模擬聖杯戦争 Foul/Scarlet Research 作:井ノ下功
模擬聖杯戦争――『模倣者』が作った小聖杯の写し。それを核に据えた、小規模な儀式。召喚された英霊七騎の内、最低でも六騎を取り込めば、聖杯は稼働する。七騎を取り込めば更に、聖杯の行使できる力は強まる。また、マスターの令呪を聖杯が回収すれば――つまり、令呪未使用の状態でマスターかサーヴァントを倒せれば――その分も上乗せされる。
(理想は、自分以外の全員を、開幕直後に仕留めきること……そのために必要なのは、機動力と圧倒的な火力! すなわち、ライダーのサーヴァント!)
その点、ディオニシオ・シルベストレは、完璧な策を用意していた。
(古代、中世、近世――遠い過去から呼ぼうとすればするほど、その精度は落ちる。そもそも、そんな昔の英霊を呼べるような遺物など、僕では探せない……それなら、近代から呼び出せばいいのだ)
近代だろうが歴史は歴史。魔力や神秘性、さまざまなステータスに関しては劣るだろうが、それを補って余りあるだろうことは、確信出来ていた。
ディオニシオは、白黒写真と古い勲章を掲げ、唾を飲み込んだ。
(レッドバロン――第一次世界大戦における、エースパイロット。世界一の撃墜王)
彼が来たならば、彼の愛用機であったフォッカーが宝具となることは確実。そして、宝具と化したフォッカーを駆り、空から偵察、発見次第撃墜――とすれば、勝利は確実。近現代を軽視してやまない魔術師相手なら、この上ない戦法だろう。――己が信念は捻じ曲がるが、そんなことすべて承知の上だ。
(どうしても、勝たなければならない……そう、勝つためなら、戦法を選んでなどいられないのだ……!)
シルベストレ家は、知名度こそ地を這うくらいだが、歴史はそれなりに古く、細く長く続いてきた家系だった。目立った戦功、有名な成果が無いために、家格としては中の下に甘んじている。それでも、地元の名士。張本人たちにしてみれば、守らなくてはならない大きな名前だ。
それが今、断絶の危機にあった。
妻を亡くし、娘も病死。息子は出奔して行方知れず。いや、それだけならばまだ良い。若い女を後妻に据えれば、子どもはまだ作れる。問題は金だ。借金がかさみ、首が回らない。しかもそこに付け込み、シルベストレ家の縄張りを犯そうとする不届き者まで出てきてしまった。
(まずは金をどうにかする……資金さえあれば、あんな三流マフィアどもなど、恐るるに足らん!)
模擬聖杯戦争は、起死回生の一手なのだ。勝ち抜いて当然の、割のいい賭け。
「――告げる! 汝の身は我が下に。我が命運は汝の剣に。聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うならば応えよ! 誓いを此処に。我は常世総ての善と成る者。我は常世総ての悪を敷く者。汝三大の言霊を纏う七天――抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
木立の中に光が溢れ、魔力が渦を巻く。空気が火花を散らし、突風が木々を大きくしならせた。
「――問いましょう。貴方が、私のマイスターですか」
現れたのは、長身の青年。纏った軍服は深い紺色のダブル。制帽の下から、短い金髪が覗いている。脇にドイツ帝国を表す黒い鉄十字をつけ、腰にはサーベル、そして片手に、旗をたなびかせる長い槍を持っていた。
ディオニシオが違和感を覚えたのは、彼の喉元にあるべき勲章が無かったからである。プール・ル・メリット勲章。彼が撃墜王として名を馳せるようになった証。
どうしようもない嫌な予感を感じつつ、彼は頷いた。
「あぁ、僕が君を呼んだ者だ。――真名とクラスを確認しても?」
周囲を見回していたサーヴァントは、ゆったりと視線をマスターに合わせ、緩やかな調子で答えた。
「私は、マンフレート・フォン・リヒトホーフェン。クラスは、ランサーです」
ディオニシオは目を剥いた。
「ランサーっ?」
「えぇ。どうやら、槍騎兵だった頃の私が、現界しているようです。自分でも、最盛期とは言い難いのですが……マイスターの要望でしょうか」
「まさか。君の最盛期は間違いなく、パイロットとして活躍していた頃だろう? どうして――どうして、パイロットになる前の君が、ここに来たんだっ?」
「……申し訳ありませんが、私は魔術に詳しくない。どうして、この状態の私が呼ばれたのか、私では見当もつきません」
「っ……」
当然のことだ。彼はただ呼び出されただけなのだから。問題は呼び出した側にあるはずで。しかしディオニシオには、一体何が悪かったのか、想像も出来ない。用意した遺物は間違いなく、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンに繋がる物。そして実際、望んだその人が召喚に応じた――召喚に応じたなら、その姿は自然と、戦いに適した姿、すなわち全盛期の姿を取るはずである。
遺物の不備か? ――いや、これは最も有名なポストカードの元となった写真。裏も取った。不備などあろうはずがない。
場所が悪かったのか? ――賎畿市の中で最も良質な霊脈を探し、こんな山奥まで来たのだ。時間も暦も良い。悪かったわけがない。
……己の、未熟さゆえか? ――否。断じて、否! それはあり得ない! それだけは!
