楓たちは際限なく膨らむ純狐の威圧を受けながら、視線と最小限の会話で意思疎通を行う。
「……ここからは傷を負ったらすぐ紺珠の薬を使え。あとなるべく塊になって戦うぞ」
「そうね。多分あいつ、距離そのものを純化させて詰めてくる。単純な距離を取ったところで一瞬で詰められて終わりよ」
「そうなると私が殴り合うのは厳しそうね……先に使った封印術をもう一度狙うわ」
純狐との勝負に距離の概念は発生しない。自在に距離を詰め、離せる彼女と戦いの土俵に立つには同じ技が必要になる。
故に純狐と殴り合いができるのは転移が使える楓と霊夢のみ。天子は狙われたら防御する程度は可能だが、攻撃に転じるのは難しいだろう。
「さあ、私の腕の中で眠りなさい!」
話し終えると同時、純狐が全方位に網の如く隙間がまるで見えない弾幕を放ってくる。
「弾幕!?」
「少しでも傷を負わせれば勝ちなんだ。こっちの遊びとは違う、実用で行っている攻撃だ! 油断するなよ霊夢、避けられるとは限らないぞ!」
「博麗の巫女舐めんじゃないわよ! 私の一番得意な弾幕勝負なら、負ける道理はない!!」
霊夢と楓が同時に別方向へ飛び出し、それぞれが弾幕に対処を始めていく。
楓は双刃を振るい弾幕を強引に切り払い、後続の天子に弾幕が向かわないよう安全圏を確保しつつ油断なく純狐を観察する。
弾幕への対応が優れていることに興味を覚えたのだろう。純狐は戦いの最中とは思えないほど呑気に二人を見ていた。
「へえ、地上の民はこういった攻撃に慣れているのかしら。ずいぶんと対応が熟れている」
「――悠長に見ている余裕があるのか?」
好機と睨んだ楓が転移を使い背後へ移動。無防備な背中を双剣で斬りつける。
「――っ!?」
しかし、楓の手に返ってきた反応はガキン、という金剛石でも斬りつけたような硬いものだった。
見れば服すら傷ついていない。鬼の身体すら両断できる領域に至った楓の剣術をして、純狐の肉体は一息に斬れないほど硬いのだ。
「なんだこの身体……!?」
「あら、神霊を相手取るのは初めて? 当然か、地上にはもはや存在しない種族だもの」
これが神霊。霊夢や依姫をしてその身に降ろすことしかできない、文字通りの神話に語られた存在。
根本的な存在の強度が桁外れなのだ。そこにあるだけで空間が悲鳴を上げ、振るう爪は次元すらも斬り裂く。
改めて敵対した相手の強大さに楓は表に出さず戦慄する。幻想郷で多くの強者と戦ってきたつもりだったが、まだまだ世界は広い。
純狐はいっそ馴れ馴れしいとすら感じてしまうほど気安く、肉体が斬れないことに驚愕する楓の前に手をかざす。
途端、その手から万華鏡の如き弾幕が広がり楓を捉えようとするが、転移を使用してすでに距離を離していた。
「お前が当たらない弾幕を俺が受けるとでも?」
「ふむ、残念。――だけどあなたは脅威じゃない。相手を斬れない剣士はただの役立たずよ」
「どうかな。肉体の強度は把握した。次は斬って見せよう」
話す間にも純狐から放たれる弾幕の密度は増していくが、楓が双刃を振るって自分の周囲を空白に変える。
純狐はそんな楓の剣術をまるで大道芸でも見ているように、面白そうにパチパチと拍手すら贈っていた。
「すごいすごい。ただの人間がよくここまで鍛えたわね。神霊の目を楽しませるに値するわ。誇っていいわよ」
楓からの反応はない。ただ無言で剣を振り続け、自分と後ろの天子にかかる火の粉を払い続ける。
「楓にばかり視線が行ったわね――私もいるっての!」
――そして純狐の視界から外れた霊夢が亜空穴からの強襲を仕掛け、純狐の背中をお祓い棒で思いっきりぶん殴る。
霊力がこもったそれは純狐にも効果があったらしく、純狐は鬱陶しそうな顔になって弾幕を放つと同時、霊夢が亜空穴で逃げた先に自身も距離を純化して詰めていく。
逃げた先に純狐の姿があることに霊夢は焦った様子を浮かべるが、純狐の爪が霊夢の頬を引っ掻く前に楓が割り込み、爪を剣で弾く。
