「え、ええと……これは……?」
セレネーラの部屋に戻るなり、ソラはきょとんとした表情になった。
トゥネリセレネーラの二人が、お互いの顔を見ないように体ごと別の方向を向けている。目元には涙の跡がくっきりと残っており、ギスギスした空気が漂っている。
いまいち状況が理解出来ずに困惑するソラ。対し全てを察したラミナが背後で腹を抱えている。
「えっと……二人ともどうしたの?」
「なんでもないわよ」
「ええ、気にしないでください」
声音が低い。何かあったのは明白だ。
すると笑いを堪えていたラミナがげらげらと笑い出した。
「あなた達ほんと仲良いわねぇ? どうして出会って一日も経っていない者同士で喧嘩なんて出来るのかしら!」
ラミナが大きな笑い声を上げると、トゥネリが軽い舌打ちをした。
「喧嘩? どうして――」
どうしてこんな時に。そう言い掛けて、ソラは言葉を飲み込む。喧嘩するほどのことだ。二人にはきっと、何か重い事情があるのかもしれない。
「別に大したことじゃないわよ」
顔を逸らして、トゥネリが問いかけに答える。
「そうです。大したことじゃありません。気にしないで下さい」
セレネーラも唇を尖らせて言う。
「で、でも……」
だがソラとしては気に止めないわけにもいかない。友人である二人が喧嘩したとあっては、なんとか仲直りしてほしいと思うのが友として当然の心理である。
(どうしよう……)
友人同士の喧嘩を止めるという経験が無いに等しいソラは、頭を悩ませる。どうすれば二人は仲直りしてくれるだろうかと。
そう考えていた時、トゥネリが突然立ち上がった。
「それより、戻ってきたってことは何か分かったってことでしょう? 話しなさいよ」
どこかトゲのあるトゥネリの物言いに、セレネーラも立ち上がった。
「どうしてあなたは人に当たっているんですか?」
セレネーラの指摘に、トゥネリは眉をしかめる。
「別に当たってないわよ。どこをどう取ったらそう聞こえたわけ?」
「だってあなた今、明らかに低い声だったじゃないですか?」
「低い声だからってどうして当たってるってことになるのよ」
「それにその強い口調が当たってるって言ってるんですよ」
「はぁ?」
二人の間に火花が散っているのが見える。
「ちょっと二人とも落ち着いてよ」
ソラはおろおろしながら宥めようとするが、二人は同時に「あなたは黙ってて」と言ってひと蹴りした。
「なによ。わたしの何が気に食わないってわけ?」
「別にそんなこと言ってないじゃないですか」
「言ってるでしょうが。じゃなかったらどうしてわたしにあんなことを言うのよ」
「それはあなたのことを思ってのことです」
二人の口論がまたエスカレートしていく。お互い睨み合い、今にも掴み合いを始めそうな程の剣呑な雰囲気だ。
「わたしのことを思っているなら何も言わずに黙ってなさいよ」
「出来ません」
「なんでよ」
「なんででもです」
セレネーラの言葉に、トゥネリはあからさまな舌打ちをした。
「意味わかんない。自分がお姫様だからって偉そうに――」
「トゥネリ!」
トゥネリの言葉を遮るように、ソラが声を上げた。
普段温厚な彼が叫ぶのを知らないトゥネリは、肩をびくりと跳ねさせる。
「ごめんね、驚かせて。でも今のはさすがにどうかと思うよ?」
言われて、トゥネリは自分の発言の過ちを理解した。思わずセレネーラの顔を見る。
「あっ……」
セレネーラは涙を溢しながら、声を堪えるように唇を噛み締めていた。
「私だって……私だって好きでここにいるわけじゃないのに……ッ!」
嗚咽するように声を震わせるセレネーラ。その姿を見て、トゥネリは堪らず顔を逸らした。
「ごめん……ちょっと頭冷やしてくる」
それだけ言うと、トゥネリは足早に部屋から出て行く。
「トゥネリ……」
止めることも出来ず、ソラはただトゥネリの背中を見送った。
セレネーラは扉が閉まったと同時に、ソファーにへたり込むように腰を落とす。両手で顔を隠し、小さな声で泣き始める。
「ごめんなさいソラ……ごめんなさい……!」
ソラは静かに隣に座る。そしてセレネーラの肩に優しく触れた。
「こんな時に……私……!」
「ねえ、良かったら何があったのか教えてくれる? 何が原因なのか」
ソラの言葉にセレネーラは顔を上げる。上げて、首を横に振った。
「できません」
「うん、そっか。でもどうして?」
「だって……トゥネリがきっと、あなたにだけは知られたくないと思っているから」
「そっか……」
ソラは優しく微笑むと、セレネーラの頭を優しく撫でた。
「うん、わかった。セラがトゥネリのことを思って行動したことも、トゥネリが何かを抱えていることも。それだけ分かれば十分だよ」
