ブリアンテスで飲食店を営む夫婦の間に、アルガストと彼の弟ネリドは生まれた。
二人の名は両親の強く逞しい男に成長してほしいという願いから、伝承の中で力が強かったとされる賢者二人の名を取って付けられたものだ。その甲斐もあってか、二人は当時暮らしていた子供の中でも一際快活で元気な子供に育っていった。
そんな二人の家の近所に住んでいたのがゼルレシアスだった。
ゼルレシアスの両親は方々から仕入れた食材を売る店を営んでいた。アルガストの両親はこの店の得意先であった。
家族ぐるみの付き合いもあって、彼ら三人は何をする時も一緒の時間を過ごし楽しい日々を送っていた。時に喧嘩することもあったが、仲直りする度に彼らの仲はより一層深まっていった。まさかこの中の誰かが未来で命を落とすことになるなどと、この時の彼らが想像するはずもなかった。
大人に近づいた時ふとアルガストは言った。「俺の名前は誰よりも強い男になることを願って名付けられた。だから俺はこの国を守る騎士を目指す」と。
するとネリドもこう口にした。「俺も兄さんと一緒に騎士になる。二人でならもっと沢山の人を守れるはずだからさ」と。
二人の思いを両親はいたく感動し、すぐに王都の騎士訓練校に入学することが決まった。
これを知ったゼルレシアスは両親に「私も二人と一緒に騎士になりたい」と嘆願した。当初は店を継いでほしい考えから反対していた両親だったが、彼女の強い思いを否定することもできず、結局は押されて承諾した。
三人はこうして騎士の道を進み始めたのである。
訓練校でも三人は一緒にいる時間が多かった。というより一緒にいる時間が長すぎたのもあってそれが当たり前のようになっていた。この時彼らの教官を務めていた女騎士も思わず「ほんと仲が良いわね」と笑ったほどだ。
そんな三人の中で最も優秀だったのはなんとゼルレシアスだった。彼女は勉学の成績も高く、戦闘訓練では例え自分より力のある男の訓練生でも打ち負かすほどであった。
周囲はそんなゼルレシアスの才能を羨み、中には妬む者もいた。だが実のところ彼女は教官に嘆願して秘密裏に訓練を受けていたのだ。それは同じ時間を過ごすことの多い兄弟でさえ知らないことだった。
時は流れ、いよいよ訓練校を卒業し正式な騎士になる日が近づいてきた。
アルガストとネリドの配属は王都より少し離れた街ドゥエセに決まった。元より平和な国であるヘルディロだが、ドゥエセは当時でも最も平和な街だと言われていた。
そんな街への配属となり二人は複雑な心境だった。というのも優秀さを買われたゼルレシアスは王都配属に指名されたからだ。同じく王都配属を目指していた二人にとって、この結果はあまり喜ばしいものではなかった。
ゼルレシアスにとっても望んだ結果ではなかった。彼女はただ二人の後に続いて騎士を目指しただけ。教官に秘密裏の特訓を懇願したのも、力が弱い自分が二人と一緒に行くために必要なことだと考えたからだ。
「どうしてあの二人と一緒の配属ではないのですか?」
辞令が下りたその日の夜。ゼルレシアスは教官の下へ赴き直談判した。教官は自分の思いを知って訓練してくれた人だ。きっと気持ちを汲み取ってくれるだろう。そう考えてのことだ。
結果は変わらなかった。代わりに返ってきたのは「私が団長に上り詰めるまで待ってほしい」という言葉だけだった。
即時退役も考えたゼルレシアスだったが、それを行動に移せるはずもなかった。両親の反対を押し切ってまで進んだ道だ。例え望まない結果だったとしても、その責任から逃れるわけにはいかない。
ゼルレシアスは渋々結果を受け入れ、王都配属の騎士になることを選んだ。
叙任式の日。アルガストとネリドの二人は気持ちを切り替えて式に臨んだ。希望は王都配属ではあったが、どんな結果であれ自分たちのすることは変わらない。ドゥエセが平和な街であるというのならば、それを守り続けていくのが騎士としての責任。平和だからといって気を緩めてはいけないと。