「邪魔ねえ、あなた!!」
「っ、速い……!」
ただ乱雑に爪を振るっているだけにも関わらず、楓は二刀を用いた全力の防御を要求される。
単純な身体能力が桁違いなのだ。純狐と比較したら鬼すらも可愛らしいものである。
だが油断できない速度である以外に脅威はない。今の楓なら防御に集中していれば対処は可能。
何回――否、何十回かの打ち合いを終えた後、苛立たしい表情を隠さない純狐と相対し、楓は口を開く。
「霊夢の攻撃は効いたらしいな。霊力は通るのか」
「忌々しい。でも性質は理解したわ。空を飛べるなんて人間にしては珍しいものを使うじゃない」
「……知っているの?」
「まだ姿を隠す前の神霊には空を飛べるものもそこそこいたわ。懐かしいわね」
「どんだけ規格外なのよ、神々の時代ってやつは……」
想像すらできない恐ろしい時代である。人類がまだ神の庇護下にあった頃の話だろう。
純狐は未だ自身のペースを乱さないまま、ここまで思った以上に善戦している楓たちへの称賛を口にする。
「それにしてもあなた達、思った以上に腕が立つわね。生命力を純化させた妖精に対処できる、という点だけで集められた人ではないようね」
「…………」
「褒めているのよ? その一芸、力量、どちらも神霊の目を楽しませるに値するものよ。認めましょう」
「それはどうも。……霊夢、彼女相手に致命打を狙えるか?」
まだ彼女は自分たちを明確な敵だと認識していない。適度に頑丈で、しかし自分が本気になったら瞬殺できる玩具程度にしか見られていない。
そこに勝機がある。楓は三人の中で唯一、純狐にダメージらしいダメージを通せた霊夢に調子を確認するが、霊夢は首を横に振る。
「一撃入れたのは確かだけど、入れた端から治癒したわ。おそらく、いえ確実に純化させる能力を自分にも使用している」
仮に致命傷となる傷を与えたところで、純狐が死の穢れの対極である生命の輝きを純化させることにより、一瞬の間に治癒することができる。
倒すなら一息に、それも治癒する暇すら与えない一撃で決める必要があった。
「私が全力込めたお祓い棒でも足りなかった。夢想天生もオートで弾幕を撃ち続けるだけだから、あいつ相手に致命傷にはならない。……というか空を飛べる相手の対処法を知っている可能性が高いから、夢想天生もリスクがある。
……私はあんたの剣が一番可能性があると思っているわ」
「天子の緋想の剣は?」
「封印術は準備してるけど、あの神霊相手にどこまで効果を発揮するかは未知数よ。神霊の気質を斬り裂けるかは……緋想の剣の可能性に賭けるといったところかしら」
霊夢、天子の視線が楓に向かう。純狐を一息に殺し切れる可能性を語るなら、やはり彼の剣術しかないという結論に達していた。
「……天子の防衛と純狐の妨害は私がやるわ。あんたは攻撃に回りなさい」
「わかった。頼むぞ」
「こっちの台詞よ。あと今のうちに聞いておくけど、あんた
「……? いや、まだ一度も戻ったつもりはないぞ」
何を言っているのだ、という顔で霊夢を見る。
今のところまだ誰も傷ついていないのだ。時間を巻き戻す意味がない。
しかし霊夢の顔は冗談を言っているものではなく、やはり自分は間違っていなかったという確信を得た顔になっていた。
「……やっぱりあんたが一番可能性があるわ。言っておくけど、私ももう何回か戻っている」
「何を言って――」
「任せたって言ってるのよ! 天子、遅れないようにしなさい!」
楓の疑問に答えることなく霊夢は動き出し、弾幕の嵐の中に自分から飛び込んでいく。
弾幕を切り払う楓とは違い、彼女の動きは弾幕の隙間をすり抜けて空に踊るような動きが特徴だ。
彼女に追随する形で天子も弾幕の中に消える。
一人になった楓は改めて二刀を握りしめて純狐と相対するが、純狐はそんな楓を見てニンマリとした厭らしい笑みを浮かべた。
「……へえ。よく見ればあなた、混ざりものじゃない。人と妖怪の半人半妖」
