数多の星は蒼穹にて輝く   作:姉川春翠

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第二節 笑顔の理由(わけ) 4

「亡くなった女の子?」

「覚えてるよね? 六年前のあの日、最初に犠牲になった子のこと」

 

 忘れるはずもない。あの時もう少しの勇気を振り絞っていれば、救えたかもしれない命だったのだから。

 そう考えているが故にソラは困惑していた。あの時失われたはずの命、その存在を見たという話をそう易々と信じられるはずもない。況してやそれが事実であるならば、自分が想像した犯人像通りではないかと。

 しかし、もし犯人が亡くなったはずの夫婦の娘だとするならば、殺害された女性が満足そうな表情を浮かべていたことの説明がついてしまう。女性はただ、亡くなったはずの娘の姿を見れて嬉しかったのだろうと。

 ソラがなんとも言えぬ表情をしている一方で、少女は話を続けた。

 

「私ね、あの事件以来あまり深く眠れなくなる時があるの。部屋を真っ暗にすると、あの時のこと思い出しちゃって」

 

 少女は冴えない顔で微笑する。

 

「六年も経ったからさすがに頻度は落ちてたんだけど、ここ数日はそれで眠れない日が続いてた。それは昨日も同じだったの」

 

 少女が言うには、眠れない日は音に敏感になるためはっきりと奇妙な声を聞いていたのだという。

 はじめは女性の狂気じみた笑い声。その後に聞こえたまだ年端もいかぬ少女が発するような悲鳴。どちらも彼女の両親が聞いた内容と同じだ。

 

「争ってる音は聞こえなかったから、多分一方的だったんだと思う」

「それで……君は見たんだ?」

 

 ソラの問いかけに少女は頷く。

 

「音が気になって外を見てみたんだ。そしたら亡くなったはずの女の子が下に立ってて……それで……目が合ったの」

 

 言いながら少女は唇を震わせる。閉じこもっている際に出た「次は自分が殺されるんだ」という言葉も、犯人と目が合った恐怖から来たものだった。

 

「すごく冷たい目をしてたのを覚えてる。まるで感情がないかのような目をしてた」

 

 少女の顔から血の気が引いていく。目に涙を溜めて、訴えかけるような声で話し始める。

 

「きっとあの子……私達を恨んでるんだよ。私達が生き残ったから……っ!」

 

 どう切り返すべきかソラは頭を悩ませる。何を言えば少しは安心させられるだろうかと。

 

「大丈夫。兵士さんたちと一緒になんとかするから」

 

 しかし出てきたのは気休め程度の言葉だった。

 犯人の居場所がまだ特定できていない以上、これから先また犠牲者が現れる可能性だってある。 その犠牲者が彼女ではないという保証はできない。そもそも犯人と目が合ったというのならば、次の犠牲者になる可能性の方が高い。

 こんな言葉しか掛けられない自分の不甲斐なさにソラは内心歯噛みする。一時の安心すら与えられないのかと。

 

「ねえ、どうして?」

 

 不意に少女が問いかけた。

 

「どうしてあなたはそうやって戦うことできるの? 六年前の時もそう。あの時みんなを助けようと立ち上がったのはあなただけだった」

「それは……」

「私ほんとは気付いてるの。あなた……あの子と一緒に行動してるんでしょ? あのトゥネリって子と」

 

 指摘にソラが小さく頷くと、少女は微かに唇を震わせる。

 

「私ね、事件のことを思い出すといつも一緒にあの子の顔が浮かぶの。そして思っちゃうんだ……あの子がいなかったら私は怖い思いをしなかったんじゃないかって」

 

 少女の言葉は廊下にいるトゥネリの耳にまで届いていた。

 彼女が隠そうとしても、言葉の節々から滲み出る恐怖。それを感じてトゥネリは唇を噛み、拳を強く握る。冷たい何かがトゥネリの心に纏わりついていく。

 

「本当はあの子のせいじゃないって分かってる。だけど思い出すたびにどうしてもそう思っちゃうの……私が眠れない夜を過ごすことも無かったんじゃないか、あの日の記憶が頭に残ることもなかったんじゃないかって……」