「ソラ……」
撫でながら、ソラは内心で深く項垂れる。二人の喧嘩もまた、自分が原因なのだと。
それでも表には出さず、ソラはセレネーラのことを慰めていた。
「あなたは本当に優しいのですね」
「ううん。ボクはただ当然のことをしているだけだよ」
そして同時にこうも思っていた。果たして今の彼女に、たどり着こうとしている真実を明かすべきだろうかと。
◇
部屋を飛び出したトゥネリは、城内にある噴水の前で立ち尽くしていた。
〝――私だって好きでここにいるわけじゃないのに……ッ!〟
はっきりとしたセレネーラの声が頭に響く。
(わたし……あの子になんてことを――)
言葉を切って、唇を噛み締める。
トゥネリはセレネーラとここで初めて話した時のことを思い出す。
あの時、きっと彼女はここで泣いていたのだ。自分の置かれている状況がわからずに、不安と裏切られたという思いから泣いていたのだ。
そんな彼女が笑って暮らせるようにしてあげたい。そう思い、ここで彼女に優しく声を掛けたはずだ。だというのに、自分は一体何を口走ったのか。
〝――お姫様だからって偉そうに〟
思い出し、トゥネリは自分の行動を呪う。
セレネーラとて、今の生活を望まない日もあったことだろう。自分の命が脅かされようとしている今ならば、尚更思っていてもおかしくない。
そんな中軽々しくあんな発言をしたことを、何より彼女が自分のことを思っていることを理解しながらも口論にまで発展させてしまったことを、強く後悔していた。
「わたしはどうしたら……」
答えはすでに出ている。だがトゥネリはその答えを行動に移せずにいた。
「あらあら、子犬ちゃんが泣いているわぁ」
不意に背後から声がした。
聞き覚えのある嫌味な声に、トゥネリは奥歯を噛み締める。
「なによ? 何か用? ラミナ」
振り返り、ラミナを睨みつける。
「あら怖ぁい。狂犬が私を威嚇してくるぅ」
対しラミナは笑みを浮かべて、侮蔑の視線を向ける。
トゥネリは不快感を露わにして舌打ちすると、また噴水の方を向いた。
「あらあら、どうしたのかしら? いつもはあんなにも噛み付いてくるのに」
「うるさい。わたしはあんたに付き合っているほど暇じゃないのよ」
「へぇー。そんなこと言うなんて、やっぱり将来は父親と同じ道を行くのかしらねぇ?」
「なんですって?」
聞き捨てならない発言に、トゥネリは振り返る。
「あら? だってそうでしょう? 別に私なにも悪いことしてないのに、そういう態度を取るんだもの。そうなるとしか思えないわ、私」
「は? あんたが私を蔑むような目で見てたからでしょうが」
「そうそれそれ。そう勝手に思ったから、お姫様にあんな発言したのよねぇ?」
「それは――」
言い返そうとして、トゥネリは口を噤む。否定はできなかった。実際そう捉えられてもおかしくはない発言だったからだ。
それを見て、ラミナはくつくつと悪戯な笑みを浮かべる。
「ほら否定できない。やっぱりそういうことだったのねぇ?」
「ちが……ッ!」
「じゃあどうしてそうやって言葉に詰まるのかしらねぇ? 本心ではあのお姫様のこと疎んでいたんでしょう? 自分のことを見下しているって」
「ちがう……わたしは……」
やはり強く否定できない。事実口論になった時、そういう思いが少なからず芽生えていた。自覚しているからこそ、トゥネリはラミナに食ってかかるほどの力を持てなかった。
「あの普段優しい彼だって、本当はあなたのことを見下しているかもしれないわねぇ?」
「違う! ソラは絶対にそんなこと思ってない!」
「あら、本当にそう言い切れるのかしら?」
「それは――」
また言い淀むのを見て、ラミナは蔑んだ瞳で笑った。
「あなたはただそう信じたいだけ。自分は違う。自分はそうありはしないと、なんの根拠もなく抱いた思いにただ寄り縋っているだけ。本当は臆病なだけのくせに、誰かの真似をして気高く振る舞って自分を偽っているだけ。そうあのお姫様にも指摘されたのでしょう?」
ラミナの指摘を受けて、トゥネリの目から涙が溢れ出す。
「けどそれを認めたくなくて、あなたはあんなにもお姫様に強く反発した。それって、死んだことを受け入れられずに生き返らせる衝動に駆られたあなたの父親と、一体どんな違いがあるというのかしら?」
「違う……違う、わたしは……ッ!」
「いい加減認めなさいよ。あなたはただの弱虫ちゃん。誰かと一緒にいないと自分のあり方を決められない、ただの臆病者だって」
なにも言い返せない。それでも言い返そうとして、トゥネリは涙声で叫んだ。
