ドゥエセは小さな町だ。王都ブリアンテスと物資の交流が盛んで、この町だけでもそれなりの物を集めることが出来る。
ドゥエセに着いたエイネとソラは、この町にある市場へと足を運んでいた。必要な物がすべてここに集められているため、この場所は毎日人で賑わっている。
今日もその例に漏れず、人々の活気で賑わっていた。至る所で店の者が人に掛ける声であったり、人が買い物をする声が響き渡っている。
「ソラ、はぐれないようにしてよ? 王都ほどじゃないとはいえ、見失ったら探すの大変なんだから」
「うん、大丈夫。それにしてもすごい人だね」
「そっか、ここに来るの初めてだっけ。いつも私ひとりで来ているから」
初めて見る景色に、ソラは目を輝かせて周囲を見渡していた。これだけの人が行き交う場所に来たことのなかった彼は、ついつい景色に心と目を奪われているのだ。人だけで無く、これだけの物が並んでいるのも見たことが無い。彼の顔は忙しなく動いている。
それが少し危なっかしく写り、エイネは一層強くソラの手を握った。絶対にはぐれないようにするために。
二人が最初に向かったのは、肉を専門に取り扱っている店だ。この店で売られている肉は、ヘルディロ唯一の肉の生産地から首都を通じて入ってきた物。そのためこの肉を買うだけでもそれなりの値段がする。
「んー、一番安いものは――」
エイネは並んでいる物を眺める。この中でも一番安いものを選ばなければ、残った資金がすぐに底を突いてしまうからだ。日々節約、といったところだろう。
「すいません、これください」
そう言って選んだのは、牛肉の塊だった。値段はほかのものより高くも見えるが、量的に考えてなかなかに手頃な値段をしている。
エイネは選んだと同時にひとつの袋を渡した。
「はいよ。580ヘルツェね」
エイネいわれた金額を渡し、店主は袋の中に入れて彼女に肉を渡した。
先ほどエイネが渡したこの袋は、肉や魚といった鮮度が大事な物を保存するために作られた魔法道具のひとつである。この中にいれているだけで鮮度が一、二週間は保たれるという優れものだ。
袋の縛り口付近に魔石の粉が入っており、これにより長期間の保存が可能になるのである。
同様にして二人は野菜、果物、魚の順で市場の中を見て回った。そのときソラの目が常にキラキラと輝いていたのはいうまでもない。なんせ初めての買い物なのだから。
「うん。これで大体揃ったかな。あとは――ん?」
買い物が終わりに近づいた時である。なにやら市場のなかを子供たちが駆けていくのが見えた。
「なんかあっちで笛の演奏会やるんだって! 行ってみようぜ!」
そんな声も聞こえ、子供たちが走って行った方向を見るエイネ。だが市場を出たところらしく、詳しい場所は見えなかった。
ふと、ソラが子供たちの行った方向を呆然と見ていることに気がついた。
「もしかして行きたい?」
問われ、ソラは顔を上げた。その瞳には期待が込められている。
エイネはもう一度子供が向かった先を見る。やはりどこでやるのかは定かではないが、子供たちが集まり、外で笛の演奏もしているとなれば見つけるのは容易なことだろう。
微笑むとエイネは握った手を離した。
「仕方ないなぁ。いってきていいよ」
「いいの? ありがとう!」
満面に笑顔を浮かべて感謝すると、ソラはすぐさま駆けだしていった。
「買い物終わったら迎えに行くから、そこで大人しくしてるのよー!」
「はあーい!」
手を振って走り去っていくソラを見送ると、エイネは買い物を再開する。
「大丈夫……だよね?」
だがこの時、エイネは一抹の不安を拭いきれずにいたのだった。
エイネから離れたソラは子供たちに混じって、笛の演奏が始まるのを待った。場所はこういった演奏のために用意された小屋らしきところだ。座るための席が用意されており、席の前方には演奏者が立つための壇が設けられている。至ってシンプルな設備だが、小さな演奏会をするにはもってこいの場所と言えるだろう。
不意にソラは周囲を見渡す。ほかの同い年くらいの子供を見たのもまたはじめてだからである。それがなんだか嬉しくてソラは笑った。
