数多の星は蒼穹にて輝く   作:姉川春翠

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短編I
最初の出会いは甘い果実


 二ギロ村にある小さな家。その一室にて、少女エイネは祈りを捧げていた。

 隣の部屋からは、彼女の主人ヴェルティナの呻く声が微かに聞こえてくる。

 今ヴェルティナは出産を迎えようとしていた。

 必死に子を産むための痛みに耐えるヴェルティナ。額には汗が滲み、唇を噛み締めている。

 傍らでは友人のクリンベルとクリンベルが連れてきた女性医師が、出産のために尽力していた。

 何もできないエイネは、ただ無事を祈ることしかできない。両膝を床につけ、両手を合わせ、目蓋を固く閉じる。

 不意に、普段のヴェルティナからは考えられないような甲高い悲鳴が響いた。

 耳を塞ぎたい気持ちを抑え込み、祈りを続けるエイネ。

 しばらくして、悲鳴が途切れた。

 エイネは祈りをやめて、思わず顔を上げる。まさか最悪の事態に陥ったのか。不安が過ぎる。

 その不安をかき消すように、大きな泣き声が響き渡った。赤子の声だ。

 

「産まれた!?」

 

 はやる気持ちを抑えきれず、エイネは部屋から飛び出す。

 

「ヴェルティナ!」

 

 隣の部屋に飛び込んで真っ先に視界に入ったのは、元気な産声を上げる赤子の姿だった。

 

「エイネちゃん、産まれたわよ。元気な男の子が」

 

 腕の中にいる赤子をあやしながら、クリンベルが笑う。

 しかしエイネは、ヴェルティナの方へ一目散に駆け寄った。

 

「あらおはよう、エイネ」

 

 横になって息を切らしながら、ヴェルティナは微笑む。

 

「おはようじゃないわよ、バカ……ッ」

 

 ヴェルティナの無事な姿を見て安心したのか、エイネは涙を溢れさせる。

 

「ああ、もう。なんで泣いてるの?」

「だって……だってヴェルティナがすごく苦しそうな声出してたから……ッ!」

「それはもう苦しかったわよ。でもほら……見て?」

 

 ヴェルティナに促され、エイネは赤子の方に顔を向ける。吸い込まれるような澄み渡った碧眼と目が合った。

 

「ほらヴェルティナ。抱いてあげて」

 

 クリンベルは抱えていた赤子を、ヴェルティナに差し出した。

 ヴェルティナは身を起こすと、赤子を抱き抱える。

 

「おはよう、ソラ」

「ソラ?」

 

 聴き慣れない響きに、エイネは小首を傾げる。

 

「ええ、ソラ。ソラ=レベリア=ヴィルレ……それがこの子の名前よ」

「ソラ……」

 

 エイネはその名を頭の中で繰り返す。何故か心地良い響きだ。

 

「ちなみにその名前、私の占いで決めたのよ?」

「占い?」

「そう。文字を書いた紙をたくさん並べてね、その中から――」

「はいはい、そんな話はどうでもいいから」

 

 ヴェルティナに話を遮られ、クリンベルは頬を膨らませた。

 二人が他愛もないやり取りをしている中、赤子のソラは不思議そうに辺りを見回している。

 そんなソラとまた目が合い、エイネは彼の綺麗な瞳を見つめた。

 

「ほらエイネ。触ってみなさい」

 

 ヴェルティナの言葉のままに、エイネは恐る恐る人差し指を近づける。

 別に初めて赤子に触れるというわけではないのだが、何故か異様なほどに緊張していた。

 ゆっくりと近づいていく指。それを迎え入れるようにソラは手を伸ばすと、小さな手のひらで包み込んだ。

 

(あ……温かい……)

 

 ソラの持つ温もりに、エイネは顔を綻ばせる。

 するとソラも応えるように笑顔を咲かせた。

 

「あ、笑った! 笑ったよヴェルティナ!」

 

 まるで我が子にでも触れたかのように、エイネは喜びを露わにする。

 今度はそっと、ソラの柔らかい頬に触れた。

 

