数多の星は蒼穹にて輝く   作:姉川春翠

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第三章スタートです。


第三章 深き闇の中の怨嗟
プロローグ


 闇夜の帷幕がドゥエセの空を包み込む。

 月は雲に隠れ、瞬く星々の光も分厚い影に阻まれ地上へ降りることはない。

 ドゥエセを照らしているのは、街灯の蝋燭のみ。この蝋燭も蝋が溶け切った物もあり、静かな街を疎らに照らすだけだ。

 

 いつもとは違う、どこか不気味な雰囲気を纏った街の中に一軒の家があった。二階建てのこの家にはある夫婦が住んでおり、妻のお腹には新しい命がいた。

 夫婦はいつも一緒の寝室で寝ている。寝相がいい夫ではあるのだが、念のためということで部屋に二つベッドを用意し、それぞれの床で眠っていた。

 そんな夫婦はお腹に赤子が出来てから、毎日のように同じ会話を交わしていた。寝る前に話すそれは、六年前に失った兄妹のことを思い出して交わされる。

 

「ねえ、あなた……」

「どうしたんだい?」

「私たち、本当にこの子を産んでいいのかしら?」

 

 妻はあることで悩み恐れていた。今お腹にいる子供を産むことで、あの兄妹のことをいつしか忘れてしまうのではないかと。

 

「当たり前じゃないか。言っていただろう? あの子達の分まで、この子を幸せにするんだと」

「でも……」

「お前の気持ちはよく分かるよ。でもこれは私たちが望んだことなんだ。そしてその望んだ通り、新しい命が産まれようとしている。だったらその責任を私たちは果たさないといけない」

「それは……そうよね……」

 

 命を産み出すことを望んだ以上、その産まれる命に最大の愛情を注ぐのは親として当然の責任である。それが夫の考えだった。

 その考えに妻も同意している。今目の前にいないだけで、このお腹の中には確かに命があるのだと実感しているのだから。

 それでも彼女の中に迷いが生じているのは「失った命とどう向き合えばいいのか」と、六年という長い時間が流れても答えを出せずにいるからだ。

 

「さ、もう遅い。寝ようじゃないか」

 

 街はもう寝静まっている。どの家も床に入り眠っている時間帯だ。

 

「そうね……」

 

 返事をして、妻が目蓋を閉じようとした時だった。

 カランカラン。と寝室に備え付けられた呼び鈴が鳴った。

 

「こんな時間に誰だ?」

 

 蝋燭の火を消そうとしていた夫が疑問を口にする。

 

「さあ?」

「なにか緊急の用かもしれないから、ちょっと見てくるよ」

「ええ……気をつけてね」

 

 夫が燭台を手に部屋を出ていく。

 部屋が真っ暗になり、妻の中に言いようの無い不安が渦巻く。

 そしてまたも彼女の中に、あの迷いが出ていた。この子を産んでいいのか。この子と幸せな時間を過ごしていいのか。あの日守れなかった命を、今度こそは守れるのだろうか。そんな先行きが見えない故に起こる不安が。

 夫が出て行ってから間も無くして、静かな音とともに部屋の扉が開いた。

 

「おかえりなさい。誰だったの?」

 

 問いかけてから、妻は異変に気がついた。

 夫は燭台を手に出ていったはずだ。だが蝋燭の火が部屋を灯すことなく、まだ暗闇に包まれている。

 

「あなた、蝋燭はどうしたの?」

 

 騒つく胸をどうにか落ち着かせて、妻は問いかける。

 しかし返事はない。人の気配は感じるが、それが誰であるのかは見当もつかない。

 

「ねえ? どうしたの?」

 

 震える声で、部屋の中にいる人物に問いかける。

 すると漸く部屋に明かりが灯された。

 

「ひっ!?」

 

 妻は短い悲鳴をあげた。立ち上がって逃げようとするも、足がもつれてベッドから転げ落ちる。

 彼女が見つめる先には黒い影。蝋燭の火がゆらゆらと影を照らすが、その正体までは明かすことはない。ただその手に一振りの長剣が握られているのが分かる。

 火に灯されて妖艶な光を放つ刀身からは、鮮血が雫となって滴っている。

 

「あ、あなたは……誰なの……?」

 

 突如現れた正体不明の人物に、妻は震えた声で問い掛ける。

 しかし黒い影は何も答えない。

 ふと影の背後にもう一つ、小さな影があることに妻は気がついた。手に燭台を持っている。

 恐る恐る目を凝らし小さな影を見て、

 

「あっ……あぁ……」

 

 妻は絶句した。

 少女だ。そう認識した途端、あり得ないと思考が拒絶した。

 しばらくして、妻の口から笑い声が漏れる。彼女は狂ったように満面の笑顔を浮かべた。

 直後、彼女の首は黒い影によって切り落とされた。

 ゆらゆらと蝋燭の火が揺らめく。

 微かな灯は、黒い影が一点を見つめているところを照らした。影の視線は妊婦の腹に向けられている。

 ゆっくりと影は姿勢を低くして、妊婦の腹に触れた。腹の中の赤子が微かに動いた。

 影は伸ばした手をゆっくり長剣の柄に移動させる。

 両手で剣を握った次の瞬間、刀身を赤子が眠る腹に突き立てた。

 何度も何度も、執拗に腹を突き刺す影。肉体がぐちゃぐちゃになるまで、幾度となく刺突を繰り返す。

 その様子を少女は眺めていた。感情の揺らぎもなく、ただ呆然とそこに立つかのように。

 

