鼻を啜り、頬を赤らめながらトゥネリは涙を拭った。
泣き叫んだことで憑き物が多少落ちたのか、どこか清々しい表情をしている。
「ごめん、急に」
「いいよ。気にしないで?」
「うん。ありがと」
謝罪しながらも微笑むトゥネリの姿に、ソラも笑顔を浮かべる。
手紙を見て以降、トゥネリは一度も笑っていなかった。そんな彼女に僅かでも笑顔が垣間見えた。それが嬉しかったのだ。
トゥネリは深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。
落ち着いてから、周囲に目をやる。
街に来た時にも感じていたこと。本来あるべき笑顔や活気が街から消えてしまっている。人々の多くは自分も殺されてしまうのではないかという恐怖に怯えているのだと。
「ソラ」
「ん?」
「早くみんなの笑顔を取り戻さないとね」
「うん、そうだね」
少しでも早く犯人を見つけ出し、人々の心の平穏を取り戻す。それが亡くなった夫婦のためにもなるのだからと、トゥネリは決心した。
「悪いんだけど先に現場に行っててもらえる? わたしも後で合流するから」
「トゥネリは戻るの?」
ソラの問いかけにトゥネリは頷く。
老夫婦に掛けられた疑いを晴らすためとはいえ、自分の職務を全うしようとしていた兵士に高圧的な態度を取ってしまったことを後悔している。謝罪しにいくことも兼ねて、まずは二人の家に戻らなければならないと考えていた。
「わかった。あまり無理はしないでね?」
トゥネリの考えを汲み取り、ソラは少し心配したように声をかける。
「大丈夫よ。あなたのおかげでもう落ち着いてるから」
対しトゥネリは笑って返すと、老夫婦の家へと駆け出した。
走り去る背中を見送りながら、ソラはふと殺害現場を思い出す。何度思い出してもやってくる不快感。それに加えてどこか違和感があった。その正体を確かめるためにも、あの現場に再び向かわなければならない。
ソラはひとつ深呼吸をする。はじめ見たとき吐き気を必死に堪えていた彼は、心の準備をする。しっかりと自分の目で見て、手掛かりを見つけるために。
「よし!」
気合の一声とともに、ソラの足先は夫婦の家に向けて動き出す。
その様子を窓から眺める姿が幾つかあった。六年前の当時子供だった者たちだ。
彼らの中にはある微かな期待があった。きっと六年前と同じように解決してくれるだろうという期待が。
同時にある思いも募っていた。あの時と同じように、頼り切ってしまっている申し訳なさが。
「大丈夫だよ。ボクがなんとかしてみせるから……」
そんな彼らの視線に気が付いているソラは小さく呟き、拳を強く握る。彼らの不安を取り除くためにも、真実を明らかにして犯人を捕まえる。それがエイネとの約束のためにもなるのだからと。
しかし真っ直ぐ前を見るソラの碧眼は、どこか哀しみに包まれていた。
◇
ソラとトゥネリがドゥエセに着いた頃、ギルドヘルディロ支部支部長室にてヴェラドーネはほくそ笑んでいた。
「いやあ、彼らはどれだけの事件に巻き込まれるのやらねぇ」
全てを見据えているかのような眼差しで机の上を見つめる。視線の先には何ひとつ置かれていない。暇を持て余している様子だ。
「ふむ。せっかくだから見に行ってみようか? いや、けどさすがにここから離れるとユースが余計私に目をつけるからやめた方がいいか」
そしてあまりに退屈なのか独り言が多い。誰かに話しかける口調でぶつぶつと呟いている。
側から見れば不気味極まりないが、彼女の言動のひとつひとつには不思議なものがある。まるでここにはいない誰かと会話を交わしているかのような雰囲気だ。
「けど流石に退屈だ。なにか面白いことはないものか」
頬杖をついて唇を尖らせるヴェラドーネ。こういう時に何か遊戯になるものでもあればいいのだが、と呟いてため息を吐いている。
不意に退屈そうにしている彼女の視線が、出入り口の扉に向いた。
「誰か来たね」
廊下から聞こえてくる足音。ヴェラドーネの言葉通り、誰か来訪者が来たようだ。
来訪者は止まると、数回扉を叩いた。
