阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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パパ上の戦闘方法をあれこれこねくり回して遅れました、申し訳ありません。


比那名居一族の当主

 巌のような男、というのが第一印象だった。

 天子とは違う夏の入道雲の如き白髪に、刻まれている皺は常に苦渋を舐めているかの如く深い。

 要石の落下による土埃にも閉じられない鋭い相貌が射抜くのは天子――ではなく楓の方。

 

「……あれが天子の父親、か」

 

 要石に乗ってきたことといい、親子そっくりな現れ方といい、どう考えても友好的な態度には見えない。

 特に砂埃の向こう側から感じられる視線は敵意すら錯覚してしまう。

 

「楓、下がりなさい。あんた今、力が出ないんでしょう」

 

 誰が来たかをすぐに理解した天子は緋想の剣から刀身を生み出しながら前に出る。

 その顔は戦闘のそれになっており、意識を切り替えていることが察せられた。それが砂埃の向こうの親にとってどう受け取られるのかは未知数だが。

 

「待て待て、剣呑な構えを取るな。友好的な可能性もある」

「そう見えるなら、私はあんたの評価を落とすわよ」

「俺の評価がどうなろうと可能性は信じるべきだ」

 

 天子からの返答は大きな舌打ちだった。

 本当に親との関係が良くないようだ。

 父と母を温度の差こそあれど、どちらも尊敬している楓には今ひとつ実感が伴わない。

 やがて砂埃が晴れるのを待って、楓が要石に座る人物へ声をかける。

 

「比那名居天子の父親で相違ないか?」

「……いかにも」

 

 低く、地響きのような声。

 それが怒りの感情を押し殺した末に出るものなのか、あるいは情動をひた隠しにしたからこそ出せるものなのか、人生における経験が不足している楓には判断がつかない。

 

「……こちらも確認する。お主が娘を世話している男で相違ないか」

 

 返答に感情はこもっておらず、抑揚さえも最低限に抑えられた平坦なもの。

 感情豊かで己の心ひとつに従う天子と、この男。本当に親子であるのかすら疑うほど対照的に映る。

 天子を曇り一つない蒼天に例えるなら、彼は枯れ果てた大地を連想させる。

 肥沃なものなど何も残っていない。長い長い年月と容赦なく照りつける天の光に焼き尽くされた地平線。

 

 天人が人を超越した存在であるというのなら、なぜ自分が顔を合わせる天人は誰も彼も己を幸せだと態度に表現しないのか。

 楓の前に立とうとする天子を横にどかし、楓が前に出て口を開く。

 

「相違ない。ここには何の用で来た?」

「……娘が天人として相応しいかを見極めに」

「いつもそれね。他に言うことないわけ?」

 

 吐き捨てるような天子の言葉に、父親は眉一つ動かすことなくひび割れた唇を動かす。

 

「……天人の気位を身に着けたか」

「昔だったら努力しているって返すところだけどお生憎様。私たちを嘲笑って何もしない天人なんかを見返すより、よっぽど面白くて意義深いものが見つかったの」

「……地上に追放されてなお追い求めるものか」

「ええ、そう。天界で歌に踊り、呆けている連中と一緒になるよりずっと魅力的」

 

 天子の言葉に迷いはなかった。

 すでに彼女は天界の住人に見切りをつけ、地上で天人と敬われることにこそ価値を見出しているのだ。

 そして天子は隣に立つ楓を一瞥し、緋想の剣を父親に向ける。

 

「だから天界に戻れ、とか地上を去れって言うつもりならお断り。私は私の心にしか従わない」

「……お役目とは、個々人の思いを無視してでも果たすべきものである」

「否定はしないわ。けど、千年私たちを認めなかった連中のために奉仕することをお役目だとは思えない」

「……そこの小僧と歩むことが役目か」

 

 それ以上の言葉は語らず、天子は自信を持ってうなずいた。

 天子との会話は終わったのだろう。次に男の視線は楓に向く。

 その眼差しは感情が伺えない凍りついたものながら、初対面の人間に向けるものとは思えない敵意が宿っていた。

 

