城の中庭に設けられた噴水の前で、セレネーラは一人立ち尽くしていた。
水面を見つめて、唇を強く噛み締める。
何故。彼女は何度も問う。何故父は何も話してくれないのかと。父親だけではない。側近の大臣たちも、使用人のメルヒでさえ何も明かしてはくれない。
今回に限った話ではない。重要なことはいつも隠されてきた。一番慕っていた姉の行方も、どこかで生きているという母親の行方も。
まるで一人だけ別の世界に生きているのではないか。そんな孤独が彼女の中で日々募っていた。
ふと誰かが背後に立ったのを感じ、セレネーラは振り向く。
「姫様……」
使用人として仕えているメルヒの姿があった。
「あなたも話して下さらないのですね、メルヒ」
メルヒは目を伏せる。
「申し訳ございません。不用意に不安を煽ってはならないと、王から仰せ使ってますので」
「そうですか……」
却って不安を煽っているというのに。そうセレネーラは思わずにはいられなかった。
セレネーラはまた噴水の水を見つめる。澄み渡るほどに綺麗な水が、彼女の物憂げな表情を映す。
「これからしばらく姫様のお側を離れることになります」
「お父様からそう言われたのですね?」
「はい。私がいないだ、代わりの者が姫様の身の回りを守ってくれます」
「代わりの者?」
「どうやら来たようですね」
セレネーラは振り返った。
「あなた達は先ほど謁見の間にいた」
ソラとトゥネリの姿を見て、セレネーラは呟く。
「この二人がしばらく姫様の警護にあたります。では私はこれで」
「メルヒ……」
「はい、どうしましたか?」
メルヒはセレネーラの発言を静かに待つ。
言いたいことがある。だが果たして口にして良いものか。セレネーラはしばらく悩んだ末、
「いえ、なんでもないです。引き止めてごめんなさい」
「何かあれば呼んでください。そうすれば駆けつけますので」
「ありがとう」
メルヒは一度深く頭を下げると、踵を返してどこかへと去って行った。
残った三人は無言で顔を見合わせる。会話がない。三人ともどう話を切り出したものかと頭を悩ませていた。
「えと、先ほどはすいませんでした」
最初に口を開いたのはセレネーラだった。謁見の間で取り乱したことを気にしていた彼女は、申し訳なさそうに頭を下げる。
「別に気にしないでください」
「いえそういうわけには。それに私たちの問題にあなた達を巻き込んでしまって……」
「ボク達は自分の意志で来たんです。巻き込まれたなんて思ってないですよ」
ソラは微笑む。
「それにセレネーラ姫が悪いわけではないですから」
「あなたは優しいのですね」
セレネーラも思わず笑みを溢す。
「そういえばあなた、お名前はなんと言うのです」
「ソラって言います」
「ソラ……素敵な名前ですね」
「姫様のお名前も素敵ですよ」
早くも打ち解けた様子の二人を見て、トゥネリは俯く。
ここにいていいのだろうか。ソラと二人だけならばいい。だが先の叱責を受けて己の立場を痛感してしまった。自分は犯罪者の娘である、と。
そんな自分が王族を守るという、重責のある任務について良いものか。
心を蝕む悩みに、トゥネリは唇を噛み締めた。
「あの……」
「は、はい!」
不意に話しかけられ、トゥネリは裏返った声で返事をする。前を向くと、眼前にセレネーラの顔があった。
「あなたのお名前、教えていただけますか?」
トゥネリは丸くした目で、ソラの方を見る。対しソラは頷いた。
答えるべきか、それとも答えずにこの場を去るべきか。トゥネリは一瞬迷いを見せる。
「私は……」
だが王族に問われ、答えないわけにもいかなかった。
「私はトゥネリ……です」
「トゥネリさん。見たところあなたは何か悩んでいるみたいですね。良かったら話してくれませんか?」
「あの……どうしてですか?」
内容次第ではこの場から排除するということだろうか。そう邪推しトゥネリは萎縮する。
「私はこの国を守る定めを受けた王家の一人です。民の悩みを聞いて解決するのも使命かと。それに……」
セレネーラが突然顔を背けたため、トゥネリは小首を傾げた。
「それにその……年が近い人と話したことがないので、お話ししてみたいなと思いまして」
「えっ?」
思いもよらぬ発言に、トゥネリは呆気に取られた。
セレネーラの顔は恥ずかしそうに赤く染まっている。その反面、体が微かに震えていることに気がついた。
トゥネリは思い出す。ルージュヴェリアがなんと言って自分とソラを選んでいたのかを。
