阿礼狂いの少年は星を追いかける   作:右に倣え

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ワクチンの副反応で40度近い熱が出て倒れてました。遅くなって申し訳ない。


父の面影

 その日の朝、霊夢は自分でも珍しいと思うほどに目が冴えた。

 普段は稽古にやってくる楓が起こすまで寝ていることが多いのに、今日に限っては彼が訪ねてくる前に目が覚めてしまった。

 

「こんな朝早く起きてもやることなんてないでしょうに……昨日早く寝たわけでもないし……」

 

 早起きは三文の徳と言うが、霊夢としては三文の徳程度なら二度寝に費やしたい派であるぐらいには二度寝の誘惑が強い。

 目が覚めたからと言って楓が来る前から稽古するなど面倒極まりない。しかし眠くないのに寝るのもなんだか面白くない。

 とりあえず掃除でもするかと箒を取り出して境内をはいていると、階段の方から慣れ親しんだ気配が近づいてくるのを察知する。

 

「私が早く起きただけだと思ったけど、あんたも早かったのね……?」

 

 二刀を背負い、慣れた足取りで階段を昇る少年へ振り返る霊夢。

 しかし霊夢は見慣れたはずの少年に別の人物を見出してしまい、目をこする。

 彼もよく父親似と言われるが、背格好も違えば目の色や髪の色も違う。観察眼に長けていれば違いなどいくらでも挙げられる程度の似方だ。

 だというのに、今日神社にやってきた楓の姿を見た霊夢は、そこに思わず父親代わりの存在を思い出してしまう。

 

「……爺さん?」

「ん? 俺はその息子だぞ」

「……あ、ああ、楓か。なんだろう、爺さんが来た時みたいな感じをあんたに覚えたのは初めてよ」

「俺もだいぶ父上に近づいたからな。俺の力を父上のそれと錯覚したんじゃないか? オカルトボールの異変からまた一つ修羅場をくぐった」

「また私の知らないところで死にかけてたの? あんたも好きねえ」

「一人だったら間違いなく死んでいた修羅場だった。あと人を戦闘狂みたいに言うのはやめてもらおうか」

 

 話しながらも霊夢の目は楓から動かない。

 もとより異変に関わるようになってから著しく腕を上げていた少年だが、今の彼は目標としている父親と近しい領域にいるように感じられる。

 

「……今のあんたなら爺さんともやり合えそうね」

「勝率は三割程度だがな。俺もかなり追いついたはずだが、剣術の底が未だに見えん」

「爺さん相手に三割取れるなら十分でしょ。……と言っても止まるわけないか」

「そうだな。話はこれぐらいにして今日の稽古を始めるぞ」

「はいはい。今日は……そうね、剣術ありにしてやりましょうか」

「手加減すると思ったら大間違いだからな」

「そんなの期待してないわよ」

 

 ただ、今の楓の剣術を突破できたなら、自分も相応に爺さんの領域に近づいたのだと思いたかった。

 霊夢にしては珍しい殊勝な考えは、それゆえに楓に見抜かれることなく。

 いつもと変わらない朝の、いつもとほんの少しだけ違う彼らの稽古が始まるのであった。

 

 

 

(近づいたら狩られる。殴り合うなら亜空穴からの強襲以外無理)

 

 振るわれた刃が髪をかすめても霊夢は表情を揺らすことなく後ろに下がる。

 当然、楓も追いかけるが霊夢は片腕だけを亜空穴に入れ、腕を楓の後頭部に出現させて攻撃を仕掛ける。

 

「――っ!」

「あんたなら避けるわよねそりゃあ!」

 

 が、当然のように察知した楓が頭を下げて回避。玉砂利を蹴り上げて目潰しを同時に行ってくる。

 自身の背後に亜空穴を作り、そこへ身体を入れて上空に逃げ込む。

 上空に自分、地上に楓。この構図を維持しない限り、自分の勝利はないと霊夢は確信していた。

 

「ここからは何でもありで行くわよ! 陰陽玉!」

「今日は嫌にやる気じゃないか、霊夢!」

「こんなの十年に一度よ!」

 

