数多の星は蒼穹にて輝く   作:姉川春翠

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第五節 偽りは月明かりの下に 2

 

 

 赤い夕焼けが王都を照らす頃。ルージュヴェリアは一人で街中を歩いていた。

 周囲では〝灯し屋〟という、日が落ちきるまでに街灯のろうそくに火をつける職業の者が、梯子をかけてせっせと働いている。広い王都の夜道を照らす彼らは、人々が生活する中で欠かせないものだ。

 そんな彼らの働きぶりを横目に、ルージュヴェリアは一直線にある場所へと向かっていた。

 八番街――リヴェルトス商会が管理していた区画だ。現在、ここの管理は国が請け負っている。長年の契約の下続いていた支配が終わりを告げ、不当な高額請求の心配も無くなっていた。

 そんな八番街にある一軒の家の前に着くと、ルージュヴェリアは一枚の紙を見た。紙に書かれているのは簡略な地図だ。

 

「ここ……ですか」

 

 地図に示されている場所と一致していることを確認し、ルージュヴェリアは呟く。

 家の窓からはろうそくの柔らかな明かりが出ている。留守ではないようだ。

 ひとつ深呼吸して、ルージュヴェリアは玄関の扉を叩く。

 すると扉越しにドタドタという音が聞こえた直後、勢いよく扉が開いた。

 

「お兄ちゃんお帰り!」

 

 歓迎の言葉とともに出てきたのはセシルだった。

 

「あれ? お兄ちゃんじゃない。お姉さんだれ?」

 

 どこかで見たことのあるような、しかしあまり見覚えのない顔にセシルは小首を傾げる。

 

「ごめんね、セシルちゃん。ソラさんに伝言を頼まれてここに来たの」

「お兄ちゃんの知り合いの人?」

 

 セシルは人差し指を唇に当てて、自分の記憶を辿る。

 

「あ! 昨日慌ててた人!」

 

 そして思い出してそう叫んだ。

 その見解は何も間違っていない。いないのだが、ルージュヴェリアはその覚え方に些か複雑な表情を浮かべて頬を掻く。

 

「セシル、お客様?」

 

 奥から母親のレフィナが、タオルで手を拭きながら出てきた。

 

「あ、うん。お兄ちゃんからなにか伝言を頼まれたんだって」

「ソラさんから?」

 

 レフィナはルージュヴェリアの顔をしばし見つめて「ああ」と思いだす。

 

「確かギルドで受付をされている方でしたよね?」

「はい。ルージュヴェリアと言います」

 

 そう言ってルージュヴェリアは軽く頭を下げる。

 対しレフィナは空模様を少し一瞥してから微笑んだ。

 

「ルージュヴェリアさん。立ち話もなんですし、良かったら中に入ってください」

「あ、いえ。あまり長い話ではないので大丈夫です」

 

 提案にルージュヴェリアは慌てて首を振る。ソラを巻き込んでしまった立場である故に、彼を待っていたであろう二人といるのは正直気まずい。伝言を済ませたら早々に立ち去りたかった。

 その思いを汲んだわけではないが、無理強いするわけにもいかずレフィナは「そうですか」と答える。

 

「それでお兄ちゃんはなんて言ってたの?」

「えっと……今日は依頼で忙しくて帰れそうにないからごめんねって」

「そっか。帰ってきたらまたお話し聞こうと思ってたのになぁ」

 

 内容を聞いてセシルが大きく肩を落とす。名前を呼びながら一目散に出てきたことからも、彼女がソラの帰りを心待ちにしていたのは明らかだった。

 セシルの様子を見て、ルージュヴェリアは表情を曇らせる。

 

「ごめんねセシルちゃん」

「どうしてお姉さんが謝るの?」

 

 ルージュヴェリアは一瞬言葉を詰まらせた。

 

「その……今回ソラさんがやっている依頼、私が薦めたものだから」

 

 曖昧な答えを聞き、セシルは無邪気な笑顔を向ける。

 

「でもお兄ちゃんが決めたことなんでしょ? だったら仕方ないよ」

 

 セシルの言葉にレフィナも微笑んだ。

 

「そうですよ。なにもあなたが気負うことないじゃないですか」

「でも……」

 

