数多の星は蒼穹にて輝く   作:姉川春翠

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第四節 最初の出会いは光となって 3

 

 

 ニギロでは強い雨が降っていた。雷鳴も響いている。

 村人たちはみな、もう家の中で眠っている。時刻は夜中を回っていた。

 そんな中、クリンベル=トン=リューゲは眠れずにいた。

 昼前には出かけたと聞いたはずの二人が、未だ帰ってきていないのだ。

 

「どうしたのかしら、あの子たち」

 

 心配で眠ることなどできるはずもなかった。

 何度か家の地下道を通って、二人の家を訪ねていた。

 だが何度行っても、家に明かりがついていることはなく、人の気配も一切なかった。

 

「なにか、あったのかしら」

 

 いつ頃だったか、町の方から何かの声が聞こえたような気がした。よもや何かに巻き込まれ、今も帰れない状況にあるのだろうか。クリンベルは不安を隠せない。

 あるいはこの雨の中帰るのは危険と考えて、どこかの宿にでも泊まっているのだろうか。もしそうであるのならば安心ではあるのだが。

 

「やっぱりダメね。私、我慢できない性格だから」

 

 クリンベルは意を決して、隣町に足を運ぼうと寝室の戸に手を掛けた時だった。

 呼び鈴の鐘が鳴った。

 こんな時間に訪問者が来るだろうか。そんな疑問は、すぐにある答えに行き着いた。二人が帰ってきたのだと。

 しかし、しかしだ。ではなぜわざわざこの屋敷に来る必要があるのだろうか。クリンベルは考え、目を見開いた。

 

「まさか!?」

 

 クリンベルは部屋の戸を無造作に開け放つ。

 どたどたと大きな音を立てて、階段を駆け下りる。

 そしてその勢いのままに、玄関の扉を開いた。

 

「ソラちゃん……?」

 

 玄関の先に、ソラが立っていた。ずぶ濡れになったその手には、傷だらけになった衣類と魔力結晶のペンダントが握られている。

 

「ソラちゃん? どうしたの? こんな時間に」

 

 聞かずにはいられなかった。

 そんなことはあって欲しくないと、願っていた。それが身勝手な願いだとわかっていても、クリンベルは今、願わずにはいられなかった。

 光を失った瞳で、ソラがクリンベルを見つめる。

 

「エイネが、いなくなっちゃったの……」

「――っ!?」

 

 告げられ、クリンベルは思い出す。昨日の朝、彼の母親と話した内容を。

 

〝――動こうとしているわ、運命の歯車が〟

 

 まさか、こんな残酷な運命が待ち受けているなどとは思いもしなかった。

 エイネという一人の使い魔は――一人の少女は、余命半ばにして死ぬ。一人の最愛の少年を置いて。それが彼らの運命なのだとは。

 

(ふざけ、ないでよ……!)

 

 クリンベルは怒りを噛み締める。

 こんなこと望んではいなかった。二人が別れるとしても、それは笑顔の別れになるはずだと思っていた。その考えは、甘かったのだ。

 ソラはふらふらと屋敷の中に入っていく。背中にも生気が宿っていない。

 クリンベルはその背中を見つめる。

 

(これが本当にあなたの望むことだって言うの?)

 

「ねえベルさん。エイネ、こっちに来てない?」

 

(この子にこんな絶望を味わわせるのが?)

 

「急にいなくなって、ほら服も置いてったから」

 

(もしそうなのだとしたら……)

 

「エイネ-? もう、風邪ひくよ。いるんでしょ、ねえ」

 

(私、あなたを許せない)

 

 クリンベルは、ソラを抱きしめた。

 

「エイネ……返事をしてよ」

 

 人の温もりに触れ、ソラの瞳に光が戻ってくる。一度枯れた涙が、再び溢れてくる。

 

「ベルさん……エイネが……エイネがぁ……っ!」

「わかってる。辛いよね……寂しいよね。あの子の代わりにはなれないけど、私が一緒にいてあげるから」

 

