「天子!」
「準備できてるわよ、要石!!」
迫りくる剣の海に対し、楓たちが取った行動は防御だった。
中身の空洞となっている特大要石を天子が作り出し、その中に隠れるように三人が入っていく。
「愚策ですね。守勢から何かが生まれることはありません」
依姫は楓たちの取った行動に失望した様子を隠さず、剣を放ち続ける。
祇園様――剣神の剣は何であろうと斬り裂き貫く。あの石が多少硬いことは認めるが、すぐに砕ける程度である。
楓たちはそんな依姫の行動を一旦無視して要石の内部で顔を突き合わせる。
「霊夢、永琳。知っていることを全部言え。あれ相手に無策は自殺行為だ」
「あいつは神霊を呼べるのよ。私も神降ろしはできるけど、必要な工程とか所作とか全部すっ飛ばして神々を降ろすことができる」
『そして私の直弟子よ。彼女には月の指揮官として軍学や大勢を指揮する方法を教えた。真面目な子でね。熱心に勉強に励んでいたわ』
「永琳の見立てで良い。――勝てるか?」
『私の知る彼女であれば、という但し書きを付けるけれど――楓の剣術なら彼女とも切り結べるはずよ』
「今回は妨害役やるわ。神霊を呼ぶからこそできることもある」
「私はちょっと後ろに下がるわ。試したいことがあるの。上手くハマればあいつだって封じられるはず」
「よし、大まかな方針は決まった。良いか、二人とも――」
手早く楓が霊夢たちに役割と指示を説明する。状況が状況なので異論が出ることはなかった。
そして行動を開始し――始めに転移を使用して依姫の上空に出現した楓が上段からの兜割りを放つ。
「はっ!!」
「ほう、瞬間移動ですか。なるほど、隠れたように見せかけて不意を突く算段を立てていたのですね!」
「ご丁寧に解説されては立つ瀬がないな!!」
依姫は上からの攻撃に対し余裕を持って自身の刀で受け止めると、そのまま二刀を振るって猛攻を仕掛ける楓に応える形で剣戟に興じていく。
一瞬のうちに交わされる剣閃は百をゆうに超え、甲高く硬質な音の間隔がどんどん短く――剣の応酬が加速度的に速くなる。
もはや振るう刃すら目に追えず、微かな火花が散る瞬間だけが剣の在処を指し示す。そんな無限にも似た剣戟を、しかしほんの一瞬で終えた二人は大きな火花と同時に距離を取る。
(――恐ろしい! 身体能力は鬼と同等かそれ以上! そんな存在が俺とほぼ互角の剣術を操っている! 文字通りの鬼に金棒だ!)
(――驚きました。素直に感心しています。よもや私と剣術で勝負できる存在が地上にいるとは)
「――やりますね。地上の民と侮っていたことを謝罪しましょう」
「試しならもう終わって良いんじゃないか」
「ご冗談を。まだまだあなたたちの底はこんなものではないでしょう! さあ――ここからは私も本気です! 祇園様のお力よ!!」
依姫が剣を振るうと同時、楓の周囲に無数の剣が出現する。
どれも凡百の刀とは一線を画する力を秘めていると見抜き、楓は警戒を強めた。
「弾けば祇園様のお怒りを買うでしょう! さあ、如何に!」
「知ったことか!!」
弾かねば負けるのだ。是非もないと楓は迷わず周囲の剣を切り払い――途端、気分を害したように新たな剣が楓目掛けて作られ、弾丸の如き速度で射出される。
が――永琳の矢に比べれば雲泥の差だ。狙いも単調で速度に緩急があるわけでもない。ただ速いだけの剣程度、今の楓にとっては本命との剣戟の合間に対処できるものだ。
「なるほど、祇園様のお力を物ともしませんか」
特に飛び道具への対処がずば抜けている。
全方位から絶え間なく襲いかかる刃の弾幕を、ほとんど見向きもせずに全て叩き落としていた。
依姫もまた楓へと斬りかかるが、剣戟の均衡を崩すほどのものには至らない。
依姫の斬撃と祇園様の剣。双方を相手にし、目にも留まらぬ剣さばきを続けてなお、少年の守りにはどこか余裕があった。見ればまだ息も切らしていない。
「この刃の牙城を切り崩すには――っ!」
