ルージュヴェリアあらためシェルヴェリアは、朗らかな笑顔を浮かべている。
それを見てソラは訝しんだ表情で口を開いた。
「詳しい話を聞く前にひとつ聞いてもいいですか?」
「はい。なんですか?」
ソラの真剣な物言いにシェルヴェリアは目を瞬く。
「ルーさんは……いえ、シェルヴェリア姫は誰の味方ですか?」
ソラの問いに、シェルヴェリアは一瞬だけ言葉を詰まらせる。
そして息を飲むようにじっと顔を見ているセレネーラを一瞥して、目蓋を閉じると微笑んだ。
「当然、私は家族の味方ですよ」
一拍置いて、ソラはシェルヴェリアの言葉を噛み締める。
「それを聞いて安心しました」
ソラは微笑むと、セレネーラの方を見る。彼女もどこか安心したのか、胸を撫で下ろしている。
「それで、何から話せばいいのでしょうか?」
聞くべきことがあまりに多く、いざ何から手をつけたものかとソラは頭を悩ませる。
すると我先にとセレネーラが口を開いた。
「あの……お姉様はいつからこの事に加担しているのですか?」
「あなたが生まれた時からずっと」
姉の答えに、セレネーラは胸のあたりを抑える。
苦虫を噛み潰すような妹の表情を見て、シェルヴェリアから微笑みが消える。罪悪感から目を伏せた。優しく接してきたとはいえ、これまで騙していたことに変わりはないのだから。
どちらにも笑顔は無く、ソラは唇を噛み締めて顔を下げる。本来仲のいい姉妹であるはずの二人が、なぜ笑顔も無い会話を交わさなければならないのかと。
「ヘルディロ王は何を考えて、こんな大掛かりな嘘をしているのか」
問いにシェルヴェリアはソラの碧眼を見つめてから、
「あなたをこの国の王にするためです。ソラ様」
と答えた。
想定外の答えにソラとセレネーラは目を見開く。
「ボクを……王に?」
「はい」
言っている意味がわからず、ソラはただただ困惑する。なぜよりにもよって自分を王にするなどという考えが生まれたのか。理由を考えるとするならばひとつしか思い浮かばない。
「母さんが原因……ですか?」
ソラの問いにシェルヴェリアは肯く。
「三十年前、隣国であるネルヴェノと戦争が起きようとしていたのは知っていますか?」
ソラは肯定する。
ヘルディロから東に進んだ国ネルヴェノ。ユリージア大陸の中でも最大の国土を持ち、最も歴史が古い国のひとつとして数えられている。
そんな国と三十年前、ヘルディロは戦争を間近にしていたという話がある。要因は転移結柱が設置されたギルド支部の存在。転移結柱は数が少ないため、それぞれの大陸にひとつしか設置されていないためだ。
当時のネルヴェノの王はこの転移結柱に関して、大陸の中心であるネルヴェノが保有すべきだと主張していた。
「主張自体は理に適ったものでした。事実大陸の端に位置するこのヘルディロに置くよりも、ネルヴェノに置いた方が転移結柱の恩恵を受けやすい。他の大陸から周辺四国への移動も楽になりますから」
しかしそうしなかったのには理由があった。
当時ネルヴェノは最大の兵力を以って、ヘルディロとは反対に位置する小国を占領していた。結果ギルドの本部は大戦の火種になり兼ねないと考え、転移結柱の移設に反対したのである。
この転移結柱の設置はイヴェルテーラが決定したものであるため、おいそれと移設するものではないというのもギルド側の主張にあった。
また当時のヘルディロ王はこう言ったという。ネルヴェノは最も古い国のひとつだと主張しているが実際は違う。イヴェルテーラが最初に建国したヘルディロこそが最古の国のひとつであり、ネルヴェノはその後に栄えた国に過ぎないと。
「反発したネルヴェノの王は、兵力を掲げてヘルディロに脅しをかけてきました。転移結柱の移設に同意しろ。さもなければあの小国のように滅ぼしてやると」
「でもヘルディロ王はその要求を飲まなかった」
「はい。当時まだ王子であった父は屈するべきではないと祖父に言ったそうです。もし屈すれば、彼の国は歴史を捻じ曲げてすべてを支配しようとすると。それは当然祖父も同意見でした。そして打開策を考えようとした時、あなたのお母様が仲介人として現れたのです」
ソラは息を飲む。
ヘルディロとネルヴェノの戦争が起きようとした際、一人の仲介人がいたという話は知っている。だがその正体は明言されず、どの文献を調べようとも仲介人の名は記されていない。
それがまさか自分の母親だとは思いもしなかった。
不自然なまでの歓迎を受けたのにはそういう裏があったのだと知り、ソラは狼狽する。
「あなたのお母様は言ったそうです。すべて私に任せて欲しいと。そう言って忽然と姿を消した彼女は、翌日ネルヴェノの王が要求を取り下げたという報を持って帰ってきた」
「それはどうして? どうしてネルヴェノの王は――」
「彼女の背後に立つ存在には勝てないと考えたからでしょう。あなたのお母様は、当時ギルドに加入していたガルディアナ王国最強の騎士アーガスト様と親しい仲でしたから」
