数多の星は蒼穹にて輝く   作:姉川春翠

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第二節 笑顔の理由(わけ) 3

 木造二階建ての一軒家。この家には若い夫婦と、もうすぐ十二歳になる一人娘が仲良く暮らしていた。

 夜も深まり、夫婦と娘がそれぞれの部屋で眠りについている頃。奇妙な音が聞こえ、夫婦は目を覚ました。

 耳を澄ましてみると、左隣の家から常軌を逸した狂った女性の笑い声が響いている。

 確か隣の家にはもうすぐ赤子が産まれる夫婦が住んでいるはずだ。何かあったのだろうか。夫婦は疑問に思い、耳を傾けていた。

 狂った笑い声はそう長く続くことはなかった。

 まるで楽器の弦が切れたかのように、突然音が途切れたのである。

 もしかしたら何かの悪夢にうなされていただけなのかもしれない。そう考えて二人は再び眠りに着こうとした。

 次の瞬間、悲鳴が響き渡った。

 この悲鳴で夫婦は普通ではない。この闇夜の中、隣の家で何かが起こったのだと確信した。

 しかし身は起こせど、確認しようという勇気は持てなかった。何せ外は真っ暗闇だ。地面を照らしているのは心許ない街灯の蝋燭のみ。こんな中に出ていき、もし自分にも危険が降りかかったら。そう思うと、とても動こうという気にはなれなかった。

 結局夫婦は日が昇るまで、不安な一夜を過ごすこととなった。

 そして翌朝になり兵士に通報したところ、隣の家に住む夫婦が殺害されていたと知ったのである。

 

 

 

 

 

 

 殺害現場を後にして隣の家を訪れたソラとトゥネリは、中に案内されて夫婦から昨晩体験したことを聞いていた。

 テーブルを囲む四人の傍らには、警護のために滞在することになった二人の兵士も立っている。どちらも腰に携える剣の束に触れて、険しい表情だ。

 

「そうですか。貴重な話をありがとうございます」

 

 身を寄せ合うようにして話してくれた夫婦に一言礼を言うと、ソラは思考を巡らせる。

 彼らが聞いた音というのは、間違いなく殺害の瞬間に発せられたものだろう。

 

「それで、お二人が聞いた悲鳴というのは本当に()()()()()だったんですか?」

「ああ。うちにも娘がいるから間違いないよ。あれは()()()が発する高い声だった」

 

 ソラの質問に夫が頷きながら答える。

 

「でもおかしい。あの夫婦にはお腹の中の赤ちゃん以外、子供はいなかったはず……」

 

 トゥネリは眉を顰めて呟く。

 殺害された夫婦には確かに娘がいた。しかしその娘は六年前の事件で、無惨な死体となって発見されたはず。であればその悲鳴は一体誰が発したものなのか謎が残る。

 

「本当はすぐ外に出て、夜の見回りをしている兵士に報せようと思ったんだ。けど丁度音が聞こえた時間帯は、見回りがいないことを知っていたから……」

 

 夫婦の話を聞き、確認のためにソラは側に立つ兵士たちに顔を向ける。すると左に立つ兵士が頷いて答えた。

 

「夜の見回りは少人数で行っているからな。時間によってはここから遠く離れたところにいることもあるだろう」

 

 ドゥエセにいる兵士は多いわけではない。六年前の事件を受けて増えているとはいえ、夜に街全体を見通すほどの警戒態勢を取るのは無理がある。

 その穴を突いて犯行があった。おそらくそのための計画も入念に練られていたのだろう。

 

「ちなみに見回りの人が悲鳴を聞いたという話は――」

「いやない。故にあの殺害現場は今朝、この夫婦が通報したことで初めて見つかったのだ」

 

