模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research 作:井ノ下功
「さしあたって、我々の出会いにまで遡ることにしようか。といっても、事件はその時には既に、終わっていたのだが、ね」
ホームズの目は、追い詰めたウサギへ今まさに食い付こうとする猟犬のように、らんらんと輝いていた。
「僕は魔術師ジョン・ワトソンに召喚された。だが、君は僕を召喚する予定ではなかった。君が聖杯戦争に参加した動機は、聖杯を手に入れることではなく、サーヴァント、ジャック・ザ・リッパーに会うことだった――ここまでのことに嘘はない。
だが、そのジャックに会う目的が復讐、というのは嘘だ。まだ情報の少ない段階で僕に推理させることで、僕の目を欺こうと思ったんだろうが、それは愚行としか言いようがない。
そもそも、君の恋人、サラ・メイヴィルを殺したのは、君自身だ。
君は一ヶ月前に彼女を殺害し、家の地下収納庫にモルタルで埋めた。それから、聖杯戦争の準備に取り掛かった。
では何故、ジャック・ザ・リッパーを呼ぼうとしたのか?
――ジャック・ザ・リッパーは殺人鬼だ。五人の娼婦を殺し、ロンドン中を恐怖に陥れておきながら、捕まることなく霧に消えた伝説の人物。彼――彼女かもしれないが――彼に会って、何をすることが目的なんだろうね。
ここは、君自身の証言を聞かせてもらおうじゃないか」
「……」
「おや、だんまりかい。それはあまり頭の良い行動とは思えないね。まぁいい。君が喋らないなら僕が喋ろう。万一間違っていたら、後で訂正してくれ。
思うに君は、
逃げ延び方を知りたかったのか、殺し方を知りたかったのか、それとも殺す時の心境でも聞きたかったのか、そこまでは分からないが。ただ会うだけ。聖杯はおろか、彼の能力すら求めないのだとしたら、あと彼に出来ることは、彼自身の経験を語ることだけだろう。そしてその“彼の経験”こそが、君の求めたものだった――
――何か、異議申し立ては?」
男は力なく首を横に振った。すっかり諦めきっているような調子だった。
「よろしい。では次だ」
ホームズは居丈高にそう言うと、不意に地面に座り込んでいる模倣者のもとへ近付いた。模倣者は怯えた目でホームズを見上げた。
「茶色い髪。えらの張った顔。僕はこの顔を知っているぞ。君の寝室の写真立ての中に入っていた顔だ――殺されたはずの、サラ・メイヴィルだ」
「え……わ、私は、私はぁ……」
「君は何て聞かされた?」
「……私は、神野麻子、っていう名前の、魔術師でぇ……“模倣者”だ、ってぇ……」
「なるほど。察するに君は記憶喪失に陥っているようだ。そして――ちょっと失礼」
ホームズは彼女の手を取ると、ぐいと引っ張って立たせた。
「ああ、やはりそうか。
「え――」
「正規の聖杯戦争ならまた少し違うのかもしれないがね。少なくとも今回は、僕らのような存在は、撃たれた瞬間、傷付けられた瞬間には血を流す。が、それは継続しない。すぐに消えてしまう。服は存在の一部だから、痕跡は残るだろう。だが――
――現実世界には、染み込まない。
さあ、これですべてはっきりした!」
ホームズは晴れ晴れとした顔で振り返った。
「今回の聖杯戦争は君たち二人の共謀だ。君たちが繋がっていることは、君の書斎に捨てられていた一週間前のレシートが証明している――『墨雲院 板締』――和紙の一種なんだってね。文房具屋に見せてもらったよ――あれは、ライダーのマスター、エリーヌ・ジオネの殺害現場に落ちていた紙とまったく同じものだった!
