部屋に入ってきた二人を見て、アルガストは唖然とする。
王都から急遽調査員が送られてくるということで多少身構えていた彼であったが、よもや子供が送られてくるとは他の兵士同様に思っていなかったのだ。
(まだまだ子供じゃねぇか。なんだって子供が王都から……?)
王都から派遣される調査員といえば、基本的に王都直属の兵士が担当するものだ。それもただの兵士ではない。何においても目敏く、長年の経験から調査に長けた兵士が選ばれる。
そんな中で送られてきたのが子供とあっては、王に忠誠を誓っているアルガストでも、その考えに対し疑問を抱かざるを得ない。
「お前たち、名前は?」
だがこの部屋にまで来たということは、王が発行した公の文書を持っていることの証左でもある。
ひとまず素性を知るべく、アルガストは二人に問いかけた。
「ボクはソラ。ソラ=レベリア=ヴィルレです」
「ソラ……か。変わった名前だな」
どこかで見覚えのある髪色と顔立ちだ。ソラに対してアルガストはそう印象を受けていた。
「えっと、私は……」
一方で隣に立つ赤茶けた髪色の少女は、少し躊躇うかのように口を動かす。
「トゥネリ……です。トゥネリ=ゾル=キアンロレス」
「キアンロレス……?」
聞き覚えのある響きに眉を顰める。その時トゥネリの肩がピクリと動いたのをアルガストは見逃さなかった。
記憶を辿り、キアンロレスの名を思い出すと納得した。
「そうか。キアンロレス……六年前起こった魔物事件の首謀者もそんな名だったな」
アルガストの呟きに、トゥネリは唇を噛み締める。
「お前はそいつの娘か」
トゥネリは静かに頷く。
アルガストの脳裏にかつての光景が蘇る。あの日失った者の顔も。
「別にそう身構えるな。誰もお前のことを責めたりはしない」
そしてもう一つ、アルガストはあの日いた一人の少年のことを思い出していた。その少年もまたソラと同じように空色の髪をしていたと。
(そうか……こいつらは……)
奇異な話だ。そうアルガストは笑う。
よりによって今回起こった事件の調査に、六年前起こった事件の関係者が送られてきた。そんな偶然もあるものなのだなと。
「或いは偶然じゃないのかもな」
アルガストの独り言にソラが小首を傾げた。
「いやすまない。こっちの話だ」
微かに笑うと、アルガストは崩していた姿勢を正す。
「紹介が遅れたな。俺はこの街の兵士を取り仕切っているアルガストだ。まずは王都からの旅ご苦労だった。しかしまさか子供が来るとはな」
アルガストの言葉にソラは身を縮める。確かにこの身に不相応な来訪だと自覚はしていた。
「王に無理を言ってお願いしたんです」
「なるほど。お前らがなぜ王と通じ合えたのかは知らんが、相応の覚悟をもって来たのだろう。歓迎する」
ソラとトゥネリは顔を見合わせる。アルガストの反応から察するに、すぐに追い返されるかもしれないと身構えていたのだ。
胸を撫で下ろす二人を見て、アルガストは嘆息を漏らす。彼とてただの子供であればあの凄惨な光景を見せる気はない。二人の事情におおよその心当たりがある故の判断だった。
「それで、事件現場はどんな風に?」
「遺体はまだ動かしていない。お前たちが来るということで、発見された当時の状態を保たせてある」
ソラの問いに答えると、アルガストは机に置かれた鈴を鳴らした。
すると部屋の前で待機していたロトゥスが中へと入ってくる。
「ロトゥス。二人を現場まで案内してくれ」
アルガストの指示を聞き、ロトゥスはわずかに目を泳がせる。
「あの……よろしいのですか? 二人はまだ子供ですが……」
ロトゥスの気の迷いに対してアルガストは頷く。
「こいつらは相応の覚悟を持ってやってきたんだ。見せないわけにもいかないだろう」
アルガストとロトゥスの会話を聞いて、トゥネリは思わずソラの手を握った。
二人の話から察するに、余程見せるのを躊躇われる光景が待っているのだろう。そう思うと、不安が胸の中を渦巻いていた。