「ヴェラドーネさん宛に手紙が届いたので、こちらにお持ちしました」
扉越しに聞こえてきた声に、ヴェラドーネは顎を親指で掻く。
普段聞き慣れていない声だから、というのもあるが何よりも〝手紙〟に強く反応していた。
「手紙? 一体誰からだろうねぇ?」
ヴェラドーネは口元を引き攣らせて、怪しげな笑みを浮かべる。手紙ひとつで「面白そうなものが来た」と思っているあたり、余程退屈だったのだ。
「いいよ。入ってくれ」
「失礼します」
入室の許可を得た来訪者は、一言置いて扉を開く。入ってきたのは今日からギルドの受付嬢として働くことになったレフィナだった。
「ああ、君だったか。どうだい? 受付嬢の仕事は。と言っても、あまり大した仕事でもないだろう?」
ヴェラドーネは見知った顔に笑顔を振り撒く。
すると、どこか緊張した表情で入ってきたレフィナも顔を綻ばせた。
「いえ。基準となるものが曖昧ですから、中々適正な依頼だと判断するのが難しいです」
「まあ確かにそれはあるかもしれないね。依頼内容にあった報酬かどうかの判断は、君たち受付嬢に任されているからね」
「はい。場合によっては依頼人と請負人の衝突を招きかねない。とルーさんが言っていました」
他愛のない話で場を多少盛り上げながら、ヴェラドーネの視線はレフィナにではなく手紙の方に向いていた。
長方形の封筒に、厚さから考えるに紙一枚だけが入っている。そう分析してヴェラドーネは内心落ち込んでいた。これでは大した内容ではないのだろうと。
それでも持ってきてもらった以上、受け取らないのは失礼にあたる。彼女は渡すのを促すように手を伸ばした。
「で、誰からの手紙なんだい?」
「それが、実は差出人が書かれていないのです。宛名はヴェラドーネさんになっているのですけれど」
レフィナは言いながら手紙を渡す。
彼女の答えにヴェラドーネの眉が微かに動いた。
「なんだい、悪戯の手紙かな?」
笑いながらヴェラドーネは封筒の表裏を確かめる。レフィナの言う通り、どこにも差出人の名前は書かれていない。
差出人を書く習慣を持たぬ知人がいるヴェラドーネにとっては、別段不思議でもなんでもない。むしろこの類の方が多いくらいだ。
その大半が本当にどうでもいい内容ばかり書かれていたりするのだが、一方でその人物の手紙の特徴を知っている彼女は、既に確信を持っていた。これを送ってきたのはその人物ではないと。
「怪しい手紙なのでルーさんに相談したのですけど、支部長にはよく宛名しか書かれていない手紙が送られてくるからと言われて」
「ああ。まあ、確かにね。そういう意味では君も、ちゃんと名乗り出てから用事を話してほしいね。一瞬賊でも来たのかと思ったよ」
「え? あ! す、すみません! 気をつけます!」
顔を赤くして慌てて謝罪するレフィナに対し、ヴェラドーネはくつくつと笑った。
「いや気にしなくていいよ。ちょっとからかっただけさ。確かに手紙は受け取った。戻っていいよ」
「あ、はい!」
一礼するとレフィナは部屋から出て行こうと踵を返した。返して、ふと止まった。
「あのヴェラドーネさん――」
振り返るレフィナを見て、ヴェラドーネは小首を傾げる。
「ん? まだ何か用があったかな?」
「えっと……」
問われたレフィナは口をまごつかせる。何かを言おうか言うまいかと悩んでいる様子だ。
彼女は下唇を一度噛むと、
「いえ、なんでもないです。失礼します」
と言って足早に部屋から出て行った。
閉じられた扉を見つめて、ヴェラドーネは嘆息する。
「大方、夫を殺した犯人について聞きたかったんだろうね」
そう呟く一方、ヴェラドーネの興味は既に手紙に注がれている。
封を切り、中から一枚の紙を摘み出す。そして広げて内容を目だけで追っていき、直後ヴェラドーネは満面に笑みを浮かべた。
「これはこれは。なかなか面白いものを送ってくるじゃないか彼は」
ヴェラドーネの瞳が、まるで新たな獲物を見つけた獣のように光る。
光の矛先は最後の一行。そこにはこう書かれていた。
今夜、貴方様をお食事にご招待します――と。