祇園様の力では相性が悪い。そう判断した依姫が別の神の力を呼ぼうとした時だった。
「楓にばっか集中してんじゃないわよ!」
警戒が疎かになっていた真下から、紅白の少女が猛然と襲いかかってきたのだ。
楓と同質の瞬間移動――亜空穴が使える霊夢は楓が要石から出るのとほぼ同時に外へ出現し、楓が依姫と切り結び始めた瞬間から介入のタイミングを図っていた。
音の速さを超えるような攻防に人間の霊夢が生身で入るつもりはない。狙いは攻防の切り替わり。依姫が動きを止め、神を呼ぶ一瞬だ。
「む……っ!?」
「どっせい!!」
霊力で強化された打撃が依姫の刀を叩き、思わぬ痺れが依姫を襲う。
そして下がった依姫を深追いすることはなく、陰陽玉からの弾幕を追撃に放ち、霊夢は楓の隣に並ぶ。
「どう、やれそう?」
「……ああ。使ってくる神霊次第だが、拮抗させることはできる。だが俺一人で天秤を傾けるのは無理だ」
「だったら前は任せた! 天子も準備してるから時間稼ぎをお願い!」
「私を相手に一人で時間稼ぎですか。大きく出たものと言いたいですが、あなたの力量なら可能でしょう」
腕の痺れが回復した依姫が楓たちに剣を向ける。
霊夢はそれを受けて依姫から視線をそらさずに後ろへ下がり、楓が霊夢をかばうように前に出た。
「一つ、聞いておきます。あなたと先生の関係は?」
「……師弟関係だ。以前は薬だけだったが、他のことも教えたいと言われて了承した」
楓の言葉は予想通りだったのか、依姫は驚いた顔もせずにコクリとうなずく。
「でしょうね。あなたほどの原石を先生が見逃すはずもない。となると私はさしずめ姉弟子ですか。ふむ、姉弟子……悪くない響きです」
喜んでいるのか今一つ判断のつかない無表情に楓は結果のわかりきった質問を投げる。
「弟弟子に道を譲る謙虚さを見せてもバチは当たらないんじゃないか?」
「死ぬとわかっている道に進ませない優しさが姉弟子にはあります。三人もいるのですから、本気の私くらい下してもらわねば」
淡々とした言葉を発しながら、依姫は刀を引いて何も握っていない左腕を高く上げる。
そこに何かあると楓が考えるより先に、文字通り身を焼く熱が依姫から発せられていることに気づく。
直感で無策は不味いと察した楓がすぐさま自身の裡で妖術を組み始めるが、すでに依姫の左腕は――赤々と燃え盛る炎と化していた。
「愛宕様の火――神をも燃やし尽くした原初の炎、あなたはどう攻略しますか!」
「――紅焔」
楓の行動に迷いはなかった。指先から放たれた小さな、しかし太陽の炎に匹敵する莫大な熱を秘めた炎が依姫の振るう炎の左腕に触れる。
途端、内に秘められた熱量が解放され爆炎と化し、依姫の肉体を焼き尽くさんと暴れ狂おうとする。
だがその運動エネルギーを依姫は文字通り握り潰す。愛宕様の火となった左腕が楓の放った紅焔を相殺したのだ。
対人、という観点では過剰な火力の、しかし対妖怪の観点では楓を幾度となく助けてきた紅焔が潰された。
その事実に楓は歯噛みするしかない。自分の最大火力が防がれる以上、愛宕様の火とやらを使っている依姫には近づくことすらできないのだ。
「化け物か……!?」
「それはこちらの台詞です。愛宕様の火そのものである左腕で触れ、
「太陽に匹敵する熱量を込めた炎だ。まさか握り潰されるとは思わなかったが」
「そんな炎を人に向かって放ちますか。恐ろしいですね」
「原初の炎をこっちに向けているお前に言われたくない!」
今もなお、依姫の左腕から発せられる熱だけで楓の身体は焼けただれかねないのだ。
楓が常に相殺する炎を放っているから防げているだけで、今の依姫が十全に動いたら楓たちなど身動きも取れないまま焼け死ぬだろう。
「霊夢!」
「任せなさい!!」
依姫から発せられる熱をかろうじて相殺していた楓が霊夢の名を叫ぶと、彼女はそれに応えるように自らを結界で守りながら亜空穴に飛び込む。
出現先は依姫の背後。熱で死なない位置を勘で見極めた霊夢が出現し、お祓い棒片手に集中を高めて印を結ぶ。