 兵士の話を聞いて、ソラは目の前にいる夫婦が置かれている状況を察した。

 この家を訪れてずっと疑問に思っていたこと。なぜ兵士二人で、彼らを険しい顔でじっと見ているのかを。

 彼らは容疑者として数えられているのだ。現状手がかりが少ない中で、隣接する家に住む人間が疑われるのは当然のこと。通報もアリバイを工作するための可能性だってある。

 つまりこの兵士たちは監視しているのだ。彼らの身の安全を守ることと、身の潔白の証明のために。

 

(それにしても、発見されたのは朝……か……)

 

 ソラは一瞬トゥネリの方に視線を向ける。

 彼女に手紙が届いたのは今朝のことだ。つまり手紙が送られたのは、殺害現場が見つかる前――もっと言えば夫婦が殺害される前ということになる。

 

(トゥネリが隠してることって手紙のことだよね。きっとボクに心配を掛けさせないために)

 

 だが気づいた以上、考えから除外することはできない。

 殺害前にトゥネリ宛に、しかも彼女が世話になっている老夫婦を装って手紙を送ったとなれば、犯人の真の目的はトゥネリということになる。

 加えてギルドに届くように送ったということは、犯人は彼女の身の回りをすでに調査済みのはず。となれば共に行動している者の存在にも気づくはずだ。

 

(あの手紙はきっとトゥネリだけじゃない……ボクにも向けられているんだ)

 

 殺害現場でふと浮かべた、あり得ないとかき消したはずの犯人像が形になっていく。殺害された夫婦の素性。トゥネリに送られてきた手紙。そして今聞いた夫婦の証言が、その形を浮き彫りにしていく。

 ソラが考えることに気を取られていると、ふと男が二人に問いかけた。二人が事件を調査していると知った者ならば、誰もが思い浮かべたであろう疑問を。

 

「すまない。ずっと気になっていたんだが、君たちはまだ子供のはずだ。なのにどうしてこの事件の調査をしているんだい?」

 

 問われて、ソラは少し俯く。

 犯人はきっと六年前の事件に関わった人間だ。そしてその人間はきっと、あの日救い切れなかった存在――。

 そう考えた時、答えはひとつしか浮かばなかった。

 

「もしかしたらボクたちは何かを取りこぼしてしまったんだと思います。だからその責任を果たさないと」

 

 ソラの言葉に若い夫婦は顔を見合わせた。事情を知らない二人は、その答えに少し困惑している。

 一方でソラの答えを聞き、トゥネリは察していた。隠していた内容にもう気づいてしまったのだと。事件現場の発見が朝だと分かった以上、彼が気づかないはずがない。

 顔を伏せて、トゥネリは自分の浅慮さに唇を噛む。結局自分のせいで、彼はどんどん深みに入っていっているのだと。

 

「並々ならぬ事情があるんだな」

 

 男は物悲しげな顔を見せる。まだまだ成長途中の彼らが一体どれだけの重荷を背負っているのか、想像もできなかった。

 

「そんな君たちにこんなことを頼むのも申し訳ないのだが、良かったら少し娘の様子を見に行ってくれないか?」

「ちょっとあなた。これは私達が解決すべきことでしょう?」

「そうだが……見たところ二人とも娘と同い年くらいだし。もしかしたらあの子が一体何を抱えているのか、この二人なら聞けるかもしれないだろう?」

「あの、どうかしたんですか?」

 

 夫婦の反応にソラは小首を傾げて問いかける。すると男は事情を話し始めた。

 

「実は今朝から娘が部屋に鍵を掛けてずっと出てこないんだ。兵士さんからこの部屋に家族全員でいるよう指示されているのだが」

 

 確認のためにソラが兵士の顔色を伺うと、二人の兵士はそれぞれ顔を逸らしながら小さく頷く。

 その反応からソラは、彼らもこの一家を疑うことは本意ではないのだと理解できた。彼らもまた老夫婦の家の時と同様に、事件のせいで疑心暗鬼になっているだけなのだ。それ故に、娘を無理やり連れ出そうとはしなかったのだろう。

 