「だからどうした」
「あらあら、私の能力を忘れたの? ――人間の血に純化させればあなたはそれだけで無力化される」
「――っ!?」
純狐の言葉が終わると同時、楓の身体に異変が訪れる。
両手に握る刀の重さが急激に変わる。身体が重く、動きが鈍重になる。千里眼の視界が目に酷い負荷を与え、とてもではないが目を開けていられない。
この時、楓は気づかなかったが髪も母親譲りの白髪から黒髪に変わっていた。
つまり――楓は今、半妖から人間になっているのだ。
そして妖力で飛んでいた空が飛べなくなる。楓の肉体が月の都の重力に引かれ、落ち始める様を純狐は目を細めて笑って眺めていた。
「何を……!?」
「人間の血を純化させた、と言えばわかるかしら? ああ、返答はいらないわよ。その脆弱な肉体では月の都に墜落する衝撃には耐えられないでしょうから」
「――っ!」
「ではさようなら。あなたのことはそこまで嫌いじゃなかったわよ?」
その言葉を最後に純狐は楓から視線を切る。もう終わった存在のことをいつまでも考える必要はないからだ。
そして純狐の視線は弾幕の中を飛ぶ霊夢たちに向けられる。
彼女らの動きは少々面倒である。近づいて爪を振るっても良いのだが、あの巫女は空を飛べる。単純な攻撃は意味を成さない可能性が高い。
であれば――より強大な存在で押し潰してしまうのが一番手っ取り早い。
「――ヘカーティア! そろそろ見ていないで手伝ってくれたらどう?」
純狐の呼びかけに呼応する形で彼女の隣に一人の少女が現れる。
赤い髪を肩まで下ろした、赤、青、黄色の天体にも似た球体を従えた少女で、先ほど月の都へ落下した楓ら含め、霊夢たちを面白そうに見ている。
「ようやっと出番か。純狐が全部持っていっちゃうかと思ったわよん」
「それはごめんなさい。でも見ていたでしょう? 私たちの想像以上に活きが良い」
「まあねえ。で、どうする? 私の三体を全て注ぎ込む?」
「
「同感だ。良いね、面白い! 根性のない月の民を捉えるなんてのより何倍も面白そうだ!」
ワクワクと高揚した笑みを隠そうともしないヘカーティアと呼ばれた少女の出現に、霊夢たちは小康状態になった弾幕から抜け出しながら天子と言葉を交わす。
「――あれはダメね。真っ向から勝負したら絶対に勝てない」
「同感。悔しいけどあれ相手には私の封印術も意味がない。断言しても良い――あれの存在は文字通り世界を内包している」
「楓でも無理でしょうね。ただ、純狐の退治だけなら楓に賭けるしかない」
「大丈夫なの? いえ、心配しているわけじゃないけど、今のあいつは人間になったんじゃ……」
「大丈夫よ」
天子の懸念に対し、霊夢は即座に問題ないと断言した。
「あいつが人間になったなら――正真正銘、爺さんと同じ領域の剣士が生まれることになる。爺さんならこの状況でもなんとかできる」
「それ本当に人類?」
天子はよく知らないが、霊夢にとってその人物は絶大な信頼を獲得していたようだ。
ともあれこの場は時間稼ぎを行う、という方針で一致した霊夢と天子の二人は武器を構え、ヘカーティアたちと相対した。
「誰が相手でもやるべきことは変わらない! 月の都が地上に来られたら困るのよ! さっさと月の民を元に戻しなさい!」
「よくぞ吠えた矮小な人間よ! さあ、全霊をもって我らの暴威に抗うが良い!!」
(不味い不味い不味い! このまま地上に落ちたら死ぬ!)
ゆっくりと、しかし着実に月の都に近づいていく自身の身体に楓は焦燥を露わにしていた。
自分が妖怪でなくなったことは薄っすらと理解していた。あれだけ手足のように操っていた妖力を今は欠片も感じることができないのだ。
つまり、今の状況から飛行を覚えるには霊力を使うしかない。
霊夢と違い、空を飛ぶ程度の能力もない自分が、地上に落下するまでの一分にも満たない時間で霊力を理解し、使いこなす必要がある。
(迷ってる場合か!)