 陰陽玉と同時に札の弾幕が形成され、楓を取り囲む。

 しかし楓が双刃を一振りするだけで全ての札が切り落とされる。

 追尾し続ける陰陽玉も楓の体捌きに翻弄され、当てることができない。

 やはり弾幕では効果が薄い。というより、楓の遠距離攻撃への対処がいつにも増して凄まじい。

 まるでひたすら遠距離攻撃しか行わない敵と戦ってきたかのような動き方である。

 霊夢は楓に近づかなければ勝てないという現実を認め、近づくべきではないと警鐘を鳴らす自身の直感を無視することを選ぶ。

 近づけば間違いなく狩られる。――しかし勝機はそこしかないのだ。

 

「――!」

 

 亜空穴に飛び込み、刀を振り抜いた楓の後ろに転移。渾身の一撃を背中に見舞う。

 楓の行動は前に飛び込んで攻撃を回避し、即座に反転して刃を振るった。

 霊力で強化した拳と刀がぶつかり合い、硬質な音を響かせる。

 次の攻撃は防げない。霊夢は刀を殴った拳が切れていないことを冷静に確認すると、捨て身の突進を行う。

 

「――っ!」

 

 楓は霊夢が守りを考えない突撃を行ったことに目を見開きながらも、迎撃の構えを取る。

 そうだ、それでいい。自分は破れかぶれの突進を行っている。そう思わせることが目的だ。

 霊夢が踏み込むと同時、彼らの周囲にいくつもの亜空穴が開かれた。

 設置できる亜空穴の最大数を展開し、読めない攻撃を放つ。それこそが霊夢の狙いだった。

 

「――そこだ」

 

 だが、全方位を亜空穴に囲まれ、霊夢の手足が文字通り四方八方から飛んでくる中、楓の斬撃は自身に当たるものだけを防いでいく。

 

「っ、なんでバレた!?」

「ひたすら矢の雨に晒されたおかげで、当たるか当たらないかが肌感覚でわかるようになってな」

「ふざけんな!」

 

 以前の西行妖を封印した時に死の直感が磨かれたとも言っていたし、どれだけ直感を磨けば気が済むのだこの男は。博麗の巫女にでもなるつもりか。

 引掛けが意味を成さないとわかった霊夢は今度こそ正真正銘、捨て身の突撃を行う――直前に再度亜空穴で真上に転移して攻撃を仕掛けるが、左の刀を捨てた楓が霊夢の足首を掴む。

 

「げっ!?」

「まだやるか?」

「まだまだぁ!」

 

 掴まれた足を空に浮かせ、楓の掴みを強引に外す。

 

(こいつが頭おかしいのはいつものことだけど私の調子も良い! 一部だけ浮かせるなんてできないと思ってたのに、今は絶対成功する確信がある!)

 

 楓との打ち合いを続けながら霊夢は刀に触れる部分だけを空に浮かし、また自身の攻撃は当たる直前だけ戻すといった芸当を見せていく。

 だが、楓の二刀は身体に触れる直前の拳を全て弾き落とし、その身体に触れさせない結界となっていた。

 

(楓の守りが突破できない! どんな修羅場くぐれば全方位亜空穴からの当たる直前だけ実体化させた攻撃を全部防げるのよ!?)

(霊夢の調子が良い。防ぐだけならどうとでもなるが、適当な攻撃を仕掛けても空を飛ばれて避けられる。理想は霊夢に感知されず、空に浮かせる暇すら与えない攻撃。どう仕掛けたものか)

 

 無数の拳と蹴り、それに応える刃が交わされ、両者の思考に膠着の二文字がよぎる。

 ならばと霊夢は一層の攻勢に出ることで楓の守りを崩そうとし、楓はそれに応えるように自らも攻撃に出る。

 

(相打ち覚悟の攻撃? いや、楓はそんな破れかぶれの攻撃しない! 今までの攻防で楓が必要だと思う攻撃は――不意打ち!)