震えるトゥネリの手に気がつき、ソラは優しく握り返す。
「ロトゥスさん、お願いします。ボクたちは知らなきゃいけないんです」
二人の只ならぬ眼差しにロトゥスは項垂れる。彼らはまだ子供のはずだ。なのに、一体どれだけの重荷を背負っているのだろうかと。
「わかった。だが気分が悪くなったらすぐにその場を離れるんだ。いいね?」
「はい。ありがとうございます」
同時に礼を言って、ソラとトゥネリは頭を下げた。
そしてロトゥスに続いて部屋を出て行く。
「おい、トゥネリと言ったか」
その時ふとアルガストはトゥネリを呼び止めた。
「は、はい?」
声を震わせてトゥネリは振り返る。
突然のことに肩が僅かに跳ね、握った手のひらを微かに震わせていた。その様子を見てアルガストは嘆息を漏らす。
「いやすまない。なんでもない」
謝罪を入れてから、アルガストは背中を向けた。
一体なにを言おうとしていたのか気になるトゥネリだが、聞こうとする勇気を持てず踵を返して部屋を出て行った。
再び部屋に一人となり、アルガストは今日何度目か分からないため息を吐く。
落ち着きのない気持ちを抑えるために、呼び起こされたかつての記憶とともに部屋の中を右往左往する。
ふと窓の外を眺めると、丁度眼下に案内をするロトゥスとその後に歩く二人の子供が目に入った。
アルガストの視線は一点。トゥネリの方に向けられていた。その瞳の奥にはどこか冷ややかな感情が垣間見える。
「ガチガチに震えてるじゃねぇか」
独り呟くと、アルガストは窓から離れて机に置かれた書類に目を通す。二人が来るまでに纏められた調査の報告書だ。
書類には殺害された二人の身元だけでなく、周辺の人間関係についても書かれている。
一度目を通した内容の再確認のために、一枚一枚捲っていく。そしてその中の一枚で手を止めると、書面に書かれている文字を指でなぞった。
「まったく……子供のくせになんでも背負い込みやがって……」
嘆きに似た言葉とともに、アルガストは書類の束を机上に放り投げた。
◇
静かな街の中をソラとトゥネリは歩く。前方を歩くロトゥスに続いて向かったのは一軒の家だ。
二階建ての大きめな家には小さな門が設けられていた。門の前には二人の兵士が見張りとして立っている。
「おいロトゥス。なんだその後ろの子供は?」
ここでも兵士たちに同様の反応をされて、トゥネリは堪らず唇を噛む。
確かに彼らからすればまだ子供だ。それでも一体誰が何のために夫婦を殺害したのか。その真実を突き止めたい思いは誰にも負けるはずがないというのに。不満と反感が彼女の胸の内で燻り始めていた。
「彼らは王都から派遣された調査員だ。現場はそのままにしてあるんだな?」
「ああ。隊長の指示だったからな。遺体はまだ動かしていない」
「よし。二人ともついてきてくれ」
ロトゥスに続いて二人も門を潜る。
玄関の前に差し掛かった辺りで、最後尾を歩いていたトゥネリの耳に「あれ見てきっと吐き出すぜ」という微かな声が入ってきていた。
そんなことするはずがない。そう奥歯を噛み締めた彼女だったが、その意思をすぐに裏切ることになった。
玄関を入ってすぐに見つけた男の死体には、僅かな不快感を覚えつつも耐えることは出来た。しかし。
「な……に……?」
女性の死体を見て、堪えていた不快感が爆発した。
「うぐっ……ぅぇ……!」
トゥネリはすぐさま死体から顔を逸らし、壁際で蹲る。
まだ昼食は取っていなかったが、そんなことはお構いなしに胃の中の物を吐き出している。
一方のソラは歯を噛み締めて、必死に目の前の光景を耐えていた。
惨たらしい女性の死体。腹部を中にいる赤子諸共滅多刺しにされ、心臓部は抉られ、乾いた血が顔にまでこびりついている。
二人は微かな後悔とともに納得していた。なぜロトゥスが現場を見せることに躊躇していたのかを。こんな光景は大人にさえ憚れるものだ。