 二人の前向きな考えに、ルージュヴェリアは俯く。自分の素性も含めて真実を明かしてしまおうか。そんな考えが頭に浮かぶ。

 

「もし……もしソラさんがこの国の王様になるって聞いたらどう思いますか?」

 

 気づけば質問を投げかけていた。

 

「お兄ちゃん、王様になるの?」

 

 セシルの問い返しにルージュヴェリアはハッとする。ほぼ無意識に飛び出た質問に思わず口に手を当てた。

 

「あ、えと、別にそうなるっていう話じゃなくて! あくまでもしもの話です!」

 

 一体なにを口走っているのか。そう自分を戒めながら、ルージュヴェリアは慌てて捕捉した。目が泳ぎ、額に冷や汗が滲んでいる。

 レフィナが質問の意図を図りかねていると、セシルが先に口を開いた。

 

「ぼくはやだなぁ。だってお兄ちゃんが王様になったら、もう一緒に遊んだりお話したりする機会が無くなっちゃうかもしれないもん」

 

 唇を尖らせて不貞腐れるような顔をするセシル。子供らしい理由だが、ルージュヴェリアの心を刺すには十分なものだった。

 胸を締め付けられる思いをしながらも、ルージュヴェリアは反論を考える。子供相手になにをムキになっているのか、という思いよりも自分の考えが否定されたような感情が先行していた。

 

「でもソラさんならきっと王様になってもセシルちゃんと遊んでくれるんじゃないかな?」

「んー……それでもやだ!」

「それはどうして?」

「だってお兄ちゃん言ってたもん。沢山の人に笑顔になってもらうために頑張るんだって。相手がどんな人でも笑顔にしてあげたいんだって。でも王様になったら思うようにできないかもしれないじゃん」

 

 確かにセシルの考えは一理あった。国の王になればその分重い責任を負うことになる。責任を負えば負うほど自由からは遠ざかっていく。言ってしまえば、王にするというのはその人間をひとつの国に縛りつける行為だ。

 そしてそれはソラが抱えている願いや思いが届く範囲を狭めるのと同義と言っていいだろう。

 家族が元どおりになった後、ソラを正式な形で王にする。そう考えていたルージュヴェリアの中に迷いが生じる。果たしてソラを国に縛り付けていいのだろうか。何より自分は、その王という責任から逃れようとしているだけなのではないかと。

 唇を噛み締めるルージュヴェリアの様子を見て、レフィナはふと口を開いた。

 

「ルージュヴェリアさん。あなたがどうしてそのような質問をしたのかは分かりませんが、私もセシルと同じ意見です」

 

 微笑むレフィナの顔を、ルージュヴェリアは見つめる。

 

「私もセシルもまだソラさんとは会ったばかりで、まだ彼のことはなにも分かっていません。けれどこれだけは分かるんです。私の夫と同じように、彼はなにか強い責任を感じていて、その中には彼が本来抱えるべきではないものまで混じっているのだと。だから私たちは少しでも、そんな彼の支えになれたらいいなと思っています。そうよね? セシル」

「うん!」

 

 ルージュヴェリアは二人の笑顔が眩しかった。誰かの笑顔のためにありたい。その思いがこんなにも素敵な笑顔をもたらしたのだと。

 

「そうですか。すいません、変なことを聞いて」

「いえ。ほらセシル、先に入ってお皿の用意をしてて。お母さんはこの人を見送るから」

「はーい!」

 

 元気よく返事すると、セシルは家の中へと入っていった。

 

「素敵なお子さんですね」

「ええ。父に似て、優しい子に育ってくれています」

 

 ルージュヴェリアとレフィナは軽く笑いながら、皿を運ぶセシルの様子を眺める。

 この時ルージュヴェリアは、家族と過ごした幼い日々を思い出していた。

 

「お邪魔してすいませんでした。私帰りますね」

「あ、ルージュヴェリアさん。少しお伺いしてもいいでしょうか?」

 

 帰ろうと踵を返したルージュヴェリアを、レフィナが突然呼び止めた。

 彼女の低い物腰から「もしや正体がバレてしまったのではないか」とルージュヴェリアは身構える。

 

「あの……ギルドの受付って私でもできるでしょうか? その……昨日の一件から仕事を変えようと考えていて……」

 

 どうやら思いは杞憂であったようだ。ルージュヴェリアはホッと胸を撫で下ろしながら、軽く笑みを浮かべた。

 