 

 その斬撃は霊夢にとって見えていたわけではない。

 意識の間隙を縫うように、決して早くないにもかかわらず霊夢が認識できない瞬間を狙った精緻な斬撃。

 避けられたのは我ながら奇跡だと思いながら、霊夢は頭上を通る斬撃に冷や汗を流す。

 昔、父親代わりの人に鍛えられていた時に一度見ていなかったら避けられなかっただろう。

 

「爺さんと同じ攻撃をしたわね、楓っ!」

「っ、既知の攻撃だったか!」

 

 一度見た技を霊夢に放つなど愚の骨頂。楓は苦々しく顔を歪め、側頭部に放たれた蹴りを左腕で防ぐ。

 霊力で強化された蹴りをまともに受けた腕に痺れが走り、刀を取り落とす。

 視線の先には霊夢が未だ万全の状態でステップを踏み、楓の出方を待っていた。

 

「……っ!」

「まだやる?」

「……いや、参った。ここからは俺も本気になる」

「そう。いやー、勝てて良かったわ。あんたを爺さんみたいって思ったけど、まだ私にも勝てる場所にいるっぽいし」

「これでも命懸けの修羅場くぐって磨いた剣技なんだぞ。父上に一回見せられたからって対処されるとは……」

「知らなかったら直撃してたでしょうね」

 

 楓も自分が才能に恵まれている身だと自覚しているが、霊夢の才能には及ばないのではないかと時々思ってしまう。

 自分が死ぬ思いをして会得した技を調子が良いからと見抜かれてしまうとは立つ瀬がない。

 

「私も腕を上げたってことよ。今日は私が勝ったし、朝ごはん作ってもらおうかしら」

「俺が勝っても負けても大体俺が作ってるだろ……」

 

 仕方のないやつだとボヤきながら、楓は博麗神社の台所へ向かっていく。

 その姿を見送った霊夢だが、ふと何かを思い立ったのか自らもまた後を追って台所に入っていく。

 

「待って、今日は私も作るわ」

「一緒にか? 珍しいな」

「そういう気分なのよ。あんたが爺さんに見えたのも含めて、そういう日なんでしょ」

 

 そう言って自前の割烹着に身を包む霊夢を見ながら、今日の彼女はよくわからないことが多いと楓は肩をすくめるのであった。

 

 

 

 

 

 霊夢の朝食を一緒に作った後、なにやら妙に上機嫌な霊夢が朝食を食べるのを尻目に楓は稗田の屋敷に戻っていた。

 彼女の願いである生きたいという思い。その願いが叶えられる目前まで来たのだ。

 阿求とともに朝食を終えた後、朝の一服をする時間に楓は話を切り出す。

 

「阿求様、ご報告したいことがございます」

「? うん、何かあった?」

「はい。阿求様――ひいては御阿礼の子に関わるものです」

「……うん、聞かせて」

 

 楓の口調から察しがついたのだろう。阿求は御阿礼の子としての顔で楓の報告を促す。

 

「結論から申し上げますと、阿求様の寿命の問題は解決できます」

「っ、本当!?」

「実際に確かめる必要はありますが、十中八九阿求様の短命は転生を繰り返すことによる魂の瑕。この瑕を治すことが必要になります」

「お祖父ちゃんの本にも書いてあったわ。……お兄ちゃんはその方法を持っている人を見つけたの?」

「はい。永遠亭の薬師――月からの逃亡者である八意永琳が知っていました」

「永琳さん……前から人里に薬を卸してくれていた人たちよね?」

 

 今になって向こうからペラペラと話したわけではないだろう。幻想郷でも無償の善意など滅多に起こらないのだ。

 阿求の視線からはそんな意思が読み取れるが、楓は調子を変えることなく報告を続けていく。

 

「正確に言えば彼女の所属していた組織――月の技術です。月の中でも最新の医療技術を使うことで、阿求様の魂の瑕を癒やすことが可能になる」

「……お兄ちゃん、そのお話はどうやって聞いてきたの?」

 

 どこから話したものか、とわずかに迷う楓だが、阿求の視線に促されて最初から話すことを決意し、口を開く。

 

