湧き上がる歓声の中、トゥネリは静かに笑みを浮かべる。
(やっぱりソラはすごいなぁ……わたしなんかより、ずっとずっと……)
自分は凡人だ。一方のソラは天賦の才能を持っている。まさに天と地ほどの差があると、トゥネリは感じていた。
微かに笑顔が曇る。
彼女にはまだ迷いがあった。やりたいことがある――だが自分に果たして、資格があるのだろうかと。
考えていると、ソラと目があった。ソラはトゥネリに満面の笑顔を向けている。その笑顔があの日の光景を思い起こさせる。
(わたしに彼といる資格はない。けどそれしか……それしかわたしには方法がないから……)
笑顔で返しながらも、トゥネリの心にはドロドロとした淀みが生まれていた。〝罪悪〟という淀みが。
「ん? あれは……?」
ふと、トゥネリはある事に気がつき視線を向けた。
「あの人、どうしてここに?」
彼女の視線の向こうでは、ふらふらとした足取りで立ち上がり去ろうとしている女性の姿があった。
トゥネリが気にするのもそのはず。女性はトゥネリに「息子を助けてほしい」と依頼した人物であったからだ。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
立ち上がったトゥネリを見て、セシルが問い掛ける。
「ごめんなさい、ちょっと用事を思い出して」
そう笑いながら答えると、トゥネリは急いで女性を追いかけた。
闘技場の外に出ると、女性の後ろ姿が見えた。
「あの!」
トゥネリは追いつくと、すぐに声を掛ける。
女性はゆっくりと振り向き、トゥネリの顔を見た。少し青ざめた顔色をしており、どうにも具合が悪そうである。
「あなたは……昨日の……」
肩を落とし、フラついた足取りの女性にトゥネリはどう話し掛けたものかと考える。
「あの……息子さんには会えましたか?」
「息子……?」
「えっと、昨日依頼しましたよね? 息子を助けてほしいって……」
「ああ……そうでしたね……」
様子がおかしい。トゥネリは女性の顔を伺いながら、警戒心を抱く。
対する女性はというと、どこか判然としない表情を浮かべてしばし黙した。
「大丈夫です。ちゃんと再会できました。今は助かって嬉しかったのか、友達と遊びに出掛けているんです」
笑って答える女性。別段おかしな返答でもないため、トゥネリも警戒心を解いて笑った。
「そうですか。それは良かった」
「ええ、ありがとうございます。息子を助けていただいて」
「いえ。でもどうしてあの闘技場に?」
トゥネリの問いに、また女性は少し黙った。まるで答えを考えるかのように。
「その……息子を助けてくれたっていうもう一人の方が、どんな人なのか見てみようと思いまして」
「ああ、それであそこに。でもその……あまり具合が良くなさそうに見えますけど」
「ええ。思ってた以上に激しい戦いだったので、ちょっと」
「でしたら、お家まで送ります。なんだか足取りも悪そうなので」
そう言ってトゥネリは肩を貸そうと近づく。が、女性は踵を返すと一人でまたふらふらと歩き始めた。
「あ、ちょっと!」
呼び止めようと手を伸ばした時。
「トゥネリー!」
名前を呼ぶ声が背後から響いた。
思わず声に振り向くと、駆け寄ってくるソラの姿が見える。
しかし今は構っている場合ではない。トゥネリは慌てて女性の方に振り返ると――女性の姿は忽然と消えていた。
「消えた……?」
自分は幻でも見ていたのだろうか。目を大きく開き、虚空を見つめるトゥネリ。
そんな無防備状態のトゥネリに対しソラは――。
「トゥネリー! とりゃー!」
どういうわけか、走る勢いそのままに飛びついた。
「ごふっ――!?」
強い衝撃を受けて一瞬息を詰まらせるトゥネリ。体を受け止めることも出来ず、尻もちをついた。
「な、なんなのよもう!」
状況が掴めずにトゥネリは声を上げる。そもそも何故飛びついてくるのかさえ理解出来なかった。
「えへへ」と嬉しそうに笑いながら、ソラはトゥネリの顔を見る。
「な、なによ?」
見つめられ、トゥネリは赤面する。
「嬉しかったからつい。ごめんね?」
ソラの謝罪に、トゥネリは口をまごつかせて答えを考える。この状況に思考が纏まらず、心なしか頭から煙が上がっていた。
