「ありがとうございました」
そう言って玄関の扉を閉めると、ソラは家を見上げて少女の部屋のあたりに視線を置く。部屋には物憂げな表情で見下ろしている少女の姿があった。
一方で背後に立つトゥネリも、暗い表情で視線を地面に向けている。
二人は言葉を交わさず、しばらくその状態を保った。
「ねえ、あの子が言っていたこと……本当なのかしらね?」
最初に静寂を破ったのはトゥネリだった。
トゥネリの問いに少し考えると、ソラは顔を下ろして小さく頷く。
「嘘は言っていなかったよ……あの子」
死者の魂が残った未練から彷徨うという事例は少なくない。鎮魂を目的とした業者もあるほどだ。しかしその彷徨っている魂が人間の命を奪ったという話は聞いたことがなかった。あっても取り憑いた人間の調子を多少悪くしていたという程度だ。
そもそも魂には実体が無く、物に触れることが出来ないとされている。このことに準拠した場合、殺された夫婦には刃物で斬られた痕跡が残っていたことから、犯人が死者の魂という線は考えにくい。
「もし仮に、仮によ? 仮にその亡くなった女の子の魂が犯人だったとして、そんな実体もないものどうやって見つけるの?」
トゥネリの問いにソラは答えられなかった。
死者の魂は明るいうちに姿を現すことができないとも言われている。かといって夜になると必ず姿を現すというわけでもなく、例え広域に渡る探索魔法を使ったとしても実体の無い彼らを捉えることは出来ない。
そこで専門家である鎮魂業者を頼ることが出来るかと言われると、それも不可能に近いと言えた。ドゥエセの街に限らず、ヘルディロ内にはその業者が存在しない。なにせヘルディロで経営していくには事例があまりにも少ないからだ。
鎮魂業者が最も盛んなのは、ここから遠く離れた国。通称夜の国――ナハトヴェイルだ。ここは遥か昔に人間から変異した種族〝吸血鬼〟が住む国であるため、死者の魂が彷徨いやすいのだという。理由としては様々な噂があるが、最もな理由としては彼らが人間を食らって生きているからとされている。
つまり現状その死者の魂が夫婦を殺害した犯人だったとしても、見つける方法はなくすぐに対処することは不可能と言えた。
「とにかく今はできる限り情報を集めないと。まだ犯人がそうだと決まったわけじゃないから」
「確かに……そうね」
少女の証言を記憶の片隅に置き、二人は歩き出そうと振り返った。
「なにか収穫はあったかしら? 可愛いお二人さん?」
すると先程出会った女性兵士が二人に声を掛けた。
優しげに微笑み掛ける女性兵士に対し、二人は顔を見合わせる。先程すれ違った際に向けられた憎悪に似た眼差しは気のせいだったのだろうかと。
「まだなんとも……」
「あらそう?」
ソラの有耶無耶な返事を聞き、女性兵士は含みのある笑みを浮かべた。
「じゃあ、あなた達にとっておきの情報を教えてあげるわ」
「とっておきの情報?」
情報が足りない今、可能性があるものであればどんな些細なものでも欲しい。そんな思いがソラの態度に表れる。
すると女性兵士はまるでそれを嘲笑うかのような表情を浮かべて言った。
「あなた達がこの街からいなくなれば、事件は丸く収まるかもしれないってこと」
女性兵士の発言にソラとトゥネリは息を呑む。
失礼なことを言っていると捉えるのが大半の人間の反応だろう。
しかし二人にとって彼女が放った言葉は、胸を突き刺す刃物以外の何物でもなかった。
調べれば調べるほどに、あの六年前の事件が関係しているのではないかと考えてしまう。あの日巻き起こったが故に、あの日救えなかったが故に、今回の殺人が起こったのではないかと。
二人は何も言い返せなかった。言い返す言葉を持ち合わせているはずもなかった。
女性兵士は二人が俯く様子を鼻で笑うと、また警護していた家の中に入っていく。扉を閉める際、彼女は憎悪の眼差しを二人に向けていた。
「あいつが言ったことはあまり気にするな」
無言で立ち尽くす二人に歩み寄り、遠くから見守っていたアルガストが声を掛ける。彼の憂いの目は閉められた扉に向いている。
「あいつはゼルレシアス。俺の同期だ。あいつも色々あってな。昔はあんなんじゃなかったんだが――」
「六年前の事件で変わってしまった……ですよね?」
ソラの指摘にアルガストは肩を竦める。
「察しがいいな」
「何があったんですか?」
トゥネリは問いかける。
