「あら、あなたの庭師兼剣術指南役はどこに行ったのかしら?」
道士服姿の少女――八雲紫が上等な玉露を一口飲んで、意味深な笑みを浮かべながら目の前の友人に問う。
問われた少女――白玉楼の管理人である西行寺幽々子もまた、自分の手前にあるお茶を飲みながら軽い調子で語った。
「今日は出稽古よ。あの少年と一緒に」
「へえ、許可したのね」
紫の言葉には揶揄するような響きがあったものの、幽々子は知らぬとばかりに微笑むだけ。
「私はあの子の親じゃないもの。誰と付き合おうと止める理由はないわ。……いや、明らかに不幸になる人と付き合い始めたら止めるけど」
猪突猛進で素直な少女なのだが、いかんせん素直すぎて口のうまい人にコロッと騙されそうな空気のある、幽々子の従者とも言える少女像に幽々子は冷や汗を流す。
「人を信じやすそうな子だものね……」
「信じないと切りかかるからそれはそれで危ないのだけど」
「妖怪の私が言うのもあれだけど、絶対に一人で買い物とかに行かせないようにね? 人里で何かあるとどうしようもないのよ?」
「大丈夫よ。日常生活くらいなら問題なく送れるわ」
「その言い方がすでにあの子を物語ってるわよ……」
そんな少女と一緒に稽古している少年を憐れむべきか、はたまた彼女を従者に持つ友人に同情すべきか、僅かに迷って紫は気にしないことにする。どうせ自分に害はない。
「……けど、あなたはあの子を相当警戒していたわよね。あれはどうしてか、聞いてもいいかしら?」
「紫はなんとも思わないの?」
むしろなぜ警戒しないんだ、と言わんばかりの幽々子の視線を受けて、紫は少し思考を巡らせてみる。
楓――紫が本心から敬意を表し、終生忘れないであろう偉業を果たした人間と妖怪の間に生まれた子供。
紛れもない父親譲りの才覚と、母親の千里眼を有した少年は霊夢と同じ年頃でありながら、すでに大妖怪との勝負ができる領域に達している。
無論、分の悪い勝負になることは当然だが、大妖怪と戦いの土俵に上がれるだけでも喝采ものである。彼の父親とて、その領域に達したのは三十代になろうかというところだというのに。
また、何度か顔を合わせているが性格も悪くはない。見放したり見捨てたりすることこそないものの、辛辣極まりない態度を取る父親と違い、素直で考え方も柔軟であり、敵対しない限り誰にでも優しくできる少年だと記憶していた。
……敵対したら容赦なく殺しにかかることも確信できていたが、そこは彼らの家の血としか言いようがないので目をつむる。
性格の問題か、父親以上に政治への苦手意識は強いが――それも、時間と経験の問題だろう。父親からあらゆる手管を教え込まれた少年だ。場数を踏めば誰が相手であろうと一歩も引かずやり合えるようになるに違いない。
「……彼が人里の守護者であり続けるなら、私も安心できるわ」
弾幕ごっこでは霊夢が。そうでない勝負があった時には楓が。それぞれ新たな世代の筆頭として名を馳せることになるだろう。
紫は遠くない未来で訪れるであろう光景に思いを馳せ、名実ともに楽園となった幻想郷を思って笑みを浮かべる。
その笑みを見た幽々子は紫の笑みを美しいものだと思いながらも、手放しでは賛同できないと声を上げた。
「相変わらず買ってるわね。いえ、あの少年を悪く言っているわけではないの。妖夢とも友人として付き合ってもらってるし、ありがたいとは思っているわ」
「ふむ、となるとあなたが警戒する理由は別にある、と」
紫の言葉に幽々子はうなずく。
それを見て、紫はスキマから愛用の扇子を取り出して口元を隠す。
「そういえば聞いてなかったわね。あなたが彼を警戒する理由。見慣れない男の子だから緊張したとか?」
「人を初心な少女と一緒にしないでもらえるかしら。理由はね――ないのよ」
幽々子の重々しい告白に紫は僅かに目を細め、それ以上の反応は行わなかった。
彼女との付き合いは長く、飄々としているものの根幹の大事なところは真面目なのが、西行寺幽々子という冥界の管理者だ。