「べ、べつにいいけど……心臓が飛び出るかと思ったわ……」
「あはは、ごめんごめん」
流石にやり過ぎたと苦笑するソラ。立ち上がり、そっとトゥネリに手を差し伸べる。
トゥネリは少し顔を見つめて、くすりと笑うと手を取って立ち上がった。
「おめでとう、ソラ。カッコ良かったわよ、あんたの戦い」
「ありがとう。トゥネリのおかげだよ」
「別にわたしは……何もしてないわよ」
二人は笑い合い、自然と握手を交わす。片や喜びを分かち合うために。片や称賛を示すために。目的は違えど、思いは同じだった。
が、ふと視線を感じて二人は周囲を見渡した。というのも、二人を囲むようにして先程の試合を見ていた者たちが集まってきたからだ。
「お前すごいなぁ! あのユースに認められるなんて!」
「しかもお前、全部詠唱無しであれだけの魔法を唱えているなんてよ!」
称賛の嵐が巻き起こる。
ソラは照れ臭そうに、ほんのり赤く染まった頬を掻いて「そんなことないですよ」と笑った。
「なにか困ったことがあったら気軽に言ってくれ!」
「おう、ここに入った以上俺たちは家族みたいなもんだからな! お互い手助けし合おうぜ!」
ソラを囲んで男たちがそう言葉を投げかける。
これにはどう答えたものかと困っていると、トゥネリが「多分こいつらの殆どがあんたを女だと思っているわよ」と小さく耳打ちした。
今後の活躍が期待される上に、絶世の美女とも言えるような容姿をしているソラ。そんな彼に対して何かしらアプローチする男がいてもおかしくはないだろう。
ここは誤解を解くために、自分は男だと公言するべきではないか。そう思い口を開いた時だった。
「おーい、お前ら。集まってないでさっさと依頼を受けるなりなんなりしてこい」
手を叩き、集団を割って入ってきたのはヴェラドーネだった。
支部長が直々に物申したともなれば逆らえるはずもなく、集団は程なくして解散していく。その際各々「じゃあこれから頑張れよ」などと言った激励の言葉をソラに投げかけた。
「その、ありがとうございます」
村の人々から囲まれることはあっても、見ず知らずの人間に囲まれるという経験はない。そのため妙な威圧感から解放され、ソラは胸を撫で下ろした。
ソラの謝意にヴェラドーネは「気にするな」と言いつつ、顔を眺める。
(ほんと、つくづくあいつによく似ている。まるで生き写しみたいだな)
あまりにヴェラドーネが顔を見るもので、ソラは微かに首を傾げる。
「あの、ボクの顔になにか?」
「ん、いや。なんでもないさ。それよりおめでとう。まさか本当にユースに認めさせるとはね」
「まだ全部が全部認められたわけじゃないですよ」
「それでも、あいつが君を認めたということは、君の中にある程度可能性を感じたってことだろう。誇るといい」
そう言って微笑むと、ヴェラドーネはソラの頭に数回軽く手を置いた。
「さて、じゃあいいものを見せてもらったし、私も自分の仕事に励みますかね! トゥネリ、お前は彼の先輩なんだ。ギルドについて教えてやってくれ」
「私が……?」
「よろしくね、トゥネリ」
「え、ええ。その……まあわたしで良ければ……」
笑い掛けられたのと、自分が先輩であるという照れ臭さからトゥネリは紅潮する。
そんなトゥネリを見て笑うと、ヴェラドーネは去っていった。
二人になり、またソラとトゥネリは呆然と見つめ合う。堪らず顔を逸らしたのはトゥネリだが、彼女の心臓はまたも異様な程に高鳴っている。
「あれ、そういえばセシルとレフィナさんは?」
「ん? そう言えば席を離れてから見てないわね……」
ソラとトゥネリが集団から解放される少し前、セシルとレフィナはユースの後を追って外に出ていた。正確にはレフィナが追いかけ、その後をセシルが続いていた形だ。
背後に気配を感じて、ユースは歩みを止めて振り返る。
「あんたは……」
ユースにとって忘れようにも忘れられない顔。かつて救えなかった男の家族の顔。
「どうした? また何か恨み辛みでも言いにきたか?」
ユースの問いに、レフィナは被りを振った。微かに唇を震わせて、ユースの目をじっと見つめる。
彼女の意図が分からず、ユースは肩を竦める。答えを待ちながら、「そう言えば、あいつと一緒にいたな」と内心で呟いた。
二人の間に沈黙が流れる。