(今日ははじめてが一杯の日になりそう)
待っている間に誰かと話しがしたい。そんな衝動に駆られて、ソラは隣にいた栗色の髪をした少女に話しかけた。
「ねえ君。笛の演奏ってよくやってるの?」
問われた少女は首を横に振った。
「ううん。普段は笛なんて吹かない人なんだけど……」
少女の返答に少し首を傾げるソラ。そんな彼を少女は物珍しそうにまじまじと見ている。
「ねぇ、あなたこの町で見たことないけど……」
「え? あ、うん。ボクは森の向こうにあるニギロっていう村から来たんだ」
「ニギロ? 聞いたことない名前……」
どうやら少女はソラに少し興味を引かれている様子でいる。
「きれいな髪……」
特に釘付けになっているのがソラの髪の毛だ。あの天に広がる蒼穹のような空色の髪は、少女に今までにない美しさを感じさせている。
「ねえ、君名前は? ボクはソラ」
「わたしは……トゥネリ……」
「そっか、トゥネリ。いい名前だね」
そしてなにより、ソラの笑顔は人を魅了するのに十分なものだ。トゥネリはしばし、ソラに見惚れていた。
「えへへ、なんか楽しみ」
一方のソラは、今から始まろうとしている笛の演奏に心をときめかせている。なんとなく、本で読んだ笛の記述を思い出したりもしていた。
待っていると、一人の男が子供たちの前に立った。その片手には笛が握られている。どうやらこの男が演奏者のようだ。
男の風貌は一際変わっていた。どこの国の物かはわからない不思議な形をした帽子を被っている。口元は布で覆い、全身をマントのような物を羽織って隠し、どこか不気味な雰囲気を漂わせている。
「やあ子供たち。これからお兄さんの素敵な演奏会のはじまりだよ」
見た目とは裏腹に、笑う男の口から出たのは優しげな声だった。
「これより始まりますこの演奏会。君たちのために組んだ特別な曲たちを披露させていただきます。みんな、楽しんでいってね」
男は覆っていた口を出すと、笛を当てた。
「さあ、まずは楽しいこの一曲だ」
笛の音が響き始める。流れるメロディはとても賑やかしく弾んでおり、人を楽しくさせることを目的とした一曲のようだ。現に子供たちはこの曲に合わせて体を揺らしたり、隣にいる子供と肩を組んで楽しんでいる。
トゥネリもまた、聴いたことのない曲に心を弾ませていた。が、すぐにあることに気づいた。隣にいるソラが首を傾げている。
「どうしたの? ソラ」
「え? あ、うん。確かに明るい曲だけど、なんか好きになれないというか」
ソラ自身もなぜこのような感覚に陥っているのかわからなかった。現にほかの子供たちが楽しんでいるのだから、この曲は楽しいものなのは理解しているのだが。
「そうかな。わたしは楽しいけど」
トゥネリもこのように言っている。
(ボクの感覚がズレてるのかなぁ)
ソラは苦笑した。
曲が終わり、子供たちは一斉に拍手した。それだけ彼らがこの曲に聴き惚れていたということだ。
ソラも演奏に敬意を込めて拍手する。自分好みとは言えなかったものの、演奏自体は確かに素晴らしいと感じたからだ。
男もそれに満足し、笑っている。
「みんなありがとう。それじゃあ次の曲を聴いてもらおうか」
男は再び笛を当てて、音を鳴らした。
次に流れた曲は、少し切なげな曲だった。笛の音色とメロディが綺麗なハーモニーを生み出している。
ソラはこの曲にも違和感があった。綺麗な音色は思わず聴き惚れてしまいそうなほどのものだが、やはりどうも好きになれない。
曲が悪いと感じているわけでも、笛の音が悪いわけと思っているわけでもないのにである。
「ねえトゥネリ?」
隣の少女に話しかける。しかし彼女もこの曲に聴き入っているのか返事がない。
ソラは思わず周囲を見る。みな目を閉じて、聴き入っている。それがソラにはなにか異様な光景のように思えた。
不安が募り始める。だがこれはただの笛の演奏だ。考えすぎなのだろうと、ひとまず終わるのを待ってみることにした。
曲が終わると子供たちは目を開け、口を揃えて「いい曲だったねー」と言い笑っている。
(やっぱり思い違いかな?)