「大丈夫だと思いますよ。もし良かったら私が支部長にお願いしてみましょうか?」

「ああいえ、さすがにそこまでは――」

 

 ルージュヴェリアの返しに、レフィナは少し言葉を詰まらせる。まだ働き先との話を済ませていない以上、すぐには判断できなかった。

 しかし一方で、またとない機会であるのも違いはない。少し悩んでから、レフィナは口を開いた。

 

「でしたらその……もう少し考えてから伺います」

「わかりました。お待ちしてますね」

 

 そう頷くとルージュヴェリアは頭を軽く下げた。

 帰路を歩きながら、ルージュヴェリアは茫然とした表情を浮かべる。

 一体自分はどうするべきなのか。一体どうしたいのか。これまで幾度と考えてきては結論を出してきたはずのことをまた考え始めている。

 揺らいでいた。あの親子の言葉でルージュヴェリアは、姫シェルヴェリアとして何を成すべきなのかわからなくなっていた。自分の思いがわからなくなっていた。

 

 気がつけば彼女は噴水広場に足を運んでいた。

 噴水広場には観光する人の姿も、遊んではしゃぐ子供の姿もなく、あるのはただ静寂のみ。

 広場のベンチに座り、流れる水の音を聞きながら、ルージュヴェリアは妹セレネーラのことを思い出していた。

 彼女はこれからどうするのだろうか。どうやって父親の考えと向き合っていくのだろうか。聞かなかった答えを探し始める。

 

「こんなところで何してるの? ルー」

 

 考え事に耽ける背後からそう呼ぶ声が聞こえ、ルージュヴェリアは振り返る。

 

「シェルヴィアさん……」

 

 ギルド・ヘルディロ支部のもう一人の受付嬢シェルヴィア。その裏の顔は密かに行動する姫シェルヴェリアを護衛する騎士だ。

 その彼女が澄ました顔でルージュヴェリアの隣に座った。

 

「あまり一人でうろうろしないで頂戴。前はトゥネリがたまたま通りかかったから良かったものの、あの時下手すれば怪我じゃ済まなかったかもしれないのよ?」

「その時はあなたが駆けつけてくれるって信じてますから」

 

 シェルヴィアの心配に対し、ルージュヴェリアは微笑んで答える。

 するとシェルヴィアは顔を歪ませて、怒りを露わにした。

 

「あのねぇ……」

 

 シェルヴィアは口元を引き攣ったまま、ルージュヴェリアの頬を両手で強く引っ張った。

 

「あなたになにかあったら私の首が飛ぶのよ。分かる? 最深の注意は払ってるって言っても、目を離した隙にどこへでも行かれたらさぁ? 流石の私でも探すのに時間がかかっちゃうわけ。ねえ、分かる?」

「あひゃ……いひゃい……いひゃいれす……」

 

 痛みで涙目になるルージュヴェリア。本来彼女はシェルヴィアよりも立場が上であるはずなのだが、そんな関係は一切感じられない。側からみれば友人の愚行を叱りつける女性と、それに対し抗議も出来ずされるがままの女性といった光景にしか見えない。

 威厳のカケラもない主の姿に呆れ果てると、シェルヴィアはため息とともに手を離した。

 ルージュヴェリアは両頬を撫でながら、唇を尖らせる。

 

「別にいいじゃないですか……共鳴石のおかげで大体の位置は把握できるんですから」

 

 共鳴石――掌に収まるほどの魔力結晶に特殊な魔法陣を刻んだ物だ。この石に魔力を流すと同じ魔法陣同士が共鳴を起こし、強い光を天に放つという特性を持っている。この特性が男女を引き寄せるものだとして、古くから婚約指輪の装飾として使われていた。

 

「共鳴石も万能じゃないんだから。あなたが別の国にいたりしたら分からないのよ?」

「さすがにそこまで好き勝手動かないですよ」

「はぁ……まったく、わがままなお姫様ね」

 

 我がまま。その言葉がルージュヴェリアの胸に深く突き刺さる。

 

「わがまま……なんでしょうか……」

 

 ぽつりと呟く。

 

「私はソラさんが王様になれば、きっと素敵な国にしてくれると思っています。だから今でなくても、あの人にいつかはこの国を治めてもらいたい。でも本当はただ、私が王位につきたくないという我がままなのでしょうか?」

