ブリアンテス城内の書庫にて、トルテスは本を片手に椅子に座っている。
彼が手にしている本〝犯罪者名簿〟は、彼が日頃から兵士たちの報告を受けて書き記しているものだ。その内容はおおよそ王都内で犯罪を犯した者の名前を記すだけでなく、他の街や村で起こった事件の犯人の名も書かれている。
この本を眺めていると、書庫の扉が開き一人の男が入ってきた。
「トルテス……少し時間をいいか?」
もう一人の大臣クローリヒ。彼は剣呑な表情で入ってくると、トルテスの目の前で立ち止まった。
机を挟んで相対する二人の大臣。彼らの間に張り詰めた空気が漂う。
「どうやら今夜、実行に移されるようだ」
クローリヒの報告を聞き、トルテスは本を閉じる。
「そうですか。王は今どちらに?」
「今はあの地下でガルディアン卿と一緒にいる」
「なるほど。彼も大変ですね。全てを把握しながら、彼女の子供のために成り行きを見守る立場になっているのですから」
トルテスが苦笑すると、クローリヒは目を伏せる。
「なあ、トルテス。本当にこれでいいのだろうか?」
クローリヒの問いかけに、トルテスは嘆息する。
「それは言わない約束でしょう」
「だが、いざ実行されるとなると躊躇してしまうのだ。ここまでする必要があるのだろうかと」
「我々は全てを承知の上であの方たちの計画に協力しているのです。もう忘れたのですか?」
「そうなのだが……」
クローリヒの物怖じする姿を見て、トルテスは立ち上がった。
「これも全て彼の者復活を阻止するための下準備です。もし彼が今のまま世を渡り歩けば確実に黒く染まってしまう。そうなれば我々は終わりです」
「分かっている。分かっているのだが……そのためにあの方や姫君たちを犠牲にして良いのか」
「深い闇を見る前に、彼をこの国の王にすることで踏み留まらせる。しかし王にするためには現王家の存在が邪魔なのです。あなたの気持ちは私も分かりますが、これもこの国や世界を守るために必要なこと。今更引き返せるはずもありません」
トルテスの諭すような物言いに、クローリヒは言葉を詰まらせる。これまでそれを十分に理解し、計画に加担してきたのだ。トルテスの言う通り、後戻りも出来なければ計画を止める資格があるはずもない。
「そう……だな……」
項垂れるクローリヒが漸く絞り出したのは肯定の言葉。もはや自分にはどうすることも出来ないという諦めだった。
「すまんな。急に」
「いえ。先程言ったように、私もあなたの気持ちはわかりますから」
言いながらトルテスは、先刻行ったソラとのやり取りを思い出す。真っ直ぐな瞳で真実を求める姿を。
(ですが彼にも選択の余地が必要でしょう。我々大人が勝手に決めたことに振り回されるのですから)
トルテスは再び本を開き、何かを嘆くような表情で最後に書かれた名前を指でなぞった。
◇
「なによそれ。下らないわね」
戻ってきたソラとセレネーラから話を聞き、ラミナが放った第一声がこれだった。
一部始終を聞いていく内にラミナの表情は険しくなり、話が終わる頃には不快感を露わにして歯軋りを立てていた。
まさか自分がここまで下らないことに付き合わされていたとは。そういう怒りの念が包み隠さず顔に出ている。苛立つあまり足を揺すり、今にも立ち上がって近くの壁を蹴り壊してしまいそうな程だ。
「これまでの全部が全部、あなたを王様にするために仕組んだ茶番劇だったってことじゃない」
ラミナの指摘に返す言葉が見つからず、ソラは押し黙って俯く。
「あなた達どこかの劇団に入ったらどう? きっと傑作ができるわよ?」
こればかりはトゥネリもどう反応すればいいか分からなかった。
事件の真相がよりにもよってソラを王にするためだったなどと、全くもって予想だにしていなかった。否、予想できるはずもなかった。
新たな王を擁立するためには現王家を排除しなければならない。そのために仕組まれたのが今回の大掛かりな嘘――国を支配しようと目論む現王を止めた英雄に仕立てあげて、その英雄を新国王にするという筋書きだった。などと言われて納得できるはずもない。