「……娘を誑かした男か」

「地上に降臨した天人の相手をして、彼女を養っているという意味ではそうなる」

「……守護を担っていると衣玖から聞いた」

「合っている。人里の守護を行っている」

「……確かめさせてもらう」

 

 その言葉と同時、男の周囲に要石が無数に浮かび上がる。

 どれもが鋭く尖った部分を楓に向け、力が収束しているのが見て取れた。

 

「楓、下がってなさい。要石相手なら私が撃ち合える」

「いや、前に出る。今の俺は術がほとんど使えん。後ろに下がったらロクに援護もできない。椿」

『はいはい、なに? 援護はいつもどおりやるよ?』

「これ使え」

 

 そう言って楓は背負っている長刀を抜き、宙に放り投げる。

 椿が慌てた様子でそれを持つと、何も見えない空中に浮かぶ刀に男が眉をひそめた。

 

『え、いいの?』

「要石の破壊は手間だ。力の落ちている俺が振るうより、お前に持たせた方が効率的だ」

「へえ、見えないけど三人目がいるってわけ。良いじゃない、足引っ張らないでよね」

 

 天子が緋想の剣を傾けると椿はやや驚いた様子を見せた後、嬉しそうに長刀の刃先を重ね合わせた。

 それを横目に楓は両の拳を握り、腰を落として構えを取る。

 

「……参る」

 

 男の言葉と同時、背後に展開された要石が一斉に神通力の光を放ち、楓を穿たんと迫り要石も弾丸と違わぬ速度で迫ってくる。

 楓が選んだ行動は前進ではなく、大きく迂回しての回避だった。

 

「ずいぶんと消極的じゃない!」

 

 楓に追随しながら迫る要石に自身の要石をぶつけ、緋想の剣で切り払う天子が聞いてくるが楓は落ち着いて答えを返す。

 

「どの程度力が落ちているのかこっちも正確に把握していないのが一つ。あと俺はあの人を傷つけるつもりはないぞ」

「はぁ?」

「人里にまだ害をなしたわけでもない。それに――いつかと同じだ」

 

 楓の目から見て、天子と男は親子であることがわかるくらいにそっくりだった。

 報われぬことをやり続け鬱屈していた天子と、それでもなおやり続け摩耗した男。

 男が何を思ってそこまでするのかはわからない。わからないが、内面的な部分では天子とよく似ているのだ。

 飛び交う弾幕と要石をかいくぐりながらの説明に、天子は僅かに頬を赤らめる。

 

「……親子揃ってあんたに思いをぶつけるなんて恥ずかしいったらないわ」

「別にぶつける必要はない。特にあの人は……まあ、大事な娘を預かっている俺へのあてつけもあるんじゃないか」

 

 男に自覚があるかはさておき、そういった思いも含まれているのだろう。

 なにせ男から見て、楓はどこの馬の骨ともしれない男である。しかも天子が憎からず思っていることは衣玖の口から届けられているに違いない。

 

「さて、仕掛けるか」

 

 体の調子も確かめ、動きも把握した楓が軽くつぶやくと同時、大きく跳躍して前に出る。

 四肢を撃ち抜かんと放たれた要石を拳で砕き、手に残る痺れに思考を回す。

 

(天子の親だけあって要石の扱いは彼女以上。技量だけで砕き続けると拳の方が先に壊れる。今の俺の状態も合わせればほぼ互角か)

 

 本来の力が発揮できるなら問題なく勝てる相手だが、今は楓一人だと五分五分になる。

 残りを埋めるには天子、椿の力が必要不可欠だ。

 それらの情報を頭に書き加えながら楓は要石を砕いて男の懐まで迫った。

 

「――」

「――なぜ天人であることにこだわり続ける?」

 

 懐に入った楓を弾き飛ばそうと至近距離での要石が無数に作り出されるが、楓は拳が血に塗れるのも構わず砕き続けながら口を開く。

 