「あらあら、エイネちゃんったら」

 

 目をキラキラと輝かせるエイネを見て、クリンベルはくすくすと笑う。

 

「どうやらもう彼女に懐いちゃったみたいですね」

 

 きゃっきゃと笑うソラの姿を見て、女性医師も笑った。

 

「わざわざ隣町から来てくれてありがとうね。とても助かったわ」

「いえいえ、何を隠そうヴェルティナさんとベルさんのお願いですから」

 

 女性医師は笑うと、荷物をまとめ始める。

 ちらりとソラの方に顔を向けると、女性医師は「羨ましいです」と呟いて部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ソラが産まれてから早六ヶ月。エイネは母親の代わりに彼を育てるようになっていた。

 母親のヴェルティナの姿はもう無い。彼女はソラが産まれた七日後、忽然と姿を消し行方知れずとなってしまっていた。

 ヴェルティナをよく知るエイネは思った。きっと何か理由があるに違いない。それが何かは分からないが、自分がソラを育てようと。

 姿を消す前、ヴェルティナから頼まれたというのもある。だが何よりも、愛おしいソラの事を見捨てられるはずがなかった。

 

「んー、どうしよっかなぁ……」

 

 そんなエイネだったが、今ある問題に直面していた。それはソラに与える食事についてである。

 これまでは牛の乳を温めて飲ませていたのだが、ここ最近はそれだけでは満足いかないのかよく夜中に泣くようになっていた。

 歯が生え始めているため、そろそろ何か食物を与えるべき時期なのだろう。

 だが何分知識が浅く、何を食べさせればいいのかが分からない。赤子が噛みやすい柔らかい物がいいというのは知っているのだが、該当する物が何かまでは思い浮かばないでいた。

 

「せっかくはじめて食べるんだから、美味しい物がいいわよねぇ」

 

 美味しくて柔らかい物。真っ先に思い浮かんだのは肉だったが、これはあくまで自分基準でしかない。

 

「そもそも肉は結構噛まないとだからダメよね」

 

 あれはダメ、これもダメと繰り返すエイネ。頭を使いすぎて、今にも頭から煙が吹きそうになっている。

 

「んー、どうしたものか」

 

 思考が堂々巡りを始めた時だった。

 

「何か悩みごとかしら? エイネちゃん?」

 

 背後で陽気な声がした。

 エイネは「またか」と小さく呟いて振り返る。

 

「気配を消して現れるのやめてもらえます? ベルさん」

 

 クリンベルの姿を見て呆れかえるエイネ。一体もう何度目だ。正直心臓に悪い。そう言いたげな表情をしている。

 

「えー、だってぇ……」

 

 対しクリンベルは人差し指を咥えて、わざとらしく体をくねらせた。

 

「だってじゃないですよ、まったく」

 

 エイネにジトッとした視線を向けられ、クリンベルは身を縮こませる。

 が、すぐ忘れたかのような満面の笑顔になると、もう一度問いかけた。

 

「で、何を悩んでいるの?」

 

 さては反省していないなこの人。思っていても口にしないエイネである。

 

「いや、そろそろあの子に何か食べさせてあげようと思って」

「あの子ってソラちゃんに?」

「はい」

 

 予想だにしていなかったのか、クリンベルは目を瞬かせた。

 

「へぇー、もうすっかりお母さんが板についてきたわね? エイネちゃん」

「もう、茶化さないでください」

 

 エイネは唇を尖らせて抗議する。頬が微かに赤い。

 

「別に私はただあの人の代わりをやっているだけで――」

 

 何か言いかけた時、二階の部屋から大きな泣き声が響いてきた。

 

「ああ、もうどうしたのかしら。すいません、ちょっと行ってきます」

 

 慌ててエイネは階段を駆け上がっていく。

 その背中を見つめてクリンベルは、

 

「その代わりが、あの子にとっては特別なことになるのよエイネちゃん」

 

 と微笑むのだった。

 