 

 問いかけにシェルヴィアは答えない。答えない代わりに、そっとルージュヴェリアの頭に手を置いた。

 普段はしない行動にルージュヴェリアは目を瞬く。

 

「なんですか?」

「別に。まだほんの少し時間があるんだし考えてみたら? 自分が何をしたいのか。何をしなければならないのかを改めて」

 

 ルージュヴェリアは俯く。

 ヘルディロの第一王女シェルヴェリアとして成さなければならないことは分かっている。いずれは父の跡を継ぎ、この国のために身を捧げること。それが王族として生まれた自分の本来の使命だと。

 しかし自信がなかった。これからを生きる人々を果たして導いていけるのか。国民たちが笑っていつまでも過ごせるように出来るのか。そして何よりこの国を守っていけるのか。

 重くのし掛かる責任を忘れたいが為に城を離れた。責任から逃れたいがために父の計画に加担してきた。受付嬢のルージュヴェリアという在り方も気に入っている。

 その一方で、壊れかけた家族の関係を元に戻す為、ソラに止めてほしいと願った。

 我がままだ。何もかも全部、自分の我がままだ。

 そう自覚して嫌気がさし、ルージュヴェリアは深い嘆息とともに項垂れる。こんな人間がこの国を治めていいはずがないと。

 

「ルー……いえ、姫様。私はあなたの考えを尊重する立場の人間です。だからあなたが何を選ぼうと止めるつもりはありません」

「ずるいですね、シェルヴィアさんは」

「人間なんて大体そんなものよ。そんな中で譲れない思いのために真っ直ぐ突き進もうとするんじゃない?」

「譲れない思い……ですか……」

 

 ソラにもセレネーラにもその思いはきっとあるのだろう。だからこそ彼らは立ち上がり、長年続いてきた嘘を終わらせようとしているのだ。

 しかしそんなものが自分の中にあると、ルージュヴェリアはとても思えなかった。

 

「時に聞きたいんだけど、私がどうして騎士になってあなたの側にいることを志願したか分かる?」

「それは……お金のためとか地位のためとかですか?」

「あなた私をなんだと思ってるのよ。まあその辺も理由の内であるのは否定しないけどさ」

 

 シェルヴィアは空を見上げた。夜の帳が薄らと掛かる中に、輝きを放つ一番星が見える。

 

「憧れだったんだよね。綺麗で素敵なお姫様を守るカッコいい騎士にさ。だから沢山努力して、強くなって、そして騎士団の試験を受けた。こう言っちゃなんだけど、私はソラにも負けないくらいの力があると思ってる。それが認められて、今あなたの側にいる」

「シェルヴィアさん……」

「だからさ、いいんじゃない? 憧れが行動の理由であってもさ」

 

 憧れ。それは長らく忘れていた思いだった。

 幼い頃、伝承に出てくるイヴェルテーラに強く憧れて、彼女の足跡を辿った。彼女が出てくる話は全て覚えているほどに本を読み漁った。

 文字通り「世界を守る」という大きな枠の中で、彼女は常に一人で奔走していた。例えどんな犠牲を払おうとも、世界のためになるならばと生涯の全てを捧げたのだ。

 その誇り高い姿に憧れ、姫シェルヴェリアとしてヘルディロの人々を守っていきたい。そう思っていたはずだ。

 

(ああ……そういえば私、ヴェルティナ様があのイヴェルテーラ様かもしれないって言われてなんて思ったっけ?)

 

 ルージュヴェリアは思い出す。本来あるはずの家族の形が失われた時に、一緒に失ってしまった思いを。

 

「ふふふ……」

 

 思い出して、自然と笑いがこみ上げてくる。自信が舞い戻ってくる。

 

「ありがとうございます、シェルヴィアさん。思い出しました。私が何をしたいと思っていたのかを」

「あらそう? じゃあこれからどうする?」

 

 シェルヴィアの問いかけに、ルージュヴェリアは立ち上がる。

 

「城に戻ります。そしてセラと一緒に、私たちの意思を父に伝えようと思います」

 

 その瞳には受付嬢のルージュヴェリアとしてではなく、第一王女シェルヴェリアとしての覚悟が宿っていた。

 

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