知りたかった。何故彼女があんなにも自分たちに憎悪を向けているのかを。大体の理由は想像出来ているが、それでもはっきりとさせたかった。
二人の思いを汲み取り、アルガストは視線を曇天の空に向けて話し始めた。遠くから微かな雷鳴が聞こえている。
「六年前の魔物騒動で、犠牲になった兵士が二人いたのは知ってるか?」
二人は鮮明に覚えている。突如現れた魔物になす術もなく、食われて命を落とした兵士たちのことを。
「はい……目の前で見てましたから……」
「そうか。その犠牲になった兵士のうちの一人が、あいつの恋人だった」
二人は唇を噛む。薄々勘づいていたことだ。あの女性もなにか大切なものを失ったのだろうと。
「そしてその恋人は……俺の弟だった」
思いも寄らぬ事実に、二人は目を見開く。哀愁漂う彼の表情が事実であると証明していた。
「俺たちはまるで本当の兄妹のように毎日一緒だった。大人になって俺と弟が兵士になると聞いた時も、あいつは俺たちの後について兵士になるって言ってな。二人して反対したんだが、あいつ知らぬ間に頑固な性格になりやがって、結局そのまま押し切って同じ時期に訓練兵になった」
気づけばアルガストは思い出を二人に語り始めていた。本来彼らに話すべきことではないのかもしれない。そう考えながらも、彼は優しい口調で話を続けていく。
「いつ頃からだったか……弟とあいつはいつの間にか恋仲になっていた。将来を誓いあって、いつか二人の間に子供が出来たらいい。なんてことを話してることもあった。そんなあいつらの幸せを、俺はただ願うことしかしなかった」
アルガストは手のひらを見つめる。まるでそこにあった物が突然消えてしまったかのように、寂しげに。
「六年前のあの事件の日、俺も笛の音に操られていた。意識だけが真っ暗闇の世界に囚われるような感覚。洗脳から解放されても、俺はその恐怖で動くことも出来なかった。外で魔物騒動が起こっても、俺は戦おうともせずただ片隅で膝を抱えていたのさ。笑いものだろ?」
自嘲気味に笑うアルガストに対し、二人は返す言葉が浮かばなかった。
彼の感じた恐怖は正常なものだ。平穏な日常が突如脅かされて恐怖を感じない者などそういない。
しかしアルガストにとってその時感じた恐怖は、ただの恥でしかなかった。己はこの街に住む人々を守るために兵士になったはずだ。だというのにその覚悟もまるで足りず、恐怖で足が竦み、大切な弟の命を失うという結末に至ってしまったのだと。
「あの時の俺は弱かった。だからせめてもの罪滅ぼしのために俺は一度王都に戻り、王都直属の騎士の中で最も手練れだった人に弟子入りを頼んだ。そしたらどういうわけかゼルレシアスの奴もついて来てな。そして今は俺の部下の一人として一緒にいる」
誰にも明かさなかった積もり積もった感情をさらけ出す。彼もまた感情の捌け口を探していたのだ。
それがよりによって何故、この二人の子供なのだろうか。微かな違和感を覚えつつも、アルガストは話すことをやめない。
「長い間家族のように一緒にいたってのに、弟というひとつの繋がりを無くした瞬間、俺たちの関係は一気に不安定なものになった。俺はあいつが怖い。あいつとどう接したらいいのか俺には分からない。少しでも触れたら、その瞬間すべての関係が崩れるような気がしてな」
ソラとトゥネリは無言で話を聞いていた。慰めの言葉もこうしたらいいという提案の言葉も浮かばない。ただ一心にこう思っていた。この人もまた、あの六年前の事件で人生を狂わされた一人なのだと。
何も言わず俯く二人の様子を見て、アルガストは肩を竦める。
「すまない。こんな話をお前らにしても仕方がないことだったな」
我ながらズルい物言いだとアルガストは笑う。もしかすると心の奥底に、彼らに対する微かな恨みを飼っているのかもしれないと。
「お前らは俺の弟が守ろうとした命だ。だからもう今回の件には関わらないでくれ。お前らにもし何かあったら、死んだ弟に顔向け出来ないからな」
言い残すだけ言い残して、アルガストはその場から立ち去ろうと踵を返した。
「嫌です……」
その時不意に聞こえた言葉にアルガストは足を止める。
振り返るとソラと目が合った。どんなに揺らしても崩れることのない固い意志が宿る目と。