一方でゼルレシアスもまたほんの少しだけ気持ちを切り替えていた。教官が口にした言葉を信じて、今はこの住み慣れた街で頑張っていくしかないと。
◇
少しの年月が経ち、ゼルレシアスにある辞令が出た。王都配属からドゥエセに移るという内容だ。
この前日に教官は騎士団の団長に就任していた。彼女の言葉に嘘偽りが無かったのだとゼルレシアスはすぐに分かった。待ちに待った日が来たのである。
また三人一緒にいられる時間が来る。そうゼルレシアスは胸を躍らせた。ずっと待ち望んでいた、子供の頃のように下らない会話を交わして一緒に笑うことの出来る時間が。
そう思う一方でゼルレシアスの中に別の感情が渦巻いていた。どうして今更――と。
受諾した翌日。ゼルレシアスはすぐに王都を発ち、ドゥエセに向かった。
手紙のやり取りは多少すれど、長い間会っていなかった二人だ。どれだけ変わっていることだろうか。そう思いながらドゥエセに足を踏み入れた。
噂通りドゥエセは平和そのものだった。行き交う人の誰もが笑顔で歩いている。騎士たちも街の人と談笑したりしている。その中にあの兄弟の姿を見つけた。誰とも分け隔てなく話すことのできる二人は、この街でも多くの人に慕われているようだった。
ゼルレシアスの姿を見つけるなり二人は笑って迎え入れた。あの頃から何も変わっていない。ゼルレシアスはそう感じた。
その夜、ゼルレシアスの歓迎会が行われた。酒宴で盛り上がる中、ゼルレシアスは少しだけ居心地の悪さを感じていた。別にこういう時間は訓練校時代にもあったことだ。それにあの兄弟もいる。だというのに何故か彼女の心の中には不安が募っている。
ゼルレシアスが不安の正体に気づくのはそう遅くはなかった。
なんとなく夜風に当たろうと外に出た時、少しして隣に一人の男がやってきた。ネリドだ。
ネリドはどこか神妙な面持ちでゼルレシアスの隣に立つと、懐からひとつの箱を取り出した。箱の中身は煙草。その内から一本取り出すと、慣れた手付きで先端に火を点けて吸い始めた。
これまでネリドが煙草を口にするところを見たことがなかったため、ゼルレシアスは少し驚いたように見つめた。
しばらくするとネリドは煙を吐きながらこう口にした。「やっぱり君は綺麗だね」と。
これまで彼が口にしたことのない言葉にゼルレシアスは自分の耳を疑った。
困惑する彼女を他所にネリドは続けて言う。
「ゼルレシアス……俺は君のことが好きだ。君と離れ離れになってようやく自分の気持ちを理解したんだ。ずっとずっと君のことが好きだったんだって」
言ってネリドは再び煙草を咥える。そして煙を吐きながら「けど」と続けた。
「俺は君の気持ちも理解している。君はさ、兄さんのことが好きなんだろう?」
「えっ?」
ゼルレシアスは思わず問い返す。
ただ唖然とする彼女に対しネリドは続けて言った。
「君、俺たちそれぞれに手紙出してただろう?」
確かに彼の言う通り、ゼルレシアスは手紙を分けて書いていた。それがなんだというのか。ゼルレシアスは分からず小首を傾げる。
「だって君さ、俺に書く手紙よりも兄さんに書く手紙の方が文量が多かっただろ?」
思いも寄らぬ一言にゼルレシアスは硬直する。
「もしかして自覚がなかったのかい?」
ネリドの指摘にゼルレシアスは小さく頷く。ただそれぞれに話したいことがあったために分けて送っていただけだ。文量など意識すらしていない。
「そっか。じゃあ俺の思い過ごしなのかな?」
煙草を吹かしながらネリドは星空を眺める。明かりの少ない街並み故、満天の星空がよく輝いて見える。