「一応娘の部屋の前にも兵士さんが一人警護のために着いてくれているんだ。けどそれだとあまりに申し訳ないのでね。どうにかして娘もこの部屋に来させたいんだ」

「わかりました。それにもしかしたら娘さんも昨晩なにか気づいたかもしれませんし」

 

 頼みを承諾してソラは席から立ち上がる。

 

「行こっかトゥネリ」

「えっ? あ、うん……」

 

 気のない返事と共に、トゥネリも立ち上がった。

 その様子を少し心配しながらも、ソラは夫婦に向き直って深々と一礼する。

 

「お話ありがとうございました。少し娘さんとも話してきます」

「あ、ああ、よろしく頼むよ」

「その……お願いね?」

 

 ソラの行動に戸惑いながらも、夫婦は微かに笑顔を見せた。

 

 部屋を出て、ソラとトゥネリは階段を登った。

 木で作られた階段は二人の重さを受けて、微かに軋む音を出している。

 階段を登りながらトゥネリはひとつ深呼吸する。気持ちを切り替えて、今は前進しなければならないと真っ直ぐ前を見た。

 登った先には槍を片手に立つ、茶髪の女性兵士が立っていた。少し退屈そうに天井を見上げていた彼女だったが、気配に気がつくと態度を一変させて鋭い眼光を注ぐ。

 

「誰? あなたたち」

 

 二人の姿を見て女性兵士は問いかける。

 

「えっと、娘さんに用があって来ました。彼女の様子はどうですか?」

 

 ソラは少し戸惑いながらも事情を話す。

 すると女性兵士は警戒心を解き、呆れた眼差しを扉に向けた。

 

「別にどうもこうもないわよ。ずっと閉じこもったまま。時折耳を澄ませると、次は私の番だって聞こえてくるけどね」

 

 愚痴のように呟きながら、女性兵士は二人の方に向き直る。

 

「で、あなたたちは何? この子の友達?」

「わたし達はその――」

 

 トゥネリが説明しようとした時、不意に女性兵士は笑みを浮かべた。

 

「冗談よ。あなた達でしょ? アルガストが言っていた〝王都から送られてきた調査員〟ってさ」

「あっ、はい。そうです」

「ふーん。まったく王様は何を考えているのかしらね。こんな子供二人、あの人は反対しなかったのかしら」

「あの人?」

「王都の騎士団を纏めている人。私とアルガストの師匠に当たる人のこと」

 

 話について行けず困惑する二人を見て、女性兵士は深い嘆息とともに項垂れる。

 

「ごめんなさい。あなた達にこんな話しても仕方ないことだったわね。いいわよ。私はちょっと外の空気を吸ってくるから」

 

 吐き捨てるような物言いで言葉を残すと、女性兵士は懐を弄りながら足早に去っていく。

 どこか苛立ちの見えるその背中を見送ってから、ソラとトゥネリは困惑した表情のまま顔を見合わせた。

 

「わたし達何か気に触ることしたの?」

「分かんないけど――」

 

 ソラはすれ違いざまに向けられた眼差しを思い出す。まるで何か恨みでもあるかのような、あるいは蔑むかのような、微かな殺気が込められた黒く淀んだ目を。

 

「とにかく今はこの部屋にいる子から話を聞かないと」

「それもそうね」

 

 二人の視線は同時に部屋の扉に注がれる。女性兵士が話していた通り耳を澄ませると、確かに「次は私の番だ。私が殺されるんだ」と怯えるような声が微かに聞こえている。

 ソラは恐る恐るといった仕草で扉を軽く叩いた。

 

「誰ッ!?」

 

 扉の向こうから息を呑むような少女の声が響く。余程警戒しているのか、すぐ返事が出来なかったソラに対して「一体誰なの!?」と続けて叫んでいる。

 

「えっと、君のお父さんとお母さんから頼まれて様子を見に来たんだ。それに話も聞きたいからここを開けてくれると嬉しいんだけど」

 

 言いながらソラは軽くドアノブに手を掛けてみる。確かに鍵が掛けられている感触があった。

 

「あなた一人だけ?」

 