だからこそ、彼女はあまり直感で物事を考えない。風流かつ典雅な物言いを好みこそすれど、意図を読み解けば彼女なりの論理に基づいているのがわかる。
その彼女が、理由もなく他者を警戒している。その事実だけで紫が真剣になるには十分だった。
「……わからないの?」
「ええ。初対面の時からずっと、私の中の何かが彼に気を許すなと叫び続けるの。おかげで彼への見方も厳しいものになっている自覚はあるわ」
こうして顔を見ていなければ、普通に良い子だってわかるのだけど、と幽々子は困ったようにぼやく。
「私の知っている情報で、あなたが警戒する理由に至るものはないわね」
「じゃあそれ以外の何かがあるのよ。特に――あの目」
母親から受け継いだ千里眼を所持している楓の目は、紅玉を連想させる紅い瞳。どこかの吸血鬼は絶賛している瞳を思い浮かべ、紫は答えの出ない思考に浸る。
幽々子がここまで言う以上、間違いなく彼の目は千里眼ではないのだろう。千里眼の力も有した別の瞳と考える方が自然だ。
「幽々子が嫌う瞳、ときた。あなたと相性が悪い……見たものに生を与える瞳、とか?」
「それなら死神が黙ってないわよ。私も色々と考えたけど、実際に確かめるわけにも行かないし」
紫は幽々子の言葉を受けて考え込み、やがて諦めたように首を振る。
「まあ、当人が黙っている以上答えを知る術はないわね。気づいたら教えるようにするわ。そうすれば対策の一つも立つでしょう」
「悪いけどお願いするわ。私もできるなら仲良くしたいもの」
「あらあら、あの子も好かれたものね」
「だって、半人半霊の子と半人半妖の子。どちらがより西行妖に惹かれるか興味があるわ」
「……あの子も好かれたものね」
そう言って妖しく微笑む幽々子に、紫は何かを察したように遠い目になるのであった。まず間違いなく羨ましくない好かれ方である。
「やぁっ!!」
「っふ!!」
剣戟の甲高い音が連続し、鬱蒼と茂った森に響き渡る。
妖夢が楼観剣と白楼剣の二刀流を振るい猛攻を仕掛け、楓もまた双刃を振るいそれらを受け流す構図が繰り広げられていた。
妖夢は剣術に体術を織り交ぜた独自の戦い方をする。剣戟乱れ舞う空間であろうと、間隙を縫って無視できない鋭い蹴りを放ってくることもしばしばだ。
対し楓は徹底して剣術にこだわった戦いをする。どれほど懐まで潜り込まれても、決して剣は手放さず柄による打撃などを駆使して剣の間合いを取り戻していた。
やがて両者の剣が火花を散らし、大きく距離を取ると両者が一度呼吸を整える。
「相変わらず、馬鹿げた腕前ですね……。普通、あそこまで潜り込まれたら剣なんて役に立たないものですよ」
「そちらも、普通あそこで蹴りは撃たない。よくもまあ同じ二刀流の相手に蹴りを撃つ気になれるものだ。反撃が間に合っていれば切り落とせたものを」
「当然、間に合わないタイミングを狙ってます」
「知っている」
言葉の応酬をしながら、再び腰を低く落とす。
そして今度は楓が大きく前傾の姿勢を取り、妖夢に届くようつぶやいた。
「攻守交代」
「わかりました。さあ、来なさい!!」
この稽古は攻守の役割を明確にし、それぞれの攻撃、防御を鍛える目的のものだった。無論、最後には真剣勝負も行う。
先ほどまでは妖夢が攻撃に集中、楓が防御に専念するもの。そして今はそれが逆転し、楓が攻撃に回っていた。
楓もまた二刀を操り妖夢を攻撃する。妖夢のそれと比較すると速度にいささか欠けるものの、それを対処する妖夢の顔は必死の形相になっていた。
さもあらん――彼の攻撃は一度受けたらそのままあれよあれよと詰将棋のように追い込まれ、身動きの取れない状態にされてしまうのが常なのだ。
まるで主導権を僅かでも握ったら、それを手放さず喉元まで食いちぎることを主軸としたそれを、妖夢は心から脅威に捉えていた。
(落ち着いて、落ち着いて。攻撃はほぼ全て避ける! 受けるにしても絶対に体幹を崩さず、次に対処できる位置取りをする! ああもう、考えることが多い!!)