「神降ろしは私にもできる――つまり、どんな仕組みで神が呼ばれるかは知っている!」
「何を……っ!?」
「神呼びの邪魔よ! あんたが神霊を呼ぶのを邪魔するぐらい、私にもできる!!」
鋭く芯の通った霊夢の声が響くと同時、依姫の左腕が通常の腕に切り替わる。
細かい仕組みはわからないが霊夢が動いたから起きた。そして霊夢は今、依姫の邪魔に注力しており自由に動けない。
その二点を瞬時に理解した楓はすぐさま動くことを選ぶ。依姫の剣術は間違いなく脅威だが――神霊の力が使えない今こそ、彼女が最も弱っている瞬間と言っても過言ではないのだ。
「落ちろっ!」
「チィッ!!」
すぐに神霊を呼べないと察した依姫は大きな舌打ちと同時、斬りかかってきた楓と応戦する。
再び始まる無尽の剣戟。猛然と二刀を振るい依姫の首を狙う楓の斬撃はしかし、一刀を操る依姫の防御を突破できない。
だが防ぎ続ける彼女にも余裕はないのか、紙一重で避けようとした斬撃を避け損ね、赤い線が生まれ始める。
「月人を傷つけますか!」
「く、そっ……!」
押し切れない。刃に業風をまとわせ、転移による急襲も併用し紛うことなき全力を尽くしてなお、神を降ろしていない依姫を倒せない。
(守りが堅すぎる! 今の状態でもあと一手が遠い……!)
「――ごめん、限界!!」
「っ!
そして霊夢の妨害にも限度があった。
目まぐるしい攻防の最中であっても依姫はすぐに察知し、この状況を打開できる神霊を呼ぶ。
(火雷神――落雷と炎の神! 不味い!)
依姫が呼び出した神霊の正体をすぐさま看破した楓は自身に迫る攻撃を予見し、二刀から手を離す。
武器を自ら手放す行為だが、今この瞬間はそれが最適解だと確信していた。
楓の確信を裏付けるように手放した二刀に雷光が落ちる。
刀を握っていたら落雷が直撃していただろう。即死はしないが雷で身体が硬直し、依姫相手に致命的な隙を晒していたに違いない。
素手になった楓はしかし抜け目なく両手を動かし、天狗の風を用いて二刀を操る。握っている時より精度は落ちるが、直接手に持たずとも動かすことはできた。
「雷を返すぞ、依姫!」
そして雷をふんだんに纏った二刀を依姫に向け、彼女に流し込まんと変幻自在の軌道を描きながら迫る。
「
「――不味い! 楓、刀を戻して!!」
依姫が呼び出した神霊にいち早く気づいた霊夢が制止の声を上げるが、すでに楓が風で操る二刀は依姫の眼前に迫っており――楓が左手で握っている刀がドロリと溶ける。
「金山彦神は金属を操る神。金属の分解などお手の物です――むっ!?」
「運が悪かったな。――右の長刀は付喪神だ!」
楓にしか認識できず、彼女もまた楓にしか干渉できないが、その存在は一個の存在として確立している。
そして依姫の能力も妖怪は対象外だったのだろう。金山彦神の影響を受けなかった長刀は楓にしか見えない付喪神――椿の手によって依姫と接触する。
『キミの放った雷だ。たっぷり味わって!!』
「ぐむ……っ!?」
依姫の身体に長刀から火雷神の雷が流し込まれ、彼女の身体が硬直する。
硬直以外のダメージがないのが恐ろしいが、それでも千載一遇の好機。楓と霊夢は同時に目配せすると依姫に向かう。
依姫は明確な焦燥を顔に浮かべているが、それで身体の硬直が解けることはなく。けれどかろうじて動く口でその名を呼ぶ。
「あ、まてらす……っ! 大御神!!」
その名が発せられた瞬間、依姫の身体が膨大な光に姿を変える。
霊夢は途中で自身の直感に従って目を閉じ、それでもなお視界を白く焼く光が目を潰す。
目から流し込まれた莫大な光による頭痛にグラグラと揺れる頭と意識を必死に保ちながら、霊夢は楓のことを案じる。
「楓っ!」
「が、ぐ、ぅ……っ!」
霊夢の声に応答する余裕もないほど、楓には覿面に刺さったらしい。
依姫は知る由もないが、楓は千里眼を持っている。そのため依姫から発せられた神威の光を視界のほぼ全範囲で受け止めてしまった。