「む……」

「良いことなどないのだろう。それに天人は決して覚者には至れぬ位階。それに拘泥する理由がわからない」

「――飢えることがない。これがどれだけ大きいか、若いお前にはわかるまい」

「確かに、それはわからないな……っ!」

 

 足元から作り出された人間大の要石が弾け飛び、中から更に小さな要石を散弾の如く飛ばしてくる。

 

「っ!」

『半分は落とす!』

 

 回避が難しいと思ったところに飛び込んできた椿が長刀を振るい、ある程度弾いてくれる。

 彼女の特徴は楓以外に見えない付喪神であること。それ故、要石の攻撃も彼女の身体をすり抜けてしまう。

 自身は攻撃を受けず、しかし振るう長刀によって切り刻むものは確かな現実。そして椿の技術は――幻想郷の中で、という尺度で語るなら最も楓に近しいものを持っている。

 

『ただ見てただけでも、私だって楓と同じ経験をしてきたんだ!』

「助かった!」

 

 椿の奮戦により至近距離で要石を受けながらも無傷で済んだ楓だが、さすがに距離を取られてしまう。

 そして男の口は止まらない。楓にかろうじて聞き取れる声量でボソボソとつぶやき続ける。

 

「あの時代……地鎮を生業とする我ら一族すら、明日をも知れぬ世界。まだ幼い娘は知らずとも、我は知っている」

「天人になることで飢えから解放された」

「でもそうなると次に行くのが人間よ。足るを知るが天人の在り方であっても、考えることは変わらない」

 

 楓の言葉を引き継いだのは天子だった。楓の隣にやってきた彼女は険しい顔で襲いかかる要石を弾く。

 

「仕える主が天人になったためにおこぼれで天人になった七光の天人。不良天人。それが私たち一族に下された評価。それを覆すために私はあらゆる努力をした」

「……結果は伴わなかったな」

「それで良い、って思えるのも今この場にいるからでしょうね」

 

 楓と出会っていなかったら、今も天子は天界で退屈に倦み、時折人里へちょっかいを出して暇をつぶすだけだっただろう。

 彼がいたからこそ、今までの努力が無意味ではないと思うことができたのだ。

 

「……それでも役目を果たすのだ。我らがなんと言われようと、天人の役目を果たし続けることにこそ意義がある」

「それさえも! 七光が粋がっていると笑われて終わりでしょう!」

「――だからどうした。役目とは自らが望んで果たすもの。周囲の反応など不要」

「……っ!」

 

 他の言葉に比べると滑らかに放たれた男の言葉に、楓はそれが男の根幹であると直感する。

 誰に理解されずとも自らに課した役割を全うする。天子の父はただ愚直にそれを願い続けていたのだ。

 そして楓はその願いに共感を抱く。誰の反応も気にせず、ただ自らの役目にのみ従って動く姿は――阿礼狂いの姿と変わらない。

 

「――ならばなぜ俺たちの前に姿を現した。誰に理解されずとも役目を果たすことを是とするなら、俺たちも不要なはずだ」

「否。天子は天人である。故、天人の役目は彼女にも与えられる」

「天人の矜持を忘れたことはないわ。でもそれに胡座をかいてあまねく全てを見下すことが天人らしさではない!」

 

 天子が啖呵を切ると同時、男の周囲全てが要石で覆われ姿すら見えなくなる。

 大技が来ると見て取れる姿に楓と天子はお互いに視線を交わす。

 

「あれが私の親よ。顔を合わせても天人の役目を果たせばかり。役目役目役目のがんじがらめ」

「だがそれだけでもない。それだけならここに来る理由がない」

 

 自らの役目にのみ従う存在は、ともすれば他者が不要になる。

 それは阿礼狂いである楓も例外ではない。自覚しているからこそ、他者と関わり続けようと意識している部分もあるが。

 しかし天子の父親は違う。己の役目にのみ摩耗しきった精神であるならば、天子すら不要なのだ。役目を果たそうとしない不出来な存在など、己から切り捨ててしまえば終わりである。