ソラは苦笑して、話しかけようとトゥネリの方を見た。直後、ソラの目が大きく見開かれた。
「トゥネリ?」
トゥネリの様子がおかしかった。彼女の目から生気を感じないのだ。
ハッとして、周りを見渡してみる。ほかの子供たちも同様で、目に生気がなくまるで魂を抜かれたかのような状態になっているのだ。
「どうやら喜んでくれたようだね」
声に、思わずソラは男の方を見た。
「それじゃあ最後にとっておきの一曲を聴いてもらおうか」
男は笑っていた。これまでの優しげな笑顔とは打って変わり、服装以上に怪しげな顔で。
ソラはもしやと、ある本を思い出した。それは音楽と魔法に関することが書かれた本だ。その中にある記述が書かれていた。
音とは、人間の頭と密接に関係している。音が聞こえれば、その音を頭の中にある脳が認識し、処理する。この時もし音に魔力を込めると、人間の脳は魔力に感化され、場合によっては人間を操ることができるのだという。これを行うのに最も適したのが音楽なのだと。
(もしかしてあの笛の音は!?)
違和感の正体に至った瞬間だった。
奇怪な音色が、小屋の中だけでなく外にまで響き渡っていた。今までの曲とは明らかに違う、強い魔力の込められた音だとはっきり感じ取ることができる。
(そっか、だからなにかがおかしいって思ったんだ)
ソラはそれなりに魔法に精通している。知識もあれば、魔力の感じ方も自分なりに覚えてきたのだ。だからほかの子供たちとは違い、男の鳴らす笛の音色に違和感を感じていたのである。
(なんとかして止めないと!)
考えるよりも先に、ソラは行動に出ていた。
「やめて! みんなをどうする気なの!?」
ソラの叫びに、男が演奏の手を止めた。
「君、どうかしたのかい?」
男が首を傾げる。男の顔が笑っていない。
「お兄さんの曲、ボク嫌い。みんなを操って、どうするつもりなの?」
ソラは震える声で言う。
「お兄さんが鳴らす笛の音から、魔力を感じたんだ。本で読んだことあるの。これ、人を操る魔法……だよね?」
すると男は舌打ちをして、ソラを睨み付けた。
「おいガキ。てめぇ、なんで俺の魔法が効かねぇ」
鋭い目に、ソラは一瞬で呑まれそうになる。無理もない。彼はまだ子供なのだ。それでも勇気を出して、男の方をにらみ返した。
男が壇上から下りる。そしてソラの方へと近づいてきた。
ゴクリと生唾を飲み込むソラ。心臓が恐怖で張り裂けんばかりに動いている。手足が震え、歯もガチガチと音を立てている。それでもソラはここにいる子供たちのために、男を見るのをやめなかった。
「俺の魔法は完璧なはずだ。実際これまでこの魔法に掛からなかったやつはいねぇ。お前、一体なんだ?」
「お兄さんは、何を目的にこんなことを――」
何をしているのか。そう問おうとした時、男がソラの腹に蹴りを入れた。
「ぐっ……ぇ……!?」
痛みに立っていられず、その場に座り込んで嘔吐くソラ。
「質問してるのは俺だぞガキが」
男は気にも留めず、ソラの髪の毛を掴み持ち上げた。
「あぐっ……痛っ……離して……っ!」
「ああ? 大人には敬語を使えって教わらなかったのかぁ?」
男は笑うと、腹部を何度も殴打し始めた。
その度にソラは短い悲鳴を上げ、咳き込む。目からは涙を流し、それでもほかの子供たちのためにどうするべきかを考える。
「なんで俺の魔法が効かねぇかわからねぇが、このまま大人しく気絶してもらうぞ」
ソラは痛みに耐えながら、この状況の打開策を模索する。だが今取れる行動は一つしかなかった。
「たす……けて……」
「あ?」