「だったら尚更ボクは……今回の事件から逃げるわけにはいきません。ボクはあの日約束しました。沢山の人を笑顔にするって。そして今この街には……ボクの目の前には心の底から笑顔になれない人たちがいる。そんな時にボクがすることは一つしかない」
ソラは拳を握る。すでに決めた覚悟を今更覆すはずもない。目の前に悲しく辛い過去を抱えた人がいるのであれば、尚更引けるはずもない。それは約束に、己の意思に反することだ。
「事件がきっかけの一つに過ぎないのだとしても、目を背けるわけにはいかないんです」
ソラは一歩前に詰め寄る。
「あなたが意図的に情報を隠していたことは薄々気づいてました。さっきボク達が聞いた話をあなた達が知らないはずがない。これまで集めた情報だってあるはずです。それを明かさないのは、ボク達が信用されてないからだとずっと思ってました」
でも、と続けてソラはさらに一歩前に出る。
その気迫に押されて一歩後ろに退こうとした時、アルガストは気がついた。
(ああ、そうか……俺はまた……)
また逃げるのか。今度は「何も守れないかもしれない」という恐怖から、目の前の守ろうと覚悟したものから逃げるのか。
アルガストは踏み止まる。微かな笑みを浮かべて、真っ直ぐにソラの思いを受け止める。
「もしそうでないのなら教えてください。あなた達が知り得た情報を全て」
トゥネリも顔を上げた。ソラと同じように真っ直ぐな目でアルガストを見ている。
「わたしも……わたしだって逃げたくない。わたしにはその責任があるから」
二人のことをただの子供だとアルガストは考えていた。まだか弱く、危険から遠ざけて守らなければならない子供だと。
しかしその見解は誤りだったと理解した。彼らにだって辛いことから目を背けたい気持ちはあるだろう。それでも二人は一度決めたことから逃げようとせず、ひたすらに前を向いて進もうとしている。それがどんな歪な形であれ、前に進もうと歯を食いしばっているのだ。
それはもうか弱い子供の姿ではなく、立派なひとりの大人の――ひとりの強い人間の姿だった。
「そうだな……お前達は最初から相応の覚悟でここに来てたからな」
己の覚悟の足りなさを笑いながら、アルガストは空を見上げる。分厚い雲の隙間から微かな日差しが見える。
「分かった。俺たちが知っている情報をすべて話そう」
アルガストがそう口にした時、遠くの道端に落ちていた吸殻の灰が、柔らかな風に吹かれて消えた。
◇
少女の部屋の前でゼルレシアスは親指の爪を噛んで立っていた。彼女の耳には家の外で話すアルガストの声が響いている。
詳らかな彼の心情を聞き、ゼルレシアスは舌打ちを鳴らす。明らかな苛立ちが彼女の表情に出ている。
深いため息を吐き、懐から葉巻の入った箱を取り出す。箱を強く握りしめ、怒りの籠った目で見つめたまま彼女は「ふざけないでよ」と呟く。
衝動的に箱を叩きつけようとゼルレシアスは振りかぶった。が、すぐに動きは止まり、大事そうに葉巻の入った箱を抱き締める。
「私は……私はただ……」
蚊の鳴くような声でゼルレシアスは呟く。その目には微かな涙が浮き出ている。
捨て切れない何かを抱えたまま、彼女の膝が崩れ落ちそうになった時だった。
肩に何かが触れる。懐かしさと同時に背筋が凍るような感覚に、ゼルレシアスは慌てて振り返る。
背後には何もない。あるのはただの壁だ。
「気のせい……か……」
嫌な汗が彼女の額に滲み出る。嫌に覚えのある感触だったと生唾を飲み込む。
「ゼルレシアス」
不意に名を呼ぶ声が聞こえ、ゼルレシアスはまた慌てて声のした方向を見た。
「どうした? 顔色が悪いぞ?」
そこにいたのは、下の階にいた兵士のうちの一人だった。
「別に問題ないわ。それより何かあったの?」
ゼルレシアスは平静を装い、葉巻の箱を懐にしまった。心臓が異様に高鳴っているのを手が感じている。
「いや、女の子の様子はどうだと思ってな」
言われてゼルレシアスは扉の方を見つめる。先刻とは違い震えるような声が聞こえない。おそらく錯乱状態から少し落ち着いたのだろう。
「さっきの子たちのおかげで少し落ち着いたみたいね」
「そうか。何があったのかは知らんが、酷い怯えようだったからな。心配していたんだ」
「安心しなさい。何かあっても私が――」
ふとゼルレシアスは異変を感じた。
確かに声はしない。それは落ち着いたからだと判断した。だが部屋の中から人の気配さえ無いのはどういうことか。
先程の悪寒といい何か嫌な予感がする。