 

「……まあね。聞こえてないでしょうから言うけど、ここに来たのは結構驚いたし、そう悪い気分じゃなかった」

「さしずめ俺は娘を拐かした悪漢か」

 

 顔を見合わせて小さく笑う。

 自分に縁などないと思っていた、娘を奪った男の当事者になってしまうとは。

 

「俺がやっていいのか?」

「私が言ってもダメでしょ。あんたが伝えてやりなさいな」

「わかった。道を作るのは頼む」

「上等!」

「椿、俺の予想が正しければ後一回はお前に頼る。しくじったら多分俺が死ぬから頼むぞ」

『誰に物言ってるのさ? 私と楓は一蓮托生。楓が死ぬ時が私も死ぬ時。そして私はまだまだ楽しみ足りない!』

 

 ここで死ぬつもりは毛頭ないということである。

 楓たちが腰を落とし、動き出したのは双方同時だった。

 

「――っ!!」

 

 ほぼ瞬きの間に作り出された超特大の要石が楓らの頭上に出現し、重力の加護を受けて落下してくる。

 それと同時、正面から小型の要石が無数に打ち出され、逃げ道を塞ぐ。

 しかし彼らは最初から逃げることなど考えていない。正面にどんな攻撃が来るかも予測済みで、それを突破する策も話し合っていた。

 

 始めに前に出たのは天子だ。緋想の剣を横薙ぎに構え、迫りくる要石を真っ向から薙ぎ払う。

 緋想の剣は天子が集めた気質を刃状にして形作るもの。普段、本人が使いやすい形にしているから剣として成立しているのであって、形を変更することも可能である。

 

 正面から迫る要石は非常に頑丈で楓でも破壊するのに一手間かかる代物だが、金気の塊である。

 緋想の剣に金気を剋する火気をまとわせて薙ぎ払ってしまえばひとたまりもない。

 

「上は任せるわ!」

「任された。椿、一太刀で斬れ」

『楓にはできるのそれ!?』

「当然」

 

 無茶振り扱いされたのか、椿から悲鳴が届くが一声でぶった切る。

 体勢を整える時間があって、なおかつその場から動く必要もなく十分な踏み込みまでできるのだ。

 ここまでお膳立てされた状況で無理だと言ったら亡き父に怒られてしまう。

 

『――だったら、泣き言言ってられないか』

 

 楓の言葉が引き金になったのだろう。椿の声から感情の乱れが消える。

 前を走る楓の後ろをついていた長刀がピタリと止まり、そこにあるはずのない少女の幻影を要石を放った男が幻視する。

 それは幻であっても見惚れてしまうほど美しく、一刀に全てを込めた構えを取って――一閃。

 姿の見えない少女の放った斬撃は感情の枯れ果てた男をして見事と言わしめるほどのものであり、感嘆の吐息をこぼすほど。

 

 ああ、全く――かけておいた保険が効果を発揮するとは。

 

「……っ!」

『楓、これ斬って終わりじゃない!』

 

 特大の要石の中から、更に要石を無数に生成する。

 天子には不可能。それ故、楓も無意識に除外していた攻撃に思わず息を呑む。

 椿はもう切り抜けてしまい、ここから戻ることは難しい。天子には正面を任せている。

 目まぐるしく変わる状況の中、楓は瞬時にこれから行うことによる危険と手傷を予測して手を動かした。

 とにもかくにも、天子には後で謝っておく事情が増えそうである。

 

「手、大丈夫なのそれ!?」

「治れば良い」

 

 楓が行った迎撃は素手で、手が壊れることも厭わず破壊するもの。

 瞬く間に手が血で赤く染まり黄ばんだ骨すらものぞかせて、しかし痛みに顔を歪めることは一度もないまま進み――男の眼前に迫って握り拳を振りかぶる。

 

「……っ!」

 