レフィナの背後に隠れながら、セシルは顔を上げた。神妙な面持ちに不安を覚えながらも、母親のことを待つ。
「ユースさん、あなたもしかして……あの人とソラさんを重ねていたんじゃないんですか?」
ユースの眉が微かに動く。
「何故そんなことを聞く?」
「いえ……ただその……なんとなくそう見えて。だからあなたは、ソラさんのやり方に肯定的ではないのかなと思って」
レフィナの煮え切らない物言いに、ユースはまた肩を竦める。
「別にあんたの夫のことは関係ない。ただ俺は、あいつのことをよく知っているってだけだ。逆に聞くが……あんたは重ねたのか?」
「それは!」
ユースの問いに、レフィナは口を紡ぐ。否定も出来ず、肯定を口にすることも出来ず、服を掴んでただ俯く。
「確かに考え方は似ているかもしれないな。あいつとあんたの夫は」
呆れた表情で振り返ると、ユースは再び歩み出そうとする。が、立ち止まって言った。
「だがやり方が違う。あんたの夫は誰かのためになるなら多少の犠牲も厭わなかった。あいつはその犠牲さえ無くそうとしている」
言いながら空を見上げる。雲一つない快晴の空。澄み渡った青が見渡す限り広がっている。
「誰の上にも等しく広がる大空のように、あいつはすべての人間に等しく手を差し伸べようとしている。そんなのは長続きしない。いずれあいつは人の闇に触れて変わって――」
「変わらないもん!」
突然セシルが声を上げた。
言葉を遮られ、ユースは顔だけを向ける。
少女は目元に涙を浮かべ、なにかを訴えるように表情を険しくしていた。
「セシル?」
これまでにないセシルの行動に、レフィナは驚く。彼女がここまで感情を剥き出すところを、レフィナは見たことがなかった。
「お兄ちゃんは絶対に変わらないもん!」
なにも根拠はない。セシルはただ一心にソラのことを信じていた。込み上げてくる思いに呼応して、目尻に溜まった涙が溢れ出す。
セシルの様子を見てユースは嘆息を漏らす。
「まだ会って間もない相手になぜそこまで入れ込むのかは知らないが……そうだといいな」
ユースは止めていた歩みを進めると、静かに呟く。
「あ、いた! セシルー!」
丁度その時、ソラとトゥネリが駆け寄ってきた。
響くソラの声を聞き、セシルは慌てて涙を拭う。
「二人とも何かあった?」
来たときにはすでにユースの姿が無く、ソラは不思議そうに小首を傾げる。
「ううん、なんでもないよ。それよりお兄ちゃん凄かった!」
屈託のないセシルの笑顔に、ソラは安堵する。
「そっか。セシルもありがと、ボクのことを信じてくれて」
まるで一連の出来事を見ていたかのような言葉に、セシルは一瞬面食らう。が、すぐに笑うと彼に抱き、腹のあたりに顔を埋めた。
(セシル……あなた……)
一方レフィナはセシルとソラの二人を見て、やり場のない思いを胸に秘めるのであった。
◇
王都ブリアンテスの住宅街の裏路地。薄暗く人があまり寄り付かないこの場所に、一人の女性がいた。トゥネリに息子を連れ去られたと訴え、依頼した女性だ。
壁に手を掛け、荒い息遣いをしている。地面には赤い血溜まりが出来ていた。
支える力を失い、膝を突く。胸を抑えて蹲った。鋭く重い痛みが体を駆け巡っている。
突然女性の体が淡い光に包まれた。
乱れた黒髪が白銀に変わり、素朴だった顔が極めて美しく変貌する。
光の中から現れたのは、ソラの母親ヴェルティナだった。
(まったく……あの子も無茶をするものね……)
ひとしきりに血を吐いた彼女は、呼吸を整えて顔を上げる。
(まさか……彼の一撃を受け止めることになるなんて思ってもいなかったわ)
立ち上がって嘆息すると、ヴェルティナは天を見上げる。すると薄暗い路地に太陽の光が差し込んだ。
「ええ、大丈夫です」
独りでに呟く。
一体誰に話しかけているのか。それを知る者は、本人の他には存在しない。
「愛しきあなたのため……こんな痛みなんともありません」
ヴェルティナは天に微笑みかける。頬をほのかに赤く染めて微笑む様は、まるで誰かを恋い慕う女のようだ。
「ええ、分かっています。これはまだ始まりに過ぎませんもの」
そして謎多き女ヴェルティナは花びらとなって消えていく。
彩り豊かな花びらは風に乗ると、何処かに向けて天高く舞い上がるのであった。