数多の星は蒼穹にて輝く   作:姉川春翠

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第四節 嘘という名の大罪 4

 

 

 

「でもお姉様。具体的には何をすれば、お父様を説得できるのでしょうか?」

 

 セレネーラの疑問は最もだ。ヘルディロ王は兼ねてから覚悟を決めて今回の計画を練っていた。それを説得するなど容易な話ではない。

 ソラが方法を思案していると、ふとシェルヴェリアが立ち上がった。

 立ち上がって上げ下げ式の窓を開けると、一羽の鳥が部屋の中に入ってきた。鳥の足には何か小さな紙が結ばれている。

 

「メルヒさんからの手紙ですか?」

 

 問いにシェルヴェリアは頷く。

 やはりと言うべきか。ラミナが見たというメルヒの行動は、彼女に手紙を送るためだったようだ。

 推察通りだったことを確認した時、ソラの脳裏にひとつ内に秘めた推測が浮上する。きっと彼女ならば、これの答えも知っているだろうと。

 

「メルヒさんはなんて?」

「手筈どおりに事は進んでいる。今夜、計画の最後を実行すると」

 

 計画の最後。それはつまり、用意した予告状どおりにセレネーラの暗殺を決行するということだ。

 

「そう言えば気になっていたのですが、どうしてセラも連れてきたのですか? セラがいなくなれば、城で騒ぎになるはずでしょう?」

「それに関してはまだ大丈夫だと思います。今セラの部屋には、セラの姿に変身したラミナさんとそんな彼女と仲良く話すトゥネリがいますから」

 

 なるほど、とシェルヴェリアは頷く。

 セレネーラ本人がいなくなったとしても、その姿をした者がいるのならば城内部の人間が気付くことはそうないだろう。そもそもセレネーラが自分の部屋から出ることは少ないため、城の兵士たちが気づくことはまず無いと言っていい。

 しかし常に一緒にいるメルヒであれば気づく可能性がある。故にソラは手紙の内容を気にしているのだ。

 事情を悟り、シェルヴェリアは手紙の最後の一文を目にする。「少しの間、姫様との楽しい時間を過ごしてください」と。

 

「こちらの気持ちも知らないで」

「ルーさん?」

「いえ、大丈夫です。メルヒもおそらく気づいていないでしょうから。でもあまり長居するのは危険ですね」

 

 シェルヴェリアの指摘にソラも同意する。

 メルヒがセレネーラの身の安全を全て任せているとはいえ、時折心配して部屋を訪れることもあるだろう。一度であれば気づかないことはあっても、二度三度と会っていれば気づく可能性が上がっていく。

 もし気づいた時どう行動するかわからない以上、彼女の言う通り長居するのは得策ではない。

 

「ソラさん、ひとつお聞きしていいですか?」

 

 改まった様子でシェルヴェリアがソラの顔を見つめる。

 それに対しソラは小首を傾げた。

 

「ソラさんは自分が王にされようとしていると聞いて、どう思いましたか?」

「それは……」

 

 ソラは俯く。

 誰かの笑顔ためにありたい。その願いを叶えるのであれば、国を治める王になるというのもひとつの手段だろう。

 しかし王になれば相応の責任を負うことになる。自国内のことだけでなく他国との関係についても考慮し、さらには未来を見据えて行動しなければならない。

 

「私はソラさんならたくさんの人を笑顔にできるいい王様になれると思っています。だから父のやり方は反対ですが、あなたが王になること自体は反対ではありません」

「ボクにはできないですよ。ボクがやっても、きっといつか不幸にしてしまうから」

 

 目の前の笑顔のために手を差し伸べるので手一杯な自分が、国全体のことを考えて行動できるとは到底思えない。それ故ソラは、自分には王になる資格はないと考えていた。

 

「ボクはまだ何も知らないから。この世界のことも、自分のことでさえも」

「ソラ……」

 

 ソラの呟きにセレネーラは顔を見る。何かを思い詰めるようなその表情に、胸を締め付けられる。彼もまた、拭いきれない孤独を抱えているのだと。

 

「それにこんな形でボクが王になったとしても、誰も喜んだりしないと思うんです。だから止めないと」

 

 セレネーラは俯く。

 話の間彼女は考えていた。父親を止めるために、一体自分はなにが出来るのだろうかと。その答えは一向に見つからず、今もどうすればいいのか考えている。

 

「ごめんね、セラ。あなたに辛い思いばかりさせてしまって」

 

 ふと俯くセレネーラに、シェルヴェリアが声を掛けた。

 顔を上げて、姉の顔を見つめる。申し訳なさそうに目を伏せている。

 

「こんなこと言ったら責任逃れに思うかもしれないけど、私はお父様を説得できるのはあなただけだと思っているの。だから私はあなたに答えを示すことはできない。ずっとあなたに嘘をついてきたのに、本当にごめんね」

「お姉様……」

 

 自分も嘘に加担した人間だ。だからこそ自分には説得する力がない。シェルヴェリアは暗にそう言っていた。

 