 しばらくしてから、扉の向こうからひとつ問いかけがあった。

 それを聞きソラはトゥネリの方に顔を向ける。

 すると相手の一言で心中を察していたトゥネリは頷いた。

 

「ごめん、トゥネリ」

 

 その場から離れようとするトゥネリに、囁き声で謝罪を述べるソラ。

 

「大丈夫。話は一応ここからでも聞こうと思えば聞こえると思うし。それによくよく考えたらわたし……この子に嫌われてるだろうから」

 

 それに対してトゥネリは微かに笑うと、廊下から姿を隠した。

 事件のきっかけは自分にある。そうトゥネリが自負しているのだと気づきつつも、ソラは再び扉の向こうに声を掛ける。

 

「うんそうだよ。ボク一人だから安心して?」

「本当?」

「うん。本当だから」

 

 ソラの返事の後またしばらくして、今度はカチャリと開錠の音が鳴った。

 慎重な動きで扉が開き、中から茶髪の少女が顔を覗かせる。その揺らぐ瞳から不安がはっきりと見て取れる。

 

「あなたは……」

 

 少女はソラの顔を見て目を丸くしてまじまじと見つめている。

 

「あ、えっと……」

 

 この反応を想定出来ていなかったソラは、どう切り返すべきか頭を悩ませた。

 もしかしたら彼女は六年前のことがトラウマになっているのかもしれない。それを自分の顔を見たせいで思い出させてしまったのなら。そう考えていたソラに対して少女の取った行動は、

 

「そっか。やっぱりあなただったんだね」

 

 と安心したように微笑むことだった。

 

「やっぱり?」

「うん。たまたま窓からあなた達が家に入ってくるところ見てたから」

 

 答えてから少女は廊下を見渡す。「あなた達」と言ったことから、トゥネリの存在にも気づいているようである。

 しかし彼女の姿が見えないことを言及することなく、少女は「入って」と言ってソラを招き入れた。

 少女の部屋の中は質素なものだった。置かれているのは人一人分のベッドと衣装を入れるための棚だけである。机も椅子も無く、ただ寝るための部屋といった様子だ。

 ソラが少し部屋を見渡していると、少女は「ここに座って」とベッドに腰掛けて手招きした。

 妙な空気にソラは表情を固くしながらも、招かれるままに、少女の右隣に座る。

 

「それでこの街に何しに来たの?」

 

 唐突な少女の問いかけに、ソラは思わず息を呑む。まるで喉元に刃を突きつけられているような感覚が彼に纏わりつく。

 軽く冷や汗を滲ませるソラを見て、少女は肩を落とした。

 

「ごめんなさい、聞き方が悪かったよね? えーっと私に何か用かな?」

「あ、えっと……その。昨夜隣の家に住んでいる夫婦が亡くなったのは知ってるよね?」

「うん知ってる。私犯人の顔を見たから」

「そうなんだ。じゃあ何か知って――」

 

 少女の答えを遅れて認識すると、ソラは表情を凍りつかせた。

 

「見たの? 犯人の顔を?」

 

 問いかけに少女は小さく頷く。

 

「パパとママが隣の家の音を聞いたのと同じように、私も当時目を覚まして聞いていたの」

 

 この時少女は何とか表情を取り繕うとしていた。

 彼女ははっきりと六年前のことを覚えていた。当時ソラに助けられたことも。だからこそ、あの時のように情けない姿を見せまいと気丈に振る舞おうとしていた。

 しかし彼女の顔は徐々に恐怖で歪んでいく。自分が見たものを思い出すに連れて、瞳に絶望を宿して、歯をガチガチと鳴らし始める。

 

「気になって私、外を見てみたの」

 

 恐怖で飲みそうになるのを必死に抑えて、訴えかけるように言葉を吐き出す。

 

「忘れるはずもない。だってあの子は……あの子は……っ!」

 

 そして少女は絞り出すような声ではっきりと言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――六年前に殺されたはずの女の子だったから」

 

 

 

 

 

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