当然のように眼球は焼け焦げ、脳天まで貫く神光で頭の中をグチャグチャにかき乱される。
脳が破損し、物理的に思考が不可能になった楓の前で、光の塊となった依姫が口を開く。
「半ば苦し紛れでしたが、どうやら殊更視覚に頼っていたようですね。勝負は私の勝ちです」
「――それはどうかしら?」
その声は楓のものでも、霊夢のものでもなかった。
つまり、三人目。これまで戦闘にほとんど参加していなかったため、依姫も警戒を切っていた第三者。
依姫の視界の先――比那名居天子が緋想の剣を足元に突き立て、傲岸不遜に笑っていた。
「……この状況であなたに何ができるとも思えませんが」
「戦いが始まってからずっと準備に追われていたわ。そしてようやく発動できる」
「……? 何を……」
「天照大御神なんてまさにおあつらえ向きじゃない。――私の封印術のお披露目よ!!」
天子の言葉と同時、空間が揺れる。
否、空間が揺れたというのは正確ではない。その圧倒的質量を前に、楓たちの立っているアポロ経絡が悲鳴を上げているのだ。
悲鳴をあげるその正体――楓の千里眼を持ってしても全容の把握に僅かな時間を要するほどの超々特大要石。
それが二つ。依姫を挟むように出現する。
「こ、れは……っ!?」
「石牢・釈迦の掌。天人たるこの私が地上に降りて考え続けていた、楓用の封印術よ」
剣術では楓に劣り、要石を使った戦闘でもあらゆる妖術を操る楓に比べれば一段劣る。
故に考えたのだ。自らの強みである要石の性質を突き詰め、石の牢屋に変えることを思いついた。
発動に膨大な時間を要し、その間は最低限の防御ぐらいしかできないが――発動した時点で周囲の空間を己の領土と変え、転移による脱出すら無効化する。楓をも無防備に封じてしまえる封印術である。
「だけど今はこの名の方が相応しいでしょう。――
「くうううぅぅぅっ!!」
依姫の抵抗も意に介さない。すでに発動した封印術は月の民にさえも完璧な効果を発揮する。
超々特大の要石が依姫を挟み込み――彼女の身体を封じるために大小様々な形に砕け、彼女の四肢を拘束していく。
やがてそれは首だけが飛び出した隕石の如き不格好な岩の鎧に変わり――そんな彼女の前に天子の武器が突きつけられる。
「その封印はしばらく続くわ。そして緋想の剣はあなたの気質を斬り裂く刃。試して見るかしら?」
「……参りました。あなたたちの力量を見誤っていた」
「ったく、天照大御神を目潰しに使うとか贅沢なことするわね。まだ目がチカチカするわ」
「頭がガンガンする……脳みそを神の光に焼かれた経験とか後にも先にもこれっきりだ……」
戦闘を終えた楓と霊夢は光の影響から脱したものの、まだ頭痛が残っているのか顔をしかめて頭を叩いている。
特に楓は神光で目を焼かれたためか、しきりに目を擦ってブツブツ言っている。視界は戻っているようだが、目の違和感が消えないのだ。
依姫は封印も解かれ、五体満足な様子で三人を見下ろした。
「さて、地上の民ながらお見事でした。三人がかりとはいえ、神霊を呼んだ私に勝つとは」
「天子の封印術が頭抜けてたわね。あれ、いつから開発してたの?」
「地底で楓が暴れた時からよ。楓に使うのを想定してたけど」
月の民すら封じた封印術を自分に使うつもりだったのか。
楓は阿礼狂いになって暴れた自分を棚に上げて、天子の封印術の恐ろしさに戦慄する。
この話を続けると自分に累が及ぶと思い、楓は天子たちの話を区切って口を開いた。
「……先に進んでも良いんだな?」
「もちろん。ドレミー、彼女らの狂夢は祓いましたか?」
依姫の呼びかけにどこからともなく現れたドレミーが、眠そうな顔でほにゃりと力の抜ける笑みを浮かべた。
「ばっちり祓っておきましたよー。これで夢の都に向かうことなく月に行けます」
「それは重畳。あなた方なら純狐を相手にしても戦い、勝利を収められるでしょう」
「もうここで全霊を使い果たす勢いだったがな……」
「男子が情けないことを。私の弟弟子ならばこの程度笑って乗り越えなさい」