「でもさ、昔から君は俺と話すより兄さんと話してる時の方が楽しそうだったんだよね。三人で歩いている時、俺がなんとなく足を止めても君はしばらく気づかず兄さんと歩いていたしさ。だからそうなのかなって」
「そんなことないわよ。たまたま気がつかなかっただけで」
「じゃあさ、君は俺と兄さんどっちの方が好きなのさ?」
問われてゼルレシアスは言葉を詰まらせる。彼女にとってはどちらも大切な存在で、どちらか一方だけを好いているつもりなど毛頭ない。これまで考えたこともないことに答えなどすぐ出るはずがなかった。
黙るゼルレシアスに対しネリドは夜空を見ながら煙を吐く。視界に無数の星が広がっているが、彼がそこに重ねているのはゼルレシアスが見せた数々の行動だ。そのどれもが「兄に向けられた好意は自分に向けられている以上のものである」という確信に繋がっている。
「なんだお前ら、二人でこんなところにいたのか」
そんな時アルガストがやってきた。
「急に二人していなくなってるから探したぞ」
ネリドは咄嗟に吸っていた煙草を握って隠すと、笑って兄を迎え入れた。
「ああ、ごめん兄さん。ちょっと飲みすぎて夜風に当たりたくなったんだ」
「お前がー? 誰よりも酒に強いくせしてよく言うぜ」
アルガストはそう言って笑いながら、二人の間に割って入るように立った。
星空を眺めながら、アルガストはひとつ嘆息を漏らす。
「またこうして三人集まれるなんて、俺たち恵まれてるよな」
アルガストの一言にネリドはゼルレシアスに視線を向けた。少し気まずい様子で俯いている彼女に対しネリドは笑う。
「急に何言ってんだよ兄さん。あ、さては飲み過ぎたんだろ?」
「ばか言え。俺は一杯しか飲んでねぇよ」
「いやいや、兄さんは僕と違ってお酒にすごく弱いからねぇ」
「はぁ? ていうかその言い草、お前やっぱり酔っ払ってねぇじゃねぇか」
「当たり前だろ? あれのお酒くらいじゃ酔わないって」
「こいつ。おいゼルレシアスも何か言ってやれよ」
仲睦まじい会話を交わす兄弟に対し、ゼルレシアスは依然俯いている。その様子が気にかかったのか、アルガストは少しだけ姿勢を低くして彼女の顔を覗き込んだ。
「おいどうした? 元気ないぞ?」
突然目の前にアルガストの顔が現れ、ゼルレシアスは思わず一歩後ずさる。
「あ、えと、大丈夫よ。久々の移動だったから少し疲れただけ」
「そうか? まあ確かに王都からここまではそれなりに時間が掛かるからな。それにお前、馬も借りず歩いて来たみたいだし」
「それはだって、二人に会えるのは楽しみだったけど、久々に顔を見るから心の準備をって」
「心の準備ってそんな大袈裟な」
「なんで大袈裟なのよ? 私は二人がすっかり変わってたりするんじゃないかって心配で」
不意にゼルレシアスは言葉を切る。初めは顔を逸らしてアルガストと会話していた彼女だったが、今は面と面を向かわせている。
「で、変わってたか?」
ゼルレシアスは本心を自覚する。自分はアルガストのことが好きなのだと。
思えばいつも先を歩く彼の背中を追いかけていた。隣で一緒に笑っていたくて、たくさんの時間を共に過ごしたくて。
三人でいる時間はとても楽しい。でもそんな中で真に見つめていたのは、アルガストのことだったのだと。
「そうね。全然変わってなかった」
ゼルレシアスは微笑みながら答える。
「だろ? だからこうして三人でいられて俺は幸せってもんだ」
ゼルレシアスは理解した。彼は何も変わっていない。何も変わらず三人の時間を大切にしている。その視線は等しくネリドと自分に向けられているのだと。
彼女の心に黒く歪んだ感情が渦巻く。自分だけを見てほしい。三人の時間だけではなく、二人きりの時間を作って欲しい。そのために必要なのはきっかけだと。
「ねえ、アルガスト」
「ん? どうした?」
そのために彼女は、
「私、ネリドとお付き合いしてみることにしたの」