 

 少女はソラとトゥネリが一緒に部屋の前にいることに気がついていた。気がついていたからこそ、敢えて一人でいるかどうかを聞くことで避けようとしたのだ。恐怖の根源となり得るものを見ないために。

 少女はソラに詰め寄るように一歩前に出ると、服を掴んで鬼気迫るような表情で言った。

 

「ねえ! どうすれば私もあなたみたいに強くなれるの!?」

 

 それは恐怖を克服したい一心で飛び出た言葉だった。あの日のことを今でも忘れられず、いつまでも心に癒えない傷を抱えているのが嫌で仕方なかった。

 そんな少女に対してソラは、首を微かに横に振った。

 

「ボクは強くないよ。ただ臆病なだけ……届くはずの手が届かず、目の前で誰かの笑顔が消えるのが怖いだけ」

 

 ソラは言いながら手のひらを見つめる。あの日掴んで離したくなかった大切なものが、抜け落ちるように消えていく感覚を思い出す。

 あんな思いはもうしたくない。あんな思いを目の前にいる誰かにさせたくない。その思いが今のソラを突き動かしている。

 

「だからボクは戦うんだ。目の前でもう誰かの笑顔が消えないように」

 

 そして何よりも彼の中に深く根付いているものがある。

 

「それに約束したから。たくさんの人を笑顔にするって」

「だったら……!」

 

 なにかを言いかけて少女は俯いた。しばしの静寂が部屋を包み込む。

 

「出てって……」

「えっ?」

「だからもうこの部屋から出てってよ! 話すことはもう話したから!」

 

 突然のことに困惑するソラを他所に、少女は強引に部屋から追い出す。

 扉を勢いのままに閉めて鍵を掛けると、少女は膝から崩れ落ちた。恐怖と安心、そして何より自分への失望という綯い交ぜになった感情が溢れ出す。

 部屋を追い出されたソラはドアノブに手を伸ばそうとした。

 しかしそれではダメだと思い止まった。少女の笑顔もこの街に住む人々の笑顔も――全ての笑顔を取り戻すためには、誰よりも早く犯人の居場所を突き止めなければならないのだと。

 

「色々教えてくれてありがとう。ボク達行くね?」

 

 遠ざかっていく足音を聞き、少女は歯を強く噛み締める。

 

「私いま……あの子を利用しようと……ッ!」

 

 自分の中に潜む醜い感情に気がつき、少女は声を押し殺して泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 家屋の影に隠れて、女性兵士はひとり葉巻を吹かしていた。

 左手には年季の入った木の箱が握られている。その中身は今彼女が嗜んでいる葉巻と、それを吸うために必要な小道具だ。

 煙を吐きながら女性兵士は空を見上げた。吐き出した煙は曇天に向かって登っていく。

 葉巻を吸いながら彼女は耳を澄ませる。聴覚強化の魔法を使い、遠くの音を聞き分けていく。そしてその中からハッキリと聞こえてきた内容に舌打ちを鳴らした。

 

「なるほどね。やっぱりそういうことか」

 

 聞こえて来たのは少女の声。女性兵士が部屋の外でしばらく警護していた少女のものだ。

 少女は言った。犯人を見たと。そしてその姿は、六年前の事件で命を落としたはずの女の子だったと。

 薄々感じていた違和感の正体が分かり、女性兵士の中に苛立ちが募っていく。

 そんな折、彼女に近づく男の姿があった。

 

「お前、またそんなもの吸っているのか」

 

 呆れた様子でやってきたのは、隊長のアルガストだった。

 アルガストは、女性兵士が手にしている箱に目をやると肩を竦める。

 

「いつまでそんな物を持っているつもりだ?」

 

 女性兵士は苛立ちの矛先を向けるかのように、木箱を強く握りしめる。

 

「別にいいでしょう? この世にある物を持ってて一体何が悪いって言うのかしら? それに」

 

 不意に握っていた力を緩めると、女性兵士は木箱を眼前にまで持っていった。彼女の目はどこか哀しげで、何かを思い出しているかのような様子だ。

 

「彼が気に入っていた物だから……これ……」

 