五感と身体能力の赴くままに動ける攻撃の何と気楽なことか。頭と身体をフル回転させながら必死に攻撃を捌いていく。
楓と稽古を行うようになって、妖夢はとにかく考えることが増やされた。戦いにおいても細かく思考を行い、楓の狙いを見抜けなければ手も足も出ずに負けてしまうのだ。嫌でも考えるしかなかった。
「まだまだぁ!!」
「――いいや、終わりだ」
楓が大きく踏み込み、美しい半月の軌跡を描く斬撃を右の長刀から放つ。
妖夢は後ろに半歩下がって避けようとして――そこにあった根を踏んでしまう。
「っ、しまっ」
「ほら、俺の勝ち」
妖夢が木の根を踏むことまで計算に入れていた楓は、僅かに体勢を崩した妖夢の喉元に左の刀を突きつけた。詰みだ。
「……参りました」
「ありがとうございました。まだまだ防御は要練習だな」
「楓がその辺り上手過ぎるんですっ」
攻撃ではそれなりに良い勝負ができるのだが、防御ではほとんど負けてばかりの妖夢が頬を膨らませる。
「父上と稽古していた時も、守りは常に気を配るように言われていた。従者であり護衛なんだ。いざという時は盾になることも求められる」
「……で、その守りの内容は?」
「相手の立ち居振る舞いから全ての行動を予測し、その対策を取れと言われた。未だに何を言っていたのか理解できん」
相手の動きから次の行動を予測する、までは楓にもわかるが、その後の動きまで全て予測しろと言われても無茶である。
……無茶であるが、父はそれを行っていたらしく、母も理解を示すようにうなずいていたので、稽古さえ積めばできるようになるのだろう。いつできるのかは全くわからないが。
「あなたのお父さん怖すぎません?」
「俺と違って純粋な人間だからな。妖怪相手に一撃もらったら致命傷、と口癖のように言っていた」
妹紅との戦いで楓は右手が炭化する火傷を負ったが、日が昇る前に完治していた。
純粋な人間だったら一生、右腕に障害が残り続けるだろう。そう考えると父が怪我を厭う理由もうなずけるというものだ。
「純粋な人間なのに、人里の守護者をやって、レミリアたちと戦って勝って、あの歳まで生きたのですか。考えれば考えるほど恐ろしいです」
「その恐ろしい人間に喧嘩を売ったのが妖夢だぞ」
春雪異変の折に人里の春を奪いに来た妖夢と父が戦い、手も足も出ずに妖夢が負けたと、母が語っていたのを覚えている。
「それについては大変ご迷惑をおかけしましたが、黒幕は幽々子様なので文句は幽々子様に言ってください」
「それで良いのか……」
物腰こそ丁寧だが、妖夢も大概図太い。楓は呆れた顔になりながら、持ってきた手ぬぐいを妖夢に渡す。
「良い時間だしそろそろ終わりにしよう。今日はありがとうございました」
「こちらこそありがとうございます。こうした稽古ができるのは少ないんですよ」
手ぬぐいで汗をふきながら微笑む妖夢に楓も笑みを返す。剣を扱い、なおかつ同年代のように見える妖夢との稽古は楓にとっても良い経験なのだ。
「じゃあ私は戻り――」
「いや、こちらから声をかけて稽古に付き合わせたんだ。昼ぐらい奢らせてくれ」
「ちなみに何を?」
「水場が近くにあるから、そこで魚でも取って里の料理屋でさばいてもらおうかと考えている。取れたてなら刺し身にもできるだろう」
相手が霊夢だったらその場で焼いて終わりなのだが、こちらから頼んで稽古をしたので多少は手の込んだものをご馳走したかった。
「ぜひともご相伴に預からせてください」
献立は効果があったようで、妖夢は目を輝かせて楓の提案に乗ってくれた。
