殺人に子供の失踪と不可解な事件が立て続けに起こったことで、ドゥエセの街はより一層の静寂に包まれていた。
この街を今支配しているのはやはり恐怖以外のなにものでもない。住民のほとんどが「次は自分の出番なのではないか」という不安を抱えている。それ故に、失踪した子供の無事を願う親はいても、この暗い夜道の中を探そうとする者は誰一人としていなかった。
そんな中、一軒の家の扉が静かに開いた。蝋燭の明かりが外に漏れ、心許ない街灯とともに微かに地面を照らしている。
「それじゃいってきます。おじいちゃん、おばあちゃん」
心配そうに見送る老夫婦に対し、トゥネリは優しく微笑む。
「その……気をつけるんだよ? トゥネリちゃん」
「うん、大丈夫だから」
トゥネリはそう言いながら、二人の背後で静かに立っている兵士たちに視線を向ける。
一度衝突して言い合いになってしまった三人の兵士。その事を気にしてか、彼らは今晩老夫婦の護衛を買って出てくれたのだという。
「二人のことお願いします」
トゥネリが深々と頭を下げるのに対し、中心に立つ兵士は小さく頷く。
「君もくれぐれも命を落とさないよう気をつけてくれ。二人にまた顔を見せられるようにな」
名も知らぬ兵士の言葉にトゥネリは少し視線を逸らす。がすぐに向き直ると、笑顔を作って応えた。
「はい。皆さんも……もしもの時は気をつけてください」
そう伝えると、トゥネリは夜道を一人歩き始める。
これから向かうのは、町外れにあるあの大岩の場所。そこでゼルレシアスと落ち合うことになっている。そしてそれが作戦決行の合図でもあった。
果たして本当に上手くいくのか。トゥネリの内心に不安が渦巻く。相手が自分に恨みがある素振りを見せていることからも尚更だ。
「大丈夫。きっと上手くいく」
俯きながら自分に言い聞かせるように呟く。それと同時に人の気配を感じてトゥネリは顔を上げた。
「ソラ……」
街灯の下にソラが立って待っていた。彼もまた見送る老夫婦同様の眼差しでトゥネリを見ている。
「どうしてここにいるの? あなたは隊長さんと待機でしょ?」
「あ、うん。ちょっと心配になってね。大丈夫?」
ソラらしい理由にトゥネリは少し呆れる。彼の心配性は今に始まったことではないが、過保護な部分も見受けられる。それが人によっては重荷になることも気づかずに。
「大丈夫よ。何かあればすぐに駆けつけてくれるんでしょ?」
「それは勿論。絶対に誰も死なせたりしないから」
自信に満ちた発言にトゥネリは少し笑う。
「だったら少しはわたしのこと信じてくれてもいいんじゃない? 前みたいにさ」
「それは……」
トゥネリの指摘にソラは彼女の瞳を見つめる。不安とそれ以上の覚悟が見える瞳を。
「そうだね。うん、ごめん」
「謝らないでよ。まったく……その何かにつけて謝る癖は治した方がいいわよ?」
「それは……トゥネリには言われたくないかな?」
「それもそうね。ごめんなさい」
二人はしばし見つめ合うと、途端に堪えきれず小さく笑った。二人の中の張り詰めた感情が少し解れていく。こんな時間がいつまでも続けばいいのにとさえ思った。
「ありがとソラ。少し気が楽になった」
「ボクの方こそ。気をつけてねトゥネリ」
「ええ。あんたもね」
だがそれを求めるのはまだ先の話だ。
二人はすれ違うように、各々が向かうべき場所に足を運んでいく。真反対の方向に進んでいる彼らだが、二人は間違いなく同じ道を歩んでいる。同じ目的と、同じ願いを抱いて――。
ソラが向かった兵舎では、入り口の前でアルガストが待っていた。
アルガストは扉脇の壁に背中を預けながら、夜空を見上げる。星も月も雲の影に隠れて見えない。生憎の曇天模様だ。
戻ってきたのに気がつき、アルガストは視線をソラに移す。特段変わった気配はない。却ってより決心がついた様子だ。
「どうだった? キアンロレスの様子は」
アルガストの問いにソラは頷くと、