 男は少年たちの実戦経験の豊富さに驚いていた。

 天人たる自分も知らない術かなにかを使い長刀を浮かべて使いこなし、天子との連携も戦い慣れていない男には脅威だった。

 奮戦はしたもののやはり懐に潜られてしまい、もう成す術がない。この一撃は受けるしかないだろう。

 そう思って目を閉じた男に訪れた衝撃は拳による打撃――ではなく、開いた掌による張り手だった。

 

「いい加減に目を覚ませ。あなたの行いは――単に娘が心配だからだろう」

「……な、に?」

 

 

 

 

 

 戦闘は終了した。

 楓の言葉がよほど想像の埒外だったのか、張り手を受けたまま硬直してしまった男を横目に楓は手の怪我の治り具合を確かめる。

 

「治る速度も普段より遅い、か。今回の異変、俺にはかなり影響があるらしいな……単純な付喪神化の異変じゃないのか?」

「楓、大丈夫?」

「治ってはいる。問題ない」

 

 駆け寄ってきた天子に傷の状態を答えた後、楓は改めて男――天子の父親と向き合った。

 

「行いの全てに天人として相応しいか、そうでないかを見定めるように語っていたが、その観点なら天子は不要な存在だ」

「……矛盾していたのよ。天人として、天人として、天人として。最初は私も不良天人としてやりすぎたかと思ったりもしたけど、地上に降りてからは別」

「娘が心配だったんだ。あなたは。何も間違ったことなどない、父親として当然の感情を持っただけだ」

「……自分、は」

 

 楓と天子の言葉に呆けていた男が動き出し、かすれた声を出す。

 そして訥々と己の感情を言葉に変えていく。

 千年。男が天人になってから一度でも思ってしまったが故に封印した、自らの心を。

 

「……かつて一度だけ、天人になったことを後悔した。飢えから解放され、俗世の悩みから解放され、新たな位階に至ってなお、俗世と変わらぬしがらみに縛られることに」

「不良天人と呼ばれても天人らしさにこだわったのはそういうことか」

 

 通常の天人から見て、天子たち比那名居の一族は不良天人として扱われる。

 それは一面で事実なのだろう。当時の事情を全て知っているわけではない楓に、口出しできる部分ではない。

 そう呼ばれまいと彼は天人らしさにこだわることにしたのだ。

 七光の天人である事実は残り続ける。けれどそれは今後の行いで払拭できるはず、と信じて。

 

「……天人は良くも悪くも変わらないわ。飢えもなく、悩みもなく、足るを知った存在だもの。変化する必要がない。……私たちの評価はもう変わらないわよ、お父様」

「……それでも、私は比那名居の当主として役目を果たさなければならない。名居(なゐ)の一族に仕えてきた結果がこれで良いのか」

「…………」

 

 血を吐くような男の言葉に天子は唇を噛みしめる。

 天子は幼い頃に天人になった。まだ世の無常も知らない幼子のまま、天人になった。

 それは無垢とも言い換えられる。天子にとって学んだことの全ては天界にあるのだ。

 しかし男は違う。比那名居の当主として一族を率いてきた矜持がある。

 その矜持が、一族を不良天人のままにすることを拒否するのだ。汚名は雪ぐためにあり、当主である彼はそれに尽力する義務があった。

 

 天子はとうとう父の抱くものを理解した。

 自分があるがままに振る舞う影で男がどのような思いを抱えていたのか、十二分に成長した今ならわかってしまう。

 

「……もう良いのよ、お父様」

「天、子」

「私たちはよくやったわ。私だって詩や踊りを覚えたし、天人らしさを得るためにあらゆる努力を重ねた。本当、天人になってからの千年、ものすごく頑張ったわよ」

「…………」

「でも天人だって心の底から思えたことは一度だってなかった。それはそうよ、あそこにいる誰もが私たちを立派な天人だと認めることはなかったんだから」

 

 そこまで言って、天子は腕を伸ばして横に立つ楓の手を取った。

 