では汗を流すのも兼ねて向かおう、というところで楓の千里眼は見慣れた妖怪を発見する。
「……ん」
「どうかしましたか?」
「いや、取る魚の数が増えるな、と」
よくあることだから気にしないでくれ、と語る楓の顔に困ったものはない。
そして楓が身体の向きを変えると、そこでようやく妖夢の耳にも足音と鈴の音が届いてきた。
妖怪の森にほど近い場所で稽古をすると、よくやってくるのだ。楓を小さい頃から見知っていて、昔から姉のように振る舞おうとしては失敗している、愛らしい妖猫が。
「やっほ、楓ー! 久しぶりね!!」
軽快な足取りのまま茂みから飛び出し、楓の胸に飛び込んできた妖猫を受け止めて、楓は穏やかに笑う。
「っとと、橙。急に飛び出さないでくれ」
「あんた以外にやんないわよ。受け止めてくれるってやっぱり良いわね! あいつは全然そんなことしてくれなかったし」
父の悪友であり、その縁で楓とも友達である八雲紫の式の式。橙は強気な笑みを浮かべながら楓を褒める。
そしてパッと楓から離れると、橙の首元に付けられている鈴が耳慣れた涼しい音を奏でた。
「これから魚を取るって聞こえたわ! 私にも頂戴!」
「わかったよ。一人分増えたところで大した手間にもならない」
「やったっ! で、そっちは楓のお友達?」
「あ、魂魄妖夢です。よろしくおねがいします……」
「うん、よろしく!」
童女そのものの笑みで橙は妖夢の手を取ってブンブンと振る。
妖夢は呆気に取られてされるがままとなっていたが、やがて楓の方に視線を向ける。
「あの、この子は楓の?」
「俺の、というより父の友人、というのが正確だがな。その縁で俺とも友達だ」
「別にあんたがあいつの子供かどうかなんて関係ないわよ。一緒にいて楽しくて、あんたも笑ってくれるんならそれは私の友達!」
「とまあ、悪い妖怪ではない」
肩をすくめてそう言うと、妖夢は意外なものを見るような目で楓を見てくる。
楓は別に相手の強弱で付き合いを変えてはいない。無論、強いならば稽古相手という選択肢も出てくるが、そうであってもなくても、友人を特殊な色眼鏡で見ることはない。
「それにあんたのことを頼むってあいつからも言われてるしね! こう見えてこいつのおむつを変えたこともあるのよ」
「えぇっ!?」
「赤ん坊の頃の話はやめてくれ……」
それに彼女は楓が赤子だった頃からの知り合いでもあるため、あまり強く出られないのだ。
「まあ良い。さっさと魚を取って戻ろう」
「楓のちっちゃい頃の話、興味ある?」
「とっても!」
「じゃあ聞かせてあげイタタタタ!?」
「本人の了承を得てからやってくれ。さすがに恥ずかしい」
どうにも橙という妖猫は、自分のことを語りたくて仕方ないようだ。あんまり赤裸々に語られても困るので橙の耳を引っ張って止める。
「妖夢もやめてくれ。人間に子供時代があるのは当然だろ」
「楓が年の割に大人びているから気になるんですよ。どんな子供時代を送っていたのだろうかって」
「霊夢と大差ない……というか、霊夢とほぼ同じだぞ」
違う点を挙げるなら生活していた場所と、父と行った稽古の時間ぐらいである。楓は霊夢と一緒に行う稽古の他に、父と戦う稽古があった。
「ふぅん?」
「あまり面白い思い出もない。稽古漬けの日々を延々と語ったところでつまらん」
「えー、その割にはあんた、私と遊んでたじゃない」
「あれを遊んでいたと言うのか……」
橙が父につっかかり、うんざりした顔で橙に楓を任せていたようにしか見えなかった。あれは体の良い押し付けだと今でも思っている。