 部屋の扉を開けると、ソラの泣き叫ぶ声が廊下にまで響き渡る。

 

「どうしたのー? ソラ」

 

 エイネは小さな体を優しく包み上げると、軽くポンポンとお尻の辺りを叩きながら揺り籠のように揺すった。

 

「おー、よしよし」

 

 いつもはこれですぐ泣き止むソラだったが、今回は一向に泣き止む気配がない。

 困り果てていると、クリンベルが「大丈夫?」と部屋の中を覗き込んできた。

 

「どうやらお腹が空いたみたいで」

 

 どうしたものか。エイネは頭を悩ませる。これではきっとミルクを飲ませたとしても、変わらないだろう。

 方法を考えながらソラの顔を見つめる。

 

「あ、そうだ」

 

 ふと閃きが訪れた。

 エイネはすぐさま行動に移そうと、ソラを抱えたままクリンベルに近づく。

 

「すいませんけど、ちょっとこの子の相手しててもらえますか?」

「えっ? ええ、いいけど」

 

 泣き続けるソラを預けると、エイネは急ぎ足で台所に向かった。

 保存用の棚の中を開けて、一個のりんごを取り出す。調理用のナイフで丁寧に皮を剥き、細かく擦り下ろていく。

 そして擦り下ろしたりんごを熱が伝わりやすい器に移し、お湯の入った鍋に器を入れた。

 

「うん、こんなものかな」

 

 味見で熱さを確認してから、お湯から取り出す。

 完成したものを小さな器にいれると、木の匙と一緒に部屋に持っていった。

 

「べー。あばらばばば、んー! ばぁー」

 

 部屋に入ると、奇行に走るクリンベルの姿があった。

 正確にはソラを笑わせるために変な顔をしていたのだが、どうやら逆効果だったようだ。泣き声は激しさを増している。

 苦笑しつつ、エイネは匙でりんごを掬うと、ソラの口元まで持っていく。

 

「はいソラ。ご飯だよー」

 

 その声を聞いた途端、ソラは泣き止んだ。

 

「口開けて? はい、あーん」

 

 エイネが口を開けると、ソラも真似をして精一杯口を開く。

 そこへ匙を持っていくと、ソラは自然と口を閉じた。

 

「はい、あむあむ」

 

 匙を口から出し、エイネが咀嚼する素振りを見せる。すると同様にソラは口を動かした。

 

「じゃあ、ごっくん」

 

 そしてエイネの言葉に従うように、ソラは口の中のりんごを飲み込んだ。

 

「どう? 美味しかった?」

 

 エイネの問いかけに、ソラは目を輝かせることで答える。

 

「良かった」

「もっ……もっ……」

「ん? もっと欲しい? 大丈夫、まだまだあるよー」

 

 自分の腕の中で美味しそうに食べる姿を見て、クリンベルは感心する。まるで子供の好みを予知したかのようだと。

 

「エイネちゃん、どうしてりんごを上げようと思ったの?」

 

 クリンベルの問いかけに、エイネは食べさせながら笑う。

 

「いやー、顔を真っ赤にして泣いてるの見たら、なんかりんごが思い浮かんじゃって」

 

 要はただの偶然だった。

 それでも喜んでいる姿を見れば、この選択は間違いではなかったのだろう。なにせソラはこの時食べたりんごの味を、忘れられなかったのだから。

 

 

 

 そして六年経った今でも。

 

「エイネー! りんご食べたーい!」

「またぁ? ほんと好きねー」

「だって美味しいんだもーん」

 

 ソラはりんごを食べるのが好きなのであった。

 

 

 




 この作品を読んでいただきありがとうございます。作者の姉川です。

 今回の短編は、ソラがどうしてりんごを好きになったのか? ということを掘り下げた内容になります。ついでと言ってはなんですが、彼が産まれた時の光景も描いてみました。
 個人的には好感触な内容ですので、読者の皆様も楽しんで頂けていたら幸いです。

 ではまた次の機会にお会いしましょう。

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