〝――お二人といれば、多少は不安が和らぐかと思って〟
不安なのだ。自分が置かれている状況が分からず。どう接すればいいのかも分からず。それでも気丈に振る舞い、他者にはその不安を見せまいとしている。
(そっか。この人は……似ているんだ…)
トゥネリはまたソラに視線を向ける。
似ていた。弱さを見せようとはせず、誰かに寄り添おうとするその姿が。
トゥネリは拳を握る。
自分は弱い。過去のことを指摘されれば迷いが生じるほどに、脆い心を持っている。それでも叶うことならば、今は彼女の支えになってあげたい。そんな思いが、トゥネリの心に募っていく。
「あの……ダメ、でしょうか?」
不安げな表情を浮かべるセレネーラ。対しトゥネリは被りを振って答えた。
「いえ、私もその……姫様と話がしてみたいです」
答えを聞き、セレネーラの顔が明るくなる。
「良かったら私の部屋でお話しませんか?」
「いいですよ。ソラもいいでしょ?」
「うん。大丈夫」
ソラが頷いたのを見て、セレネーラは嬉々とした表情を浮かべた。その様子から、彼女が普段どれだけ肩身の狭い思いをしているのかが分かる。
「では案内します。すぐに行きましょう!」
それが例え気を紛らわせるものだとしても、トゥネリは少しでも不安が和らぐならばと思うのであった。
◇
謁見の間に残ったユースは、腕を組み考えを巡らせていた。
「王よ。ひとつお伺いしても良いでしょうか?」
「なにかね、ガルディアン卿」
相も変わらず気に入らない呼び方をされ、ユースは眉を微かに動かす。
「実際どのようなものが置かれていたのか拝見しても? 連れの二人にも見せたいのですが」
「ああ、それもそうだな」
ヘルディロ王はクローリヒに視線を向ける。それを受けてクローリヒは立ち上がると、手紙の入った封筒をユースに渡した。
手紙を開き、ユースは内容に目を通す。
〝愚かなヘルディロの王よ。近々、お前の娘セレネーラの命を頂戴する。全てはあの方に捧げるために〟
以上が手紙に書かれていた内容だ。
短いながらも、確かに姫の命を狙う内容が書かれている。この予告が本当ならば、今狙われているのはセレネーラ姫と言える。
ユースは手紙を眺めながら、どうにも腑に落ちないと考えていた。
確かにセレネーラは第二王女であり、いずれはこの国を担っていく一柱となるだろう。ヘルディロ王も歳を重ねており、いつかは世代を変えることになるはずだ。
だがそれはまだ先の話だ。国家転覆を狙うのであれば、まずは王暗殺を考えるのではないか。
そうでなくともこのような予告状を出すのは、ここへ来る前にソラが指摘していた通り、警戒を促すだけになる。
「ガルディアン卿よ。あなたはどうお考えですか?」
トルテスが問いかける。彼らも同じ考えなのは間違いないようだ。
「はっきり言って、不審だと思いますね。姫の暗殺を目論むのであれば、このような予告状を出す利点がない」
「やはりそう思いますか。王もそうお考えなのですよ。この予告状を送りつけたものは、別の目的があると」
「何か心当たりでも?」
「おそらくは、この城に封印されている秘宝が目的なのだろう」
「秘宝というと……あれですか」
ユースはブリアンテス城に封印されているという秘宝について思い出した。
その昔、ある暴虐な王がヘルディロを総べていたという。
彼は人の意見には一切耳を傾けず、全ては己の支配下に置かなければ気が済まなかったそうだ。
そんな彼が国の民を支配するために生み出した宝玉には、人の心を支配する力があるという。その力はブリアンテスの街だけに留まらず、国内全域に行き渡るとさえ言われている。
その事を疎んだ〝原初の八賢者〟の一人イヴェルテーラがこれを退け、宝玉を城の地下に封印したというのが伝承のあらましだ。
「彼の秘宝は確かにこの城の地下奥深くに封印されている」
「なるほど。それを狙った賊の仕業だと」
「しかしあの秘宝に関しては一部例外を除き、城内部の人間しか知らないはずなのです」
「そこで王は内部の人間の仕業だと考えているわけだ」
確かにそう考えれば合点が行く話ではあった。
何者かが国をあるいは世界を支配せんとして宝玉を狙っていると考えれば、警備の目を姫に集中させるために予告状を送り込むということもあり得る話だ。
(だがあの宝玉は確か、封印されたのではなく破壊されたと聞いたが……)
自分の記憶とは相違がある。これは確かめなければならない。