試練を課したのは誰だと思っているのだ。
楓は喉元まで出かけた文句を飲み込む。言っても意味がないのと、そんなことより頭痛が酷かった。
「……もう良い。霊夢、天子、動けるな?」
「というかあんたの傷が一番深いわよ。あんたが大丈夫なの?」
「動いていれば治る。治らなかったら恨むからな」
「原初の光とはいえ、ただの光です。時間を置けば治るはずですよ。ああ、あと一つ」
依姫は一刀になった楓に自らの刀を放る。
目を擦っていてもわかったため、それを受け取った楓が眉をひそめて依姫の方を向く。
「刀を一つダメにしてしまいましたからね。フェムトファイバー製の剣です」
「……なんだそれは」
楓は自らの手に収まった、刃の有無すらわからなくなりそうなくらいに軽い刀を見る。
「須臾にも等しい微細な繊維を寄り集め、固めたもの――まあ細かい説明が面倒なので省きますが地上の民では一生お目にかかれない材質を使った剣とだけ。羽の軽さと金剛石にも勝る強度を持った刃です」
「ふぅん……」
半信半疑といった様子の楓は二度、三度と軽く刀を振るって調子を確かめる。
今まで使っていた刀の代用にはなると思ったのだろう。依姫から渡された鞘に収め、腰に差す。
「くれるというならもらっておく」
「ええ、あなたなら使いこなせるでしょう。私はこれで戻ります。次があれば永遠亭でお会いしましょう」
できれば一人で会いたくない。そんな楓の感想を告げる間もなく依姫は戻っていってしまう。
「思わぬ道草を食ったけど、行きましょうか」
「……そうだな」
「がんばってくださいねー」
気の抜けたドレミーの応援を背に、三人は再びアポロ経絡を進み始めるのであった。
一行がまたしばらくの間空を飛び続け、時折やってくる生命力の塊と化した妖精を倒しながら進んでいくと、いよいよ月の都が眼下に迫ってくる。
千里眼を持つ楓はすでに月の都の道路のタイルまでくっきりと見えるほどに接近していた。
「鈴瑚が言ってたわね。月の都は夢の世界に移動しているって」
「これが現実の都なのだろう。文字通り街が死んでいる」
「結界だけ張って戻れるようにして、住民は全員夢の中か。面白そうな街並みなのにもったいない」
三者三様の感想を口にしつつも、空を飛ぶ速度は緩めない。動かない街並みを見ていたところで面白いものはないのだ。
特に楓はもうすぐ御阿礼の子の寿命が解決するところまで来ているのだ。
自らに冷静であるよう言い聞かせ続けているが、逆に言えば己に言い聞かせなければ冷静さを保つのが難しいほどには高揚している。
そして霊夢も天子も楓の状態はなんとなく察しているため、無言で速度を上げようとする楓に何も言わず先導させている状態だった。
だが、そうして先導させている状態だからこそ、その存在に気づくのも楓が一番だった。
「――待て、何かいる」
「なに?」
「片翼の女だ。こちらに一直線に向かってくる」
永琳たちの話していた純狐だろうか、という疑問を抱く三人は視線で意思疎通をした後、待ち構えることに決める。
やがて現れたのは永琳にも似た銀の髪を持ち、口元を片手で隠したまま注意深くこちらを睨む片翼の少女だった。
「何者だ?」
「…………」
楓の質問に対する答えは沈黙。少女はただ深い猜疑を宿した目でこちらを見続けるばかりだった。
「質問を変えよう。――お前が純狐か?」
「…………」
首を横に振られる。どうやら楓たちの目当ての人物ではないらしい。
ならば彼女はどちらの味方なのか。それを確かめるのに最適なものを楓は先ほど受け取っていた。
「この刀に見覚えは?」
「……依姫の?」
つぶやかれた言葉は妙に楓たちの耳に残り、反響する不思議な響きを持っていた。
言葉を発することができるのに、今まで黙っていた。ひょっとしたら能力自体が声に関することかもしれない。
楓は腰に差した依姫の刀を取り出し、彼女からもらったものだと説明する。