 今のソラに掛けられる精一杯の言葉を、クリンベルは告げた。いつも親しまれる友人の〝ベルさん〟としてではなく、彼の――新たな母親として。

 求めていないかもしれない。求められることもないかもしれない。そう分かっていても、今はそれがクリンベルにできる唯一の償いだった。

 

「あ……うぁ……うわああああっ!!」

 

 ソラが泣き叫ぶ。

 その声を聞き、屋敷内の猫が集まってくる。みな、ソラを慰めるように寄り添う。

 十匹の猫と、一人の女性に囲まれる中で、ソラはひたすらに泣き叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 魔物騒動の間、ドゥエセの住人は警護兵のいる駐屯所に避難していた。

 魔物が巨大化したのを見て、押しかけるようにして駆け込んだ彼らは、今も恐怖と不安で蹲っている。

 万が一の避難施設としても利用しようと、駐屯所を大きく建てていたのが幸いしたといえよう。また偶然とは言え、この場所が魔物の危険から離れた場所にあったのも不幸中の幸いだ。

 先ほどまで鳴っていた爆音が、いつの間にか止んでいた。

 

「おい! 魔物が討伐されたぞ!」

 

 警護兵が一人、声を上げた。

 その連絡を聞き、住人たちは各々声を上げる。中には抱き合う者もいた。喜びの渦が、広がっていった。

 

「ママ……」

 

 ただ一人、トゥネリは違った。

 あの魔物は母親のなれの果てだ。思うところもあり、素直に喜ぶことができない。

 トゥネリは静かに立ち上がり、駐屯所を出た。

 

「雨、降ってる……」

 

 地面が弾く激しい水の音と雷鳴が、耳を刺激する。

 その中をトゥネリは走った。

 

「ソラは、無事だよね?」

 

 一人魔物の方に走っていった、今日はじめて会った少年。トゥネリは彼のことを心配していた。もし魔物が倒されたというのであれば、彼もどこかに無事でいるはずだと。

 向かったのは、魔物が出現した場所。自分が住んでいた家のある一画。

 その一画で、少年の姿を見つけた。

 

「良かった! ソラ――」

 

 声を掛けようとして、立ち止まった。

 少年は泣いていた。強い雨の音でかき消されているが、叫んでいるのがその姿からわかる。

 手には、服が握られていた。少年と一緒にいた女性の服が。

 トゥネリはすぐに察してしまった。あの女性は――死んだのだと。

 

「そんな……」

 

 トゥネリは跪いた。

 彼女の胸に、絶望にも似た感情が芽生える。と同時に、ある実感が湧いてきた。自分もまた、母親を完全に失ったのだという実感が。

 なにより、素敵な笑顔を見せていた少年が泣き叫ぶ姿に、罪悪感があった。

 二つの感情に押し流され、トゥネリの目から涙が溢れた。

 ふと、少年がふらふらと立ち上がった。手にあるものを大事そうに抱えて、どこかへと歩いて行く。

 それを見たトゥネリも自然と立ち上がっていた。そして彼を追おうと、一歩足を出した。

 

〝――ソラのこと、よろしくね〟

 

 あの女性に言われた言葉を思い出す。あの言葉に秘められた違和感の正体にトゥネリは気づいた。あの女性は、自分の死を悟っていたのだと。

 だからあの少年を追いかけた。自分にはその義務があるのだと。それが、それだけが、彼にしてやれる行動だと。

 ふと、何かが足に当たった。

 ナイフだ。しかもまだ血が付いている。その先には、女性の衣服の切れ端が張り付いている。

 それを手に取り、しばし見つめた。

 

「まさか……」

 

 何かを想像して、トゥネリは青ざめた。

 

(もしそうだとしたら、わたしはあの人に何ができるの……?)