ネリドの告白を利用することを選んだ。
「私前々から彼のことが好きだったのよ。だからさっき二人きりの時に告白したの」
アルガストは呆然とゼルレシアスを見つめる。彼女の思惑通り、アルガストの意識は間違いなくゼルレシアスに向けられていた。
「ね、そうでしょう? ネリド」
ネリドもこの行動に驚きを隠せない様子だった。否定もできずただ小さく頷き、兄アルガストの顔色を伺う。
沈黙が流れる。これまで三人でいた時には一度もなかった重い空気が漂う。
「あー、そういうことだったのか」
頭を掻きながらアルガストは二人の顔色を伺う。
「お前ら昔から仲良かったもんな。うん、お似合いだと思うぜ」
アルガストはそう言って笑った後、「邪魔したな」と一言だけ謝罪してその場を立ち去った。
アルガストが見えなくなった後、ネリドはすぐ様ゼルレシアスに詰め寄った。
「君、一体なにを考えて……っ!?」
言葉を遮るかのように、ゼルレシアスはネリドを抱き寄せる。
「いいじゃない。あなたが望んだことでしょう?」
ネリドは目を泳がせて、バクバクと高鳴る胸を落ち着かせようと唇を噛む。
「けど、これは君が望んでいることじゃない」
「あら、どうして?」
「だって君は兄さんのことが……」
「大丈夫よ。きっとアルガストも気付いてくれる」
このゼルレシアスの発言でネリドは理解した。彼女は自分の告白を利用し、兄に振り向いてもらおうとしているのだと。
だが彼はアルガストの性格をよく知っている。知っているからこそ、この状況は良くないと感じていた。
ネリド自身、彼女への告白はほんの気の迷いから来たものでもあった。ただ久しぶりにゼルレシアスの顔を見て、感情が抑えられずに出たものだった。そして結局はその思いが実ることなどなく、最終的には兄とゼルレシアスの関係が進んでいくものだと思っていた。
だが今のこの状況は違う。二人の関係が進展するどころか、三人の関係さえ破綻してしまいかねない。そう感じていたのだ。
ネリドの予感は的中していた。
彼が告白した翌日の朝。ネリドとゼルレシアスは食堂で向かい合った席に着いていた。まるで告白のことなんて忘れたかのように、二人は他愛のない会話をしながらアルガストが来るのを待っていたのだ。
「あ! アルガストこっちよこっち!」
ふと珍しく遅れてやってきたアルガストを見つけて、ゼルレシアスは手を振って立ち上がった。
「ほらこっちに早……く……?」
対しアルガストはその呼びかけを無視して、仲良くなった同僚の隣に座って食事を始めた。
その行動を見て、誰よりもアルガストを側で見ていたネリドは察した。兄を自分たちに気を遣って避けているのだと。
食事の後、ネリドはすぐにゼルレシアスを人目の付かないところに連れ出して忠告した。
「ゼルレシアス……今すぐ兄さんに謝って本当のことを話しに行こう?」
「は? なんでよ?」
「君だって分かっているだろう? 兄さんは俺たちに気を遣って避けているんだってことを。このままじゃ三人バラバラに――」
ネリドの発言にゼルレシアスは怒りを隠せなかった。そもそも最初に告白したのはネリドの方だ。だというのに何故自分が咎められるのか理解できなかった。
「だったらなんで? だったらなんであんなこと言ったのよ! あんなこと言わなかったら私だって!」
罵声を浴びせながらゼルレシアスは涙を溢す。
よもやアルガストがあんな態度を取るとは思ってもおらず、彼女は酷く動揺していた。例えあんなことをしてもアルガストはまた三人で笑い、そしていつしか自分と二人の時間を作ってくれる。そんな自分勝手な夢を信じていたのだ。
「分かってる。俺のせいだ……だから二人で本当のことを話そう?」
「無理よ……怖い……! 私もう……あの人に嫌われて……!」