掠れた声で、精一杯声を張り上げる。
「たす……がっ……!?」
何をしようとしているか理解した男は、より激しくソラを殴った。腹だけで無く、顔面にも拳を入れる。このままでは声を出すことさえままならない。
(ごめん、エイネ。ボク……)
ソラはすでに限界に来ていた。もう意識を保っていることさえできなかった。
「エイ……ネ……」
最後に振り絞った言葉も空しく、ソラは意識を手放した。
「ガキのくせにしぶといやつだ」
男は吐き捨てるとソラの体を地面に落とす。
この騒動の中でも、子供たちは動揺する素振りさえ無かった。男の術に掛かり、意識を完全に支配されているのだろう。
「おいガキども、そいつを運んで俺についてこい」
男の命令のままに動く子供たち。まるで操られた人形のように彼らの動きはぎこちなく、またそこに彼らの意思は存在しない。男の魔法は完璧であった。
男はその動きに満足して、場所を移そうと立ち去るその時だった。
「うあぁぁーッ!!」
轟音とともに、小屋の扉が破壊された。
「なんだ……?」
男が何事かと小屋の入り口に目をやる。
「お前……私の大事な子をどこに連れて行くつもりだ……」
そこには怒りの形相をしたエイネが立っていた。
◇
「ソラ、どこにいるのかしら?」
買い物を終えたエイネはソラを探していた。
ソラが駆けていった方に来たはいいものの、子供が集まっているところもソラの姿も見当たらないのだ。
「あの、すいません。子供たちを見かけませんでしたか?」
「いや、見てないな。どこかへ走って行く姿は見たんだが」
道行く人に聞いても、返答は皆同じだった。
おかしいなぁとエイネは頭を掻く。あれだけの人数の子供がいたのだ、誰か一人くらいはどこかに入っていくところを見ていてもおかしくないのだが、誰も見ていないのだという。
(もしかしたら、どこかの建物の中でやっているのかも)
ひとつ可能性も思いつき、エイネはひとまず周囲の人にいろいろ聞きながら歩いて回ることにした。
「あの、すいません。この町でなにか催すために作られた場所かなにかありますか?」
「いや、そんなのがあるなんて聞いたことないが」
「そうですか。すいません、ここでなにか――」
何人も同じ質問を投げかけてみた。が、これも子供たちの行方同様にわからないと答えるものばかりだ。
店を営む人間に聞いても、これまた答えは同じ。町の役場に聞いてもそんな場所は存在しないという答えまで返ってきた。
エイネは次第に焦り始めていた。これだけ見つからないとなると、どこかへと連れ去られたのではないかという不安が過る。
それに、聞いて回るうち町に違和感を覚えていた。子供の帰りを待っていると思しき親の姿も無ければ、子供を探す親の姿もないのだ。
まだ昼過ぎだから気にしていない、というのもあるかもしれないが、それにしてはどうもなにかがおかしい。
(誰も彼も、なんだか答えの歯切れが悪いというか)
そう、これだけの人で賑わっているというのに、町に活気を感じられないのだ。来たときにはあれだけ話し声があったというのに、今は一切しない。まるで町が死んでいるかのようだ。エイネはもう居ても立ってもいられず走り出した。
取れる手段はもうひとつしかない。音だ、音を聞き取るしかない。これだけ静かになってしまったのであれば、笛の音を聞き取ることなどそう難しいことではないはずだ。
走り、ひたすら走って、エイネは耳を澄ませた。
「――っ!?」
不意に、耳に微かな笛の音が入ってきた。咄嗟に耳を塞ぐエイネ。
(今の音、まさか誰かが催眠魔法を!?)