「彼女らは変化を拒んでいました。外からの変化という意味ではなく、自らが変わることです」

「うん」

「故に私が阿求様の寿命の問題に関してもなしのつぶてでした。そのため、私から彼女らの日々――永遠を壊したのです」

「……一つ教えて。お兄ちゃんはそれで傷ついた?」

「私の傷など物の数にも入りません。四肢が吹き飛んでも治るのです。それよりも阿求様のお体の方が――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。阿求が涙を湛えた瞳で楓を見つめていたからだ。

 

「お兄ちゃん。私はお兄ちゃんが戦うことには何も言いません。お兄ちゃんはきっと必要な時にしか剣を抜かないと信じているからです」

「……はい」

「だからこそ、私には心配させてほしい。私はお兄ちゃんのために何もできないけど心配して、無事を祈るくらいはできるから」

「……申し訳ありません。阿求様のお心を軽んじておりました」

 

 穴があったら入りたい心地だった。

 阿求のためであると己に言い訳し、最も阿求の心を軽く見ていたのは誰か。

 不甲斐ない己への殺意と怒りを押し殺しながら平伏する楓。

 そんな彼の頭に阿求は手を乗せると、優しくその頭を撫でた。

 

「お兄ちゃんはもうお祖父ちゃんに引けを取らない英雄様よ。だから私もとっても誇らしく思っています。何が起きてもお兄ちゃんは私のところに帰ってきてくれるって信頼してる」

「阿求様……」

「でも、信頼しているのと心配しないのは違うと思うの。だから、ね? 私にちゃんとお兄ちゃんを心配させてもらえる?」

「……はい。永遠亭での出来事も全てお話いたします」

「うん」

 

 楓がレミリアとともに永遠亭で繰り広げた戦いを語る。

 途中、相手の攻撃を為す術もなく受けるしかなかった時は阿求の血相が変わったが、こうして目の前に楓がいることが何よりも雄弁な答えとなっていた。

 

「……これまでの人生であれほどの死線はなかったと言っても良いです。死ぬかもしれないなんてことはしょっちゅうでしたが、本当に死の直前まで深手を負いました。あと一つでも傷を受けていればここにはいなかったほどに」

「……それでもお兄ちゃんは勝ったんだよね」

「はい。勝って、月の技術を阿求様に使用することを約束させました」

「うん。……死なないでね、お兄ちゃん」

 

 言いたいことは他にもあったのだろう。何かを言いたそうに口を動かすものの、阿求はそれらを飲み込んで楓を抱きしめるだけに留めた。

 楓に傷ついてほしくないのは本心だ。彼が死ぬくらいなら、阿求は自分の願いを諦めても良いと思っている。

 しかしそれを言うのは楓の忠誠への裏切りになると理解していた。

 自分は生きたいと願い、彼はその願いを叶えるべく動いた。すでに賽は投げられているのだ。

 

「お兄ちゃん、正直に教えて欲しいの。……お兄ちゃんは後何回戦う?」

「……あと一度。一度の戦いを乗り越えれば、阿求様の願いは叶えられます」

「それは危険なこと?」

「……はい。幻想郷と文明レベルの違う月でも持て余している存在と戦います。死ぬ可能性もあるでしょう」

「……絶対に私のところに帰ってきてくれる?」

「私の居場所は阿求様の隣です。どんな時も、変わりなく」

 

 そう言って楓も阿求の背に手を回し、安心させるようにポンポンと叩く。

 

「約束しましょう。私は必ず阿求様のお側に侍り続けます。短命の問題が解決した後も、阿求様が年老いた老婆になった後も、ずっと」

「……ふふっ、しわくちゃのおばあちゃんになっても良いの?」

「我ら阿礼狂いがずっと見たかったものです」

 

 老婆になった御阿礼の子を見られるなど、初代にも勝る栄誉である。なぜならそれは歴代の阿礼狂いの誰も成し得なかったことなのだから。

 

「そして御阿礼の子の旅路が終わるまで、私が同道いたします。例えどれほど永い旅路になろうともご安心ください。私は必ず御阿礼の子の下へ馳せ参じましょう」

「……うん」

 