「一応、ちょっと部屋の中覗いてみるわ」
「鍵は開いてるのか?」
兵士の問いかけにゼルレシアスは考える。先程人を招き入れたのだ。開いている可能性はある。
ドアノブを軽く捻ると、鍵が掛かっている感触は無かった。
「ごめんなさい、ちょっと失礼するわね?」
念のため断りを入れて、ゼルレシアスは恐る恐る扉を開いた。
開いて、息を呑んだ。
「なんでよ? どういうことよ?」
あるはずの少女の姿がそこには無かった。
「おい、あの子どこ行ったんだ?」
ゼルレシアスは思考を巡らせる。
ここに戻ってくる際、少女とのすれ違いはなかった。部屋の窓も開いていない。仮に窓を開いて外に出たとしても、開いた時点で下にいるアルガスト達が気づくはずだ。
〝――可哀想なゼルレシアス……本当に可哀想だよ君は……〟
突然聞き覚えのある男の声が、ゼルレシアスの耳奥を刺激した。
「ひっ……!?」
堪らずゼルレシアスは短い悲鳴を上げる。
「お、おい。どうした?」
隣にいた兵士が彼女の異変に顔を覗き込んだ。先程よりもさらに青ざめた顔をしている。
「な、なんでもないわ。それよりあなたはあの子の姿を見た?」
「いや見ていない。部屋から移動したのか?」
ゼルレシアスは慌てて二階にある部屋をすべて隈なく探した。しかしどこにも少女の姿は見当たらない。まるで元からそこにいなかったかのように忽然と姿を消したのだ。
「何かあったんですか?」
慌ただしい音を聞きつけて、下にいた母親が二階に上がってきた。
「それが娘さんが姿を消しまして」
「えっ!?」
兵士の説明に目を剥くと、母親は少女の部屋を見る。確かに彼女の目から見ても、娘の姿はどこにも無かった。
「どういうことですか! どうしてあの子が!」
母親は動揺してゼルレシアスの肩を掴む。
騒ぎを聞きつけて、下にいた他の兵士と父親も上がってくる。
「あなた! あの子がいなくなったの!」
夫の姿を見て、母親は泣きつくように叫ぶ。
夫もそれを聞くや否や、二階の部屋全てを開けてゼルレシアスと同じように探した。
(くそ……私がちゃんと見てなかったせいで……!)
騒然とする状況にゼルレシアスの心が掻き乱される。一瞬だけ感じた聞き覚えのある声と感触が彼女の動揺を誘っていた。
「どういうことだ! なぜあの子がいなくなったんだ!」
「待って……」
ふと何かを思い出したように母親が呟く。
「そうだ……思い出したわ」
「思い出したって何をだ?」
「何ってさっき来てた茶髪の女の子よ! あの子確か六年前に魔物騒動を起こした犯人の娘だったはずよ!」
「お前いきなり何を言って――」
「だからあの子が私たちの娘を攫ったのよ! 六年前の時と同じように!」
半ば錯乱状態に陥っている母親の発言を聞き、ゼルレシアスは奥歯を噛んだ。
「兵士さん! 急いでさっきの女の子たちを捕まえて!」
「奥さん少し落ち着いてください。お気持ちは分かりますがあの二人は――」
「けどあの子たち以外に誰が!」
兵士が宥めようとするも、母親の勢いが増すばかりだ。
そんな折にゼルレシアスが口を開いた。
「少なくとも私が証明出来るわ。あの二人は何もしてないってね」
彼女の一言に場が一瞬静まり返った。
「証明って……大体あなたがしっかり見てなかったから!」
「その点については謝罪するわ。完全に私の落ち度よ。けど今ここで騒いでいてもあの子が見つからない一方よ」
「それは……!」
どの口がと言いたげだが、母親はゼルレシアスの指摘に押し黙る。
その様子を見て微かに安堵すると、ゼルレシアスは他の兵士たちに顔を向けた。
「急いでアルガストにこの事を報告して頂戴。それと念のために他の子供たちが攫われてないかの確認もしなさい!」
「分かった!」
慌てて駆け出す兵士たちの後を追って、ゼルレシアスもその場を移動しようとする。その際。
〝――可哀想なゼルレシアス……兄さんに振り向いても貰えない可哀想なゼルレシアス……〟
また耳の奥で聞き覚えのある声が響いた。
ゼルレシアスは唇を噛み締めて、震える手のひらを強く握りしめる。
「黙りなさい……亡霊のくせに私に纏わりつくな……!」
怒りと恐怖が入り混じった微かな声で呟くと、ゼルレシアスは逃げるような速い足取りでその場を後にする。
この時部屋の扉の影に、不敵な笑みを浮かべる男の姿があったことに誰も気づくことはなかった。