「くっ……!」
エイネは笛の音に魔力が込められていることを瞬時に感じ取っていた。それだけ彼女も魔力を感じることに長けているということだが、喜ばしい状況ではない。
今のエイネは魔力が少ない状態だ。そんな状態であれば誰にでも操られてしまう。魔法を使い耐性を上げることも出来るが、魔力を消費するわけにはいかない彼女にとってそれは悪手でしかない。
(でもこれじゃ音を聞くどころじゃ)
焦りがエイネの判断を鈍らせる。音が聞こえなければ、ソラの居場所を見つけるのは難しい。だが笛の音が聞こえたとあれば、場所はそう遠くはないはずだ。そう考え、エイネは周囲を見渡した。
見渡し、エイネは思わず息を呑んだ。町の住人がまるで操られたかのように、生気を失った目でその場に立ち尽くしている。異様な光景だ。
これはもはや猶予はないのかもしれない。エイネはそう判断し、魔力を高めて身に纏った。
「あぐっ……痛っ……!」
直後、エイネの視界が揺らぐ。頭に痛みも走る。魔力を使えばこうなるのは必至。だが堪えるしかなかった。
笛の音は聞こえなくなっていた。それでも気を緩めるわけにはいかない。いつ何時、またあの音が聞こえてくるのかわからないのだ。
魔力を身に纏ったままエイネは耳を澄ませる。どんな微かな音でも聞き逃さないように。
――たす……けて……。
「――っ!? ソラ!?」
微かだが、助けを求める声が聞こえた。とてもか細い声だったが、エイネはそれがソラの声だと聞き逃さなかった。
エイネは再び走った。声の聞こえた方向に。全速力で。
そして行き着いたのは小さな建物だった。人がそれなりの人数入れるであろうこの建物は、子供に笛を演奏して聴かせるには十分な大きさだ。
すぐさま扉を開けようと手を掛けるが、どうやら鍵が掛かっているようで開かない。
どうにかしてこじ開けようとした時、またエイネの耳にソラの声が入ってきた。
――エイ……ネ……。
この声で、エイネはすぐに悟った。ソラの身に何かあったのだと。
ギリッと歯を強く噛みしめる。堪えることの出来ない怒りが、エイネの胸の奥からこみ上げてくる。今までにない形相で扉を睨み、そして――。
「うあぁぁーッ!!」
雄叫びとともに、エイネは扉を拳で吹き飛ばした。
「なんだ?」
笛吹きの男は、破壊された扉の方に目をやる。
「お前……私の大事な子をどこに連れて行くつもりだ……」
男の目に映ったのは、微かな光を纏った少女の姿だった。
「答えなさい……ソラを、子供たちをどこに連れて行くつもり?」
エイネの問いに、男は鼻で笑った。
「ガキが一丁前に英雄気取りか?」
男の目にはただの幼い少女にしか映っていない。彼女が一人の母親だということを知りもしない。故に、エイネの次の行動に反応できなかった。
「あまり、私をイラつかせないでくれるかしら……?」
ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ目を離した隙に、エイネと男との距離はほぼゼロになっていたのだ。
「なっ!?」
男は驚きを隠せず、ただ目を丸くするだけ。
エイネは拳を握り、男の腹に思い切りたたき込んだ。
「ぐがぁ!?」
その衝撃に男の体は耐えられず、壇上に向けて弾き飛ぶ。壇を構成していた木材が砕け、パラパラと散る。エイネの放った拳がどれだけの威力を持っていたのか、一目でわかるだろう。
男は身を起こし、口に溜まった血を吐き捨てると目をぎらつかせた。
「くそが……さっきのガキといい、どうしてこうも邪魔しやがる」
気にくわない。そう表情に出ている。唇を噛み、笛を強く握りしめて、怒りを露わにしている。
一方のエイネは涼しい顔で男を見ていた。
「相手を甘く見るからそうなんのよ」
エイネが笑う。
「くそが……くそがくそがくそが、くそがああああっ!!」
突然、男が叫び声を上げた。その圧は尋常では無く、空気全体が揺れている。エイネが思わず耳を塞いでしまうほどであった。
(この男、一体なにを)
これが何かの合図であると気づいた時、エイネの視界が大きく揺れた。
「がっ……!?」
耳を塞いでいた隙を狙い、操られた子供の一人が椅子でエイネの後頭部を殴打したのだ。平衡感覚を失ったエイネは、バランスを保つことができず地面に伏してしまう。
それを見計らったかのように、ほかの子供たちが一斉に襲いかかった。エイネの背中や後頭部を目がけ、椅子で何度も強打する。
「みんな、やめて!」
エイネが必至に子供たちに呼びかけるが、彼らにその声が届くことはない。男の術中に捕まってしまった子供たちは、男のいいなりに動くしかなかった。
それが彼らの心を痛めつけているのか、子供たちの目には涙が溢れている。
エイネはそれに気づき、歯を食い縛った。この男はなんて卑劣な奴なんだと。
「あなた……子供たちに、こんなことをさせて……何も思わないわけ?」
男は高らかに笑い声を上げた。
「なにを思う必要がある? 俺はただ道具を上手く扱っているだけだろう?」
「道具? 道具、ですって……?」
子供たちの猛攻を受けながら、エイネは立ち上がった。
「あんた、この子たちが涙を流しているのが見えないの?」
「見えないなぁ? そんな道具たちがどうなっているかなんてなぁ」
瞬間、エイネは地面を強く蹴った。先ほどと同じように、男との距離を一気に詰めようとしたのだ。だが――。
「二度も同じ手が通用するかよ」
エイネの行く先に、二本の槍が現れた。
「しまっ……」
一度放たれた速度を緩めることが出来ず、エイネは咄嗟に両腕で防いだ。
「ぐぅ……!」
槍の切っ先が腕に刺さる。
エイネは痛みに顔を歪めるも、槍を無理矢理抜いて距離を取った。が、背後に気配を感じすぐさま身を翻して、防ぐ体勢に入った。
振りかざされたのは、鉄で出来た護身用の警棒だった。それがエイネの傷口に直撃する。傷口がさらに開き、血が飛び散る。衝撃が骨にも響き、嫌な音を立てた。
使い魔の体が魔力で出来ているとは言え、構造も痛みも人間と変わらない。漏れそうになる悲鳴を必至に堪え、エイネはなんとか耐えた。
(まずい、意識が……かすむ……!)