確かにおかしな話ではなかった。アーガストはまさに一騎当千の騎士。例えネルヴェノの兵力をすべて投入したとしても、一夜にして壊滅させられるだろう。そうなれば損害どころの騒ぎではない。
「ま、待ってください!」
だがおかしいと、セレネーラは割って入った。
「戦争が起きようとしたのは三十年前ですよね? でもアーガスト様の名が広がったのはそれ以降のはず」
アーガストは今では知らぬ者がいない程にその名が広まっている。だが三十年前当時はまだその名が上がることはなく、彼の名が世に轟いたのはその翌年に起こったガルディアナ王国とその隣国が巻き起こした戦争の際。つまり彼が如何なる人物か言ったとしても、その信憑性は無いに等しかった時代なのだ。
そんな状態で果たして、一日で交渉を終わらせるほどの材料になるとは思えない。
セレネーラのその指摘にシェルヴェリアは頷く。彼女とて知らないはずがなかった。
「ええ、そうです。ですがヴェルティナ様には信用させるだけに足る実力と裏があった。そう父は考えているのです」
「その裏というのが、ソラを王にすることと関係があるというのですか?」
シェルヴェリアはまた頷き、そしてはっきりと言った。
「父は……ヘルディロ王はヴェルティナという名は仮のものであり、その正体は賢者の一人イヴェルテーラ様だと考えているのです」
ソラは既に理解することを拒み始めていた。
自分の母親は伝承に出てくる賢者イヴェルテーラであり、それ故に王にするという話が持ち上がったなどと言われても信じられるはずがない。
仮にイヴェルテーラが実在していたとしても、彼女の誕生からもう千年は経っている。それだけの年数を生きられるのは、人間の血を求める代わりに永遠の命を与えられた吸血鬼か実在しているかも分からない種族エルフくらいなもの。しかし伝承でイヴェルテーラは人間であるとされているはずだ。
「根拠は……根拠はあるんですか?」
堪らず声を震わせるソラ。
「いいえ。ただ以前ヴェルティナ様にお会いした時、彼女は三十年前と全く変わらない姿だったそうです」
「でもそれはヴェラドーネさんだって――」
「さらに遡れば祖父の幼少期、さらには曽祖父の幼少期にも彼女は今と全く変わらない姿で城を訪れていたそうです。その年数は百年以上も前。ヴェラドーネさんが生まれるよりもずっと前のことです」
話が事実であれば、それはヴェルティナが不老の存在であることを示していた。
動揺を隠せず、ソラはただ瞠目したまま肩を震わせる。
シェルヴェリアの話は憶測に過ぎず信憑性もない。ただの夢物語として片付けられるものだ。そうであるはずなのに、ソラはどういうわけか真実として捉えていた。まるで本当は知っていたかのように。
「ソラ様。私はあなたに、父の行いを止めて欲しいのです。だから私が知り得た情報を……どうか聞いてください」
シェルヴェリアの願いを聞き、ソラは耳を塞ぎたい気持ちを抑え込む。
そうだ。覚悟はしていたことだ。自分の母親が原因にあることは推察していた。例えどんなことを言われようと、それを受け入れて行動に移さなければならないのだと。
ソラは顔を上げて、真摯に聞く姿勢を取る。目的はただひとつ。守りたいと願った笑顔のために――。
「ヴェルティナ様もイヴェルテーラと同様、この世界が混沌とするようなことがあれば即座に行動してきました。十四年前、ヘルディロから遠く離れた国がギルドによって滅ぼされたのは知っていますよね?」
「はい。確か当時は魔法の研究で最先端を走っていた国でしたよね? 表向きは国の至る所に魔道具が設置されている、豊かで平等な国だったって」
「はい。しかし実際は各家庭に生まれた第二子以降の人間たちが全員地下で強制労働させられていました」
それに関してはソラも知っている情報だ。
この国では秘密裏に、禁断とされている魔導兵器の研究をしていたとされている。数々の兵器を設計しては、地下施設の人間に作らせていたのだという。その情報が外部に漏れた結果、世界の近郊を目的として作られたギルドが総動員してこの国を滅ぼした。というのが事の顛末だ。
「この事件にはヴェルティナ様が関わっていたとされています」
「母さんが?」
「はい。その時ヴェルティナ様はこう言ったそうです。あれはこの世界にあってはならない物。だから国ごと存在を抹消する――と」
魔導兵器の仕組みは公にされていないが、ある文献では周囲にある魔力源をすべて吸い取って尚足りない程の魔力を用いて強大な砲撃を放つとされている。
魔力の源は無限にあるわけではない。消費されればすぐにこの世界に補充されるわけではなく、消費に際して何らかの力が働くことで循環されているというのが定説だ。この循環が間に合わないほどの魔力が消費されれば世界にあるはず魔力の源は枯渇し、最悪大地が枯れ果ててしまい兼ねないのだという。
この説が正しいのであれば、魔導兵器はこの世界に仇なす代物だと言えよう。