ゼルレシアス自身、何故こんなにも動揺しているのか分かっていなかった。ただたった一度アルガストに無視されたことが、彼女の心に深い恐怖心を植え付けていた。
「大丈夫だよゼルレシアス。兄さんは君のことを嫌いになったりしない」
「無理よ……無理……私にはもう……」
ネリドにはもうどう言葉を掛けていいのか分からなくなっていた。
ここまで取り乱すゼルレシアスを見たことがない。いつも朗らかな笑顔を見せ、どんなことにも前向きに取り掛かっていた彼女が、まさかここまで兄アルガストに依存していたとは思いもしなかった。
ネリドはゼルレシアスが落ち着くよう体を強く抱き締める。答えを求めて精一杯取った行動がこれだった。
「落ち着いて……ゆっくり深呼吸するんだ。そうすれば大丈夫だから」
「ネリド……」
言われた通りゼルレシアスは荒くなった呼吸を整えようと試みる。が、アルガストの顔が何度も浮かび上がりすぐに乱れてしまう。
「離して。離してよ!」
終いにはネリドの事を突き放し、その場から逃げるように走り去った。
ネリドは立ち尽くす。自分の軽率な行動がまさかこんな事態に発展するとは思ってもいなかった。これが兄の目を偲んで行動した報いかと。
気持ちを落ち着かせようと懐から煙草を取り出して口に咥える。火は付けず、ただ呆然とその先端を見つめる。
「クソっ!」
そして吐き捨てると、ネリドは箱を叩きつけて持ち場へと向かった。
◇
自室に戻りゼルレシアスはすぐに決心した。この街から、あの二人から離れようと。彼女は求めていた時間も捨てて逃げることを選んでいた。
それから二人と一切の会話を交わすことがないまま王都に戻った二日後、ゼルレシアスはある報せを受けることになる。
「ネリドが……死んだ……?」
ドゥエセに魔物が出現。その事件に巻き込まれてネリドは命を落としたのだという。
自分が二人から逃げたことも忘れてゼルレシアスはドゥエセに戻った。報告を信じられるはずがなかった。きっと二人は無事で、笑いながら話しているのだろうと。
しかし現実は違った。
「なあ、ゼルレシアス? なんで……なんであいつが死ななきゃいけなかったんだ?」
ドゥエセに着くと待っていたのは、これまで見たことがないアルガストの姿だった。
「なあ? なあ? 俺は、俺はどこで間違えたんだ?」
ネリドの墓前ですがる様な声を出して泣きながら問いかけるアルガスト。それを見てゼルレシアスは啞然とした。
違う。違う。こんな顔が見たかったんじゃない。こんな顔が見たかったんじゃない。私のせいだ。私のせいだ。呪いのようにそう小声で呟く。
不意に彼女の目にネリドが携帯していた煙草の箱が入った。
衝動に駆られたゼルレシアスは墓前に添えられた箱を掴み、中から出した一本に火を付けて煙を吸った。むせ返りながらも、吐き出そうとはせずにただ何度も何度も吸った。
「お前! 何してんだ! やめろ!」
彼女の行動を見てアルガストは即座に我に帰ると、ゼルレシアスを取り押さえて煙草を取り上げた。
「離して! お願い! 私を殺して! 私を殺してよ!」
「なんでだよ! お前急にどうしたんだよ!」
わけもわからず、アルガストは暴れる彼女を必死に取り押さえる。愛人であるネリドの死を目の当たりにしたとはいえ、幾らなんでも取り乱しすぎている。況してや自分から死を選ぶなどもってのほかだ。
「お前まで失ったら俺はどうすればいいんだよ! お前まで……お前がいなくなったら俺は……」
アルガストの目から涙が溢れ、ゼルレシアスの頬を濡らす。涙の生温さがゼルレシアスの凍り付いて乱れた心を戻していく。
「お前まで失いたくねぇよ……ゼルレシアスっ」
掠れた声でアルガストは懇願する。
「ごめんなさい。そうよね。ごめんなさい」
冷静になったゼルレシアスは謝罪を口にする。そこには彼が大事にしていた三人の時間を奪った意味も込められていた。