 

 立ち尽くす。ナイフを握りしめたまま、抜け殻のようになった少年の背中を見つめる。

 そのまま何も出来ずに、トゥネリは少年を見失った。

 

 

 

 

 ひとしきりに泣いたソラは、その疲れからか眠りに落ちていた。

 クリンベルは彼を自分の寝室に運び、ベッドに寝かせると、ソラの髪をそっと撫でた。

 

「よく眠っているわね……」

 

 先ほどまでの顔が嘘のように、健やかな顔になっている。

 憑きものが落ちたのか、今だけなのかはわからない。だがクリンベルは少しだけ安心することができた。

 ソラの頬をそっと撫でる。頬筋にはくっきりと涙の跡が残っている。

 クリンベルは自室にあるタオルを出すと、小さな桶に用意したお湯でそれを濡らした。

 濡らしたタオルで優しく、涙の跡を拭いていく。

 拭き終わると、タオルを桶に投げ入れて部屋を出た。

 

 彼女が向かったのは、屋敷の書斎だった。

 立ち並ぶ本棚の中を歩き、目的の本の前に立つ。

 そして手にしたのは〝魔法生物〟とタイトルの書かれた本――そう、ソラが読んでいた本であった。

 クリンベルはその本の最後のページ――破られたページのところを開いた。

 

「もしこれが完全な状態だったのなら、違う運命があったのかしらね」

 

 クリンベルは破られたページに書かれていた事を思い出す。

 このページには、魔物と使い魔に関する記述が載せられていた。そう、エイネを助けるための知識がここには書かれていたのだ。

 彼女は間接的に、エイネの命を奪っていたのである。

 本を閉じ、元あった場所に戻す。すると、後ろに収められていた本が床に落ちた。

 落ちた本の下まで行き、それを拾った。本のタイトルは〝母と子と恋人〟。

 

「なにが母親よ。あいつの……()()()()()()()()()()()()くせに」

 

 クリンベルは吐き捨てると、本を乱暴に戻した。

 寝室に戻ると、ソラが何か寝言を呟いていた。

 

「エイネ……エイネ……」

 

 消えた少女の名前を呼んでいる。

 

「なんであなたは、あの子を引き取ったのよ」

 

 クリンベルは怒りを露わにする。

 唇が裂けて血が出るほど、強く噛み締めた。握った拳を、壁にぶつけた。

 

 この時、ソラは夢を見ていた。エイネと話しをする夢を。

 エイネはソラに言った。

 

「もっと沢山の人を、笑顔にしてあげて」

 

 それは死の間際に告げた言葉同じだった。

 

「でもボク、そんなことできないよ」

 

 ソラの返答に、エイネは首を振る。

 

「できるよ。だって毎日、私を笑顔にしてくれてたじゃない」

「けど、それはエイネがいたから!」

「ううん、違う。私だけじゃない、ソラは村の人たちも笑顔にしてる。あなたには、誰かを笑顔にする素敵な力があるの」

「でも……でも……っ!」

 

 エイネの手が、ソラの頬に触れる。優しく、確かな温もりとともに。

 

「あなたならきっとできる。世界中のみんなを笑顔にすることだってできるはず」

 

 エイネは笑う。そこに一片の涙もない。

 

「だってソラは、世界で一番の自慢の王子様なんだから」

 

 エイネの手が離れる。ゆっくりと、エイネ自身も離れていく。

 

「待って、待ってよエイネ!」

 

 ソラは必死に手を伸ばした。手を伸ばし、エイネの体を引き寄せようと藻掻いた。

 だが彼の手は届かず、エイネはどんどん離れていく。

 

「ごめんね。そしてありがとう――私の大好きなソラ」

 

 エイネの姿が消えた瞬間、ソラは目を覚まして飛び起きた。

 時刻はもう朝になっていた。

 飛び起きたソラは、周囲を見渡す。

 

「ここは……?」

 

 見知らぬ部屋に首を傾げる。

 いや、それだけではなかった。

 

「ボクは……誰だっけ?」

 

 ソラはショックから記憶の殆どを失っていた。自分の名前さえ、失っていた。

 だが不思議と焦る様子はない。呆然と、辺りを見回しているだけだ。

 丁度そのとき、クリンベルがエプロン姿のまま部屋に入ってきた。

 

「あら、おはよう。ソラちゃん」

 

 ソラは首を傾げる。

 

(この人……誰だろう?)