ならば――ならば、何故? 何故、このようなイレギュラーが……――
「――そうか」
ディオニシオははたと膝を打った。
「これは、普通の聖杯戦争ではない――あらゆることが、本来の聖杯戦争とはかけ離れ、ランクダウンしている戦争だ。つまり、呼び出される英霊も、最盛期とは限らない」
そう考えれば、すべてに納得がいった。そして、勝算も出てくる――他の参加者たちもみな同じ条件下に置かれていると思えば、この程度の予想外、何ら問題ない。
「……なるほど。通常の聖杯戦争とは、幾分か勝手が違う様子」
「その通りだ。理解が早くて助かる。――あぁ、その関係上、令呪も二画しか配布されていない」
この仕様を知った時には、心の底から驚いた。本来、サーヴァントに対する絶対命令権となる令呪とは、全員に三画ずつ配布されるべきものである。そうでなければ、制御不能のサーヴァントを引き当ててしまった瞬間、詰みとなる。このことも、ディオニシオが比較的話が通じやすいであろう近代の英霊を呼び出そうと思った要因だった。
「切り札が、通常より少ないのですね。分かりました。もとから頼るつもりはありませんでしたが、その旨、心に留めておきましょう」
リヒトホーフェンの対応を聞いて、ディオニシオは察する。
(どうやら、これが“模擬”であることは、サーヴァントには伝わっていないようだな……これは都合が良い)
そう、“模擬”であり、あらゆる面で節約に節約を重ねた結果――どうやら、聖杯に懸けられる願いも、一つしか受理されない仕様になってしまったらしい。つまり、マスターかサーヴァントか、どちらか一人の願いしか叶えられないのである。
(このことはランサーには伏せておこう……どうせ、最後には自害を命じるのだし)
近代の英霊だ、対魔力のランクは低い。一画で確実に命令を遂行するだろう。
「では、これからよろしく頼むぞ、ランサー」
リヒトホーフェンは薄い笑みを浮かべた。史実として残っている通りに、彼はゆったりとした――断固とした――口調で、喋る。
「戦争と名の付くもので、二度と負けるつもりはありません。お任せください、マイスター。このマンフレート・フォン・リヒトホーフェン、騎士道の下に、貴方へ勝利を呼び込みましょう」
近代の人間でありながら、この騎士然とした語り口。
(――ふん、騎士道など愚かしい。予定は狂ったが……問題ない。元々考えていたプランで行けばいいのだ。……精々、派手に戦ってもらうとしよう)
彼らが七組目、最後の参戦者である――ここに、模擬聖杯戦争の火蓋は切って落とされた。
「さて、早速だがランサー。その脇に付けている鉄十字を、目につかないところへやってくれないか」
リヒトホーフェンは分かり易く眉をひそめた。
「何故です、マイスター。これは、私の、軍功。国王より賜りし、貴重な勲章。私の身分とランクを示し、味方には士気の高揚を、敵には畏怖を与えるために、必要なものです」
「いいかランサー。それを晒して歩くのは、『自分は近代ドイツの英霊です』と喧伝して回っているようなものだ。この戦いは、正体がばれればばれるほど不利になっていく。身分を明かさない、というのは、この戦争において当然の戦略なんだ」
「……なるほど。承知しました」
どうやら、戦略だと言われたら反論が出来ないらしい。近代軍人らしいというべきか、彼が特別素直だというべきか。ともあれ、御しやすそうなサーヴァントだとディオニシオは判断した。
言われた通りに勲章を外し、ポケットにしまって――ふと、リヒトホーフェンは横を向いた。
「ところで、マイスター」
「なんだ」
「この辺りには、野生の虎が、棲息するのですか?」
「は? 何を言って――」
ディオニシオの言葉は途中で遮られた。リヒトホーフェンが彼を抱えて、大きく飛び退いたからだ。
木々が薙ぎ倒される音。
獣の咆哮。
そこにいたのは、確かに、虎だった。百人に訊いても九十人が虎だというだろう。残りの十人はジャガーとかヒョウとか言うかもしれないが、それは些細なこと。
ディオニシオは、リヒトホーフェンの肩に担がれたまま、目を凝らした。
「……サーヴァントだ。間違いない、ランサー、あれはサーヴァントだ!」
「初戦の相手は獣か。参りましたね」
「何がだ?」
「獣と戦った記憶は、ありません」
「っ――」
近代の人間はこれだから! とディオニシオは唇を噛んだ。せめてあのサーヴァントのマスターが近くにいれば、やりようもあるのだが。
「とりあえず、野山は彼にとって、有利なフィールドだ。町まで下りましょう」
「あ、あぁ、急げ!」
虎のサーヴァントはリヒトホーフェンたちを標的と定め、唸りを上げている。リヒトホーフェンはディオニシオを担いだまま、素早く踵を返し、山を下り始めた。