「すみませんでした。さっきは失礼なことを言って」
トゥネリはそう言って兵士たちに深々と頭を下げる。
ソラと一度別れた彼女は老夫婦の家に戻ってきていた。
飛び出してからそう時間は経っていなかったため、中には先刻衝突した兵士たちもいる。
真っ先に頭を下げるトゥネリを見て、兵士たちは思わず顔を見合わせるとバツの悪そうに口を開いた。
「いや、こちらこそすまなかった。他に手掛かりがなかったために、つい君を責めてしまった」
兵士たちも兜を取るとそう陳謝する。
事情を聞かされた彼らにはもう、トゥネリを追及するつもりはない。それどころか同情の念すら湧いていた。
「だが念のため確かめさせてくれ。君は本当にあの二人を殺してはいないんだね?」
「そんなことするはずがありません。私はあの人たちから大切な人を奪ってしまった。その上で彼らの命を奪おうとは思いません」
兵士たちは、トゥネリの言葉の裏にある重荷をひしひしと感じていた。
「そうか。本当にすまなかった」
代表して謝罪する兵士に続いて、背後にいた二人も「すまない」と口にして頭を下げる。
和解は程なくして終わった。どちらもただ焦っていたに過ぎない。故に事情を知ってさえしまえば、修復するのに時間など必要なかった。
「我々は外で見回りをしてくる。何かあれば言ってくれ。すぐに駆けつける」
「はい。ありがとうございます」
玄関から兵士を見送ると、トゥネリは緊張の糸を解すように一息吐く。
「ただいま。おじいちゃん、おばあちゃん」
老夫婦の方を向くと、トゥネリは目頭に涙を浮かべながら笑った。
二人の姿を見るのはいつ以来だろうか。ずっと手紙のやり取りをしていただけで、ドゥエセを出てから六年間一度も会っていない。
それ故に変わらぬ二人の姿を見ると、込み上げてくるものがあった。
「おかえり。トゥネリちゃん」
老夫婦は声を揃えて言うと立ち上がる。ゆっくりとした足取りでトゥネリに近づいていく。
そして彼女の体をそっと抱き寄せた。
「大きくなったねぇ、トゥネリちゃん」
老婆が微笑みながらも涙を溢す。
「ああ。それに見違えるほど美人になったわい」
老爺はトゥネリの赤茶けた髪を優しく撫でる。
「うん。わたしも、二人にまた会えて嬉しいよ」
これは本来望んだ形の再会ではない。それでもトゥネリは今この瞬間を噛み締めるように、二人の手をぎゅっと握り締める。
二人の温もりが、塞ぎ込んでいた時支えてくれた温もりが変わらずにあった。
堪らず笑みを溢すトゥネリだったが、今はそれどころではないと目を鋭くさせる。
「教えてほしいんだけど、あの夫婦は本当に昨晩亡くなったんだよね?」
トゥネリの問いかけに、老夫婦は頷く。
「ええ。そうか、トゥネリちゃんもその話を聞いてここに来たんだね」
老爺が暗い表情で答える。
はたりと、トゥネリの思考が止まった。
「え? 今、なんて言ったの?」
「どうかしたのかい?」
トゥネリが聞き返すと、老爺は逆に首を傾げた。
トゥネリの脳内で、彼が言った言葉が反復する。何かがおかしいと本能が訴えかけている。
その引っ掛かりが何かということに気がつくと同時に、そう言えばともう一つ思い出す。家の中に飛び込んだ時は焦っていたために、気にも留めなかった言葉を。
「ねえ、待って。二人ともわたしに手紙を送ったよね?」
恐る恐る問いかけてみる。すると老夫婦は顔を見合わせて、まるでその事柄を知らないかのような表情を見せた。
「はて、手紙? そんなもの送った覚えはないが……」
「ええ、私も。トゥネリちゃんに心配かけさせないよう、この事は教えないでおこうって二人で話していたくらいよ? でもまさか、あの二人がどうして殺されてしまったのか」
「どういう……こと……?」
背筋に悪寒が走り、トゥネリの顔が一気に青ざめる。
最初家に飛び込んだ際、老婆がトゥネリの姿を見て思わずこう言っていたのだ。どうしてここに――と。
手紙を見てやってくると予想出来なかったために出た発言ではない。二人はそもそも彼女に送られてきた手紙の存在を知らないのだ。
「嘘。だって二人からこれが」
トゥネリは荷物の中から手紙を取り出すと、老夫婦に広げて見せる。老夫婦は紙をしばし見つめていたが、知らないと首を横に振った。
「じゃあ、この手紙は一体……?」
字は紛れもなくよく手紙を書く老爺の字だ。寸分狂いなく彼が書いた字と同じであるのは、老婆も認めている。しかし老爺に書いた記憶は一切ない。
纏わりつく不快感に、トゥネリの額から冷や汗が滲む。
ふとトゥネリの脳裏に嫌な予感が過った。
「ソラ!」
トゥネリは堪らず叫ぶと、家を飛び出した。
向かった先は殺害された夫婦の家。そこには現場を隈なく調べるソラがいるはずだ。
もしも犯人がまだあの家のどこかに潜伏していて、また誰かの命を狙っているとするならば。そう考えると居てもいられず必死に走る。
家の門前にいる二人の兵士を無視して、一目散に中に駆け込んだ。
入り口に姿はなかった。とすればいるのは二階の寝室か。思考が心を掻き乱して急かす。
「ソラ、大丈夫!?」
閉じられた扉を勢いよく開けて、トゥネリは叫んだ。
そして寝室の中に、屈んで女性の遺体をまじまじと見つめるソラの姿を見つけた。
彼の身を案じていたトゥネリは、無事であることを理解してほっと胸を撫で下ろす。が、あることに気がつき小首を傾げた。
(あれ? ソラの目って、あんな色してたっけ……?)