 

 目の前の貴婦人のことも、ソラは忘れていた。

 

「朝ご飯、食べましょう?」

 

 貴婦人に誘われるまま、ソラは食事をする部屋に向かった。

 部屋の中にはいい匂いが漂っていた。

 テーブルには豪勢な料理が並べられており、とてもじゃないが朝の食事にしては多い。

 というのも、クリンベルがソラを慰めるために張り切りすぎたためであるのだが。

 

「ソラちゃんのために腕によりをかけました! さ、食べて食べて」

 

 にこにこと笑う貴婦人に促され、ソラは席に座る。

 目の前に、魚を使った料理が出されている。横脇にはナイフとフォークが置かれていた。

 どうやらこれを使って食べるようだ。そう理解すると、ソラはフォークをまず手に取った。

 次にナイフを握った瞬間だった。

 

「――っ!?」

 

 目を大きく開き、ソラの呼吸は一気に荒くなった。

 

「あ……あぁ……」

 

 ソラの中でフラッシュバックが起こる。エイネを刺した時の感触。エイネの胸から流れる血。そして、エイネの消滅の瞬間。

 それらが同時に、ソラの中の記憶を呼び戻す。

 次々と迫り来る記憶の渦が、締め付けるような痛みを生みだす。

 思わずソラはナイフを落とし、頭を抱えた。

 

「ソラちゃん!?」

 

 ナイフに触れた手が震える。必死に左手で抑えようとしても、震えが止まらない。ソラはナイフという物に重度のトラウマを抱えてしまっていた。

 

「うぐっ……」

 

 吐き気がやってくる。幸い昨日は昼から物を食べていなかったためか、吐くことはなかった。

 いやな汗が、ソラの額に滲んでいる。

 

「どうしたの!?」

 

 慌ててクリンベルはソラに寄り添った。彼女は何が起こったのか知らない。いや、知るはずも無かった。ソラがエイネを刺したなどという事実を知らないのだから。

 震える手を抑えながら、ソラは歯噛みする。

 ソラの頭の中で、エイネの言葉が何度も反響する。

 

〝――もっと沢山の人を笑顔にしてあげて〟

 

 エイネが最後に告げた願いが、頭の中を巡り続ける。

 

(ダメだ……こんな弱いボクじゃ誰も笑顔にできない……誰も守れない!)

 

 手の震えが止まる。

 ソラは落としたナイフを拾おうと手を伸ばした。

 ナイフに触れるとまた、手の震えが出始める。それでも震えた手で、握りしめた。

 その瞳に揺らぎはない。

 

「ベルさん……ボク、もっと強くなりたい」

「ソラちゃん?」

「もっと強くなって、沢山の人の力になりたい」

 

 決意の眼差しに、クリンベルは狼狽える。

 

(まさかヴェルティナは、最初からこうなるとわかってて)

 

 クリンベルの中で、疑心が生まれる。一体目の前の少年はこれから、どれだけの重荷を背負うことになるのだろうかと。それは果たして、この少年のためになるのであろうかと。

 

「いいの? もしかしたら、辛い現実を目にすることになるのかもしれないのよ?」

「うん、大丈夫。辛い現実になんて、絶対にボクがさせない」

 

 ソラの眼差しは、もうどうすることもできないと物語っていた。

 

「そう、わかったわ」

 

 クリンベルは諦める。これから彼は、自分の道を突き進むのだ。やれるのはもう、その道しるべになってあげることだけだと。

 

「ありがとう、ベルさん」

 

 ソラは笑った。

 そしてソラは食事を始めた。まるでかき込むようにして、料理を頬張る。なんせ昨日の昼から食事をしていないのだ。腹が空いて仕方がない。

 

「んー! 美味しいよベルさん!」

「そう、よかったわ」

 

(本当に、よかった……)

 

 クリンベルも、目尻に涙を浮かべて笑う。胸に手を当て、安堵の息を吐く。内心複雑な気持ちだが、今はソラが立ち直ったことを素直に喜んでいた。

 ナイフを握るソラの手は、まだ小刻みに震えていた。

 

 

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