「悪いけど、私はこれ以上は協力できないわ。あまりにも下らなさすぎる。そういうのは仲良しが勝手に集まってやってなさい」
ラミナは吐き捨てるように言うと、部屋を出て行こうと立ち上がった。
「待ってください」
するとセレネーラが制止しようと声をあげる。
「私たちはあなたの力も必要だと思っているんです。だから――」
「だからなに?」
しかしラミナは嘲笑を浮かべながらセレネーラの言葉を遮った。
「私になにを協力しろっていうのかしら? あの王様の筋書き通りそこの坊やを王にすればいいじゃない。どうせ誰も犠牲にならない優しい筋書きなんじゃないの? それとも自分は王様になんかなりたくないから、協力して王様を説得しようって考えてるわけ? そんな子供のわがままに協力するほど私はお人好しじゃないわよ」
反論する余地もなく、セレネーラは掛ける言葉を失う。
子供のわがまま。その一言がソラの胸に深く突き刺さっていた。
彼女の言う通りこれは我がままでしかない。自分がなりたくないから。自分には王に相応しくないから、説得して拒もうとしている。それは覆しようのない事実だと。
「わかりました」
ソラは立ち上がって、ラミナの顔を見る。鋭い彼女の眼差しと指摘を真摯に受け止めて、深々と頭を下げる。
「協力ありがとうございました。あとはボク達でなんとかします」
そんなソラの姿をしばし見つめてから、ラミナは軽い舌打ちをして部屋を出た。
扉を背にすると、ラミナは奥歯を噛み締める。
(ユースはこれを分かってた上で、私に協力させてっていうの?)
自分の主であるユースに対しても、苛立ちの矛先が向いている。抑えきれない感情がふつふつと湧き上がってくる。
これまで感じたことのない忌まわしい感覚にまた舌打ちすると、ラミナは何処かへと去っていった。
足音が遠ざかっていくのを聞きながら、ソラはトゥネリの方へと顔を向ける。困惑した表情から彼女も、聞いた内容を快く思っていないのが見て取れる。
すでにどうするかは決めてある。しかしラミナの発言を受けて、トゥネリも巻き込むべきか悩んでいた。
「トゥネリは……どうする?」
ここまで付き合わせておいて、勝手な問いかけなのは分かっている。それでもソラは聞かずにはいられなかった。
対しトゥネリは微笑む。ソラが実は賢者イヴェルテーラの子供かもしれないとも聞かされたが、今の彼女にとってはどうでもいいことだった。
確かにヘルディロ王の考えた計画やその意図については受け入れ難いものがある。しかしそれを聞いてトゥネリが感じた不快感はソラに対するものではなく、ソラの顔から笑顔が消えそうになっていることに対してだった。
「いちいち聞かないでよ。何がなんでもあなたに協力する。そう決めて私は戻ってきたんだから」
「ごめんね……巻き込んじゃって」
「お互いさまでしょ?」
もし彼女が生きていて、今もソラの側にいればこんなことにはならなかったかもしれない。そんな一抹の思いがトゥネリの中に湧き上がる。
(大丈夫。私があの人の代わりにソラの笑顔を守るんだ。あの人が守りたかったように、私も守りたいって思ったから)
思いを掻き消すと、トゥネリは話を聞く姿勢を取った。
「それで? これからどうするの? なにか計画は練ってあるんでしょ?」
トゥネリの問いにソラは頷く。
「実はひとつ、ボクがどうしても解決したいことがあるんだ」
「どうしても解決したいこと?」
含みのある物言いに、トゥネリとセレネーラは首を捻る。
「うん。そのためにも、セラとトゥネリには王様の説得をしてほしいんだ」
「でもあんたはどうするのよ?」
ソラは一度目を閉じる。ルージュヴェリアと交わした約束と、彼女の部屋から出る際のやり取りを思い出す。
そして問いかけに対しこう答えた。
「ボクは今夜襲撃してくる人を説得する。セラとルーさんの家族を元に戻すために」
二人の姫が家族とまた笑い合える日が来ることを願って。