 抱きしめていた身体を離し、阿求は最大の信頼を込めた笑顔を楓に向ける。

 

「今日は一日一緒にいてほしいな。お兄ちゃんの戦いのお話とか、何を思ってきたのかとか、全部聞かせて?」

「御意」

 

 今日の仕事は全部衣玖に押し付けようと皮算用していることなどおくびにも出さず、楓は阿求の願いに平伏した。

 阿礼狂いが御阿礼の子の願いを最優先するのは呼吸するより当然のことである。

 

「ではそうですね。ちょうど永遠亭の話を出しましたので、そこで結んだ約束についてもお話しましょう」

「約束?」

「はい。私は御阿礼の子の旅路に最後までお供するつもりですが、それにはどうしても離別が付きまとう」

「……もし辛いようなら」

「辛いことなどございません。私を最後の伴に選んでくれたことは何にも代えられない誉れです。ですが腹立たしいことに、私は阿求様との別れに耐えられる自信が持てない」

 

 仮に一代耐えられたとて、二代、三代と続けばどうなるか。根性も気合も無限ではないのだ。

 だから約束をすることにした。彼女らとともに生きると誓い、その約束を守るために何が何でも生き抜く決意を固めた。

 妹紅と輝夜が最初になったのは楓が約束によって己を縛る決心をしたのが、永遠亭の戦いを制した直後だからである。

 あの戦いを乗り越えて寿命の問題に目処が立った。後は己の寿命をどうにかすれば御阿礼の子と一緒にいられると思ったのだ。

 そういった約束をするに至った経緯を話すと、阿求は喜ぶべきか呆れるべきかわからないといった微妙な顔で笑う。

 

「うーん、私のわがままに付き合わせちゃった手前、何かを言うことができない……」

「……? 何かおかしなことでも?」

「うん、お兄ちゃんはそう言うと思った。あのね、そういう約束って本当はすごく重いものだっていうのは知ってる?」

「でなければ生きる理由に成り得ないでしょう」

「そんな約束をたくさん取り付ければ生きる理由も増えるって算数的な意味では合ってるけど、感情的には……うーん……」

 

 本当に何と言ったものか。しかも約束をする理由は阿求の願いを叶えるためであるため、叱ることもできない。

 

「……お兄ちゃん、私が生まれ変わる前に死なないでね?」

「もちろんです。死のうとしても私が取り付けた約束が私を死なせません」

 

 自分は何も言えないが、約束をした少女たちにいつか殴られるんじゃないか。

 実はすでに殴られていることなど知る由もない阿求は、楓が本人の知らないところで痴情のもつれなど起こさないことを祈るしかないのであった。

 

 

 

 

 

「あら楓、今日は帰ってきたの? おかえりなさい」

「只今戻りました母上。今日は一日阿求様のお側にいました」

 

 せっかく大きな戦いを乗り越えてきたんだから、母親にも顔を見せてあげたらどう? と阿求に言われては戻る以外の道がなかった。

 楓が側仕えに行きながら戻ってきたことに珍しいと目を見開きながらも、嬉しそうに笑う椛に楓も笑顔を返す。

 

「知ってるわ。衣玖ちゃんがとても人に聞かせられない罵声を口にしながらお仕事してたもの」

「あいつのことなので平常運転です。母上は自警団の方に?」

「今日も今日とて、ね。人里での私の役目だもの。そうそう変わらないわ」

 

 そう言いながら椛はふと楓の顔を見上げ、そこになにか見出したように手を伸ばす。

 母親譲りの赤目を通り過ぎ、額に触れて、頬を撫で下ろしていく。

 

「母上?」

「――何でもない。いつの間にかこんなに大きくなっていたのね、楓」

 

 いきなり人の顔に触れてきたのだ。何もないなんてことはないだろうと思ったが、椛の顔を見たら何も言えなくなってしまう。

 かつて亡くしたものの影を見たような、会いたくても会えない誰かを見つけたような、そんな懐かしさと切なさを同居させた顔で笑っていたのだ。

 