そしてここで話し込んでも昼が遅れるだけだと思い、楓は首を振って水場へ歩き始めた。
「良いから行くぞ。話は昼を食べながら聞こう」
「それもそうね。今の時期だとまだ魚の脂も乗ってるんじゃない?」
「雪解けから間もないからな。肥えた奴が取れると良いが」
「おお、楽しみです。もし良ければ幽々子様のお土産にしても良いですか?」
「……その時は俺からのお土産とは言わないでおいてくれ」
警戒されてるから、とまでは言えず楓は無言で水場に向かうのであった。
水場に到着し、妖夢に身体を清めてくることを勧めて、楓は橙と二人で適当な魚を探す。
「楓、どう?」
「ん――あの辺に多く魚の影が見える。ちょっと待っててくれ」
楓は手頃な石をいくつか拾って何度か握りを確認すると、無造作に水へ向かって投げる。
回転の乗ったそれは水を切る――ことなく水の中に潜り、魚の腹部を正確に叩く。
結果に見向きもせず、次いでいくつかの石を両手で投げると、それぞれの一投につき一匹の魚が川面に浮かび上がってきた。
「よし、取れた」
「つくづく気持ち悪い魚のとり方するわねあんたら親子は……」
「父上のやり方でも良いんだが、こっちの方が魚の身を傷つけない」
剣に魚の血が付着することもなく、実に効率的なやり方だと思っているのだが、橙に変なものを見るような目をされてしまうのが欠点である。
「昔っからこれは理解できないわ。普通に釣ろうとか思わないの?」
「一人の時はそうする」
ここ最近、椿ともなかなか話せていないので彼女が不満そうな顔になっているのだ。この状況で更に彼女を放置すると、人が話している時でもお構いなしに邪魔してくるのでそれは避けたかった。
「さて、後は妖夢が戻るまで待つか」
「ふふん、あんたは文句も言わず動いてくれて偉いわね。父親に似なかったのかしら」
「…………」
好きに生きているだけなのだが、良く父と己を比較する者は多い。
似ていると言われることもあれば、似ていないと言われることもある。要するに全員好き放題言っているだけである。
なので楓は肩をすくめるだけに留め、それ以上の反応はしなかった。
するとそれが不服という意味に映ったのだろう。橙は慌てた様子で言葉を紡いできた。
「ううん、あんたはあんたでいいのよ。あいつが二人もいたら私でも御せないわ」
「…………」
一人でも御せていなかったと思う、というツッコミは無粋なので黙っておくことにした。
「それに私は嬉しいの。生意気ですぐ意地悪してきて、全然素直にならないあいつが子供を作って、そしてその子供はまた、私の子分になってくれてる」
「いや、子分になった覚えはない――」
「良いのっ! 子分の子供なんだから、子分に決まってるじゃない!」
どうやら自分は生まれる前から橙の子分だったらしい。
「ところであんたは最近どうしてたの? 妖怪の山にもあんまり入ってこなかったし。たまには親分に顔を見せなさいよ」
「異変があったのは知ってるか?」
「あったの? 全然知らなかった」
永夜異変の内容をかいつまんで話すと、橙は呆けたように口を開ける。全く気づいてなかったようだ。
「異変解決に参加したわけじゃないんだが、そこで異変の関係者と知り合ってな。それで少し忙しかった」
「ふーん。あんたにとっては初めての異変になったわけ。どうだった?」
「考えることが多くて大変だった。父上はあれをいつもやっていたと思うと頭が下がる」
上手くやれたとは今でも思っていないが、それでも何とかしなければならない。かつて父がそうしたように、今度は自分がどんな手段を使ってでも人里を、ひいては御阿礼の子を守り抜かねばならないのだ。