「殺害されたのはホールキンズ夫妻。夫のヴェルディさんは玄関先で首を切られた後に心臓を抉られたんだと推定している。妻のアンナさんは腹部に無数の刺し傷が原因だろうね」
「なんで……どうして……? 誰が一体こんなことを……?」
ソラは思わず疑問を口にする。
死体から見て取れるのは怒りと憎しみ。犯人に一体どれだけの激しい感情があったというのか。並々ならぬものが無ければ、ここまですることは出来ないだろう。
「犯人は見つかっていない。それどころか目星もついていない状態だ。彼らの身の回りをある程度調べたが、ここまでの恨みを持つような人間はいなかった」
「そう……ですか……」
複雑な表情でソラは屈み、被せられていた布を掛け直す。何度か布は変えられていたのか、血はほんの僅かしか付着していない。
「ただ一つ気になることがあってね」
不意に思い出したかのように、ロトゥスが呟く。
部屋の隅で呼吸を整えていたトゥネリも、話に耳を傾けた。
「気になること?」
ソラの問いかけにロトゥスは頷く。
「ああ。この夫婦にお金を渡していた老夫婦がいたらしくてね」
ロトゥスの言葉にトゥネリは目を見開く。
ソラも心当たりがあり、トゥネリの方に顔を向けていた。
「ホールキンズ夫妻に多額な借金があって、それで殺したんじゃないかって疑う兵士も――」
ロトゥスが言い終わるよりも先に、トゥネリはすぐさま立ち上がって外へと駆け出していった。
その慌てた様子を見て、ロトゥスはソラの顔色を伺った。
「どうしたんだい彼女?」
「あ、えっと……」
トゥネリが部屋を飛び出した理由は分かっている。ここは疑いを晴らすために、ソラは事情を話した。
ロトゥスは腕を組み、額に右手を当てて項垂れる。
「そうか。君たちは六年前の」
道理で、とロトゥスは内心呟く。
普通に育った子供であれば、殺人事件が起こったとて自分から首を突っ込もうとはしないだろう。仮に大人であっても、そういう仕事に就いていない限りは、余程正義感のあるものでないと進んで関わろうとはしないはずだ。
しかし二人は違う。彼らは悲劇を幼い時から体験し、その記憶を抱えたまま育ってきたのだ。
悲しい現実だ。そうロトゥスは嘆く。
同時に、きっと隊長のアルガストはこれ以上の思いを受けたことだろうと思った。彼もまた、六年前の事件で強い思いを抱いた人間であるのだから。
「すまなかった。君たちのことを子供呼ばわりして」
どう声を掛ければいいのか分からず、ロトゥスは精一杯の言葉を口にした。
「いえ……皆さんが思ったことは何も間違ってないですから……」
ロトゥスの言葉を受け止めきれず、ソラは顔を伏せる。
「とにかく彼女を追いかけよう。老夫婦に事情を聞いている兵士と揉め事になったら大変だ」
一方、殺害現場を飛び出したトゥネリは、脇目も降らず一直線に老夫婦の家へと向かっていた。
静かな街に荒々しい息遣いが微かに響く。
目的地が見えてくるとトゥネリは、速度を上げて力強く駆けた。
「おじいちゃん! おばあちゃん!」
家の中に飛び込むとすぐさまトゥネリの視界に、三人の兵士と話す老夫婦の姿が入ってきた。
「トゥネリちゃん? どうしてここに?」
老婆が驚いた様子でトゥネリを見た。
兵士たちも突然のことに唖然とした表情を浮かべている。
「なんだこの娘? どこかで見た覚えが」
兵士のうちの一人が警戒心を露わにする。そして何かを思い出したように口を開いた。
「そうだ。キアンロレスの娘だ」
「キアンロレス? て言えば、あの魔物事件の?」
「ああ。だがこの街を出て行ったはずだが」
兵士の物言いに苛立ちが募り、トゥネリは牙を剥く。
「なによ? わたしの関係者だからこの二人を疑ってるわけ?」
トゥネリの脳裏には夫婦の無惨な死体が焼き付いて離れなかった。急く気持ちが抑えられず、今の彼女にはとても正常な判断ができる状態ではない。
