たとえ、話し相手がいないとしても。

 

(……まさか、ランサーに言った言葉が、自分に跳ね返ってくるとは思わなかった)

 

 ホームズは自嘲気味に笑った。

 再び、歩き出す。

 推理がぐるぐると頭の中を巡る。

 使い魔がその影をずっと踏んでいた――親ガモの後をついてまわる子ガモのように愚昧に。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。