「大丈夫です。きっと私がお父様のことを説得してみせますから」

 

 それを捉えてか、セレネーラの眼差しから僅かに迷いが晴れていた。

 

「行きましょうソラ。早く戻って、皆さんとどうすればいいのか考えたいから」

「うん、わかった」

 

 二人は同時に立ち上がる。各々の思いを抱えて、真っ直ぐと前を見る。

 それを見たシェルヴェリアは、期待を胸に微かな笑みを溢した。きっと二人ならば、この長きに渡る嘘に終止符を打ってくれると。

 

「それじゃルーさん。ボクたち戻ります」

「はい、父のことをお願いします」

 

 シェルヴェリアは謝罪の意も込めて、深々と頭を下げた。

 部屋から出て行こうとした時、不意にソラは足を止めた。セレネーラは先に部屋から出ており姿はない。

 

「ソラさん?」

 

 立ち止まったのを見て、シェルヴェリアは首を傾ける。

 

「そうだ。ひとつ聞いてもいいですか?」

「なんでしょうか?」

「あなたの母親についてです。もしかして本当は――」

 

 ソラの推測を聞き、シェルヴェリアは目を見開く。そしてしばらくして、彼女は頷いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 ソラとセレネーラが城を出てまだ間もない頃。部屋に残ったトゥネリは居心地の悪そうな表情でソファーに腰掛けていた。

 その原因は隣に座るセレネーラ――ではなく、セレネーラの姿をしたラミナにあった。

 ソラからの依頼を受けて、ラミナは得意の変身魔法を使って姿を変えていた。その顔立ちにはラミナの面影は一切無く、どこからどう見てもヘルディロ王の次女セレネーラである。服も本人から借りたことにより、知らぬ者からすれば誰が見ても本物だと思うことだろう。

 

「はぁ……なんで私こんなことしてるのかしらね」

 

 周りにトゥネリしかいないことを良いことに、ラミナはセレネーラの声音でありながらいつもの口調で愚痴を漏らす。

 

「別に、嫌なら断れば良かったじゃない」

「残念だけど、今日はあの子に全面協力することになってるのよ」

「それは……ユースの指示?」

「いいえ。確かに彼に言われたからってのもあるけど、私の意思でこうしているわ」

 

 いつもはすぐに喧嘩に発展する二人であったが、どういうわけか今は会話が成立していた。

 先程罵声と忠告を浴びせてきた時とは打って変わり、やけに大人しいラミナに困惑するトゥネリ。彼女の思惑がわからず、警戒心を露わにして座っている。

 

「ほら。自然としてないとすぐ偽物だって分かっちゃうわよ?」

「そうだけど……あなた嘘は嫌いって言ってなかった?」

 

 今のラミナはどう考えても人に嘘をついている状態だ。嘘が嫌いだとあそこまで振りまいていた彼女が、こうして嫌悪感も示さず大人しくしているのは少しおかしな話だ。

 怪訝な表情を浮かべるトゥネリに対し、ラミナはくすりと笑った。

 

「そうよ。嘘をついている奴は大嫌いだし、まだまだ自分の本心に気づいていないあなたの事も嫌いよ」

「じゃあなんで――」

「けど私自身が嘘をつくこと自体は嫌いじゃないから」

「なによそれ……ただの自分勝手じゃない」

 

 ラミナの返答にトゥネリは唇を尖らせる。

 

「そうよ。人間なんてみんな自分勝手な生き物よ。それは誰かの使い魔になってようと同じ。自分の理想や思想の為に誰かを傷つけて、時には嘘だってつく。あなたが会ったっていう使い魔の女も、あの子の心に深い傷を残してまで自分の理想を押しつけた。だからあの子は自分の行動がその理想から来るものだと気づいていない。その理想が自分勝手なものだと気づいていない」

 

 トゥネリはラミナの言っていることを否定することができなかった。

 彼女の言葉はなにも間違ってはいない。誰かの笑顔を守りたい誰かを笑顔にしたいという思いは、言い方を変えてしまえばその誰かに笑顔でいることを押し付けるということだ。仮にそこに本人の意思があろうと、誰かに促された結果であることに変わりはない。

 しかしトゥネリは同時に、それのどこが間違っているのかも理解できなかった。ラミナはまるでそれが間違いであるかのように語っているが、誰かの笑顔を守りたいというその志は立派なものではないか。そこに一体間違いがあるというのか。

 問い質そうと口を開こうとした時、扉を叩く音が響いた。

 思わず体を跳ねさせて固まるトゥネリ。

 

「はい。誰ですか?」

 

 ラミナは動揺することなく、セレネーラの声音で返事をする。

 

「姫様、私です。お茶と菓子をお持ちしました」

「メルヒでしたか。どうぞ入ってください」

 

 返事を聞いてから、メルヒが部屋に入ってくる。右手にあるお盆の上にはティーポットとカップ、そしてお茶請けとして用意した丸い形の焼き菓子が乗っている。

 