逡巡する余裕など最初からない。楓は目を閉じて自身の裡にあるはずの霊力を探し求める。
だが、本来なら感じ取るだけでも時間を要するものである霊力を感じるには至らず、けれど楓は死ぬ時まで諦めず霊力を探り続け――
「――君は翔べない」
ふと、背中が軽くなる。霊力は未だわからないが、それでも身体が浮かんでいるのだと理解するのに時間はかからなかった。
誰かの声がした、と楓が首を動かし――本当にすぐそこまで地面が迫っていた――声の主を探す。
するとそこには楓が蹴落としたサグメが自身の血に塗れ、一言発することにも苦心しているくらいの消耗ながら、確かに自身の足で立っていた。
「……人間になったのか」
「……そうらしい。無事だったんだな」
すぐさま死ぬ危険もなくなったため、落ち着いた楓が改めて自分の状態を確認する。
人間の身体では千里眼の情報を処理しきれないのか、目を開けていると絶え間ない頭痛に襲われる。
耐える分には問題ないが、そもそも痛みとは身体の発する危険信号。妖怪の時は無視して良かったが、人間の肉体である今、無視を続けた場合にどうなるかは予想できなかった。
そして全身の重さはこれが人間の身体かと楓が感心するほどのもの。こんな重たくてすぐ壊れる肉体を使ってよく霊夢たちは戦えるものだと思えてしまう。
――最高だ。自分はとうとう父と同じ土俵に立つことができるのだ。
楓が内心で喜んでいることまではわからず、サグメは息も絶え絶えといった様子で楓に頭を下げる。
「助けられた、恩に着る。どうにか命をつなぐことができた」
「……まだ安心するには早い。空の上では今も仲間が戦っている最中だ」
「私も力を貸す。純狐の計画は成功する」
サグメがその言葉を口にした瞬間、大きな仕事をやり遂げたようにサグメの全身から力が抜ける。
崩れ落ちる前に楓が支え、彼女の能力について言及する。
「言葉で事象を逆転させる能力か」
「……そういうこと。もはや運命は逆転を開始した。あなたたちの敗北は約束された」
「その能力の効果を受けているかはわからないが……俺は俺のやるべきことをやるだけだ」
「さあ、行きなさい。そして純狐を下すのです!」
楓はサグメの身体を月の都の安全そうな場所に横たえると、双剣を握り直して空を仰ぐ。
霊力の感知は問題ない。サグメと話している間の時間で感じ取り、操ることまでできるようになった。
すでにお気づきだろうが、楓は覚えようと思って見聞きしたものは扱えるようになる天才の類である。
ましてや霊力。楓がずっとほしいと思い、しかしついぞ扱うことのできなかった力であり――妹分である霊夢が自身の身体の一部のように扱う姿をずっと見てきたのだ。
故に今の楓は霊力を問題なく扱える。そして霊力が扱える人間になったことで、楓は父と同じ位階に到達した。
こんな事態の最中ではあるが、それが感慨深く思えた楓は父の名をつぶやいた。
「――」
「……それはなに?」
「人間として生きて死んだ、父の名だ。月の民よ、覚えておいてほしい。――俺が父より託された剣で、月は救われたのだと」
「食らいなさい、私のとっておき!!」
長い長い溜めを要する天子の封印術がついに純狐らに牙をむく。
ここに至るまで何度時間を戻したのか、霊夢も天子も自身の主観では数え切れないほど。
弾幕という遊びに付き合ってもらっているとは言え、純狐とヘカーティアという神霊と世界を内包する存在を前に時間稼ぎをした霊夢は、すでに満身創痍に近い消耗を負っている。
そして霊夢をそこまで使い潰して発動させた天子の封印術には純狐、ヘカーティアも僅かに瞠目するものだった。
「ほぉ、これは凄まじい。純狐一人だったら危なかったんじゃない?」
「確かに。神霊をも封じ得る石牢とは。名を聞きましょうか、少女よ」
「天人の比那名居天子よ! 余裕ぶった面もそこまで! 驕れる神霊に鉄槌を下しましょう!」
「だが、相手が悪い!!」
超々特大要石に挟まれようとしていた純狐の間にヘカーティアが割り込む。
そして彼女を封じようと要石が砕け、バラバラになった破片がヘカーティアを包み込み――その皮膚に触れる直前で停止する。
「ぐ……っ!」