「さっき、俺たちは綿月依姫と戦闘して勝利した。その際に彼女からもらったものだ」
「……なるほど、試しは済んでいたわけ」
「……月の民、と見ていいか」
「私は稀神サグメ。月の都を地上に遷都させる計画を立案したもので、月の賢者の一人」
「俺たちは八意永琳の指示を受け、月を襲っている純狐の退治を依頼された地上の民だ」
「八意様の? ならこの状況も裏事情まで察しているわけ」
「月の都が夢の世界にある理由も、地上を遷都の候補にしていることも知っている」
永琳、鈴瑚、依姫らの情報をまとめることで、楓たちは今回の異変の情報はかなりの核心まで持っている。
サグメもそれがわかったのだろう。大きくうなずいて、その口を開き――
「ならば話そう。純狐の襲撃は――」
「あら、ダメよサグメちゃん」
サグメの胸を貫くその手が、最後まで語ることを遮っていた。
「ご、が……っ!?」
「――っ!」
見えなかった。千里眼での警戒を怠っていなかったにも関わらず、サグメの背後に現れた存在に気づけなかった。
口から血の泡を吐き、必死に口を動かそうとするサグメを後ろから抱きしめるように――その首を掻き切る。
「あなたの力は言葉により運命を逆転させるもの。仮に私の勝利を口にしたら敗北が確定しちゃうわ。だから……ね?」
親しい友人に語りかけるように、首から血を吹き出すサグメの頬を血塗れの手で撫でる。
波打つ金色の髪を背中におろし、八雲紫の着ているような道士服の少女。
彼女こそが純狐。純化する能力を所持し、月に多大な恨みを抱いて復讐するだけの存在に成り果てた神霊。
そして楓たちが立ち向かうべき最後の敵である。
「――っ!!」
楓の行動は早かった。純狐の後ろに転移で回り込み、彼女のいた場所を双刃で切り払う。
純狐は当然のように姿を消してその攻撃を回避するが、楓の狙いはサグメである。切り払った勢いを使ってくるりと縦に回転し、血を吹き出し続けるサグメの肉体を月の都へ蹴り落としたのだ。
サグメの身体はみるみる月の都へ吸い込まれ、やがて楓の千里眼以外で見ることが難しくなる。
純狐の能力に射程の限界があるとすれば、彼女は助かるだろう。射程が楓の想定より長かったら――ご愁傷さまであるとしか言えない。
純狐は至極残念そうに自らの手に付着した血を舐め、そこで初めて楓たちを見た。
「へえ、私の能力を知っているの、君」
「……お前が純狐だな」
相対するだけでわかる。神霊を降ろした依姫など可愛いもの。神霊そのものの暴威に楓は肌の粟立つ感覚を必死に抑えていた。
純狐は楓に名を呼ばれたことにも反応を見せず、くつくつと愉しそうに笑う。
「……ええ、認めましょう。月の民がまさか地上の民に頼るなど想定していなかった。ここまで来られた時点で私の策が及ばなかった――など認められるものか!!」
愉しそうに笑い、次の瞬間には憤怒の形相に変わっていた。
怒りと憎悪。どれだけの時間、その感情を煮詰めればこんな声が出せるのか。
心の弱いものが聞いたらそれだけで発狂しそうな声音で純狐は叫ぶ。
「後少し! 後少しで憎き嫦娥の首を取れるのだ! 我が子を殺した恨み、お前たち女子供に理解できるはずもない!!
――お前たちの首を嫦娥への土産にしてやろう。嫦娥よ、そこで見ているが良い!! お前の希望が生死の狭間でもがく姿を!!」
Q.依姫と楓が一対一で勝負した場合はどうなるの?
A.天照大御神があるので依姫有利。楓が優位に戦っていてもそれだけで逆転される可能性になる。
非っ常に今更だけど、千里眼という広い視界持ちの宿命として強い光の目潰しが刺さる。
ちなみに天照大御神での負傷は死の穢れに含まれないので純狐との戦いには影響しません。神の光だし多少はね?
なんだかんだMVPは天子です。発動=勝ち確の技の発動時間を楓たちが稼いでいた形でした。
そしてサグメ様の事象逆転は起きないまま純狐戦へ。ぶっちゃけサグメ様の能力は月の民だったら知っているだろうし、警戒して潰しにかかるのは当然だと思うから……。