「ふふ……ふひひっははっ!」

 

 手を止めると、黒い影は堪らず笑いを吹き出す。

 その視界に映るのは八つ裂きにされた妊婦の姿。顔に塗れる大量の血が面影さえも消し去っている。

 その無惨な姿を笑って眺めてから、黒い影は冷ややかな眼差しを少女に向けた。

 

「おい、悲鳴をあげろ。外に聞こえるほどのでかい声でな」

「かしこまりました……主様……」

 

 少女は指示を承諾すると、甲高い悲鳴をあげた。

 

 

 夜が明けると、夫婦の宅に兵士たちが押し寄せていた。

 一人の若い兵士は険しい表情でしゃがみ込むと、被せられた布を取って床に転がる死体を眺める。

 

「こりゃひでぇな」

 

 若い兵士は軽い舌打ちと共に奥歯を噛む。

 

「腹ん中の赤子もろとも殺害か。しかも赤子の方を執拗に狙ったかのような殺し方だな」

「アルガスタ隊長!」

 

 若い兵士が死体を分析していると、これまた一人若い兵士が入ってきた。

 アルガストと呼ばれた若き隊長は立ち上がると、駆け寄ってきた兵士と向き合う。

 

「家の中を調べましたが、特に何か盗まれたという形跡はありません。強盗……というわけではないようです」

「そうか……」

 

 アルガストは呟いてから、死体を一瞥する。

 

「まあ、正確には何も盗まれてないわけではないんだがな」

「ええ。玄関前で殺されていた男もこの女性同様、心臓がありませんでした」

 

 二人の言葉通り、夫婦の死体からは心臓が消えていた。まるで元からそこになかったかのように、体を貫通して心臓部に大きな穴が開いているのだ。

 この奇妙な死体もまた、アルガストにとっては六年前を思い出させる光景だった。

 とある男の地下室で発見された子供の死体。腕に足、首など体の各部位が細かく切断されて床に散らばっていた一方、心臓だけはどこにも見つからなかったのだ。

 

「魔物の餌にするためか……それとも夜の国へ売り捌くためか。どちらにせよ、気分のいい話ではないな」

「ええ。私はここへ配属される前はギルドに入っていましたし、こういった死体を見ることもあったので多少は耐性がありますが――」

 

 アルガストは兵士の小話を聞きながら、窓から眼下を見つめる。そこでは気分を害した兵士数人が蹲っていた。

 

「まあ……ここはかなり平和な街だからな。こういった死体は珍しいし、気持ち悪くもなるわな」

「あの……隊長。一体誰がこんなことを?」

 

 兵士の問いかけに、アルガストは項垂れる。

 

「さあな。だが殺し方からして、明らかにこの夫婦を狙った殺人だ。大きな恨みを持ってる奴の犯行と見てまず間違いないだろう」

 

 自分の分析と遜色ないことを確認し、若い兵士は頷く。

 その時だった。

 

「た、隊長……」

 

 青ざめた兵士が、口元を布で覆いながら部屋に入ってきた。

 

「どうした? 気分が悪いなら無理して入ってくることないぞ?」

 

 言いながらアルガストは死体に掛けられていた布を再び被せる。

 それを見て青ざめた兵士は、一瞬吐き出しそうになるのを堪えながら震える声で報告した。

 

「つい先程……王都の方からこのような伝令が……」

 

 兵士から一枚の紙を受け取ると、アルガストは開いて中の内容を確かめる。

 

「どうやら今回の事件のために、二人の調査員が派遣されてくるそうです」

 

 兵士の言葉通り、文面にはその旨が簡略的に書かれていた。最後には王が直筆したことを示す印鑑が押されている。

 

「やけに情報が回るのが早いな」

 

 今の時刻は正午より少し前。事件の発覚は今朝。情報が伝わるには早すぎる。

 しかし送られてきたのは紛うことなき王の勅令。この印鑑を複製することは不可能にも等しい。

 

「まあいい。その調査員とやらの裏に何かあるのかもしれん。出迎えの準備はしておけ」

「わかりました」

「それと街の住民にはできるだけ外には出ないように忠告しておけ。もしかしたらまだ犯人が街の中にいるかもしれねぇからな」

「はい! おい、肩を貸してやるから行くぞ」

「あっ……ああ……すまない……」

 

 部屋に一人となり、アルガストは嘆息する。先ほどから嫌な記憶がちらついているが、それよりも気になっていることがあった。

 アルガストは再び覆っていた布を取り、妊婦の顔をじっくりと眺める。

 血塗れの顔だが、その表情ははっきりと認識できた。夫とは違うその表情が。

 

「なあ? なんであんたは……そんな幸せそうな顔で死んでんだ?」

 

 優しげに微笑むような表情で眠る姿に、アルガストは小さく問いかけた。

 

 

 

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