「私は世界を内包する女神。お前さんの封印は確かに凄まじいが――世界を相手取った想定はしていないだろう?」
「こ、の……っ! 霊夢! 力貸しなさい!!」
「もうやってるわよ!!」
博麗の巫女と天人。二人がかりで抑えつけようとしてなお、ヘカーティアの顔からは余裕が消えない。むしろ強くなる封印をどこか心地よく受け止めている。
「――ダメね、届かない。天子、損切りしなさい!! 私も認めたくないけどあんたの封印術はこいつに通じない!!」
「そのようね! というか世界そのものと同一視できる女神なんて想定してないわよ!!」
「ああん、せっかくこの拘束感が気持ち良くなってきてたのに」
効果がないものに付き合って余計な力を使う必要はない。
見切りを付けた天子が術を解除すると、どこか残念そうにヘカーティアがつぶやく。
「さて、これでお嬢ちゃんたちの万策は尽きた感じかね。まあまあ楽しめたんじゃない? 純狐」
「ええ、実に面白い余興だったわ。とっくの昔に嫦娥への憎しみに純化した私だけど、久しく楽しいという感情を思い出せたわ」
「……だったらこれで諦めてくれないかしら」
「それとこれは話が別。でも楽しんだのは本当。だから――苦しまずに殺してあげるわ」
「……っ!」
再び手をかざす純狐に霊夢は夢想天生を行って、天子だけでも逃がすかを視野に入れる。
彼女相手に劇的な効果が見込めるとは限らない。だが、使わなければ自分たちは圧倒的な力量差にすり潰されるだけだ。
自分たちだけでの勝利が見込めない以上、次に繋げるないし時間稼ぎを続けて助けを待たなければどうしようもない。
「さ、楽しかった余興もこれでおしまい」
一瞬の逡巡。しかしそれが神霊であり、距離を無にする純狐には致命的な隙に等しかった。
霊夢の背後を取られ、その首を狙った爪が迫る。
即死してしまえば紺珠の薬による逆行も意味がない。天子の助けも間に合わない。
これは避けられない。そう察した霊夢は半ば諦めた顔で目を瞑ってその一撃を待って――
真下から放った楓の斬撃が純狐の手首を斬り落とした。
「……あら?」
「――」
自分の手首がなくなったことを純狐は理解できないとばかりに呆然と見つめ、その隙を突いて地上から現れた影が霊夢の身体を純狐から引き剥がす。
その人物が誰なのか。考えるまでもないと霊夢は思いっきり舌を出して悪態をつく。
「この……っ! 遅いのよバカ兄貴!! 良いところばっかり狙ってんじゃないでしょうね!」
「待たせたことは謝る。だがもう安心して良い。――今の俺は神霊だろうと斬り裂ける」
見慣れない黒髪となった少年――楓が霊力を操り、再び参戦したのだ。
手首の傷を治した純狐は月の都へ落とした少年が戻ってきたことに目を見開く。
「まさか半妖の子が生きて戻ってくるなんて……サグメの力?」
「一つ、面白いことを教えてやる」
純狐の質問に答えず、楓は長刀を純狐たちに向ける。
「俺の剣は人間だった父から教わったものだ。俺が振るう剣術は本来、人間が人間じゃないものを相手取ったものになる。
……ああ、父上も予想しなかっただろう。――まさか自分の剣術が神霊をも斬り伏せるものになっているなど」
楓の顔は自信に満ち溢れており、今の自分なら純狐も、その隣りにいるヘカーティアをも斬れると確信しているものだった。
「霊夢、天子。全力で俺を援護しろ。俺があの二人を斬り伏せ、荒ぶる神霊を鎮めよう」
「……信じて良いのね?」
「信じろ。今の俺は父と同じ領域だ」
「よく言った! 残った力全部、あんたの道を作るのに使ってあげる!!」
楓の横に霊夢が並び、その横からさらに天子も緋想の剣を抜いて並んでくる。
「弾幕は私が受け持つわ。転移対策は霊夢に任せた」
「あとあんたは知らないでしょうから教えるけど、あっちの変な格好の女は文字通り世界を内包した女神よ。真っ向勝負なんてするだけ無駄と思いなさい」
「……サグメの言葉は無駄になりそうだな」
彼女は純狐の計画は成功すると言ったが、純狐とヘカーティアの計画が成功するとは言っていない。
これでは仮に純狐の計画が失敗しても、言及されていないヘカーティアの計画が成功すれば月の都は結局終わりである。