敵意剥き出しのトゥネリを見て、兵士たちは警戒心を強めた。
「トゥネリちゃん、落ち着いておくれ。わしらは大丈夫じゃから」
老爺が宥めようと立ち上がる。
すると張り詰めた表情の兵士がそれを見て、老爺をひと睨みした。
「まさかお前たちが殺した犯人だな?」
「違います。私たちは、あの人たちに――」
老婆がゆっくりとした口調で事情を改めて話そうとするが、興奮した様子の兵士には聞く耳などなかった。
「その人たちは関係ない。わたしがあの二人にお金を送っていたのよ」
「ほう? つまりお前はあの夫婦に借金をしていたんだな? それでその返済に嫌気がさして殺した。違うか?」
兵士の問いかけにトゥネリは歯を軋ませる。
女性のやり場のない怒りに満ちた表情。泣きながら夫に抱きつく姿。その全ての原因が誰にあるのかも脳裏に甦る。
「わたしは――」
夫婦が愛し大切にしていた命を奪ったのは自分だ。ならば今回夫婦の不幸を招いたのも自分に違いない。抱えていた罪悪感がトゥネリの中で肥大していく。
「そうよ。わたしが――」
震える唇を開き、トゥネリが何かを言おうとした時だった。
「お前ら落ち着け」
不意に声がして、その場にいた全員が玄関の扉に顔を向けた。
「ただならぬ顔で走っていくのが見えたから何かと思えば」
アルガストが冷ややかな表情で立っていた。
その表情は呆然とするトゥネリに向けられている。
「隊長! この女が――」
「そいつは王都から送られてきた調査員だ。まず犯人じゃない」
何かを告発しようとしていた兵士たちだったが、アルガストの言葉を聞いて飲み込んだ。
遅れてソラとロトゥスが家にたどり着く。張り詰めた空気がすでに漂っており、二人は息を呑んだ。
「隊長、その子は――」
「知っている。ここの老夫婦にお金を渡させていた張本人だって言うんだろう?」
冷ややかな視線を変えず、アルガストは口を開く。
「おい、トゥネリと言ったか。お前今、なんて言おうとした?」
アルガストの問いに対し、トゥネリは顔を逸らした。
「別に……なんだっていいじゃないですか」
声を震わせた後、唇を噛み締める。目頭には涙が溜まっていた。
「トゥネリ……?」
心配した表情でソラが近寄る。するとそれとすれ違うように、トゥネリは足を動かした。
視線を動かさないアルガストの横をすり抜けて、トゥネリは外に駆け出していく。
「待ってトゥネリ!」
後を追ってソラも駆け出した。
重苦しい空気が漂い、アルガストは嘆息を漏らす。トゥネリの挙動の一部始終を見ていた彼は、一体彼女が何を口にしようとしていたのかは察しがついていた。故に「まだまだ子供だな」と静かに呟く。
「トゥネリ! 待って!」
ソラから逃げるようにトゥネリは走った。
彼女の罪悪感の対象はあの夫婦だけに止まらない。当然ソラにも向けられている。
だが同時に、別の思いも抱いていた。
トゥネリは速度を落として足を止める。
「トゥネリ、どうしたの?」
聞かずとも分かっている。それでもソラは問いかける。そうすればきっと、思いを打ち明けてくれると思っていた。
体を震わせてトゥネリは振り返った。溜まっていた涙はいつしか溢れ始めていた。
「ソ……ラぁ……」
救いを求めて、トゥネリはソラの胸に飛び込んだ。その体をソラは優しく受け止める。
「あぁ……うあぁ……ッ!」
手紙を見てからずっと募らせていた思いを吐き出すように、トゥネリはひたすらに泣き叫ぶ。
衣服を両手で掴み、胸に顔を埋め、声を枯らして泣き叫ぶ。
しかしトゥネリの声が曇天の空に響くことはなかった。ソラが泣き叫ぶ声も何もかも、全てを包み込んでいるからだ。
自分だけに聞こえる悲痛な声に、ソラは表情を曇らさせながらも優しく頭を撫でる。
掛ける言葉が浮かばない。彼女が抱えている思いを取り払うことも彼女の笑顔を保つこともできない。
その悔しさにソラは強く歯を噛み締めた。