「……霊夢にも言われました。なぜかは知らないが俺から父上の面影を感じたと」

「霊夢ちゃんもだったの。……うん、私もあなたのお父さんのことが一瞬だけ浮かんだわ」

「……もうすぐ、俺は父上を超えます。あの人の背はもう目の前に来ている」

「私にはまだまだ遠い背中だけど、あなたはもう見えているのね」

 

 目を細め、我がことのように喜ぶ椛に楓は万感の思いを込めてうなずく。

 思えば物心ついた時からずっと父の後を追い続けていた。

 多くの実戦、異変を乗り越えてもまだ父の背中は自分の先にある。

 しかし楓はもう手を伸ばせるところまで到達していた。

 

「……本当は普通の子に生まれてほしいって思った時もあったのよ?」

「母上?」

「あなたが生まれた時、お父さんが自分の後継に相応しくないって思ったら、あなたは私の子として、父親のわからない天狗として育てる予定だった」

「……千里眼が受け継がれたんだから、仮にそうなっても父親には気づくでしょう」

「そうかもね。それにもし天狗として生きようと思っても、きっと周りが放っておかなかったわ」

 

 阿礼狂いでない自分のもしも、と言われても楓にはすぐ思い浮かばなかった。

 父と母の間に生まれた自分は必ず阿礼狂いになると確信していたし、どれほど才能がなかったとしても父の背を追いかけることは変わらないからだ。

 しかし椛は阿礼狂いに生まれなかった楓のことも想像できるらしく、嬉しそうに笑ってそんなもしもを語る。

 

「私は哨戒天狗として妖怪の山を飛び回って、あなたにご飯を食べさせて、天狗としての生き方も教える。そんな未来もあったかもしれないのよ?」

「……それでも俺は御阿礼の子を見つけます。どんな運命、どんな境遇にあっても、私は御阿礼の子の下へ行く。運命だとか巡り合せだとか言うつもりはありません。私の意志です」

「うん、知ってるわ」

 

 椛は楽しそうに楓の額を小突いた。

 どのような道を進んだとしても、自分の息子は御阿礼の子に狂う。

 それは愛した人の子を身ごもった時から受け入れていたことである。

 何があっても優先順位は変わらず、楓も阿求と比較すれば自分など塵芥に等しい。

 わかっていても時々寂しく思うことはあるが――それ以上に息子の成長が誇らしく、椛は自分より背の高い息子を抱きしめる。

 

「御阿礼の子に狂い、御阿礼の子に生涯を捧げる。そんな一族だってこと、わかっているわ。わかった上で、私はあの人に愛を教えたいと思った」

「…………」

「愛した人との結晶が今、私にも想像できない領域まで羽ばたこうとしている。母親としてこんなに嬉しいことはないわ」

「……母上」

「あなたが今まで築いてきたものを全て壊すようなことをしない限り、私はあなたの味方よ。全力でやるべきことをやって走り抜きなさい。あなたのお父さんのように」

 

 つくづく自分は恵まれていると、母親に抱きしめられながら楓は思う。

 そして生きようとする縁にも恵まれているときた。

 波乱の尽きない人生ではあるが、楓は自分の人生を述懐して不幸である評価を下すことは生涯ないだろう。

 まだ幼い子供の頃はよく母に抱きしめられていたと懐かしい暖かさを思いながら、楓は最後の戦いを必ず生きて帰る決意に変えるのであった。

 

 

 

 

 

 ――きっと、自分が父を超えるであろう月の異変に臨むまで、あと僅か。




楓は死線をくぐれば大きく成長します。霊夢はそんな楓と稽古することで成長します。
なので霊夢は本編開始時からずっと変わらず楓との勝率は3~5割を維持していたりします。楓も大概ヤバい才能ですが、霊夢も負けず劣らずの天才です。

後は橙や天子とお話したり、草の根妖怪ネットワークに顔を出したりといったラスダン突入前みたいなパートが何話か続いた後、紺珠伝に臨みます。
もう残りも少なくなってきていますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
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