そんな風に考えていると、不意に手が暖かくなる。見ると橙が小さな手で楓の手を握っていた。
「辛くなったら、誰かに言いなさい。あいつだって一人で何でもやってたわけじゃないわ。むしろいっつも下準備ばかりやってたぐらいよ」
橙の思い出にある父の姿は、大体何かしらの目的を持って動いている時がほとんどだった。
人に弱みを見せることなく常に泰然と思索を巡らせており、ある意味妖怪以上に妖怪じみていたそれを一朝一夕で真似しろというのが無理というもの。
「そんなものか」
「そんなもの。その点あんたは結構素直だし、わかりやすいわね」
「…………」
「褒めてるよ? 言ってくれればいつでも力になったのに、あいつは全然言わなかったもの」
「……まあ、次があったら考える」
頼りにするかどうかはさておき、何も言わないというのも不義理だろう。
……あるいは父も、彼女にはそういったことに関わってほしくなかったのかもしれない。それで関係が変わることを恐れたと考えれば筋は通る。
ともあれ橙は楓の答えに満足したようで、うんうんとうなずいて楓の手とつないでいる手を楽しそうに振っていた。
「おまたせしました……って、仲が良いんですね二人とも」
「あったりまえよ! 私は私の子分を差別したりしないわ!」
「お前の子分、俺以外は猫ぐらいしかいないだろ……」
猫と同列の扱いというのもそれはそれで思うところがある楓だった。せめて人間扱いされたい。
「それにあんたも私の子分だからね!」
「え、いや、それは違うと思いますけど」
「なんで? あんた、楓の友達でしょ?」
「まあそれは、はい」
「じゃあ私の子分じゃない!」
「どんな話の飛躍しました今!?」
妖夢は戸惑った声を上げていたが、楓は特に助け舟を出すつもりはなかった。
一度言い出したら聞かないのが橙という少女であり、そもそも断ってもいつの間にか子分にされているのである。要するに目をつけられたら諦めるしかない。
「悪いことじゃないし良いんじゃないか?」
「楓は気にしてないんです?」
「まあご覧の通り子供っぽいし、ガキ大将そのものな性格だし、強い弱いで言えば間違いなく弱い」
爪を立てて引っ掻こうとする橙を片手で抑えながら、楓は困ったように――見るものが見ればわかる母親そっくりの顔で笑う。
「でも、絶対に友達を見放したりしない、優しい妖怪だよ」
だから楓は橙が好きなのだ。強い弱いなど考えずに信頼できる妖怪として、彼女に懐いていた。
毒気のない楓の顔を見て、妖夢の心にも納得が浮かぶ。なるほど確かに、信頼できるというのは相手の強弱以上に大事なものだ。
それに今の彼はどこか年相応に見えた。今なら彼が霊夢や魔理沙と同年代と言われても信じられる。
見た目こそ同年代だが、これでも半人半霊。霊夢たちより数倍長く生きている妖夢は楓の姿に小さく笑い、人里への道を歩くのであった。
――その道中、今の季節には見覚えのない花が咲いていることは、誰も気づくことなく。
次から花映塚始まります(異変ごとに関わったキャラ出してたらいつまで経っても進まない)
妖夢とは良き稽古相手。橙とは相変わらず父親と同じ子分。
橙が楓を赤ん坊の頃から知っているので、完全に年下のお姉さん状態(できているかは別として)。
楓は対等だと思っている相手(霊夢、魔理沙ら)には沈着冷静なタイプだと思われてますが、目上の相手には年相応に見える部分もあるため、割と歳上に好かれるタイプです(良い方向かはさておき)
いやあ、モテモテですね。花映塚で予定してた戦闘少し増やすか……。