ユースは腕を下ろすと、ヘルディロ王に進言した。
「差し支えなければ、その宝玉を見せていただきたいのですが」
ユースの発言に、クローリヒとトルテスは顔を見合わせる。
「幾らガルディアン卿と言えど、宝玉の在り処を見せるわけにはいかん」
「そうです。予告を送った何者かが我々の動向を監視している可能性がありますからね」
二人の意見は至極真っ当な答えだった。しかし、
「いや、良いだろう。ガルディアン卿であれば、万が一誰かに見られていたとしても気づけるだろう」
ヘルディロ王は気兼ねる様子もなくそう言った。
「しかし王!」
トルテスが異を唱えようとするが、ヘルディロ王はそれを手で制する。
「トルテス。儂は彼が来ると予期して手紙をヴェラドーネに送ったのだ。何故だか分かるか?」
「それは……まさか王よ」
「ああ、儂は彼に宝玉の警備を任せたいと考えている」
クローリヒとトルテスは驚きの表情を見せる。
「た、確かに彼ほどであれば宝玉を任せるのに十分すぎるほどではありますが……」
「そうであろう。もし賊があの宝玉を狙っているというのであれば、これほど心強い味方はいないはずだ」
ユースは眉を寄せる。どこか引っかかる物言いだと。まるで狙われているものを確信しているかのような。
「ガルディアン卿……頼めるかね?」
確かにもしも伝承にあるような宝玉があり狙われているのだとすれば、姫暗殺と並ぶ或いはそれ以上の一大事だ。
現状どちらに転ぶのか確証がない。であれば取れる手段はひとつしかない。
「おい、ラミナ。お前はあの二人の方を頼めるか」
「はあ? なんで私があの二人のお守りをしなきゃいけないのよ」
「お前の方が戦闘に特化しているだろうが。それに万が一のことがあった時自由に動けるやつが欲しい」
指名されたラミナはあからさまな仏頂面で苛立ちを示す。
それを見てユースは呆れたようにため息を吐くと、アルマの方に視線を移した。
「じゃあアルマ。頼めるか」
「了解。じゃあユースの方はラミナに――」
「だぁー! もう分かったわよ! お姉様にあんなやつらのお守りさせるくらいなら私がやるわよ!」
「最初からそう言ってればいいんだよ」
「相変わらず捻くれ者のラミナ……お姉ちゃんは少し悲しい……」
「ひん曲がった性格してるお姉様よりはマシよ!」
ふん、と鼻を鳴らすとラミナは部屋を出て行った。
「あの子……なんで今日はあんなに不機嫌なんだろう?」
「さあな。それより王、宝玉を見せてもらえますか?」
「ああ、こちらに来るがいい」
ヘルディロ王は立ち上がると、杖の先端で玉座に触れた。すると突然何かが動く物音とともに、玉座の背後にある壁が扉のように開いていく。
(こんな仕掛けが城にあったとはな……)
仕掛けの動きに感心するユース。この様子であれば確かに宝玉はあってもおかしくはないのかもしれない。
扉が完全に開き切ると、向こうには下へと続く螺旋階段があった。階段は暗く、また道幅も狭い。
ヘルディロ王は杖を階段部屋に翳す。杖の宝石が赤く発光すると、壁に取り付けられた蝋燭が火を灯し、階下へと続く道を照らした。
「この先に宝玉が封印されておる」
「こんなものがあったなんて……驚き……」
無表情のままアルマは静かな感嘆を漏らす。本当に驚いているのかは怪しいところだが。
「では行こうではないか」
「アルマ。お前は一応入り口を見張っててくれ」
「りょーかーい」
ユースは警戒心を高めて、ヘルディロ王とともに階段を降りていく。側近の者たちはいない。彼らは元より入るつもりが無い様子だった。
湿気った空気を肌で感じながら階段を下ること僅か。階下の先に青白い光が差し込んでいるのが見えた。
光は淡く、まるで人の心を惑わせるような輝きを放っている。
その正体を見て、ユースは思わず目を見開いた。
「これはまさか――」
月だ。正確には月を模したような宝玉が、石で象られた台座に納められていた。
「かつてこの宝玉を作った王は、月明かりには人を惑わせる力があると考えたという。その考えから生み出されたのがこの宝玉……月のような光を放ち、その光によって人を意のままに操る宝玉。国だけでなく世界まで混沌に陥れようとした宝玉」
王は静かに、紡ぐようにしてその名を告げる。
宝玉にはある人物と同じ名前が与えられていた。ヘルディロに住む者ならば誰もが知る名でありながら、城に仕える者でなければ目にすることがない人物の名を。
「その名は――セレネーラ」