「どうしてあなたはそうやって! わたしのことを否定するのッ!」
別に認められたいわけでもない。ただ疑問に思っただけだ。いつもいつも、何故そうやって自分を強く否定するのかと。
問いかけに対しラミナは近づくと、微笑んでそっとトゥネリの頭に手を置いた。
「だって私、あなたみたいな嘘つきで弱虫なやつが大嫌いだもの」
トゥネリは息を飲む。ラミナの瞳に宿る、暗い闇の奥底に吸い込まれていく。
「自分が抱いている思いを偽ってるくせに、偽ったまま平気で他者に近づくやつが嫌い。例え抱いた思いが本物だとしても、それを本物だと他人に胸を張れない弱虫が嫌い」
ラミナはトゥネリの頭を徐々に締め付けていく。
「だから私はあの彼も嫌いなのよ。あの子も自分の本心がただ臆病から来ているものだって気づいていないもの。人を傷つけたくない? 違うでしょ。あの子はただ自分が誰かを傷つけたという恐怖を捨て切れず、その本心を無意識に偽っているだけ。誰かの笑顔を守りたいって思いも、その傷つけてしまった誰かに言われたからそうしているだけ――」
ラミナは溜め込むように一度間を置くと、はっきりと言った。
「どうせ本心ではそんなこと思ってないくせに」
そこでトゥネリは我に帰った。頭を掴んでいる腕を掴み返し、奥歯を噛み締めて引き剥がそうと力を込める。
「違う……ッ!」
「は? なにが違うって言うのかしら?」
ラミナは首を傾げる。
するとトゥネリは唇を震わせながら言った。
「わたしのことは別に否定されたっていい。けど本心から誰かの笑顔を守りたいって思ってるあの人のことを否定なんかさせない!」
「あんたほんと気持ち悪いわよね。あの子のことになると、どうしてそんなに盲目的になれるのかしら?」
「あなただって、ユースには対して盲目的でしょ!」
トゥネリの発言に、ラミナは大きく聞こえるように舌打ちする。
「違うわよ? 私は確かに彼にべったりくっついてるけど、それは彼の
「えっ……?」
トゥネリは我が耳を疑った。ラミナが使い魔――そんなことはユースからも聞いたことがなかった。
「私もお姉様も、あなたと違って嘘もつけないし一人では生きていけない――魔力を失えば消滅する使い魔。そんな相手を否定する資格が、あなたにはあるのかしら?」
トゥネリは言葉を失う。
使い魔と聞き、彼女の脳裏にはある顔が浮かんでいた。自分を助け、亡くなってしまった女性の顔が。
(ラミナも……
次々と昔の記憶が蘇ってくる。当時の雨音が噴水の水音と重なる。
そして――強い雨の中、女性が着ていた服を抱えてふらふらと立ち去っていくソラの姿が視界に映った。
「うぅ……ぐっ…ぇ……!」
耐えられず、トゥネリは蹲って胃の中にあった物を吐き出す。嗚咽とともに「ごめんなさい」と言葉を繰り返す。
「私が……私が……ッ!」
その姿を見て、ラミナは心底あきれ返った表情で見下した。
「ほんとあなたなにも変わってないのね。せっかくユースがあれだけ鍛えてあげてたっていうのに」
ふとラミナは周囲を見渡す。トゥネリの叫び声を聞きつけたのか、いつの間にか城の見回りをしていた兵士たちが立ち止まって二人を見ていた。
ラミナは舌打ちすると、兵士たちを見回して鋭い眼光を向ける。
「悪いけど私今機嫌が悪いの。持ち場に戻らないと……切り刻むわよ?」
一際低い声とともに、ラミナの右腕が鋭い刃へと姿を変えた。
それを見た兵士たちはどよめくと、早々にその場を立ち去っていく。
兵士たちの様子を眺めてから、ラミナは腕を元に戻す。そしてトゥネリの方へと視線を落とした。
いまだに誰かに対し、謝罪の言葉と自分が悪いのだと繰り返している。
「ほんと……情けない女」
ラミナは落胆した声でそう言うと、屈んでトゥネリの髪を引っ掴んだ。
「答えなさいよトゥネリ。あなたは本当は何がしたいのよ?」
「わたしは……わたしは……っ」
「醜いわ、あなた。そんなんで本当に何かを守れると思っているわけ?」
トゥネリは何も言い返せず、すすり泣く。
ラミナは大きく嘆声と出すと、突き飛ばすように髪を離した。
尻もちをついて、トゥネリは震えながらラミナの顔を見る。まるで幻滅でもしたかのように、心底落胆した表情を浮かべている。
「今のあなたじゃ、今回の任務は務まらないわ。さっさと家に帰りなさい」
吐き捨てるように言うと、ラミナは踵を返して立ち去っていった。
残されたトゥネリは蹲って咽び泣く。言われたことは何も間違っていないと理解しているが故に、悔しさで唇を噛み締める。
自分が何のために戦うのか。見つけて掴んだはずの答えが手のひらから消え、悲鳴にも似た声で泣き叫んだ時――誰かが彼女の体を優しく包み込んだ。