「大丈夫でした。むしろ心配しすぎって怒られたくらいです」
と微かに笑って答えた。
「そうか。信頼しあってるんだな、お前らは」
「そう……ですかね。本当に信用してたら、今みたいなことはしないのかも。きっと心の奥底では信用し切れてないないんですよ」
「そんなもんだ。例えどれだけ信用していても、相手が大切であれば大切であるほど心のどこかに不安を抱えるものだ。だからつい、常に自分が見える範囲にいてほしいと願っちまう」
アルガストはそう言いながら、失った弟の顔を思い浮かべる。もし殺されようとしている瞬間を目にしたならば、自分は助けようと動いただろうか。情けなく蹲っていた当時と照らし合わせて、いつも考えてしまうことだ。
そしてアルガストはいつも、内心で首を横に振った。当時の自分のことはよく分かっている。どんな人間でも守ってみせるなどと大見得を張る一方で、ただその思いだけで何をするわけでもなく兵士となった自分のことを。
きっと目の前にいたところで勇敢に立ち向かうことも出来ず、弟が殺される瞬間を目の当たりにしていただけだろうと。
「丁度良い機会だ。なぁ、ヴィルレ……ひとつ聞いていいか?」
改まって何を聞く気なのだろうかと、ソラは小首を傾げる。
「あいつは……俺の弟は勇敢に死んだのか?」
「それは……」
どう答えたものかとソラは言葉を詰まらせる。
あの日二人の兵士が命を落としたことはよく覚えている。目の前で繰り広げられた凄惨な光景は忘れようとしても忘れられないものだ。
だが一方でどちらが彼の弟であるかは把握していない。故に一瞬どう答えるか悩んだのだ。
「はい――」
考えるまでもなく答えは決まっていた。
「弟さんはボクたちを守ろうと、勇敢に立ち向かっていました」
「……そうか」
アルガストはまた物憂げに空を見上げる。分厚い雲の隙間からほんの一瞬、一筋の星光が見えた気がした。
「いや、すまない。今は感傷に浸っている場合じゃなかったな」
アルガストは自嘲気味に笑うと、腰に携えた剣の柄を強く握って歩き始めた。
その後に続きソラも足を動かす。
「なあ、ヴィルレ。お前は今回の作戦上手くいくと思うか?」
「どう……ですかね。正直分の悪い賭けだと思ってます」
「同感だ。犯人がそう易々と網に掛かってくれるとは俺も思えない。これで掛かるなら、犯人は相当の恨みを抱えているってことになる」
ソラは俯く。犯人は一体誰なのか。その答えがこれからはっきりするかもしれない。罪のない夫婦を殺し、街に住む子供たちを拉致し、トゥネリを苦しめようとしている者の正体を。
再び脳裏に浮かんだ犯人像にソラは思わず足を止めた。
「どうした?」
立ち止まったのを感じてアルガストは振り返る。その表情と雰囲気からおおよその見当はついている。それでも彼はソラからの答えを待った。
「アルガストさん……お願いがあるんです」
「……一応聞こう」
「もし犯人が現れた時、その人と話させてほしいんです」
「……お前犯人に心当たりがあるんだな?」
アルガストの問いにソラは目を伏せる。あまり考えたくはないその犯人像を思い浮かべて、拳を強く握る。
「あの夫婦の遺体を見たときに……違和感を感じたんです。そしてもしかしたらって。まだ確証はないけど、でももしそうならボクはその人と話さなきゃいけない」
「どうしてだ?」
「あの時ボクが取り溢したものだから」
「お前……」
アルガストは腕を組み、瞼を閉じて考える。
ソラの言葉の節々に隠れているものとこれまでの情報を整理し、彼が思い浮かべた犯人像を拾い出していく。
しばらくして、答えに行き着いたアルガストは額に手を当てた。
「そういうことか……」
もしこれが正解だというのならば、あの夫婦が如何に不幸で哀切を極めているか。なによりこの答えを、実際に犯人を見るその瞬間まで伏せようと考えるのも頷ける。
「アルガストさんも見たんですよね? 女性がどんな顔をして亡くなっていたのか」