遺体を見つめるその瞳は、金色に輝いていた。
しかし記憶しているソラの瞳は綺麗な碧色だったはず。
そうトゥネリが疑問に思っていると、ソラがゆっくりと口を開いた。
「ねえ、トゥネリ。少し聞きたいことがあるんだけど……いいかな?」
妙な静けさにトゥネリは息を呑んで頷く。
「人が誰かに殺されそうになった時、笑うことってあるのかな?」
「それ、どういう意味?」
一体何を聞かれているのか分からず、トゥネリは聞き返す。
するとソラは立ち上がって、遺体を見るよう視線で促した。
あまり見たくない気持ちを抑えて、トゥネリは遺体に近づく。そして見た。血塗れだった顔が綺麗になったことで、表情が明らかになっているのを。
「笑って……る……?」
女性はまるで幸せに満ち溢れたかのように、穏やかな笑顔を浮かべていた。
「ずっと疑問に思っていたんだ。この人のお腹には赤ちゃんがいた。大きさから多分、もうすぐ出産を迎えようとしていたんだと思う。そんな人が赤子を庇う様子もなく倒れているのはどうしてなんだろうって」
ソラは視線を落とす。金色の瞳で女性の首元を見つめる。
「この人多分、首を切り落とされて亡くなったんだと思う」
「えっ? でも、首と胴体は分かれてないじゃない」
「トゥネリも確か魔力の痕跡を見ることが出来たよね?」
「あ、うん」
「じゃあ見てみて。この人の首のあたりを」
言われてトゥネリは、魔力痕跡を探るために目を凝らす。すると魔力の痕跡である緑の粒子のようなものが、部屋中に漂っているのが見えた。
そしてその漂う粒子は、女性の首元から出ている。
この痕跡が何を物語っているのか理解し、トゥネリは唾を飲み込んだ。
「ソラ、これって……」
「うん。これだけ強い痕跡が残っているんだ。犯人は切り落とした首を魔法で無理矢理にくっつけたんだ」
何故そんなことを。トゥネリの中に新たな疑問が生まれ、纏わりつく。
「この痕跡は、玄関で殺されていた男性の遺体にも残されていたよ」
「なんでよ。なんで犯人はわざわざこんなことを!」
疑問に思っていたことを堪らず口にするトゥネリ。
対してソラは首を横に振ると、ただ一言「わからない」と答える。
「ボクはなにか強い恨みがあって、この夫婦が殺されたんだと思ってた。わざわざお腹の中の赤ちゃんを、何度も刺してるんだからね」
けど、とソラは続ける。
「本当に強い恨みを持った人ならこんなことはしないはずだ。きっと首と胴体を繋げたのには理由があるはず。そしてもう一つ――」
ソラの視線は女性の顔に向けられる。金色に輝いていた瞳はもう、元の碧眼に戻っている。
「殺されようとしている人が、どうして犯人を見て笑っていたのか。普通ならこんなにも満たされた表情を浮かべないはず」
ソラは女性が浮かべている表情に見覚えがあった。
記憶の中に刻まれているある光景が、女性の表情と重なる。消え行こうとする中、我が子を落ち着かせようと笑う母親の――エイネの顔と。
(もしかして犯人は――)
ある考えが浮かび、ソラはそれをすぐに掻き消した。あり得ない、そんなことはあってはならないと、目を逸らすかのように。
一方トゥネリは、開き切った瞳孔で女性の遺体を見つめていた。ソラの言葉は途中から彼女の耳に届いていない。
彼女の脳裏にもある考えが浮かんでいる。
殺された夫婦との関係。送られてきた謎の手紙。そこに加えられる、遺体に残された痕跡。全てがある考えに行き着く要素となっている。
その考えを震える唇でなんとか口にしようとする。が、隣にいるソラの存在が、声に出すことを拒ませていた。
(まさか……犯人は……)
トゥネリの脳裏にはある男の――邪悪な笑みを浮かべる父親の顔が浮かんでいた。