しかし今の楓にはどうでも良かった。どちらにしても彼女らを斬り伏せる必要があるのは変わらないのだ。
「――」
楓の踏み込みは誰の目にも留まらないものだった。
単純な速度で言えば半妖の時より落ちている。しかし人の認識する隙間を縫う動きは実際の速度以上の錯覚を与えてくる。
ほんの瞬きの間で純狐の正面に現れた楓は鋭く爪を伸ばした純狐と切り合うが、数合の打ち合いでそれは終了した。
霊力を伴った楓の斬撃は純狐の爪を容易く斬り裂き、彼女の爪は楓の守りを突破できないのだ。自分だけが痛い目を見る状況に付き合う理由はない。
が、転移を使用して距離を離す純狐に楓が更に迫る。
霊夢が亜空穴を開き、その中に楓が入ることで人間の楓が転移を使えないという欠点を補っていた。
「確かに人間になった。動きも遅くなっているはず。なのになぜだ……! 動きが良くなっている!?」
「――」
純狐の戸惑いに楓は返答しない。人間である自分が神霊に挑んでいる以上、余計な口を叩く余裕などないのだ。
ヘカーティアは動かない。むしろ純狐が押されている現状を面白いとすら思い、状況の推移を眺めていた。
そんな彼女に天子が油断なく緋想の剣を構えながら口を開く。
「助けないの?」
「助ける? バカ言っちゃいけないよお嬢さん。人間が神霊に挑んでいるんだ。その行いは誰かが汚して良いものじゃない。そんな
「……神々の考えることはよくわからないわ」
「わからなくて結構。人には人の理屈があるように、神には神の理屈があるのさ。そしてそれは時に復讐の成否よりも、己の生死よりも優先される」
ヘカーティアが語る間にも戦況は推移し、楓の振るう二刀が純狐の身体を捉え始める。
無論、生半可な一撃に意味はない。すぐに生命力を純化させて治癒されてしまう。
しかし傷の位置が徐々に首に近づいているのだ。純狐の精神も穏やかではいられない。
「人間のお前は確かに脅威だ、認めよう! であれば元に戻して――」
「――ッ!」
純狐が能力を使うべく行う、ほんの一瞬の集中。
それこそが勝機であると楓は本能的に理解し、双刃を奔らせた。
その斬撃は楓が歩んできた人生の中で最高の一太刀と断言できるものであり、同時に父をも超えたと断言できるもので――
――楓の髪が白に戻るのと、純狐の首が宙を舞うのは同時に起こった出来事だった。
「ぁ――」
「――荒ぶる神霊よ。この一撃をもって鎮まり給え」
首が飛んでもそこは神霊。即死することはない。
ないが、彼女の意識が戻らない限り能力の使用もできない。
事実上、この異変における純狐は無力化されたと言っても良かった。
半妖に戻った楓は調子を確かめるように軽く剣を振るう。
その刃に霊力の残光が生まれるのを見て、楓は小さく笑いながらヘカーティアを見据えた。
「お前も戦うか?」
「いんや、素晴らしいものが見られた。――見事也、人間!! お前とお前に連なる一族の磨き上げた剣は確かに、いや確かに!! 神霊をも鎮める剣術に至ったことをこの地獄の女神、ヘカーティア・ラピスラズリが認めようじゃないか!!」
復讐などどうでも良いとばかりに笑うヘカーティアを見て、楓はようやくこの異変に一区切りがついたのだと肩の力を抜くのであった。
とうとう本異変中最後の戦いにして、最後のブレイクスルーです。
楓という半人半妖が完成に至るには一度人間になる必要がありました。
人間になり――文字通り父と同じ土俵に立つことで彼の剣術はとうとう父のものと同等、凌駕する位階に到達する。
ついでのように霊力のコツを掴んで半妖に戻っても使っていますが、ここまで来たら余技の領域です。もう今の彼は剣術だけで大半の妖怪をどうにかできる。
純狐、ヘカーティアも復讐のためという観点で見ればそこそこ本気でしたが、神霊をも斬り伏せる楓の剣術を見せられたら良いものを見たので復讐は一旦諦めると言ってくれます。この辺り人の考え方ではなく、神霊の考え方です。
人が神に挑み、斬り伏せる剣術を披露――奉納してくれたので怒りを収めている。
次回は異変が終わった後の話をちょこっとだけやって、楓と阿求の物語の終点に向かいます。
そして星を追いかけた少年の物語にも一区切り付ける時がやってきました。
残り2、3話で完結となります。