流血は魔力を消費することと同義だ。今すぐに出血を止めなければ、魔力を減らす一方だ。ましてや今は身体強化の魔法を自身に掛けている状態だ。このまま下手をすれば、自身の体が消えてしまい兼ねない。
だが治療する余裕はなかった。エイネは完全に囲まれてしまっていた。
「せめてあの子だけでも」
ソラだけでもどこか安全な場所に移動できないかと思考を巡らせる。容易なことではない。今もなお、男に操られた町の人々が集まってきているのだ。こんな状態では例えソラの身を救出できたとしても、そうしている間に逃げ場がなくなってしまう。
エイネは、思わず太腿のナイフに手を掛けようとする。掛けて、自分を呪った。町の人々はただ操られているだけだ。罪もない人間を殺すわけにはいかないというのに、それだけ彼女は追いつめられていた。
(ここはもう……撤退するしかない……か)
そう考えた瞬間、町の人々が一斉にエイネ目がけて襲いかかってきた。
必至にエイネは猛攻を躱す。が、彼女の息は上がっていた。体力の消耗も激しく、本来ならば立っているのもやっとな状態なのだ。
なんとか隙を見て、この場から脱出しなければならない。今いる場所はあまりに狭い。躱すスペースさえ見つけるのが難しくなってきている。
「あまりこういうことしたくなかったんだけど……」
ついに壁際にまで追い込まれた。
だがエイネにとってこれは却って好都合だった。
拳に魔力を込めて、壁に打ち放つ。すると激しい音を立てて破壊された。出来た穴は思惑通り外へと繋がっている。町の建造物を壊すのは気が進まなかったが、もはや気にしている余裕などない。
骨に響く衝撃を堪えながら、エイネは外に出る。足に魔力を込めて高く跳躍し、家屋の屋根に着地した。
逃げようとしたとき、彼女の体はすでに限界に達しようとしていた。それでも力を振り絞り、その場から退散する。最愛の子を救うために死んではならないのだと。
「逃げたか」
エイネが姿を消して間もなくして、開いた穴から男が出てきた。
空を見上げ、鬼気とした表情で笑みを浮かべる。
「だが、この笛の力があれば……もう誰も俺を止めることはできない」
男は天に向かって、大きな高笑いを上げた。
「これで俺の欲望が満たされるってもんだ!」
男は周囲に集まった操られた人々に目をやることなく、中へと入っていく。
「おい、いくぞガキども」
そして子供たちだけを連れて、その場から去って行った。
一方、エイネは町の外、森の中まで来ていた。この場所まで来れば、さすがに追ってくることはできないだろう。
木にもたれ掛かり、荒れた息を整える。額からは大量の汗が流れている。
服の裾を破り、それを包帯代わりにして傷口を覆った。これは気休め程度のものでしかない。完全に傷口を塞がなければ、魔力が減っていく一方だ。
しかしエイネにはもう思考するだけの余力が無かった。体が少しでも魔力を得ようと、睡眠を促す。睡眠と食事は魔力を得るのに必要な要素だ。
視界が暗くなっていく。体を起こそうとするが、力が入らない。
「戻ら……な……いと……ソ……ら……」
そのままエイネは意識を失った。