「だけど不思議な話よ。――地上に降りてから自分を天人だと思えるようになった。天人だけで終わりたくないと思える人に出会えた。費やした千年を無駄じゃなかったと思えるものが生まれた」

「…………」

「心配してくれてありがとう、お父様。私は大丈夫。天人になってからの千年に意味があったと思えるようになったから」

「……そう、か。良かった、のか」

 

 ゆっくりと、絞り出すような言葉だったが、確かに男は自分を許すことができた。

 そして楓も口を開き、天子が地上で問題なく過ごせていることを報告する。

 

「……天子は地上では天人様と呼ばれ、尊敬を集めている。人里にとって手放せない人材だ。俺も丁重に扱っている」

「……娘は天人として崇められているのか」

「敬われている。俺も天子の智慧には助けられている」

「……ならば、良い」

 

 男はそれだけつぶやき、楓たちに背を向ける。

 

「……私は戻る。天界にも、お前の帰る場所の一つは残しておきたい」

「お父様……」

「……身重で戻ってこないように」

「ないわよっ!」

 

 顔を真赤にした天子の言葉をどう受け取ったのかわからないが、最後まで男は無表情のまま天界へ戻っていく。

 要石にどっかりと座り、天へ昇っていく姿を見送りながら楓は疲れた気持ちで天子を見た。

 

「……お前の父親、天然なところがあるんじゃないか?」

「ちょっと否定しづらいわね……」

 

 楓が再生の終わった右手を掲げると吸い込まれるように長刀が戻ってくる。

 それを鞘に収め、何を言ったものかと言葉を選んでいく。

 

「色々事情があったんだろうが、次は戻って話をしてやれ。あの人が考えていたことも多少はわかっただろう」

「そうね。そりゃ千年、笑われていたのはお父様も同じなんだし、思うところがあっても当然か。……天人になるのって色々あるわね」

「仮になれる時が来ても俺は迷いそうだ」

「あんたは天人になってもならなくても変わらないでしょ」

「違いない」

 

 小さく笑い、楓は気楽な様子でこの後の行動について尋ねた。

 

「それでどうする? そこまで急ぐ用事もないから、今回は天子の意見に合わせるぞ」

「そうね……」

 

 逆しまの城を追いかけても良いのだが、天子はチラリと楓の手を見る。

 血に塗れ、骨まで露出していた傷はほぼ再生した様子だが、それでも自分の家の騒動に巻き込んでしまってできた傷だと思うと頭が下がる。

 とはいえそれで冒険しないのも癪だ。何か適度に面白いものでもないかと考えていると、不意に楓が腰を落とす。

 

「楓?」

「……草の根妖怪ネットワークの連中がこっちに来る」

「は? なんでよ?」

「俺が知るか。橙が先頭で……藍から逃げているのか」

 

 千里眼に映る橙たちの顔は半泣きになっており、追いかける藍の表情は実に楽しそうなそれだ。

 どうやら下剋上を仕掛けたものの見事に返り討ちに遭い、逃げている状態らしい。

 

「下剋上に失敗したわけ」

「多分」

 

 楓と天子は思わず顔を見合わせる。

 次いで天子はクスリと笑い、相変わらず一緒にいて騒動に愛される男の肩を叩いた。

 

「逃げるならそれでも構わないが」

「冗談。面白いことが向こうから寄ってくるんだから、楽しまないと損でしょ!」

 

 待ち構える気満々の天子に楓は肩をすくめ、一緒に並び立つ。

 

「さ――天人の冒険譚の一節を作るわよ、楓!!」

 

 威勢の良い天子の言葉と共に、こちらへやってくる草の根妖怪ネットワークらを待ち構えるのであった。




天子パパは普通に地上で大人になってから天人になったので、そりゃ思うところもありますよという話でした。

そして次回は草の根妖怪ネットワークが挑んでいた藍さまとのお話です。戦いになるかは話の流れ次第で(震え声)
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