「おや。ソラ様とあのラミナという女はまだ戻ってきていないのですね?」

 

 メルヒの一言に、ラミナが微かに眉を寄せる。

 

「はい。今回の事件についてまだ調べることがあると言って出かけて行きました」

「そうでしたか。お二方の分も用意したのですけれど、まあ仕方ないですね」

 

 二人の目の前にあるテーブルの上に、菓子、カップ、の順に置いていくメルヒ。カップを二人分だけ置いてから、セレネーラ(ラミナ)の顔を一瞥する。

 

「お二人とも、仲直りされたみたいで安心しました」

 

 我ことのように嬉しそうに微笑むメルヒ。それを聞いて二人は顔を見合わせると、同時に笑顔を作った。

 

「ええ。以前よりさらに仲良くなりましたよ。ね? トゥネリ?」

「は、はい」

 

 動揺してぎこちない返事をするトゥネリを見て、メルヒはくすくすと笑う。

 

「それは良かったです」

 

 そう言ってメルヒは余計な皿と盆を脇に置くと、紅茶をカップの中に注いでいく。一気にカップの中へと注ぐのではなく、二つのカップにゆっくりと少しずつ交互に注いでいく。

 

「今回用意したのは、姫様が気に入っている地域で栽培されたものです」

 

 注ぎ終わると、まるで二人の意図を見透かしているかのようにメルヒはそう言った。

 

「気に入っている地域?」

 

 疑問を口にしながら、トゥネリは内心で「まずい」と呟く。

 今ここにいるのはセレネーラ本人ではなく、その姿をしたラミナだ。であれば彼女の好みなど答えられるはずもない。仮に当てずっぽうで答えたとしても、その風味まで分かるだろうか。

 思わずラミナの顔色を伺うトゥネリだが、一方の彼女は動揺することなく涼しげな表情で座っている。

 

「なるほど……」

 

 カップを手に取り、ラミナは紅茶をひとつ口につける。

 

「この風味は確かにガルディアナ王国でよく収穫されているものですね。やはりいつ飲んでも美味しいです」

 

 ラミナの発言にギョッとするトゥネリ。まるで味の違いを知っているかのような口振りだ。

 しかしガルディアナ王国産であれば彼女が分かるのも納得できる。彼女の主ユースの出身国であるのだから、日頃から嗜んでいてもおかしくはないだろう。

 

「さすがは姫様。一口飲んだだけでしっかり判別なさってますね」

「ほら、トゥネリも遠慮しないで飲んでください」

「え、あ、うん」

 

 促されるままにトゥネリは紅茶を飲む。柔らかい風味が口の中に広がっていく。普段から飲んでいるわけではないため正直味に疎いのだが、それでもこの紅茶が上質なものであることは分かった。

 

「美味しい……」

 

 顔を綻ばせて、トゥネリはまた一口飲んでいく。

 

「ほら。この焼き菓子も美味しいですよ?」

「ありがと。うん、ほんとだ」

 

 二人が仲睦まじく楽しんでいる姿を見て、メルヒは微笑んだ。

 

「それではまた少ししたら戻ってきますので」

「はい。ありがとうメルヒ」

 

 メルヒは軽く会釈すると、使わないカップとともに部屋を出て行った。

 足音が遠ざかっていくのを確認してから、トゥネリは大きなため息をとともに胸を撫で下ろす。

 

「なんとか誤魔化せたわね」

 

 安心するトゥネリに対し、ラミナは焼き菓子を口に頬張りながら言った。

 

「残念だけどあいつ最初から気づいてたわよ」

「えっ?」

 

 そんな様子も素振りも見せなかったため、トゥネリは驚きを露わにする。

 

「だってあんたあんなにも演技してたじゃないの」

「そりゃ相手が気づいているからって、わざわざ正体を明かす必要はないじゃない?」

「いや、それはそうだけど」

「どちらにせよ、あの女はお姫様が外出していることを話すつもりはない。今はそういうことにしておけばいいのよ。それより早く食べないと全部私が食べちゃうわよ?」

 

 納得のいかないトゥネリは扉の方を見つめる。一体メルヒという女性がなにを考えているのか分からず、額に手を当てて項垂れる。

 本当は彼女も今回のやり方に納得していないのか。それとも実はラミナとの関係を憂いているのか。答えは何も出ないままただ自分だけが取り残されているような感覚に、トゥネリの胸の内ではもやもやした感情が渦巻いていた。

 

 一方で、セレネーラの部屋から離れたメルヒは外に出ていた。

 木で出来た小さな笛をひとつ鳴らすと、メルヒの手に一羽の白く小さな鳥が止まる。

 その鳥の足に一枚の小さな紙を結びつけると、

 

「今夜……この国が大きく変わる。そうですよね? ヴェルティナ様」

 

 物憂げな表情で呟き、鳥を空に放った。

 白い鳥はまるで業火の中を飛び回るように、赤焼けの空の中を羽ばたくのであった。

 

 


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