「……っ……ああ、そうだな」
アルガストは思い出す。新しい命を身ごもった女性がなんの抵抗もなく殺された挙げ句、何かに満足したような死に顔を浮かべていた。その不可解な点が、この犯人像と照らし合わせた時に納得できるものに変わってしまう。
「だからもしそうだった時はボクに任せてほしいんです。自分勝手なのは分かっています。けど……きっとこれはボクが果たさなきゃいけない責任だから」
アルガストはソラが何をしようとしているのかすぐに察していた。それが本来殺人を犯し、これだけの事件にまで発展させた人間にすべきことではないことも。
「ダメだ――と言っても聞く気はないんだろう?」
ソラが固い意志で小さく頷くのを見て、アルガストは項垂れる。大人しい外見に反して実に頑固なやつだと。
本来ならばここで止めるのが自分の勤めだとアルガストは理解している。そもそも事件に巻き込むこと自体間違っていることだとも。それでも止めないのは、かつての自分が持ち得なかったものを二人がすでに持っていると感じているからだった。
「わかった。だがこちらで不可能だと判断したときは容赦なく拘束する。それでもいいな?」
「はい。ありがとうございます」
直後、静寂を切り裂くように爆発音が響き渡った。音の方向からして、町外れの大岩あたりからだ。
「どうやら始まったみたいだな。急ぐぞ」
「はい」
きっとすべて上手くいく。ソラは拭いきれない不安を隠すように、首から下げた魔力結晶を強く握り締める。それが僅かな隙となるとも知らずに。
「――っ!?」
ソラが駆け出そうと一歩踏み出した瞬間、彼の足元に突如魔法陣が現れた。その形状と陣内に書き記された文字の羅列から転移の類だ。
「しまっ――」
急いでその場を離れようとするが、魔法陣の周辺には逃れられないよう障壁が展開されている。
完全なる油断。よもや転移の魔法が罠として仕掛けられているとは思いもしていなかった。
ソラの異変を察知したアルガストもすぐさま振り返る。
「ヴィルレ!」
この手の障壁は内部の衝撃に対して強固な代わりに外からの衝撃には脆いことが多い。
アルガストはその知識と勘を頼りに、すぐさま阻止しようと剣を引き抜く。が、些か反応が遅すぎた。
抜いた時にはもうソラの姿は忽然と消えていた。転移が完了した直後に消滅する仕組みになっているのか、魔法陣の痕跡も消滅している。
「してやられたか……!」
現状を歯噛みするのも束の間、アルガストは背後に感じた殺気を振り向き迎え撃つ。
剣先は背後を狙って放たれた一撃を受け止めて鍔迫り合っている。
「お前……誰だ?」
正体不明の存在にアルガストは睨みを効かせる。
黒いマントを羽織り、顔はフードを深く被って隠している。周囲も暗いため顔を確認することは出来ないが、アルガストと同じくらいの体格から男であると推察できる。
「悪いが今お前に構っているほど暇じゃないんだがな」
苦笑を漏らすアルガストに対し、黒マントの男は無言で距離を取る。
「なるほど。お前が今回の事件の犯人……というわけか」
アルガストは男を鋭く観察して探りを入れる。
「よくあれだけ凄惨なことをやれたもんだな。ええ?」
警戒しつつ、アルガストは周囲にも気を配る。
どうやら目の前の男以外に気配らしきものはない。彼一人でここに現れたのだろう。
「騎士隊長アルガスト……俺はあんたに聞きたいことがある」
不意に男が口を開いた。
低い声音だがどこか幼さの残る雰囲気にアルガストは肩をすくめる。どうやらソラの考えが的中してしまったようだと。
「どうしてあんたは……あいつらを恨んでいないのかを」
「……逆に聞きたい」
アルガストは亡くなった夫婦のことを――母親が死の間際に見せていたであろう表情を思い出す。
構えた剣を下ろして、男に同情の眼差しを向ける。
「お前は何故ああも簡単に……自分の両親とこれから産まれてくる子供を殺せた?」