「この世界のためならばどんな手段も使う。そんなヴェルティナ様に対し、当時の父は恐怖と同時にある尊敬の念を抱いたそうです。あくまで人間ではなく世界を選び行動しているに過ぎないのかもしれない。しかしその結果、この国を救うことに繋がっているのだと。他にもヴェルティナ様はこの国に助言することもありました」
確かに王の考えは間違っていない。
もしネルヴェノとの戦争が起きていたならば、ヘルディロに大きな損害が出たのは間違いない。
もし魔導兵器が完成し使用されていたのならば、ヘルディロが滅亡の危機に瀕していたのは間違いない。
ヴェルティナの行動がなければ、ヘルディロは大きく衰退していたことだろう。
「父は言っていました。ヴェルティナ様がいるおかげでこの国は繁栄し、その豊かさを維持出来ている。彼女がいなければこの国は成り立たず、本来ならば何もしていない自分よりも彼女がこの国の王であるべきなのだと。そもそもこの国はイヴェルテーラが生んだ国のひとつですからね」
漸く話が繋がったと、ソラは内心で呟く。
つまりヘルディロ王は、ヴェルティナが本来の王であるべきだと考えている。しかし彼女は世界を渡り歩き、ひとつの拠点に身を置くことはなく行動している。そこで彼女の血を引く自分を王にしようとしているのだ。
「あなた様が生まれたと聞いた時、父は大変喜んでいました。あの方にようやくこの国を返せるって」
ヘルディロ王の考え自体は理解できる。理解できるが、ソラはそれを肯定することが出来なかった。
確かにこの国はイヴェルテーラが生み出したものだ。そのイヴェルテーラが影で国を支えている存在だというのならば、王のように国を捧げようとすることもあるだろう。
しかしそれでは、歴代の王が国を支えてきた努力を否定するようなものではないか。
「そして父はこの大掛かりな嘘を考えたのです。父の考えた筋書きは大体予想できているのでしょう?」
「先代王家のような重罪を犯すことで追放されようとしている……ですよね?」
ソラの答えにシェルヴェリアは頷く。
「先代王家によって生み出された秘宝。この封印を解いた罪を父は被ろうとしています」
どうかしている。そうソラは歯噛みする。
重要なのは封印を解いたという結果ではなく、封印を解くために殺そうとした結果新たな王によって止められた――ということなのだろう。そのためにセレネーラ暗殺を仄めかす手紙を作り、ギルドに依頼するという形で回りに回って自分に声が掛かった。
何よりそのために王はこれまで、セレネーラに度重なる嘘をしてきたのだ。
「じゃあお姉様はそのためにギルドに潜伏していたのですか? ソラがギルドに来た時、それを報告するために」
「うん、そうだよ。お父様からはそういう指示を受けたわ」
でも、とシェルヴェリアは一言置いた。そして目に微かな涙を浮かべて、訴えかけるような震える声で言った。
「私はお父様が何もしていないだなんて思ってない。お父様は立派にやってるって知ってる。だって街に出た時、みんな言っていたから。この国は今の王様のおかげであるんだって。王様たちが何もしなければ、ここまで繁栄していないって」
シェルヴェリア立ち上がり、深々と頭を下げる。
「お願いします! どうか……どうか父を説得してください!」
父親の考えが実は正しいのかもしれない。それでもシェルヴェリアは自分が信じる者のために懇願する。そこに嘘偽りなどなく、ただ単に愛する家族を思って。
しかしソラは険しい表情を彼女に向けた。
「シェルヴェリア姫……ひとつ答えてください。あなたは別にボクが王都に来たことを報告しなくても良かったはずだ。けどそうしたのは、何故ですか?」
「それは……」
シェルヴェリアは言葉を詰まらせる。
「本当は心のどこかで、あなたもヘルディロ王と同じことを望んでいたんじゃないんですか? あなたはイヴェルテーラに関する文献をよく読んでいたとセラから聞きました。それはあなたに、彼女を崇拝する心があったからだ」
シェルヴェリアは否定することができなかった。事実イヴェルテーラに対し憧れの思いを抱いている。いつか自分も彼女のように、何かのために行動するようにしたいと。
ふとシェルヴェリアはセレネーラの顔を見た。明かされた真実を受けながらも、彼女は毅然とした表情で座っている。きっと心のどこかでは必死に動揺を隠しているのかもしれない。それでも真っ直ぐな目を向けている姿に、シェルヴェリアは心を打たれていた。
(ああ……ほんと……私が知らない内に大きくなっちゃったなぁ)
目蓋を閉じてシェルヴェリアは思い出す。セレネーラと一緒に、無邪気に城内の庭を駆ける姿を。それを父親と使用人のメルヒが微笑ましそうに見ている光景を。
「もう一度聞きます。シェルヴェリア姫……いえ、ルーさん。教えてください。あなたはどうしたいんですか?」
目を開けてシェルヴェリアは――否、ルージュヴェリアははっきりと言った。
「私の家族を……元に戻したいんです。だからソラさん、あなたの力を貸してくれませんか?」
その答えに安心し、ソラは張り詰めていた表情を綻ばせる。そして微笑とともに、
「わかりました。その依頼、引き受けます」
と答えるのだった。