 女性兵士にとってこの木箱は、かつての愛人が持っていた大切な形見だった。

 未練の象徴であるそれを手放せないことを、アルガストは常に嘆いていた。まるで失ったものを味わうかのように葉巻を吸う彼女の姿は、とても痛々しくいつまでも見ていられるものではない。

 上司として、同期として、そしていつかはなっていたかもしれない家族として彼女の身を案じているのだ。

 

「ゼルレシアス……お前があいつにどれだけの思いを抱いていたかは知っているが――」

「そんなことより、どうやら今回の事件はあなたの読み通りみたいよ?」

 

 嗜めようとするアルガストの言葉を遮り、女性兵士ゼルレシアスは口元に笑みを浮かべる。

 

「六年前に子供を失った夫婦が殺された。ある人物を誘き寄せるための餌としてね。その人物とは、六年前に起こった魔物事件の犯人の娘。目的はただひとつ……復讐のため」

 

 ゼルレシアスの見解を聞き、アルガストは目を逸らして嘆息する。

 

「お前、盗み聞きしてるのか」

「当然よ。何せ事件の中心に立たされている子達が話すことだもの。聞き逃すわけにはいかないわ」

 

 逸らした目を戻し、アルガストはゼルレシアスの瞳を見る。

 

「お前……あの二人を恨んでいるのか?」

 

 瞳の奥底に潜む邪悪を見て、アルガストは問いかける。するとゼルレシアスは即答した。当然でしょ、と。

 

「逆に聞くけどあなたは一体誰のせいで彼が死んだと思ってるわけ?」

「少なくともあいつらのせいだとは思ってない。あいつらはただ巻き込まれただけだ」

 

 アルガストの答えを、ゼルレシアスは鼻で嘲笑う。

 

「巻き込まれた? 違うわ。巻き込まれたのは彼よ。あの二人は事件の歯車の中に最初から組み込まれていたんだもの」

「どうしてそう思うんだ?」

「だってそうじゃなきゃ、あの子たちがまた都合よく巻き込まれることの説明がつかないじゃない?」

 

 ゼルレシアスの答えに、アルガストは呆れ返る。彼女の言っていることはただの想像に過ぎない。怒りの矛先を向けるべき場所が分からず、ただ八つ当たりしているだけだと。

 だが彼がそれを言葉として発することはなかった。彼女の心情を理解しているからこそ、その思いを踏み躙るようなことを言えるはずがない。況してや怒りの原因は自分にもあるのだからと。

 故にアルガストは肩を竦め、怒りの捌け口となることに徹する。これまでずっとそうしてきたように、ただ彼女の衝動的な言葉を受け止める。

 

「逆に聞くけど、どうしてあなたはあの子たちを恨まないわけ? 私と同じように彼を殺された身のくせに、あの子たちを真実からできる限り遠ざけて、自分が犯人を見つけるまでの時間を稼ごうとしてる。はっきり言って意味が分からないわ」

「当然だろう? あいつが……弟が命を賭して救った命だ。その命を兄の俺が恨んでどうする?」

 

 アルガストが端的に答えると、ゼルレシアスは不快そうに咥えていた葉巻を地面に吐き落とした。

 

「ほんとつまらない男。どうして兄弟でここまで差が出たのかしらね」

「悪いな。あいつがお前にどう接していたのかは知らんが、俺はあいつみたいには一生なれねぇさ」

 

 苛立ちが頂点に達し、ゼルレシアスは眉間にしわを寄せて強く舌打ちする。

 

「誰もあなたに彼の代わりなんか求めてないわよ」

 

 高まった苛立ちをぶつけるように吸い殻を踏みつけると、ゼルレシアスはその場から足早に立ち去っていく。

 すれ違った背中を見送ると、アルガストは吐き捨てられた吸い殻を拾い上げる。まだ微かな煙を吐く吸い殻はまるで、彼女が抱えている怒りを宿しているようだ。

 

「恨む……か。もし俺が恨んでるとすればそれは――」

 

 立ち上っては消える煙の中にかつての記憶が映し出されると、アルガストはそれを嘆くように儚げな声で呟いた。

 

 

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