さてさて、結論をまとめよう。ああやっぱり、途中経過を聞いてくれる人間がいないとまとまりが悪いね。だが仕方がない――
――神野麻子はサラ・メイヴィルが紙で作った“模倣”だ。
――君はサラ・メイヴィルを殺した後、あるいは殺す前に、彼女が自分のコピーを取っていることを知った。
――だが、神野麻子に、サラ・メイヴィルの記憶は受け継がれていなかった。
――君はそれを知っていて、神野麻子にある提案を持ちかけた。提案の内容はこうだ。
『聖杯戦争を起こし、聖杯を手に入れよう。聖杯に願えば、紙の人形でも本物の人間になれる。僕はサーヴァントに会えればそれだけでいい。君の目的を邪魔することはないし、むしろ君が聖杯を手に入れられるように、陰でサポートしよう』
――それで、この奇妙な聖杯戦争がスタートした。
――が、ジャック・ザ・リッパーではなくこの僕、シャーロック・ホームズが召喚されてしまったがために、計画は別のルートを通ることを余儀なくされた。
――その瞬間、君の目的は“サーヴァント”から“聖杯”に切り替わり、神野麻子は切り捨てるべき敵に変わった。
――君は、自分の目的を達成しながら、なおかつ僕に殺人を暴かれないように、
――目の前の謎に、僕の目がくらむようにね。
――しかし同時に、負けるわけにもいかなかった。だから、セイバーのマスターを殺し、アーチャーを討つまで僕を生かした
……訂正があれば、今の内にどうぞ?」
「……さすがだよ、お見事だ、ホームズ」
「やめたまえ」
先程までの高揚が一気に冷めたかのように、ホームズは冷たい目になって、その男を睨むようにした。
「君にそう言われるのは気に食わない」
「それは、僕が――ジョン・ワトソンが人殺しだから?」
「っ……」
「ただ同姓同名なだけなのに、気にし過ぎだよ。それに、原作でも君たちは、人が死ぬのを何度も見過ごしてきたじゃないか。ちょっと美化し過ぎなんじゃない?」
ワトソンはそう言って淡く微笑むと――唐突に、発砲した。
「ほら、今回だって見逃した」
模倣者の胸元に穴が開き、彼女の肢体がゆっくりと横ざまに倒れる。彼女は目いっぱいに涙を溜め、信じられない、と言う顔をしていた。
「結局君たちは、自分の好奇心とか、正義感とかが一番で、他人がどうなろうがどうだっていいんだろう? 真実が暴ければいい。ホームズとワトソンが生き残っていればそれでいい――そういう存在だ。物語の主人公なんて、みんなそうだ。自分勝手でご都合主義。びっくりするほど能天気だ。……反吐が出る」
本当に吐くような感じの顔で、彼はそう言った。
ホームズは静かな声で聞いた。
「――君は、聖杯で何を叶える気なんだ?」
「――お得意の推理で、当ててご覧よ、ホームズ」
「いいのかい?」
「どうぞ」
挑発するような笑みに、ホームズは剣呑な顔を向けた。
それからゆっくりと口を開いた。
「……この聖杯に、人を蘇らせるほどの力があるなら、
そんなところじゃないかな」
「ご明察だ」
ワトソンは馬鹿にしたように肩をすくめ、拳銃を仕舞った。
「そんなお利口な君なら、
「ああ、もちろん。君の書斎には、これまでの聖杯戦争の詳細をまとめたレポートがたくさんあった。あれを模倣の参考にしたことは想像に難くない。その中で、聖杯の隠し場所に関し、最も君たちが模倣しやすかったのは――第四次聖杯戦争のやり方だ。とあるホムンクルスの体内。すなわち、この場合は――
――神野麻子の体内」
ホームズが言い終えるのを待っていたかのように。
二人の足元に倒れていた模倣者の体が金色の光を放って、急速に縮まった。
そして――聖杯が、地面に転がる。
ホームズは俊敏な動作でそれを拾い上げた。
瞬間、
「【令呪を以って命じる! キャスター・ホームズ、自害せよ!】」
ワトソンの毅然とした声が響き――
――しかし、何も起こらない。
当然のことだ。ワトソンの手に残っているのは、すっかり色を失った令呪の
「……え……何故……」
「そう言えば、言ってなかったね」
平然とした顔で、ホームズは言った。
「一度砕かれた霊基の復元には、すべての令呪の消費を必要とする、と」
「なっ……そ、そんな、こと、君は……」
「あえて黙っていた、ということは認めよう。君がこうするであろうことは分かっていたからね。だから、僕は一度負ける必要があったのだよ。――まぁ、その相手が彼であったことだけは、少々気に入らなかったが」
「ホームズ、それを寄越せ。それはお前には必要ないだろう!」
「必要ならある」
飛びかかってきた男をひらりと躱し、ホームズは聖杯を掲げた。
夜明けを知らせる白い光が射し込んで、聖杯に一層の輝きを添える。
「――こんな男に、僕たちの
血に満たされた聖杯が、探偵の小さな願いを聞き届けた――